九尾の村 前編
結界を張ってから一度日が沈み、また昇った後。
私たちは、「死の地」の端を目指して、麦を乗せた荷車を押していた。
「こんなに大量の麦、果たして売れるかしら……」
「神代麦じゃぞ?杞憂じゃ杞憂。狐たちは大喜びで買い取ってくれるはずじゃ」
「留守番はどうしたんですか?結局、ぼくもついてきちゃいましたけど」
「モスアトマに任せてきたから大丈夫よ。霊石の番も」
端に近づくにつれ、地面の色は黒から茶色へと変わっていく。鬱蒼と茂る竹林が見えて来たところで、荷車を止め、小休憩。稲荷村はまだまだ遠そうだ。腹ごしらえにエイデンから貰った木の実を食べようと、積み荷に手を伸ばす。
すると。
「……ん?」
麦の束の近くに置いていたはずの袋が消えている。困惑して辺りを見回す。エイデンも小鬼も、積み荷には一切触れていない。
なら誰が、と疑問を抱いたその瞬間、気付いた。
麦の一束から、狐の尾が生えていることに。
「頭隠して尾隠さずね。誰?貴方」
「なっ、何で分かったん!?」
悲鳴と共に、麦の一束は煙を上げて本来の姿に戻った。すなわち、若い少女の姿に――って、え?
「貴方、猫か狐、どっちなの」
その少女は、尾は狐、耳は猫という妙ちくりんな格好をしていた。幼さの残る桃髪の二つ結びに、凛とした顔立ちというのもどことなくチグハグな感じがする。
「わぁっ!?また上手く化けられへんかった!」
「ほぅ、お主……半化けか」
「あはは、そうやで、悲しいことに……」
「半化け?って、何?」
そう私が尋ねると、少女は鈴のような声音で、独特のイントネーションを使って答えた。
「知らへん?体の半分が上手く変化できへん狐のことなんや」」
だから尻尾だけ狐のままなんや、と少女は自身の尾を恥ずかし気に指差す。
狐が持つ技能、『妖術』か。猫耳に化ける精度は凄まじいけれど……それはともかく。
「なんで私のご飯を奪ったの?」
「う……うちは別に、奪ってなんか」
「目が思いっきり泳いでますよ。ご飯ってこれのことですか?うわ、空っぽ……」
「わぁ!?いつの間に!?」
「ふっ、盗みに関しては小鬼に勝る者はいませんよ、小娘さん」
小鬼は薄笑いを浮かべながら、少女から取り返した袋を掲げる。私の冷ややかな視線に、狐の少女は目に見えて取り乱し、
「うっ、うち、ここんとこまともに食ってへんからお腹空いてたんや!食べたのは悪い思てる、ほんまにごめんなさい!」
……目の前で勢いよく土下座されたら、怒るにも怒れなくなってしまう。私はため息を吐いて、
「麦の方を奪わなかったから、盗賊ではないようだし、空腹だったのなら別に……」
「娘、これ食べるか?わしが体内で育てた木の実」
「た、たいない……?お、おおきに!」
「……」
私はわざと大きく咳払いをする。エイデン、木の実がまだあるなら、奪われた本人に先に渡すのが普通では……。別に、気にしてないけど。
「それで、貴方はどこから来たの?」
「うち?うちは……」
そこで、狐の少女の表情に陰りが差した。少女は俯きながら、言葉を絞り出す。
「稲荷村から、逃げてきたんや」
逃げてきた?
