↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の言葉が壊れている ~女子高生ミサは、失われた世界の常識を取り戻す~  作者: 伝説の男前


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/36

祈りの構造

# 第十一話 祈りの構造


朝だった。


王宮東翼の部屋に、薄い灰色の光が斜めに差し込んでいる。窓の外では、塔の青白い光が規則正しく明滅している。心拍のように。止まる気配はない。


ミサは机の前に座り、羊皮紙の上に筆を走らせていた。昨日、ギルド窓口で見た三つの欄——『任務分類』『魔力格』『加護等級』——を、もう一度書き戻していた。その下に、小さく。


*試験+紹介+金。三つの鍵が必要。*


筆先が止まる。ミサは窓の外を見た。塔の明滅。一拍。二拍。三拍。四拍。規則正しい。心拍のように。


(……ギルドには、三つの鍵があった)


羊皮紙の縁を指でなぞる。ざらついた感触。インクの匂い。


(王宮にも、似たものがあるのでは)


「エレノア」


声は自分でも驚くほど落ち着いている。まだ仮説ではない。問いかけだ。探している。答えを、まだ探している。


扉の向こうから、かすかな足音。三秒後、ドアが開いた。


エレノア・アルヴェインが立っている。金髪の髪が、まだ暗い部屋の光の中で淡く浮かんでいる。表情は変わらない。けれど、昨日——ギルド帰りの午後、羊皮紙の上で指先を三回なぞっていたあの時とは違う。今日は、肩が少しだけ落ちている。


「……起きていた」


「うん。書き残しがあって」ミサは羊皮紙を指さした。「ギルドで三つの鍵を見た。王宮にも、似た鍵があるのでは」


エレノアは何も言わなかった。一呼吸。二呼吸。それから、椅子を引きずって机の向かいに座った。石畳の部屋に、かすかな擦れが響く。


「ならば、見せてやる」


声は落ち着いている。断定ではない。許可だ。


「だが、見てから言え」


---


廊下を歩く。護衛が二人。昨日と同じ顔の男と、初めて見る二十代後半の剣士。顔に傷跡がある。誰とも目を合わせない。足音だけが、石造りの壁に反響して戻る。


王宮付設神殿は、東翼の奥、二つの廊下を曲がった先にあった。入口の扉は木製で、表面には磨き上げた銀の紋章が嵌め込まれている。神の像ではない。幾何学的な模様が、同心円状に刻まれているだけだ。ミサはその模様を、一瞬だけ見た。


(……ギルド窓口に似てる)


それ以上は思わなかった。まだ、言えない。


扉が開く。内部は想像より狭い。長方形の空間で、奥に低い祭壇が一つ。壁面には蝋燭の台が五つ並んでいるが、朝の光で灯されていない。床の石畳に、淡い線が引かれている。三つの区画。等間隔で。


司祭が一人、既に立っている。


男は五十代くらいだった。痩せていて、背筋がまっすぐ。灰色の長衣に、胸元に小さな紋章。手には羊皮紙の束——いや、巻物ではなく、切り揃えた羊皮紙の綴り合わせ——を持っている。顔に感情の色がない。バルトの顔が、一瞬だけ頭をよぎった。


「司祭アルドリーである」男は言った。「晨間礼を開始する。異国の者、立ち入り自由だが、声を出すな」


それだけ言って、ミサたちを見なかった。護衛が二人、入口の両側に立つ。エレノアが一行を奥へ促し、壁際に座るよう指示した。ミサは羊皮紙と筆を取り出し、膝の上で広げた。


アルドリーが、声を出した。


最初の言葉だった。


*「告げ」*


一語だけ。それから、対象の名——王宮の名称、日付、天候。淡々と。感情がない。報告書を読んでいるような声だ。ミサは筆を走らせた。


*告げ=対象の特定*


三回繰り返される。「告げ」が三度。同じ構造で、異なる内容。一巡目は王宮の名称と日付。二巡目は天候と魔力供給の状態——「雷鳴の塔、正常」。三巡目は……ミサは筆を止めた。三巡目の内容は、誰かの名前だった。消された名前の代わりとして、「不明」とだけ唱えられている。


