終末と泡沫の歌 前編
死の地の呪いによって、本来は魚たちでさえ感涙するほどの人魚の歌は地に堕ちた。
耳を塞ぎたくなるほど汚い声に本人たちが一番当惑したと言う。旅人を呼び寄せるどころから遠ざけるばかり。
彼女らの泡沫の夢は、夢になることすら叶わなかったのだ。
「堰き止められし沢、夢の見ない狐、輝き失いし大社、花のない簪――」
竜宮城全体を見渡せる塔の天辺に立ってひたすら言葉を紡ぐ。人魚たちに美しい歌が戻るよう、心からの祈りをこめて。
「そして力は満ち巡る」
数百人という規模の呪いを浄化するのだから代償は半端じゃない。とんでもない終末を呼び寄せてしまうだろう。
その時は、エイデンたちと一緒に覆してやればいいだけだ。
「――『浄化』」
町のあちこちから、一斉に黒の煙が立ち昇った。煙はもくもくと天井を覆い、分厚い雲になる。私は滝のような汗を流しながら、それらを全て握り潰すように両手を合わせた。
たちまち煙が一か所に凝縮され、弾け飛ぶ。後には澄み渡った水だけが残った。
「成功……したかのう?」
心配そうな様子のエイデンが窓を伝って登ってきた。
私が口を開こうとすると――この世のものとは思えない透き通った声音が耳を突いた。
甘くて涼やかで、それでいて優しい。
歌声は一つ、また一つと重なっていき、竜宮城が美しい大合唱で満たされた。
なんてきれいなんだろう。無意識のうちに涙が伝っていた。
人魚特有の言語で歌われる、愛しい人に語り掛けるような壮大な唄。泣いているようで、歓喜しているようにも聞こえた。
「本当に全て浄化したのか……にわかには信じがたいな」
近衛兵のビルジーは目を丸くしながら喉に手を当てる。前にツバキたちを失神させたものとは違い、低くて滑らかな声音が流れ出た。
竜宮城を包む合唱に汚い音は混じっていない。正真正銘、これで浄化できたのだ。
頬を綻ばせたその時だった。
『キ、シャア……』
鉱石に覆われた洞窟の壁が割れ、長い触手が飛び出した。
触手は宙をまさぐり、それから壁に張り付く。
全員が絶句する中、岩の間から這い出てきたのは、触手を全身に巻き付けたとかげのような生き物。
とかげ、否――羽のないドラゴンだ。
触手の隙間から覗く眼光は赤く、鋭い。
「『鎧竜』……」
エイデンがそうぽつりと呟いた。
鎧竜。村の伝承で聞いたことがある。持つべきはずの羽を甲冑へと変えた、特異な無翼竜。地底深くに住み、鉱石を食らう――大昔に存在したとされる太古の種だ。
「おっ、大昔のドラゴンじゃない!どうして!?」
「まずいぞ巫女!鎧竜の触手は鋼鉄……!物理はほぼ効かん上に、町を壊される!」
触手が勢いよく振るわれる。青緑の家々が薙ぎ払われ、上部をごっそりと破壊された。瓦礫が水中にふわふわとたゆたう。
歌声が一転して鋭い悲鳴に変わった。
「くっ、すまんがもう少し待ってくれぬか巫女!まだ蔓が回復せん!」
潜水のダメージのせいで頼みの綱のエイデンはあまり動けない。今更ながら気付いてさぁっと血の気が引いていく。
「なっ、なら『狐火』で……!」
「幻は半分実体があるんよ巫女さん!水ん中だと火力もあんま出ん!」
「っ、ルティナの刺突魔法は……!」
「スビードは多少落ちるが、一番厄介なのは物理攻撃がきかないことだ。まずあの鎧を剥がさなければいけない」
鎧を剥がす……。伝承によればあの鎧は翼が進化したもの。魔物の一部である以上小鬼の窃盗も使えない。
どうしたものかと考えあぐねているうちにも鎧竜は暴れ回り、町を蹴散らす。このままじゃ、竜宮城が。
「どうしましょう、何か手立ては!手立てはないの!?」
頭が爆発しそうになるほど悩み抜き、呻いた刹那。
「ラア――」
天女が降りてきたのかと思った。あどけなくどこか切ない声音は、水面へと吸い込まれていく。
あらゆる人の目が、突如竜の前で歌い出した少女に釘付けになる。
少女はお姫様と呼ぶのにふさわしい、堂々とした姿だった。
「其方は土の子、骨の埋もれた大地を両足で踏みしめる勇ましい人――」
人魚伝統の唄だろうか。誰もが呆然とし、暴れていた鎧竜までもが動きを止めた。
「青い暗闇をたゆたう私とは、相容れない者よ。なぜ、こうも惹かれるのでしょう」
しばらく我を忘れていた竜は、するすると触手を伸ばして人魚姫を巻き取る。そこで私ははっと意識を取り戻した。
取り込まれる。
だが、カーフィは穏やかな表情をしていた。子供をあやすように竜へ歌いかける。
「全く違う世界の色に憧れてしまったがゆえに――」
歌声が余韻を残して水を震わす。ずぶずぶと、カーフィの体が竜に沈んでいく。
必死に手を伸ばし、叫んだ。
「カーフィ!!」
人魚姫は、泡沫を取り戻して消えていこうとしている。
そんな終末、許せるわけがなかった。




