表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/10

見て、しまったんだね

わたしは手帖を胸に抱いたまま、振り返った。


ジークヴァルト様は、扉のところに立っていた。


やはり、責める色はない。


ただ、静かにわたしを見ていた。


「これは……あなたが、書いたのですか」


「ああ」


「わたしの、すべてを。断罪も、婚約破棄も。……ぜんぶ?」


「そうだ。おれが、書いた」


否定は、なかった。


言い逃れも、弁解も。


彼は、ただまっすぐに認めた。


わたしの膝が、震えた。


「どうして……どうして、こんなことを」


「君を、手に入れるためだ」


彼はゆっくりと、こちらへ歩いてくる。


「言っただろう。君を傷つけた世界を、君のために片づけただけだよ」


「片づけた、なんて……あなたが、リーゼを、殿下を、あの人たちを、そう仕向けたのでしょう」


「そうだ」


「あなたのせいで、わたしは、なにもかも失ったのに!」


初めて、声を荒げた。


けれど、ジークヴァルト様は少しも動じなかった。


「失う? ちがうよ、セラフィーナ」


彼はわたしの前で、片膝をついた。


そして、震えるわたしの手を両手で包む。


「君はあのままなら、愛のない王太子に嫁がされていた。飾りのように扱われ、いずれ飽きられて捨てられていた」


「それは」


「あの者たちは、放っておいても、いつか必ず君を傷つけた。おれは、その順番を――少しだけ、早めただけだ」


静かな声だった。


なのに、そのひとことひとことが、逃げ場を丁寧に塞いでいく。


「あなたは、こわい人です」


「ああ。そうかもしれないな」


彼は、うっすらと微笑んだ。


「それでも、この世で君を本当に選んだのは、おれひとりだ。それだけは、嘘じゃない」


わたしは、なにか言い返そうとして――言葉を失った。


だって、そのとおりだったから。


父も殿下も友人たちも、みなわたしを捨てた。


あの断罪の夜、雨の街道で、たったひとりわたしの前に膝をついたのは。


このこわい人だけ、だったのだ。


「わたし……」


声が、掠れる。


「わたし、もう、どこにも……帰る場所が、ないのですね」


「ああ」


彼は、痛ましいほど優しく頷いた。


「もう、どこにもない。……おれのほかには、どこにも」


その言葉は、呪いのようで。


そして、たまらなくあまい、救いのようでもあった。


わたしは、彼の手を振り払おうとした。


けれど、指は動かなかった。


――この手を離してしまえば。


わたしは本当に、この世でひとりぼっちになる。


それが、わかってしまった。


「セラフィーナ」


彼の腕が、そっとわたしを包んだ。


「なにも考えなくていい。つらいことは、ぜんぶ忘れていい」


「でも……」


「知らないままでいれば、君は幸せでいられる。おれが、そうしてあげる」


わたしは、彼の胸に額をあずけた。


問い詰める言葉は、まだ胸のなかに、いくつも残っていた。


けれど、それを口にするのが。


だんだん、こわくなくなっていくのだった。


その夜。


夏の闇は、しんと蒸し暑く凪いでいた。


蝉も鳴かず、あれほど鳴っていた風鈴も、ひとつも鳴らなかった。


まるで、わたしの問いが、彼の腕のなかで静かに眠ってしまったかのように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