次の拍。


*「問う」*


今度は問いかけだ。「状態を確認する」という意味の言葉が三回繰り返される。一巡目——魔力回路の状態。二巡目——結界の整合性。三巡目——……ミサは羊皮紙に書きながら、息を止めた。


*問う=状態の確認*


三巡目の問いかけが、異質だった。「応答を確認す」と唱えている。誰への問いかけか。答えは返らない。アルドリーは待たない。次の拍へ移る。


最後の拍。


*「記す」*


三回。結果を固定する言葉。一巡目——「受諾」。二巡目——「記録済み」。三巡目——ミサの筆が、かすかに震えた。「……保留」と唱えられた。墨で消された跡のような、かすれた声だった。アルドリー自身も、その意味を知らないのだろう。ただ、繰り返している。


*記す=結果の固定*


羊皮紙の上に、三行が並んでいる。


*告げ=対象の特定*

*問う=状態の確認*

*記す=結果の固定*


ミサは筆を置いた。指先で羊皮紙の縁をなぞる。一度。二度。三度。


(……祈り、じゃない)


声に出さなかった。けれど、胸の奥でははっきりしていた。これは手順だ。手順が、ただ唱えられているだけだ。感情がない。信仰がない。「信じています」とも「感謝します」とも言っていない。ただ、特定して、確認して、固定している。


(……ギルド窓口と、同じ構造)


それ以上は思わなかった。まだ、言えない。


アルドリーが、最後の「記す」を唱え終わると、羊皮紙の束を祭壇の上に置いた。それから、壁際で座っているミサたちの方へ、一瞬だけ視線をやった。


「……異国の者」


声は淡々としている。問いかけではない。確認だ。


「何か、問うたかったか」


「……あの三拍子」ミサは筆を握り直した。「誰が決めたのか」


アルドリーは目を瞬いた。それから、少しだけ口元を緩めた。笑ったのではない。困っているのだ。


「我々はただ唱えている」


一拍。


「意味は、我々にはない」


声に感情はない。事実を伝えているだけだ。バルトの「それが世の常です」と同じ構造。けれど、バルトより古い。もっと深い。この言葉が何十年、何百年と繰り返されてきた重さが、その淡々とした声の中に沈んでいる。


ミサはうなずいた。「分かった」


それ以上は聞かなかった。まだ、早い。


---


記録室への道は、神殿の裏口からだった。石段を三階降りた先に、別の扉がある。門番が一人立っている。三十代くらい。顔に感情の色がない。バルトも、窓口の男も、アルドリーも——この世界には、同じ構造を持つ人々が散らばっている。


「殿下の書簡は」


門番が尋ねる。エレノアが懐から羊皮紙の一枚を取り出し、差し出した。門番が確認する。指先で縁をなぞり、裏面を見る。それから、うなずいた。


「通す」


扉が開く。内部は狭い。書架が三列。奥に窓がなく、蝋燭の灯りが唯一の光源だ。司書——名前は聞かなかった——が、書架の間に立っている。四十代くらいの女。無地の長衣。眼鏡をかけている。バルトと同じタイプだ。事務的。感情の色が薄い。


「第七室まで」司書が言った。「それより上の巻物は、王命で封印中」


ミサはうなずいた。「分かった」


司書は何も言わなかった。書架の一番低い段を指さした。七冊目の背表紙に、小さな印がある。墨で消された跡——いや、元からない。名前が、ない。


ミサはその巻物を取り出した。重たい。羊皮紙ではなく、もっと古い素材。触るとざらついていて、インクの匂いがする。司書が隣に立った。「見ただけで帰せよ」


三頁だけだった。許可されたのは。


最初の頁は空白に近い。端に小さな文字があるが、墨が滲んで読めない。二ページ目も同様。ミサは指先で縁をなぞりながら、目を走らせた。


三ページ目。


三行があった。


*登録者:不明*

*確認者:神殿長*

*結果:受諾*


一行目の「登録者」の右側に、墨で消された跡がある。名前が、あった。今も、あるかもしれない。けれど、読めない。二行目の「神殿長」は消されていない。三行目——「受諾」。アルドリーが朝に唱えた最後の言葉と、同じだ。


ミサは筆を走らせた。羊皮紙の隅に、小さく。


*登録者:不明 / 確認者:神殿長 / 結果:受諾*


(……「登録」)


