第5話
俺は気が付いた。
話せないはずの紀州弁で話したのだ。
⦅あれっ? 何故? どうして?⦆
紀ノ川沿いを「ひぃばぁちゃん」のお姉さんと歩く。
何故だか知らないけれど、俺より3歩ほど後ろを歩いているのだ。
俺は時々、後ろを振り返って「ひぃばぁちゃん」のお姉さんが来るのを待った。
そうすると、小走りにやって来る。
やって来ても、俺の隣には決して並ばない。
必ず、少し後で立ち止まり、愛らしい笑みを俺に向けた。
⦅並んで歩くと思ってたけど、違うのか?⦆
日が射している紀ノ川が青磁色に揺らめいて穏やかに流れている。
「旦那さん、美っついのし。」
「ほんに、美っついのう。」
そう言葉を交わした後は、交わす言葉は出て来なかった。
ただ、二人で紀ノ川沿いを歩いた。
「ひぃばぁちゃん」のお姉さんは、頬を染めて嬉しそうに、時々俺を盗み見ている。
可愛いと思った。
いやいや……「ひぃばぁちゃん」のお姉さんだぞ!と思いつつ、年若い女性が恥ずかし気に頬を染める姿は、やはり愛らしいと思う。
手も繋がないデートと言えないような散策を終えた。
帰宅すると、直ぐに「ひぃばぁちゃん」のお姉さんは夕食を作る為にキッチン……元い…台所へ向かった。
俺が知っている暮らしとは全く違っていた。
ガスが無く、竈だった。
電気製品などはラジオと照明機器くらいだし、その照明機器も裸電球だ。
夕食を作るのも、今とは違って大変な様子だ。
今なら俺でも何か作れるし、作っている。共働きだから当然だ!(妻に言われた。)
俺が夕食を作っている「ひぃばぁちゃん」のお姉さんをボンヤリと眺めていると、「支度出来たら、お呼びしますのし……お待ちなして。」と言う。
「うん。」と気のない返事をしたら、「そないに、御覧なさったら……恥ずかし……。」と頬を染めて俯いた。
俺は「なな恥ずかしがることあるまいよ。」と口にして……⦅?……今のどういう意味? 分からん。⦆と思った。
でも、紀州弁が分からなくても、もう気にしないことにした。
「ひぃばぁちゃん」のお姉さんは頬を染めながら、夕食を作った。
夕食も何故だか同じテーブル……元い……何だろう? 何ていうのか、俺は知らない。
兎に角、俺だけに食べさせて、妻である「ひぃばぁちゃん」のお姉さんは頬を染めながら、ご飯やみそ汁をよそっている。
朝ご飯の時も、昼ご飯の時も、一緒に食べていなかった。
「お前も……食べたら、どないや?」
「私は、後で頂きますよし。」
「けんど……。」
「旦那さん、御代わり………。」
「もう仰山、頂いたよって……御馳走さん。」
「ひぃばぁちゃん」のお姉さんは、俺が食べた食器を片付けてから、台所で食べている。
なんか、この差が大き過ぎて、一応、夫婦?なのに、何故、別の所で食べているのか俺には分からない。
「雪子……明日の朝からは、そこで食べんと、僕と食べ……ええな。」
「旦那さんと?」
「そや、そうして欲し。」
「……………はい…………。」
「ひぃばぁちゃん」のお姉さんは声を殺して泣いていた。
⦅雪子って名前なんだ………。へぇ~~~っ。⦆
そして、入浴後、寝ていた部屋に行くと、「ひぃばぁちゃん」のお姉さん……いいや、これからは雪子って呼ぼう………部屋に入ると、雪子が布団を整えていた。
そして、両手を付いて「お休みなして。」と言って出て行った。
後を追うと、雪子がお風呂に入って行った。
それを見て、俺は部屋に戻った。
よく考えると、親族とか来ない。
もしかしたら、たった三日間の新婚だから、二人っきりにさせたのだという考えに至った。
たった三日間、子どもを授かることも不可能ではないが、可能性は低いことを思うと、それは雪子にとって良かったのか悪かったのか、俺には分からない。
ただ、雪子が、この男性を愛していることだけは確かだと思った。
そんなことを考えていると、雪子が部屋の入って来た。
俺が布団に入っていないことに雪子は一瞬驚いていた。
「お休みなして。」
「………雪子……。」
「はい。」
「僕が帰って来れなんだら……家に帰るんやで。」
「!………なんで……そないなこと……。」
「僕は二度目や。支那へ行って……兵役が終わって帰って来た。
ま一度、行くことになってもた。
帰って来れたよって祝言を挙げる算段になった。
また赤紙が来てもた………軍医として行かなならん。
今度は……帰って来れんと思うのやして、よ。
雪子の身を美っついままで…………そない思うてるんや。」
「それは……もう聞きましたよし。」
「そやったな。」
「旦那さん……私のこと……お人形さんやと御思いでございますのし。」
「お人形さん?」
「そうでございますよし。私には心が無いと御思いなして……。」
「そんなことあるかっ!」
「そやないんやったら……なんで? なんで……夫婦やのに……形だけ………。」
「………雪子………。」
「旦那さんの子……私は望んだらなりませんのでございますかのし。」
「雪子………。」
「子を授かったら……どないなことしても生きていけますよし。
旦那さんの子……望むの……贅沢やと御思いでございますのし。
そやから……夫婦に成れんのやして。」
泣いている雪子の肩を俺はそっと……優しく添えるように掴み、上を向かせた。
すると、雪子が俺の胸に身を投げ出した。
勇気が言っただろう……。
俺の胸に雪子が居る……俺は驚いて動けなくなった。
⦅否、駄目だろう。相手は「ひぃばぁちゃん」のお姉さんだ。
それに、俺には愛する妻と子が居る。
不倫になってしまう!⦆
その時、身体を上から見ているということに気付いた。
目の前には戸惑いながら、やっと妻を抱き締めた男が居る。
男は妻の涙を優しく拭いてから、そっとキスをした。否、ここは口付けだろう! 否、それよりも前の言葉は……接吻? 接吻! なんかエロいな……。
目の前で、お互いに初めて同士のような愛の行為が始まった。
男は優しかった。
妻を壊したくないというような優しさあふれた愛の行為だった。
ここで……S○○などという言葉を使いたくない!
そう思うような喜びと幸せの……そして、悲しみをも秘めた一夜だった。




