12 不完全で進行形
連載開始前に必要な話数は、最低でも三話。理想は五話。
以前にアシスタントした先では、そんな話を聞いた。
編集からの条件は簡潔だったが、意味は重い。
(週刊誌連載って、つまりこういうことか)
化け物である。
そしてその化け物と同じように――「安定して出せるか」を見られている。
つまり一度の成功ではなく、再現性の証明。
幸一はモニターの前に座り、何も表示されていない原稿データを開いたまま、数秒だけ止まる。
その沈黙を破ったのは、背後の気配だった。
「本日分の進行計画を提示します」
振り返ると、ソラがタブレットを手にしている。
「ネーム24ページ。修正一回。ペン入れは16ページ分を目標に設定。達成率に応じて明日以降を調整します」
「出来るか! んなもん!」
ソラはツッコミにも淡々と答える。
「現状の締め切り逆算では最適解です」
「安全マージン取りすぎて、人間に出来ない作業量になってるぞ」
そこで沈黙し、頷いた。
「幸一さんは早くないのですね」
「そうだが……そうなのか?」
何かおかしなことを言われた気もする。
自然な動作でテーブルにコーヒーを置く。
「カフェイン量は昨日と同量です。過剰摂取は集中力低下の要因になります」
「管理されてるな……」
「観察対象の最適化です」
言い方はいつも通りだったが、やっていることは以前と違う。
繊細なコントロールを、おそらく計算しているのだ。
基準の設定がおかしくて、いきなり無茶な提案をされたが。
ソラも外で働いて、家でも動く。
もっともこれは普通に見れば、ただの家事である。
(自分で掃除しないから、逃げ道も塞がれてるな)
逃避行動が出来ないのは、おそらくいいことのはずだ。
そして机の端に封筒を置く。
「それは?」
「本日のアルバイトの給与明細です」
「……うん?」
「生活コストの一部を補填しています。現状の収入構造では長期運用に不安があるため」
「ん? 俺の分を、払うってのか? いや、そこまでしなくても少しは貯金があるぞ」
「効率の問題です」
迷いがない。当然のように言っている。
つまり他のことに、時間を使う言い訳が出来ない。
幸一は一瞬だけ言葉を失い、それから肩をすくめた。
「……じゃあ、その分は仕事で返すしかないな」
「じゃっかんの訂正をします」
「え?」
「仕事ではなく創作です」
「そうか。……ああ、そうだったな」
ソラにとっては、明確に違うものであるらしかった。
作成したネームは、印刷されて机の上に積まれていく。
その速度は、それなりのものがある。
「う~ん」
「出来たのではないのですか?」
「んなわきゃーない」
これはプロットを乗せただけ。
ネームというのはもっと、高度な作業のことを言う。
印刷した紙に、鉛筆で修正を入れていく。
そして元データの方を、また変更していく。
ペンを走らせる。
そしてまた変更する。
プロットは固まっているが、ネームにするのはまた別の作業だ。
これが創作というものなのだ。
(視線誘導……違うな、こっちから見せたらいけない)
終わった部分の紙を捨てる。
しかし終わったはずのページのネームを、もう一度印刷する。
「幸一さん、同じ行動をトレースしています」
「俺の中じゃ同じじゃないんだ」
蓄積されて、そして出力し、それが同じ形になったりもする。
「う~ん……」
「どうしましたか?」
「三話分、どういう順番で完成させていこうかって」
なにせこれまで、プロとして読者を意識して、続く話は考えていなかったのだ。
ただ書けばいい、というわけではない。
(三話分って、難しいな)
作る構造自体が、そもそも変わってくる。
次の話を考えると、第一話に描くべきことが、また変わってくるのだ。
「幸一さん」
「うん? あ、コーヒーお代わり」
「はい。まずは最後まで終わらせましょう」
「え……そうか、そうだな」
すごく重要なことを言われたのだとは、かなり後で気づいた。
迷いがある。
以前なら逃避していた時間が、そのまま思考時間に変わっている。
昼。
「食事を用意しました」
机から目を離さずに、幸一は答える。
「置いといてくれ」
「五分以内に摂取してください。血糖値低下による判断力低下が予測されます」
「……はいはい」
言われた通りに手を止める。
食事は既に適温で、すぐに口に入る状態だった。
その間もソラは、別のタブレットで何かを確認している。
「何やってる」
「アルバイト先のシフト調整です。明日は午後に変更しました」
「……こっち優先か」
「現時点ではこちらが要観察対象と判断しています」
合理的だった。
徹底している。
日々が続いていく。
いくらでもあると思っていた時間。
実はそれは、とても希少なものだった。
夜。
ペン入れが進む。
ページが積み上がる。
だがそれが組みなおされる。
作業のリズムが、整うことなどはない。
「本日の進行率、予定比一〇八%」
「上振れか」
「明日の負荷を軽減可能です」
「……いいな、それ」
短く笑う。
それだけで、また次のページに入る。
「休養を提案します」
「今いいところだから黙ってろ」
「はい」
ソラは静かにコーヒーを淹れた。
数日後。
同じ流れが繰り返される。
ネーム。修正。ペン入れ。
ソラの指摘。
幸一の判断。
繰り返し。
だが、速度は確実に上がっている。
上がっているだけ、やることが多くなっている。
会話は減り、精度は上がる。
迷いは増えているのに、選択は早くなる。
――回っている。
この感覚だけは、はっきりと分かる。
最後のページ。
ペンを置く。
「……終わりか」
「データ確認を行います」
ソラがすぐに端末へ移る。
数秒。
「不備なし。送信可能です」
「……あっさり言うな」
「おめでとうございます」
「ありがとよ」
幸一は一度だけ深く息を吐き、それから椅子にもたれた。
達成感はある。
だがそれ以上に、
――問題なく終わった、という感覚の方が強い。
「送るぞ」
「はい」
カーソルを合わせる。
一瞬だけ、指が止まる。
全力を出したつもりだが、まだ迷いがある。
おそらくは、ずっと続いていく。
クリック。
送信完了の表示。
静かな部屋に、小さな電子音だけが残った。
「……行ったな」
「はい。編集部への送信を確認しました」
それだけだった。
特別な言葉はない。
だが、確実に次へ進んでいる。
その事実だけが、そこにあった。




