半年前の日付
その日、ジークヴァルト様は来客の対応で書斎を離れていた。
窓の外では、蝉が、耳を灼くように鳴きしきっている。
わたしは廊下の奥で、その扉を見つめていた。
背中を、汗が伝った。
知りたくない、と胸の半分が言う。
けれど、もう半分が、それを許さなかった。
――凶事の夜、この人はいつも屋敷にいない。
その符合の正体を確かめないかぎり、わたしはもう、彼の腕のなかで安らげない。
意を決して、書斎へ入った。
以前、証言書を見つけた、あの奥の棚。
わたしは震える手で、本を一冊ずつ抜いていった。
やがて、棚のいちばん奥。
分厚い書物の裏に、革張りの手帖が一冊、押し込まれていた。
なんの飾りもない、黒い手帖だった。
わたしは、それをそっと開いた。
* * *
最初の頁の日付を見て、指が止まった。
それは、あの断罪の夜より――半年も前の日付だった。
「……半年、前?」
頁には、几帳面な文字が並んでいた。
見覚えのある筆跡。
ジークヴァルト様の、ものだ。
『アーデンフェルト侯爵令嬢、セラフィーナ。』
その名は、わたしの名だった。
震える指で、頁を繰る。
そこに書かれていたのは、計画だった。
王太子に、ある弱みを握らせ、意のままに動かすこと。
身寄りのない娘をひとり、彼女に近づけ、恩を売らせておくこと。
やがて、その娘に、虚偽の告発をさせること。
証人を用意し、筆跡を似せた手紙を仕立てること。
そして真夏の夜会で、公開の場で、婚約を破棄させること。
「そんな……」
わたしは、口もとを覆った。
すべてが。
これから起きるはずのことが。
半年も前から、順序だてて書き記されていた。
まるで、これから上演する芝居の、台本のように。
最後の一行に、目を落とす。
そこには、こうあった。
『――しかるのち、嵐の街道にて、これを拾う。』
「これ、って……わたしのこと……?」
手帖が、指から滑り落ちそうになる。
嘘だ。
あの断罪も、あの婚約破棄も。
わたしが失った、なにもかもが。
偶然の不幸などでは、なかった。
はじめから、この人が――ジークヴァルト様が描いた、筋書きだったのだ。
わたしを天涯孤独にして、あの雨の街道で拾い上げるための。
「はじめから……ぜんぶ、あなたが……?」
ちりん、と。
窓辺の風鈴が、ひとつ、澄んだ音を立てた。
風は、なかった。
書斎の窓は、固く閉じられている。
なのに、その音は、やけにはっきりと耳に届いた。
まるで、この頁もまた、今、書き終えられたとでもいうように。
そのとき。
背後で、扉が静かに開いた。
わたしは、手帖を握りしめたまま、動けなかった。
やわらかな、いつもの声が、わたしの名を呼ぶ。
「――見て、しまったんだね。セラフィーナ」
責める色は、微塵もなかった。
ただ、どこまでも、優しかった。
それが、なによりも――こわかった。




