第三十三話 消える色と光
「私が知ってるのはカイトの記憶にあるコノハだけだから。体の再構成はこれが精一杯よ」
今、僕の目の前に、記憶のままのお姉ちゃんがいる。汚れたボロキレに包まれて眠っているみたいに見える。
「ありがとう、ミミ・・・・・・」
胸がギュってなって、言葉が続かない。僕がお姉ちゃんに近づこうとしたら、
「まだよ。まだ、呪いが完全には解けてないわ。あともう一押し。カイト、お姉さんの手を握って。私たち三人にかけられた呪いを、全部いっぺんに解くから」
僕はルダ・マグラスを床に置き、ネックレスがあるお姉ちゃんの右手の上に、自分の両手を重ねた。
「ねぇ、カイト。聞いて欲しいの」
ミミは横たわるお姉ちゃんの顔のすぐ上で浮きながら、お姉ちゃんに両手を向ける。
「私、とても感謝しているのよ。もしあの日カイトに出会わなかったら、私はあのまま森の中で毎日、人間たちを脅かさないように隠れて生きていたと思う。アンタには分からないかもしれないけど、そんな毎日はとても悲しくて、つらいことばかりだった・・・」
声に、少しだけ震えが混じる。
「もう、ずっと昔にあきらめてた。人間と仲良くなろうとしても、どんどん自分がみじめで情けなく思えてくることばかりだった。森の中で怪我をした人を助けてあげようとしたって、道に迷った人に教えてあげようとしたって、私を見たらみんなが逃げていく。そのせいで傷口が開いても、もっと深く道に迷っても、私が見えなくなるところまでずっと走って、みんな、みんな逃げていった。そんな人間たちに会うたびに、私なんていないほうがいいんじゃないかって、なんで私はここにいるんだろうって、なんで生きてるんだろうって、いつも、何回も思ったわ。だから、私は徹底的に人間を避けるようにしたの」
ミミは声を荒げたり悲しそうに体を震わせたりする。そのたびに体から出る水色の光が、不安定に明滅した。
「でもね、アンタといっしょに森を出てからは何もかもが変わった。私を見ても逃げない人がいて、私が来たことを歓迎してくれる村まであって・・・・。そんなこと、森を出るまでは考えられないことだったわ。毎日が楽しくなった。本当に、生きてるって思えたの。アンタは私と誓いの甲までしてくれた。言わなかったけど、本当はとてもうれしかったの! 私はカイトに、心から感謝してる」
ミミはお姉ちゃんに両手を向けたままゆっくりと深呼吸して、
「これからやることは、私からカイトへの感謝の気持ち。私の、心からのプレゼント。いい? これから何が起きても、アンタは前に進みなさい。紫暮カイトはこの水色の妖精、ミミ・ファルム様の、一番の友達なんだから。いいわね?」
ニコッとして、僕を見た。
「ミミ、それじゃまるで・・・・」
お別れするみたいだよ。言おうとした瞬間、ミミは急に明るく輝き始め、眩しい光の中で唱え始めた。
「エデュロ・パンサート・・・・・・」
『ミミ様!』
フィーとソラが同時に叫び、構わず、
「絶対解呪!」
ミミは最後まで唱えきった。
あまりの光の強さに目がくらむ。「パリン」と音がして僕の体から何かが剥がれた。数秒間、目がくらみ何も見えないまま、僕はお姉ちゃんの右手の上に両手を置いていた。
視界がまた、暗闇に戻ってくる。ミミはふわりと飛んで、すぐ近くから差し出されたソラの両手の上に降りた。
「ミミ様、なんと無茶なことを! 妖精の詠唱魔法など聞いたことがありませんぞ!」
ソラは今にも泣き出しそうだ。フィーもソラの近くまで来て、心配そうにミミを見る。ミミはそんな二人にやさしく微笑む。
「私に出来るのはここまでよ。あとはカイト、アンタの番・・・・」
お姉ちゃんの両目がパチッと開き、直後、
「イヤッ!イヤァァアアアアアア! ァァァァアアアアアアアア!」
悲鳴をあげて悶えだした。
僕の手を振り払って氷の床をガリガリと掻きむしり、さらに叩き、転がり頭を抱え、仰け反り、また床を叩いて掻きむしる。
「あああぁっ! イヤァ! ああああああ!」
涙を流し口からよだれを垂らしながら、お姉ちゃんは絶叫し暴れ続けた。
「お姉ちゃん!」
裸のままで暴れ、悶えるお姉ちゃんを抱きしめる。氷のように冷えた背中が、お姉ちゃんが今までに受け続けた苦しみを、叫び声以上に僕に伝えてきた。
ルーシーの千年の呪いはお姉ちゃんをどれほど苦しめたのか。僕が夢の中で感じた痛みと恐怖だけでも、とても耐え切れない苦しさだった。その苦痛を眠ることも出来ずに受け続けたお姉ちゃんの心は、もう、壊れてしまったんだ。
「お姉ちゃん・・・・。僕だよ。カイトだよ。もう、大丈夫。大丈夫だから・・・・」
腕の中で悲鳴をあげもがき続けるお姉ちゃんを、さらに強く、強く抱きしめる。
