第18話 私は、キミを視ている
「昨日言った通り今日の午後退院だ。暫く車椅子だけどね。準備はしているかい?」
「はい」
「よろしい。なにか心配事は?」
「ん~、昨日から星の声がやけに聞こえるのですが……」
エアラリスはヴォワに向けていた視線を窓の外へと向ける。なんとなく空を眺めて一言。
「……怖いです」
ぽとりと本音がこぼれてしまった。
「ふむ。キミにとって星の声は道標でもあるのだろうね」
「え?」
「キミの両目が見えていないことくらい気づいているよ」
「――!」
言葉に詰まるエアラリス。
彼女が視力を失ったのは子供の頃の交通事故が原因だ。未成年者のバイク二人乗り。悪ふざけに蛇行運転していたそれに運悪くひかれてしまった。両目は深く傷つき義眼の使用を余儀なくされた。
星の声が聴こえたのは泣きはらしたそれから暫くたってからだ。初めは遠くの潮騒が聴こえるようになって、木々の葉がこすれる音が聴こえて、地中にいる虫の鳴き声が聴こえて、気づけば星の声が聴こえていた。
「異常聴覚――に加えて足の損傷。その不安は察してあまりある」
「……わたし、どんどん普通じゃなくなっていきます……次は腕かもしれない……本当は事故で死ぬはずだったのに無理に生きているような気がして……」
「普通がそんなに大切かな? 私は生まれつきこう言う体質だから気にならないが」
「……最初からそうな貴女と普通をしっているわたしとでは違うんです!」
言ってからエアラリスは目をみはった。自分で自分の言葉に驚き、激しい後悔の波が迫ってきた。だけれど言葉の荒れは簡単には収まってくれない。
「エアラリス。私はキミを否定しない」
「嘘!」
エアラリスはヴォワの体を突き離した。椅子が倒れて、ヴォワはヨロけた体を立て直す。
「じゃあ証拠をください! 否定しないって証拠を! ないならわたし――わたし、死んでもいいです」
「エアラリス」
「そう……最初からそうすればよかった……だって愛の究極は心中での永遠だもの」
「なるほど、心中か。それは困るね。キミも私も生きて幸福になれると言うに」
「なれない! だって貴女と違って……わたしの異常聴覚なんて向こうからの一方通行で……」
大粒の涙が流れている。彼女はそれを拭うこともなく口を動かし続け。
「ならキミ、どうすれば幸福になる? 結婚して、養子を貰って、老人になって、死んで、そうすればよかったのかな?」
彼女――エアラリスは一度大きく目を開き、しかし首を横に振った。
「証拠が欲しいの?」
「欲しい!」
「……わかった」
ヴォワはハンカチを口に含んだ。
右手を右目へと持っていき、そして――
「――っつ!」
「――!」
右目を、えぐりとろうとしていた。
「んんん! はあ……はあ……」
ぼたぼた、と血の塊が床に滴る。
「ほら、受け取りたまえ」
えぐられた右目が、差し出された右手に乗っていて。
「……」
震える手でエアラリスはそれを受け取った。
「私とキミは出逢って数ヶ月の縁だ。けれどその縁は実に強固。私の眼がそう言っている。失うな、と言っている。
キミは生きているのが怖い。
私はね、キミを失うのが怖い」
「怖い……」
残念ながら多くの国ではヴォワが持つ”能力”は精神疾患と判断され問答無用に入院させられてしまう可能性が高い。だからヴォワがそこに留まることはない。だからエアラリスをヴォワの自由が保障されているイギリスまで連れてきた。エアラリスを故郷から引き離す形で。その時点ですでにヴォワはエアラリスとの縁が稀に見るほどのものであると言う予感があった。
ゆえに、その縁、大切に育てていきたい。
「私は、キミを視ている。その眼で、キミのそばで、キミを視ている。それでも私を信じられないかな?」
「……いいえ……いいえ……ありがとうございます……ありがとう」
そこでヴォワは意識を失った。
ゆっくり、ヴォワは眼を開ける。この天井と薬品の色、ああ、エアラリスと同じ病院だ。
右目に触れてみる。感触があった。中に確かになにかが入っている感触が。横を見ると鏡があった。右目を覆っていた眼帯を外してみる。
そこにあったのは墨色の瞳。エアラリスの使っていた義眼だ。
「……ん」
聞こえた寝息に、ヴォワは足の方を見る。
エアラリスがそこにいた。車椅子の背に頭をあずけ、すーすーと寝息をたてている。頬に涙が伝った跡があった。そしてエアラリスも右目に眼帯をしている。
ヴォワは静かに優しくエアラリスの頬に触れた。
「ん」
目を開けるエアラリス。
ヴォワが起きているのに気づくと、誰を呼ぶこともせず、一言も発さず、ただ涙を流し始める。
ヴォワがエアラリスの眼帯に触れ、少しだけ持ち上げる。そこには、イギリス人の中でも特に美しい蒼穹の瞳があった。
間違いなく、ヴォワの右目。
そっとエアラリスが顔を近づけていく。ヴォワは嫌がらず、それを見守り、二人は暖かな唇を重ねた。




