第71話 無傷とはいかなかったか
◇
「例えこの平和が幻でも、夢でも、わたくしはそれに努めていただいたセント=エルモの矜持を支持し彼の自由を――」
プリンセス・エリザベスは流暢な発音で詰まることなく訴えかける。セント=エルモの即時解放を。観衆は流れるように揺れる黄系・ブロンドの髪と青系・ウルトラマリンの瞳を持つ若く美しい王女に熱狂し、彼女の存在を天賜として向かい入れる。
しかし――
(本当は民衆と同じ立場になれる王室だったのに……)
王女は一人胸の中で呟いた。そんな時に。
「――!」
突然ふらついた王女の体を付き人の女が支える。黒系・グラファイトの髪と黒系・ランプブラックの瞳を持つこの女性は護衛のリーダーだ。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫。みなさんに気づかれないようにして」
「今日はこのまま戻りましょう」
別に体調が悪いわけではない。だけどこの観衆の熱狂を見ていると思うことがあった。
『怖い』
と。
プリンセス・エリザベスは血に美徳を感じる。それは子供の頃からだった。最初は木登りをしていた際に傷ついた自分からの血。透き通って見える赤はルビーのそれより鮮烈で、滴る血塊はどんな芸術作品も凌駕して見えた。
大人になるにつれそれは他者に求めるものとなり、気に入らないなにかがあると自分好みの男を選んで自室で殺害し続けた。
ではなぜこの場が怖いのか?
それは『彼らに裏切られない自分を演出』しているからだ。裏切られたと言う感情は血を黒くにごませ、気色悪く粘り着く。王女はそんな血が怖かった。
王女の部屋のドアが閉められる。入ってきているのは護衛リーダーであり付き人でもある女だけだ。王女は急いでベッドに駆け寄るとその裏にあるスイッチを押した。壁が四角く突き出し、引っ込み、別の様相を表して。
赤い液体が注がれたグラス・グラス・グラス。
「はぁ」
王女はそれらを見てため息を漏らす。付き人が軽蔑の眼差しを向けているのにも気づかずに。王女は一つのグラスを取り出すと香りを嗅いだ。そんな彼女には最近思うことがある。
飲んだらどんな味だろう――?
それは、決して踏み込んではならない吸血鬼の始まり。
「邪魔するよ」
「「――⁉」」
突如窓から響く声に王女も付き人も驚きの視線を向けた。ここは三階。登ってこられないほどではないが監視の目をくぐるのは困難だ。それを、この少女がやってのけたと言うのか?
少女は部屋の中に入ると小さく会釈する。
「ヴォワ=デートだ。よろしく」
会釈の後少女は、ヴォワは小さな手を差し出した。
「……え? え?」
王女は困惑しながらほぼ無意識に握り返す。
「私をしっているかな?」
無論である。
「本当にウェディングドレスなのね……どうして?」
「勿論、私が全ての色と謎と神秘の妻だからだ」
「……若い奥さまね」
「うん。だがそれはともかく、私が危険人物だったらキミ、どうするのだ」
「――!」
そこで付き人の女が動いた。国旗の掘られた銃を懐から取り出すとヴォワに向けて――撃つ。
しかしその銃弾はヴォワが振るった手に流れを変えられ、壁にめり込んだ。
「……なっ……」
それはとてもではないが常人の出来る技ではない。
「なに。情報を視て適切に振るっただけだ。銃弾が見えたのではないよ。安心おし」
安心など出来ようはずもない。
「おや」
ヴォワの感覚を刺激する小さな痛み。見てみると銃弾を払ったヴォワの手から血が少量滴り落ちていた。
「無傷とはいかなかったか。残念」
さして残念そうではないその口調。
「ま、ツバ程度で治るかな?」
と言ってヴォワは自分の傷を舐めようとし――しかし、その手を王女によって止められた。
「……」
王女はなにも言うことなく、ヴォワの血を見つめると舌を這わせ舐めて。
「……ふむ」
それはどこか神聖な儀式のようで、ヴォワの好奇心を刺激する。




