土に愛されし樹の申し子たち
死の地に住まう世界樹、エイデンは真っ暗な地下道を歩いていた。
ぴちょぴちょ、と水が滴り落ちる音が狭い道を満たしている。黒々と濡れた岩が不規則に並べられていて、地面には不思議な弾力がある。
かなりの悪路だった。
「この先に、いるんじゃな?」
「信じてないね、お兄ちゃん。イシュカを信じてついてきてよ。ここで逃げ出そうとしたら、様子を窺ってる魔物たちに食われちゃうかもよ?」
「はっ、そりゃ勘弁願いたいのぅ。あとお主にお兄ちゃんと呼ばれる筋合いはないんじゃが」
「あはは、酷いなぁ」
前を歩く萌黄神の少女はわずかに首を捩り、人形めいた横顔をふふっと綻ばせる。
見た目には似合わない大人びた笑みだ。
この、妹を自称するイシュカが自分の元にやってきたのはつい一日前。彼女は死の地の地下に封じ込まれている人物のことを話した。
最初こそ微塵も信じていなかった。けれど。
「お主も世界樹とはな……。どこから来た世界樹じゃ?」
「だから、お兄ちゃんの妹だって言ってるでしょ」
イシュカは小さな指を蔓に変えて壁をまさぐっている。長い髪は根と化して地面を這いずっている。どちらとも、とても滑らかな動きで。
エイデンはヒジョーに複雑な表情で、樹の片鱗を見せる少女のことを眺めた。
「仮に……仮に、お主がわしの妹だとしよう。ならお主は母の腹から生まれたことになるのか?わしはお主のことなんて全く知らなかったんじゃが」
「うん、そうだろうね。イシュカは一年前まで地下にいたから」
「……地下?」
と、そこで道の脇に潜んでいた魔物が飛びかかってきた。
壺から無数の足を生やした古代の魔物、「ポットレイト」だ。近くにあった岩を足で薙ぎ払い、粉々に砕いたポットレイトは首をかき切ろうとしてくる。
四方を囲む足に、逃げ切れない、と判断したエイデンは指パッチンを一つ。
「『根の足』」
地面から伸びた翠の根が、壺の中心に突き刺さる。宙に浮いていたポットレイトは呆気なく崩れ落ちた。
壺の割れ目からは、真っ黒な体と瞳が覗いている。
本体であるらしかった。ひゅうひゅうと息を洩らしてこちらを見つめている。
「駄目だよ、お兄ちゃん。もっとちゃんと止め差さないと」
そこで、萌黄色の蔓が壺を掠め取った。黒い本体ごと、ぐちゃぐちゃに握り潰される。
イシュカはポットレイトの残骸を冷淡に見下ろし、また歩き出そうとした。エイデンはその腕を掴んで、止める。
「何?」
「お主、そこまでする必要はないじゃろうが。魔物だって生きてるんじゃぞ」
「生きてる、生きてるね……あはっ、あははははっ!」
息をありったけ吸い込んで吐き出したような、激しい笑い声だった。
イシュカは足元の破片を勢いよく踏みしめ、ぐりぐりと靴を押し付ける。
「兄なのに全然考えが違うみたい!生きているの、こんな奴らが!?お母さんを苦しめる、糞にも劣るこんな奴らが!」
「イシュカ、やめろ」
エイデンはイシュカの手を取り、固く首を振る。大きな瞳が今にもひび割れそうに見開かれて、閉じられた。
イシュカは手を払いのけてふらつきながら前方の坂を下っていく。坂の奥は青色の光で輝いていた。
「ここから、お母さんの姿が見えるよ」
導かれるまま、下っていった先、壁に空いた穴から顔を出すと、巨大な空間が眼前に現れた。天井近くから流れ落ちる水の音が轟き、涼し気な風が吹き抜けてくる。
果てしなく深い縦穴だった。中心に向かって壁から噴き出した幾筋もの滝は、途中で霧となって消えている。
計り知れない高度である証拠だ。
穴の下の方には、霧に隠れて青色の根が張り巡らされているのが見えた。
「母さん……!」
エイデンは叫び、思わず身を乗り出していた。
頭の中をたくさんの思い出が駆け巡る。
母は目が覚めるような真っ青な世界樹だった。青々とした空間が、まだ母の面影を残している。
ここにいるよ、と語りかけているようだった。
「この穴のずっとずっと下に、お母さんがいる……。最恐最悪の邪竜を、今も頑張って抑えてる」
「邪竜、か……。それは、呪いに侵されたものの総称じゃな」
「うん」
なんだか嫌な胸騒ぎがした。
隣でじっと下を見つめているイシュカに向き直る。
「お主、そろそろ答えてくれんか。お主が本当は、何者なのか」
「……イシュカはイシュカだよ。それ以外の何者でもない」
「イシュカ、お兄ちゃんとしてのお願いじゃ、どうか」
息を呑む音が間近でした。
イシュカは目線の先をさ迷わせ、それから観念したように絞り出した。
「イシュカは、お母さんの接ぎ木なの。最初はここのずっとずっと地下に息づいていた小さな木の一つだった。魔物に蝕まれていない深奥で生きていたの」
「奇跡の木、じゃな」
「お母さんにも同じことを言われたよ。私が生えていたところまで魔物が来て、もうこれは駄目かな、って思った時お母さんが助けてくれた。そして、弱っていた私を接ぎ木してくれた」
世界樹の枝に繋がれ、カンガルーの子供のように育ててもらっていたのだと言う。
そして、ある日。
「邪竜が暴れ出して、お母さんが命の危機に晒されて、イシュカは地下から抜け出さなきゃいけなくなった……。お兄ちゃん」
今度はエイデンの手が握られる番だった。すぐ目の前には、強い光を宿す瞳がある。
「お願い、お母さんを助け――」
その時だった。
激しい衝撃が地面を揺らし、邪竜の咆哮が轟いた。




