第62話 お労しや……
そこにいたのは、お兄様だった。
彼は私達が部屋に入ってきたのには気付かず、高いテンションのままペンを走らせる。
「ここでヒーローが主人公の頬を撫でて、愛を囁く。そして、待ちに待ったキスシーン……ッッッ」
「あの……」
「舞踏会会場から少し離れた場所にある噴水前、煌めく星空の元、会場から微かに聞こえる音楽ッッッ! 雰囲気はバッチリ!」
「お兄さ……」
「いけ、今だ! チューしろ! やれ! やるんだーーーーーーーッ」
「お兄様!!!」
私が叫ぶと、お兄様はピタリと動きを止めた。そして、ギギギと鈍い音がしそうなほどゆっくりとこちらを振り向いた。
お兄様と目が合う。
無言のまま見つめること数十秒。先に動いたのは、お兄様だった。
彼はメガネを指で押し上げ、キリッとした表情で口を開いた。
「リディア、こんなところで何をしている。コラボの話は断られたのだろう? 貴族として、変な悪あがきはやめなさい」
「いや、あの……」
「それともなんだ? やはり風呂のためなら手段を選ばないつもりなのか? そういうところがお前の……」
お兄様の説教は止まらない。仕方がない。そっちがそのつもりなら、こっちだって黙っているつもりはない。
「……神展開、キター」
「……っ⁈」
お兄様が言葉を止める。一方で、私はそのまま言葉を続けた。
「待ちに待ったキスシーン。雰囲気はバッチリ。いけ、今だ。チューしろ」
お兄様の顔がどんどん青ざめていく。
「やれ、やるんだー! でしたっけ、お兄様?」
私がニコリと微笑むと、お兄様はその場で脱力した。そして。
「……………だ」
「はい?」
「金貨千枚でどうだ……」
「ん⁈」
私が驚いていると、お兄様は青い顔のまま続ける。
「公爵領の土地の10%を譲渡で、このことを忘れるよう手を打ってくれるか……」
「おおおおお兄様⁈ 落ち着いてください⁈」
「こんな……こんな状況で落ち着いてられるわけがない……ずっと……ロマンス小説を書いていることを隠してきたのに……っ」
お兄様はその場で崩れ落ちてしまった。ちょっと可哀想だったわね……。
私は膝をついている兄の肩に手を置いた。
「ごめんなさい。ちょっと意地悪をしちゃいましたね。事情を教えて欲しかっただけなんです」
「事情を……?」
「はい。お兄様が小説を書いている理由。それから、コラボを断られたことにお兄様が関わっているのかどうか」
私の言葉に、お兄様はぐっと眉根を寄せる。そして、小さくため息を吐いた後、事情を話し始めた。
「小さい頃から俺は、公爵家の長男として厳しい教育を受けてきた。貴族としての地位や財産を所有しているならば、それに見合う役目を果たすのは当たり前。俺は貴族としての責任を背負って生きてきた。だが……出会ってしまったんだ」
「何にですか?」
「ロマンス小説『キュンキュン物語〜姫と騎士と王子と魔王は四角関係⁈〜』に……」
うん。この際、タイトルにツッコミを入れるのはやめておこう。
「街の大きな図書館だった。歴史書を探していたはずの俺は、何となく惹かれてそれを手に取り、読んでしまったんだ。そこからだった。俺がロマンス小説にハマってしまったのは……」
「……」
「以来、俺は隠れてロマンス小説を読み漁った。おそらく人生で読んだ数は千を超えるだろう。しかし、読んでいるうちに物足りなくなってくる。俺の理想の展開がもっとあるのではないか、と……。そして、俺はペンを手に取った」
「それで、出版までいったんですか?」
「そうだ。たまたまコンテストで賞をもらって以来、クレアというペンネームで本を出版してきた」
なるほど。事情は分かった。お兄様の名前はアレクセイ。そこからアレクを並べ替えて、「クレア」っていうことね。
そういえば、私の母の家系は、好きなことに夢中になってしまう人が多かったらしい。
母はタバコの銘柄を自ら作ってしまうほどの喫煙好き。祖父は女体画コレクターで、叔父殿は賭け事が好きで常にイカサマの方法ばかり考えたんだっけ?
そして、私は生粋のお風呂好き。父から、「リディアは好きなところに一直線なところが妻に似てる」と言われたのよね。
お兄様は、私と同じく母方の血をバッチリ継いでいたのね……。
私が妙に納得していると、お兄様がキッと私を睨んだ。
「俺は隠れて執筆しているのに、お前ときたら……っ」
「え? 私?」
「貴族としての責任も取らず、隠れもせず、自由気ままに店なんて開いて……っ! 俺がどんな思いで隠れて執筆を続けてきたと思ってるんだ! 執筆すると我を忘れてしまうから、わざわざ出版商会の一室を借りてまでいるというのに!」
さ、逆恨みぃ。お兄様は苦々しい顔で言葉を続けた。
「俺は、この活動で失敗しても貴族界で不利にならないように隠れているんだ。それなのに、お前は隠れもせず……。だから、お前が致命的な失敗をする前に連れ戻すため、風呂カフェをやめろと言ったんだ」
「急にコラボの話がなくなったのもお兄様が?」
「そうだ。作家のクレアとして話を断り、そして、公爵家の長男としてコラボの話を全て断るように仕向けた。公爵家は出版商会に融資をしているからな。俺の言葉は絶対なんだ」
なるほどね。事情は分かった。つまり、お兄様が了承すれば、コラボは成り立つということ。
私は「お兄様」と悪い笑顔を浮かべた。
「な、なんだ? 何を企んでいる?」
「企んでいるなんて……クレア先生の小説と風呂カフェをコラボさせてもらえればいいだけですよ」
「い、嫌だ……」
お兄様は首を振るが、私は遠慮しない。だって、散々意地悪なこと言われたものねぇ。
「貴族としての恥を晒すな、でしたっけ? それなら、さっきのお兄様の言動を貴族界で言いふらしてもいいですか?」
「な、卑怯な……っ」
「スミス夫人に話してしまおうかしらね。手紙のやり取りをしてるんですよ。影響力が強いからどうなるか分からないけれど」
「ぐ……っ」
「ね、お兄様? コラボの話を承諾するだけで、あの光景を忘れてあげるって言ってるんですよ?」
「……」
そうして、私はクレア先生のロマンス小説とのコラボの話を勝ち取ったのだった。
あの時、お兄様に詰め寄っていた私は完全に悪役サイドだっただろう。
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