第5話 火凛は鬼の娘、角なし忌子
鬼の娘は、自分を祓ってほしいと言った。
怪異が自分を消せと言う。
(そんなことはありえない)
それを聞いた巫女は笑みを浮かべた。
ただ純粋に職務を全うしようとしている。
「よし、私に任せなさい」
「ちょっ————」
「業解き!」
凄まじい爆風が至近距離で巻き起こる。
俺は条件反射で少女にタックルしていた。
もし鬼の娘が拒否すれば、俺など一撃で粉砕できただろう。
だが、彼女は抵抗をしなかった。
そのまま、俺と一緒に居間へと倒れ込んだ。
「どうして邪魔すんのよ、怪異よ?わかってんの!」
「わかってる。でも自分から祓ってほしいはないだろ」
山童も、山姥も、例外なく怪異は人を騙す。
それはわかっている。
この少女もまた、思わぬ言動で人を騙そうとしたのかもしれない。
「だったらなんで!?」
(少女の瞳に自分を重ねたなんて、通じないだろうな)
簡潔に言えば諦め。
きちんと説明しろと言われたら困る。
なぜなら同じような体験をしたものにしか共感できないからだ。
人間に踏み潰された蟻の気持ちなんてわからない。
いや、蟻に心はないと考えすらしないだろう。
庭にいた鬼たちが縁側まで迫っていた。
「どうやら鬼が希望する展開じゃなかったみたいだな」
「話を逸らさないで!」
そう言いつつも、祈里は鬼の方を向いた。
土間の表口からは山姥が入ってきた。
勝手口からも2体の鬼が姿を現す。
鬼たちの思惑はわからない。
だが山姥の狙いは祈里のようだ。
「巫女の血ぃ、飲み干したぁえぇ」
山姥は鬼の後ろから祈里を煽っている。
この場で反撃できるのは巫女だけだ。
俺は眼中にないようだ。
(それなら、勝機はそこか)
この状況、俺だけであれば逃げられる。
しかし、祈里を連れては無理だ。
「祈里、何か一掃できる術はないか?」
「あるにはあるけど、失敗するかも」
少し自信がなさそうな表情を浮かべている。
これまでの祈里とは異なる反応だ。
しかし、できるのであれば使わせてもらう。
「その術、どれくらいかかる」
「えっと…、そうね、1分くらいあれば」
縁側の方で動きがあった。
少し小さな鬼が家の中へ駆け込んでくる。
俺は撒菱を小鬼の足元へ撒く。
「祈里、飛んだら撃て」
「任せて!」
小鬼が床の撒菱を回避するために飛び上がる。
「業解き!」
白い靄が小鬼を吹き飛ばした。
そのまま藁葺き屋根を突き破り外へ消えていく。
それを見た少し大きな鬼たちが走り出す。
俺は縁側へ煙玉を投げつける。
鬼たちが撒菱を踏んで転がった。
「今だ!一掃できる術を!!」
祈里はすでに祝詞を唱えていた。
「荒魂祓い」
祈里の身体から白い靄が吹き出した。
それを浴びた山姥と鬼たちが一斉にうめき出す。
小鬼は仰向けになって泡を吹いていた。
「おぉ、すごいじゃないか!」
俺は祈里の方を向いて、息を呑んだ。
目から黒い涙を流し、鼻からは血が垂れていた。
「もういい、やめろ!」
「っはぁあ」
祈里が術を解除すると鬼たちが動き出した。
危険な巫女だと認識されたようだ。
俺は祈里に肩を貸しながら、少女に伝える。
「君は鬼の娘なんだろ、まず鬼たちの元へ戻れ」
「あんた…、さっきから何で助けようと…」
俺は祈里の言葉を無視して、少女を促す。
彼女は首を振った。
俺は違和感に気づいた。
(鬼たちは少女に何かをさせたいのか?)