その言葉が、舌の裏で転がった。けれど、出さなかった。まだ早い。まだ、言えない。


司書が巻物を回収した。「帰せよ」とだけ言って、扉を指さした。


---


エレノアは廊下の壁際に座っていた。ミサが戻ると、目を上げた。表情は変わらない。けれど、羊皮紙の上の三行——*告げ/問う/記す*——を見た瞬間、指先が縁をなぞった。一度。二度。三度。


「……誰が決めたのか」


エレノアが尋ねた。ミサが聞いた同じ問いを、王女自身が口にした。


しばらく、沈黙が続いた。蝋燭の火が、かすかに揺れる。


「……王の祖が定めた」


エレノアの声は低い。普段の柔らかさがない。公の場での格式ばった響きが、一瞬だけ混ざっている。


ミサがうなずく前に、エレノアが言葉を訂正した。


「いや」


一拍。


「王の祖が、『受け取った』のだろう」


声は小さかった。断定ではない。確認だ。探しているのだ。答えを、まだ探している。昨日の「だが……」の続きを、今日は別の形で見つけた。けれど、言葉にはできていない。


ミサが「受け取った」と繰り返すと、エレノアは立ち上がった。椅子を引きずる音が、石畳に小さく響く。


「今日は、ここまでだ」


それだけ言って、廊下へ向かった。護衛の一人が後を追う。もう一人——傷跡のある剣士——は、ミサを一瞬見た。目を合わせなかった。


残されたミサは、羊皮紙の上に三拍子の構文と、巻物の三行を並べた。筆先で凹みをつけた痕跡だけが、表面に残っている。


(……同じ構造)


言わなかった。まだ、早い。


---


夜だった。


王宮東翼の部屋。ミサは窓辺に座っている。羊皮紙が膝の上に広げられている。三拍子の構文。巻物の三行。その下に、小さく——*受け取った*——と書かれている。エレノアの言葉だ。自分のものではない。けれど、羊皮紙の上にはある。


窓の外で、塔の青白い光が明滅している。


一拍。二拍。三拍。四拍——止まる。


半拍、いや。一拍分の空白。


五拍。六拍。


規則正しいはずの脈動に、明確な欠けがある。昨日の「少し遅い」ではない。今日も「気がする」ではない。確かに、一拍分、光が返ってこなかった。それから、戻った。六拍目が来た。七拍目も来た。規則正しく。心拍のように。


けれど、四拍と五拍の間には、一拍分、何かが欠けていた。


ミサは目を凝らした。もう一度。八拍。九拍。十拍——止まる。十一拍。十二拍。今回は、ない。規則正しい。心拍のように。止まる気配はない。


(……気の、せい)


そう思った。けれど、羊皮紙に書けば、消えない。昨日もそうだった。「気がした」が、羊皮紙の上では「記録」になる。ミサは筆を拾い直した。インクが少し固まっている。指先でなぞって溶かす。


*塔の明滅:四拍〜五拍間に一拍の欠落。一回のみ。再現なし。*


書いた。消えない。


枕元のスマートフォンを握った。冷たい。電源ボタンを押す。反応しない。もう一度。しない。画面の隅——左下、フレームとガラスの境目あたり——に、小さな黒い点がある。昨日からあるものだ。けれど今、暗い部屋の中で見ていると——


塔の明滅が、一拍分、止まった。


同時に。


その点が、微かに光を帯びた。


一拍だけ。塔の明滅と、同期して。


ミサは目を凝らした。光が消える。ただの影だった。黒い点に戻っている。指先で触れると、冷たいガラスの感触だけが戻る。


(……気の、せい)


呟いた。声は、自分でも驚くほど小さかった。


窓の外では、塔の青白い光が明滅している。規則正しく。心拍のように。止まる気配はない。


ミサは羊皮紙を折りたたみ、机に置いた。三拍子の構文。巻物の三行。「受け取った」。そして、四拍と五拍の間にある、一拍分の空白。


全部、まだ仮説だ。全部、まだ言えない。


けれど、羊皮紙の上にはある。消えない。


窓の外で、塔が明滅している。規則正しく。心拍のように。


……たぶん。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。