邪竜と終末巫女 前編
それは呪いの塊だった。
顔、額、両翼、四肢にはそれぞれ大きな単眼がついている。体はあらゆる色を吸い込んでしまいそうなほど黒々としている。鼻息は煤交じりで、牙の間から滴り落ちるよだれは地面をどろどろに溶かしている。
そいつの名前はドゥマルムだった。
「ドゥマルム!?そんなん聞いたことないんよ巫女さん!」
「私も村の文献で一度読んだきりよ、でも、今奴の姿を見たらピンときた……」
文献によると、ドゥマルムは生まれた時から数々の地に呪いを振り撒き、聖女たちに討伐されそうになったところで突然姿を消したとされている。
大昔の話だ。でも、目の前にいる竜はその話に書かれていた竜の特徴とぴったり合う。
炎に変化したツバキの尻尾をぎゅっと握り直し、私はドゥマルムに向け小さく振りかぶった。
放たれた炎の渦がドゥマルムの巨躯を呑み込む。
燃え盛る火のあまりの勢いに、傍の小鬼が目をひん剥いた。
「一年前より断然火力上がってますねぇ……。えぐ……」
「ツバキも変化の練習ずっとしてからね、こと火に関しては本物よりも本物らしく再現できるわ!」
本物を凌駕するということは、威力も大幅に凌駕するということ。
ツバキはますます火力を高めていく。その尾を握っている私からどっと汗が噴き出す。なんて熱だ。
しかし、これで倒せるほど邪竜は甘くない。
『グゥゥゥルァアアアア……』
無傷、だった。
火の粉を翼で払いのけて出てきた竜の体には傷一つなかった。
皆がそろって絶句する中。
私は固まっている仲間たちを叩き起こすように言葉を強くぶつけた。
「ダークエルフ部隊!竜の脚についている目玉に攻撃を!」
途端に、ダークエルフたちが持っていた杖から鮮やかな色彩が溢れ出した。
炎魔法に氷魔法に雷魔法……。ダークエルフが培ってきた魔力の結晶がこれでもかというほどにドゥマルムへ襲いかかる。
大木の幹のような四肢に集中砲火。
「ルティナ、今よ、お願い!」
「ん、――『刺突魔法』」
着々と詠唱を進めていたルティナが槍を携えたまま飛び出していく。魔法によって生まれたたくさんの色彩を突っ切って。
目にも留まらぬ速さだった。穂先は竜の左前脚についた単眼に突き立てられた。
耳をつんざく絶叫と共に黒の煙が散った。
単眼が一つ、潰れた。
ドゥマルムは身を捩って草原の奥へと駆けていく。追いかけようとしたところで――隣の小鬼が怪我をしていることに気付いた。
「ちょっと、大丈夫!?小鬼貴方、耳から血が出てるわよ!」
「それ言うなら巫女さんもですよ!大丈夫ですか!?」
はたと耳に手を当てると、生温かいものが触れた。少し遅れて痛みがくる。まるで体の方が知覚できていないようだった。
一旦離脱してきたルティナは苦し気な表情をしていた。
「み、巫女さん……。手が……」
彼女の手は何も握っていないのにも関わらずひくひくと震えている。小鬼がルティナの片手を両手で包み込んで、険しい顔をした。
「僕は一応医学の心得がありますが……これはいけませんね。ルティナさん、もう槍は握らないでください」
「うそっ、そんなに悪いの?あの竜に攻撃しただけでしょっ?」
「強すぎる呪いは近づくだけで身を滅ぼしてしまう……。心苦しいですが、ルティナさん」
ルティナは絶望に染まった瞳でこちらを見つめ、それから自身の掌に目を落とした。手は少し黒ずんでいるように見えた。
そんなに強いのか、邪竜の呪いというのは。
「小鬼、ルティナを手当してあげて。後方に治癒士がいるから、そこで」
「分かりました。この場は巫女さんに任せて大丈夫ですか?」
「えぇ」
小鬼は茫然とした様子のルティナを引き連れて治癒士がいるテントの方へ走っていった。治癒士というのは治癒魔法に特化したダークエルフたちのこと。そのメンバーには私が神社で教え込んでいた巫女見習いもいる。きっと、ルティナを救ってくれるはず。
その矢先のことだった。
「おい巫女さん!やばいぞ、あいつブレスを撃つつもりだ!」
ダークエルフの一人が鋭く叫んだ。草原の奥で、ドゥマルムは腹を地に着けて翼を下ろし、低い体勢を取っていた。
口の前で渦巻くのは真っ黒な、どこまでも真っ黒な球。
ブレスはまずい。ブレスを撃たせたが最後、辺りが呪い一色に包まれ私たちは瞬きすることすら許されず灰になるだろう。
それだけは許せない。エイデンたちと築いた国を壊され、民をなくすようなことがあっては。
「総員、退避!直ちに安全な場所へ避難を!」
ダークエルフも、剣士も、どうすべきかまごついていたが、私の叫びで弾かれたように駆け出した。彼らの後ろ姿を見送り、私は独り邪竜に向き直る。
手元のツバキが話しかけてきた。
「巫女さん、早く逃げた方が……」
「ねぇツバキ」
炎に化けてちろちろと揺れるツバキに微笑みを落とす。
「私に命を預けること、できる?」
「うん」
即答だった。
ツバキがいてくれてよかった。きっと一人じゃくじけていた。こんな恐怖の塊である竜に立ち向かうなんてこと。
懐から取り出した神楽鈴をしゃんと鳴らし、宣言する。
「覚悟しなさい邪竜、巫女の舞いで返り討ちにしてやるわ」