俺が話しかけるのを見て、動きを止めている。
その言動を見守っていた。
逃亡歴の長い俺にはわかる。
もし逃げ切る方法があるなら、鍵は2つ。
(祈里か、この少女だ)
いつの間にか少女は瓢箪を持っていた。
どこから取り出したのだろう。
それを祈里に渡す。
「なにこれ…、まあ喉乾いてるからもらうわ」
祈里は躊躇わずに瓢箪を口にする。
それを少女は無表情で眺めていた。
(山姥のお茶といい、何でも飲むんだな)
念のために【疑いの眼】で見る。
薬草の類だろう。
少なくとも雑草や虫ではない。
祈里が躊躇なく飲み干すと、キラキラした靄が復活した。
(なるほど、正気を取り戻す薬草か)
俺は自分にできることを考える。
逃走準備だ。
鬼と山姥が見守っている時間を有効活用する。
とりあえず、攻撃の要である祈里が回復した。
(少女の立ち位置、役割はなんだ?)
なんと声をかけようか、と少女を見た。
俺は、少女の瞳を見てしまった。
その瞳に胸が痛んだ。
逃げるだけなら、情報収集が先決だ。
少女の心情など排除すべき。
しかし、口をついて出たのは違う言葉だった。
「生きたくなくてもいい、逃げてみろ」
祈里が呆れたような表情を浮かべている。
体力が回復したのか、軽蔑したのか、俺の肩から離れた。
きっと巫女からすれば異常な行動に見えたことだろう。
しかし、俺は真剣だった。
俺には痛いほどわかる。
死にたいわけじゃない。
だけど、生きたいとも思えない。
祓ってほしいと言った本人でさえ、わからないんだよな。
だけど、それは誰かに救ってほしいから出た言葉だ。
「聞かせてくれないか、どうしたいか」
「…私は忌子、どうか私を祓っ————」
「違う!自分が本当に思っている声を聞かせてくれ」
「……」
(やはり本人も気付けていないか)
気が付けば囲炉裏で中学生くらいの女の子と両手を掴み合ってる。
完全にアウトな光景だろう。
だが、そんなこと構わない。
俺は誰も信じない。
だから今も、少女を【疑いの眼】で見つめている。
僅かでも穢れが見えたら、俺は全力で逃げる。
そんな最低なおっさんだ。
この少女は鬼の娘、危険な怪異だ。
だが、忌子として育てられた。
そして、逃げられないまま。
逃げ方がわからないまま、俺に辿り着いた。
「今はわからなくていい、…俺はお前を逃したい」
俺はまっすぐに少女を見据えて言った。
むしろ、自分に向けた誓いだった。
「かりん、私の名は火凛」
「俺は遠野、遠野直樹だ」
火凛の瞳に正気が宿ったように見えた。
「ちょっと!あんた、いい加減にしなさい!!」
瓢箪の効果なのか、祈里の調子も戻っている。
「いいわ、あんた一掃できる術を希望してたわよね。やったげる」
「おい!」
「あんたが人間なら後で拾ってあげるから安心なさい!」
そう言うと少し後ずさった祈里が祝詞を唱え出した。
何かを察したのか鬼たちが一斉に動き出す。
火凛の後方で、祈里が術を放つ構えをした。
俺の背中には、鬼たちの金棒が迫っていた。
ああ、終わったな。
こういう時は本当にスローモーションになるんだと感心した。
俺と火凛、お互いの命が尽きようとしていた。
「遠野が一緒なら逃げる」
火凛がそう言った気がした。
嬉しかった。
家族や親戚から逃げた俺が、何を今さらって話だ。
だけど、久しぶりに考えてしまった。
誰かを逃がしたい。
そう思ってしまった。
(わかった、約束する)
俺は、手を強く握った。
火凛が微かに微笑んだように見えた。
そして小さく呟く。
「鬼門」
俺と火凛の足元から、赤い靄が燃え上がった。
祈里の術のように唱えて放つものではない。
もっと生々しい。
彼女の血と呼吸に反応して、空間そのものが裂けていく。
それはダンジョンの入り口と同じ、ゲートだった。
(火凛はゲートを生成できるのか)
角なしの忌子が持つ能力。
おそらく、門を開く業だ。
祈里の術が爆風となって迫り来る。
鬼たちの金棒が振り下ろされる。
祈里も、鬼たちも、靄の彼方へ霞んでいく。
俺と火凛は向かい合ったまま、赤い靄とともに消失した。