次第にお姉ちゃんの体から力が抜け、最後には、スゥッと寝息を立てて眠った。僕の「心を癒すチカラ」はきっと、このためにあったんだ。
自分のダウンジャケットを脱いで裸のお姉ちゃんに着させる。ジャンが、お姉ちゃんを抱きかかえてくれた。
「あぁあ・・・・ミミ様・・・ミミさ・・ま・・・・」
ソラが泣きながら悲痛な声を出す。フィーも口を両手で押さえ、泣いていた。タルマさんも心配そうにミミを見ている。僕とジャンもすぐにみんなのところに行った。
ソラの両手の手のひらの上でミミは仰向けに倒れ、穏やかな顔で僕を見上げた。ミミの水色の羽根が、端のほうからチリチリと音を立てて灰色へと変わっていく。
「カイ・・ト・・・・。お姉さん・・・は・・・・・?」
「うん、・・・・眠ったみたい」
ジャンに抱きかかえられているお姉ちゃんを、ミミに見せる。
「良かった・・・・」
そう言って、ミミはまた微笑んだ。
話してるうちにも、ミミの綺麗な水色の羽根はどんどん色を失っていく。
「ミミ・・・。僕は、ミミに何も返せてない。頼ってばかりで恩返し出来てない。まだ・・・」
「アンタはやるべきことを・・・やりなさい。アンタにしか・・・できない・・・こと・・・・」
羽根は根元まで灰色に変わり、ミミの長くて綺麗な水色の髪の毛も、徐々に灰色へと変わっていく。ついに色が完全に消えてしまったとき、ミミの両手がフワリと、何かに引っ張られるように持ち上がった。ミミはスッと息を吸い込み、誰かの顔をやさしく撫でるようなしぐさをして、
「ああ、レグ・・・・。アナタのことを忘れ・・・な・・・・・」
パタッ、とソラの手のひらに両手を落とした。瞼がゆっくりと、ミミの赤い瞳を覆っていく。
「ミミさま、ミミさま! ・・・・・ああぁ!なんということじゃ」
ソラは大粒の涙を流し、震え、嗚咽した。
「水色の妖精が死んでしまうなど・・・・。こんなこと、あってはならぬ。あってはならんのじゃ!」
フィーもタルマさんも声を殺して泣いた。
ミミが死んでしまった。誓いの甲をしておいて、僕はミミを頼ってばかりだった。何もしてあげられなかった。
ソラの手のひらの、羽根も髪の毛も灰色に変わってしまったミミを、もう一度見る。その穏やかに眠るような顔を。そして・・・・。
違う。
また僕は、大切な何かを見落としている。
感じた。
そうだ。この感じ、この感覚。
今までにも何回か感じたこの感覚は、一回も間違ってなかった。目の前の景色よりもこの感覚のほうが、結果的にはいつも正しかった。
僕はもう惑わされない。
床に置きっぱなしだったルダ・マグラスを拾い、右手に握る。泣いているソラの頭のタヌ耳の間を、左手でポンポン、っとやさしく叩いて、
「ミミは死んでなんかないよ。眠ってるだけ。また、目を覚ますよ」
泣いてグシャグシャになってるソラに言った。ソラは泣きながら、
「おヌシの・・・ヒック、気持ちは分かる・・・・ヒッ。じゃが、ワシは、妖精の最期を知っとる・・・ゥグッ。ワシも、認めたくはない・・・・ヒッ」
立っている僕を見上げて言った。
これを感じたときはいつもそうだ。誰も僕の言うことを信じてくれない。いや、ミミだったら・・・・信じてくれるかな?
「みんな、お姉ちゃんとミミをお願い。出来るだけ城から離れてね」
ソラを、みんなを安心させたくて、できるだけ明るく言った。
お姉ちゃんを抱きかかえているジャンが、
「カイト、一人で行くのか?」
心配そうに言う。
「うん。もう道も覚えたし、みんなには出来るだけ早く、安全なところに行ってほしいから。案内はいらないよ」
僕はマフラーをはずして、眠ってるお姉ちゃんの首に巻いてあげた。
「カイトさん、マフラーがないと通信できません」
「うん。でも、僕は大丈夫だから。お姉ちゃんの体が冷えないようにしたいんだ」
タルマさんがコートのポケットから何かを取り出して、僕に差し出す。
「これが光ったら、私たちは外に出たという合図です。持って行ってください」
渡されたのは、大きさも形もウズラのタマゴにそっくりな水色の球だった。
「ありがとう。ねぇ、ソラ。まだ、ルーシーは大広間にいる?」
ソラは少しタヌ耳を動かして、
「ング、ん・・・ん、いるじょ」
グシャグシャに顔を濡らしたまま答えた。
「ありがと。うん、・・・・じゃあ、行ってくるね」
ルダ・マグラスをメルテにする。さっきよりも、剣と自分の体から出る光が強い。
大広間に向けてゆっくりと歩き出す。今度は一人で。
なぜか、心は今までにないほど落ち着いていた。
『アンタは前に進みなさい』
ミミに言われた言葉を頭の中で繰り返す。ミミの言葉が、僕を歩かせる。
今はどんな敵にも負ける気がしない。たとえそれが、黒の妖精、ルーシー・メルサでも。