その真意を問いただそうとした時だった。
「いたぞ!ツバキだ、捕らえろ!」
竹林の中から出てきたのは、弓矢を構えた複数の狐人たちだった。
引き絞った弓の先が一斉にこちらに向けられる。突然の事態に私は仰天する。
「はぁ?何かの冗談よね。九尾式歓迎の挨拶とか……」
「お、追ってやぁ!」
「娘、いや、ツバキ、わしの後ろに隠れるんじゃ。狐は戦闘が不得手じゃろ」
「エイデン、私は?」
「お主は……別に隠れんでも大丈夫じゃろ」
「なんで!?私も十分か弱いわよ!?」
「終末を呼ぶ巫女が何を」
納得がいかない。私は巫女だけれど、その前に齢19歳のただの人間なのに……。と、不服に思いつつも、懐から札を取り出す。そして、狐人たちに向けて札を提示する。
「えーっと、狐さん達?私は見ての通り、神事に仕える巫女よ?だから私を攻撃したら祟られ……」
「「そんなの知るか!」」
「ちょっ!?お稲荷さんとかご存知ないの!?罰当たりな!」
狐たちは更に矢をきつく絞る。言葉が通じない。
そう悟った瞬間、一本の矢が私の方へ放たれ――
「蔓の腕!」
その時、細長い蔓の触手が眼前を横切った。すんでのところで、矢は絡め取られ、目と鼻の先で静止する。私は思わずへたり込んだ。一瞬三途の川が見えた。
「覚えておけ狐、売られた喧嘩は喜んで買うのがわしらのモットーじゃ。小鬼!」
「はい、只今ー」
小鬼は間延びした声と共に駆け出し――狐たちの懐に潜り込む。
そして、少しの静寂の後。
「……は?」「え?」
呆然とする狐達の手からは、弓が消え失せていた。
かたや小鬼は、いつの間にやら狐の背後に佇んでいた。
その背丈には合わない大きな弓を携えて。
「隙だらけですよ、ぼくにとっては有難いですけど」
「お、お前……、くそっ、『窃盗』の所持者か!」
動揺する狐たちは、それから、小柄な小鬼へと素手で襲いかかる。
が。
「根の足」
突如出現した根の壁へと、狐たちは勢いそのままに衝突する。ごつん、と硬い音が響く。なかなかに痛そう。狐人の青年は堪らずといった風に鼻柱を押さえる。
「うべっ、何だこれ!?」
「わしの根冠の強靭さを思い知るがよい。……それで?お主らは何者じゃ、この娘を追ってきたのか?」
「あんたらこそ、何故ツバキを庇うような真似をする。
そいつは、村の責務から逃げようとした愚か者だ。
半化けごときに、わざわざ情けをかけてやっているというのに」
その言い分に、ぴくり、と青筋が立つ。何だろう、この腸が煮えくり返る感じ。
「私たちくらいだ。誇り高い五獣族の中で、半人前を受け入れるなんてことをするのは。ツバキ、村に早く戻れ。そして未来永劫、村の歯車として働くんだ」
「い、いや、いやや。うちはもう、あんな牢獄には帰りとうない」
「村の規則に従え。それがお前の幸せだ。夢を見るな、半端者め。お前に選ぶ権利などない」
重なる。
遠い日の私と、少女の姿が。
――大人たちに、巫女でいることを強制された私の姿と。
頭にノイズが走る。
私は――狐の青年に拳を繰り出していた。
頬に拳がめり込み、鈍い衝撃が手のひらを駆け抜けて。
それから、青年は錐揉み回転をしながら吹っ飛んでいった。
狐の少女は、目を丸くする。
「貴方ね……責務だとか情けだとか、幸せだとか」
苛立ちが募っていく。
思い返すのは、資質を認められ、巫女に祭り上げられた時のこと。
「そんな言葉で、誰かを縛り付けるんじゃない」
あの頃の私は、村の幸福の象徴だった。逃げることは決して許されない。村のために、皆のために、世界のために。私は、大人たちに促されるまま、祈りを捧げた。
――それが、終末を呼び寄せ、故郷を灰に変えるとは知らずに。
今でも少しだけ、思う。
あの時、自ら、祈りとは無縁の人生を選べていれば。
私は、終末巫女と呼ばれずに済んだのかもしれない。
「あんたが私たちの道を決めるな!あんたの責任を誰かに背負わせるな!
そんなんだから、守れない人がどんどん増えていくんだよ!」
それは、心からの慟哭であり、心からの願いでもある。
憤りのままに、宣言をする。
「決めた」
そして、一拍置いてから。
「そんな古いしきたりに、私が終末をもたらしてあげる」
読んでいただきありがとうございます。
あれ……主人公って麦を売りに行ったんだよな……?




