現れし邪竜
死の地の真ん中、霊石の傍で私は膝を突いていた。
彼岸花にも似た色の緋袴を纏い、菊紋様が鮮やかに描かれた舞衣を羽織り、純白の足袋を履いて。
頭には、翠色の葉があしらわれた冠。天冠というものだ。
王女ならティアラ、商人なら帽子。
そして、巫女なら天冠。天冠とは巫女を象徴するもの。
ゆっくり瞼を上げると、視界の端に細い紐がちらりちらりと映る。この光景、久しぶりだ。
私は今、世界の理そのものに挑む。
「ツバキ、神楽鈴を」
「はっ、はい!」
同じ緋袴を着た狐の少女、ツバキが神楽鈴を渡してくれた。私はそれを恭しく、顔の前で掲げた。
周りを取り囲むダークエルフや剣士たちが、固唾を呑んで見守っている。
たくさんの視線が背中に突き刺さる。皆が不安を抱いているのが、否応なしに分かった。
私はそんな空気を吹き飛ばすよう、つとめて厳かに鈴を振る。
しゃんっ、と高らかな音が鳴り響いた。
それが合図。
正面いっぱいに広がる黒の大地に向け、言葉を詠っていく。
「堰き止められし沢、夢の見ない狐、輝き失いし大社、花のない簪」
紡ぎながら、気付く。
この唱は今まで私が浄化してきたもの、終末巫女として辿ってきた軌跡とと結びついている。
モスアトマたちの棲みかを作るため、呪いに蝕まれた沢を浄化した。
幻に侵され、自分で夢を見ることもままならない狐たちのために祈った。
エルフに住む場所を追われ、暗い洞窟でずっと息を潜めていたダークエルフたちに手を貸した。
死の地の呪いで美しい歌を失った人魚たちの歌声を取り戻した。
全部、私がもたらした終末によって生まれて生まれた物語だ。
その隣にはいつも、青年の姿をした世界樹がいた。
「――そして力は満ち巡る」
祈ろう。
この祈りを彼に捧げよう。
決して恐れることなく。きっと、願えば叶うものだとひたすらに信じて。
私の想いを彼に伝えてみせる。
「『浄化』」
エイデン、戻ってきて。
声には出さずにそう口にした。
純白の光が足元から一斉に立ち昇る。光で編まれた鳥が大きな翼を広げ、青空へ飛び立っていく。
目の前の大地が一片も残さず白に包まれる様は、どこか神聖だった。
この地を永い間蝕んでいた呪いが、消えていく。光に手を引かれて、空に溶けていく。
不意に、頬を涙が伝った。
こんなに美しい情景を見たのは、生まれて初めてだった。
「あぁ……」
誰かが感極まったように零した。
隣では、ツバキもルティナも小鬼も、皆感嘆の息を洩らして空を見上げている。
荒涼、としか言いようのなかった地には、今青々と若葉が生い茂っている。
浄化した瞬間に草が地面を覆った。それがエイデンのおかげなのかは分からない。でも、関係はあるはずだ。
だって、若葉はすくすくと育ってあっという間に一面の草原を作り出したのだから。
「死の地は、こんなに美しかったのね」
溢れ出しそうになった感動を堪え、固い声音で呟く。
私は衝動に任せるまま草原を走り回ったりなんてことはしなかった。周りの者たちもだ。
この後に来るものを知っているから、しない。
地鳴りのような咆哮が轟いた。
激しい揺れが突然穏やかな雰囲気に割って入った。ろくに立てないほどの揺れ。足元に亀裂が入ってるのを見て、私はすぐさま皆の方へ振りかえった。
「皆、退避――」
そう指示を飛ばすがいなや。
すぐ後ろの地面が真っ二つに裂けた。
黒々とした穴は草花を呑み込んでいき、私の足をも吞もうとする。
脇目も振らず駆け出す私はそこで――あろうことか、小石につまずいた。
「なあっ!?」
とんだ失策。ずしゃり、と顔から不時着した私は穴の中に落下していきそうになって――。
「『刺突魔法』ッ!」
寸前で、ルティナに掠め取られた。
刺突の勢いを生かして助けに来てくれたのだ。
「危ないところだったな、巫女さん!巫女さんは前に出ては駄目だ、後ろに下がっていろ」
「え、えぇ……。今日ほど自分のドジさを呪ったことはないわ……」
ルティナにお姫様抱っこされる私は身を縮こませる。急ブレーキをかけた先には慌てふためいた様子のツバキがいた。
「巫女さん、だいじょ……」
「ツバキ、『狐火』」
「ちょ、せめて心配する時間をーっ!?」
ツバキは異を唱えながらも炎に変化した。一年前よりも格段に練度が上がり、火力も増している炎。
尾を握ると、じりじりと体が焦がされる感覚がする。
右手にツバキ、左手に神楽鈴を持ち、私は前を見据えた。
「さぁ、何が出るかしらね?」
穴の浸食が止まる。黒から這い出てきたのは――太い脚だった。
次に翼。のそり、と姿を現すそのバケモノに、一瞬呼吸が止まった。
それから、全身から冷や汗が大量に噴き出す。
竜は聞く者全ての動きを支配するような、威圧力のある咆哮を打ち上げた。
短い四本足を地面に着け、翼を大きく広げた黒い竜だった。
顔、額、両翼、足には単眼がついていて、それらは揃ってこちらを見つめている。見つめ返せば呑まれてしまいそう。
羽毛は艶々と光っていて、口の間から零れる牙は鋭い。不気味さと竜らしさが共存しているような姿形。
私はこいつを、見たことがある。
否、正確には読んだことがある。
故郷の文献に、というか全世界の文献に載っているであろう、古代に存在していたという伝説の邪竜。
「ドゥマルム……」
呪いそのものであるそいつは、簡単な話厄災だった。




