周家という家
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雨月さまが出発して二週間が経った。会談はとっくに終わったはずだがちっとも知らせが来ない。
あれから飛龍お兄さまとは顔も合わせていない。わたしも会いたくなかったが、あまりに見かけないので家の者に聞いたところ、しばらく出かけると言って何日も戻っていないらしい。
宇航お兄さまは普段より激務をこなしているらしく、宮廷近くのお兄さま所有の別宅で寝泊まりしているという。こうしてわたしは、なぜかぼーっと周家にいながら、とにかく気が休まらない日々を過ごしていた。
そして二週間と一日目、お父さまが帰って来た。
「……っ、お父さま!」
わたしに向かって、のんびりと「ただいま陽花」と言ったお父さまの顔を見るなり、わたしはその襟ぐりをぐわっと掴んでゆさゆさと揺さぶった。
「お父さま!わ、わたしの縁談は?皇子との縁談はどうなったの?雨月さまは!?」
「よ、陽花、ちょっと落ち着きなさい」
「落ち着いてなんかいられないわよ!」
そうして、わたしがお父さまから聞いた話は驚くことばかりだった。
雨月さまは昼夜休まず馬を走らせ、追い剥ぎが出るため普通は使われない森を通り、なんと会談前夜にはお父さまに合流したのだという。
会談には西国の第六皇子も出席しており、案の定わたしと皇子の結婚話も出たが、こちらから丁重に断った。雨月さまが、自身とわたしが結婚することになった事情を説明し、お父さまも飛龍が出張している間の出来事だったと弁明したらしい。
ただし西国の皇子と、わが国の商いを牛耳り最大の栄華を誇る周家の娘との結婚がなくなれば、両者が期待していた利も失われる。そこで雲海帝の名代となった雨月さまが、国を背負って西国との取引交渉に臨んだ。
「え、雨月さまが主上の名代で西国と取引?」
「うん、そうなんだ。おまえが結婚なんかしなくても、ちゃんと西国にもうまみを与えられ、かつわが国と周家にも利益をもたらせられるようにね」
「そ、それって超大ごとじゃ……ていうか、そんな事態にお父さまは帰って来てよかったの!?」
「わたしの代わりに飛龍が雨月殿に付いて助けることになってね。そのままあの二人、皇子や向こうの大臣たちと西国に向かったよ」
「な、なんですって!!??」
飛龍お兄さまこそ今回の元凶なのよ!そんなお兄さまが雨月さまを助けるわけないじゃない!
しかも西国に向かったとなれば、またしばらくは帰ってこれない。一体どういう状況なのか、わたしにはもう全然わからなかった。
「ちなみに雨月殿の代わりに、今主上には宇航が付いてるよ。頑張ってるみたいだけど、かなり激務みたいだね。まあ雨月殿は通常の側近業務の五倍はこなされてた方だから、宇航みたいに慣れてないと最初はさすがに大変かなぁ。我が息子も優秀だが、未来の婿殿もまた素晴らしく優秀だからね」
と、お父さまは上機嫌だ。
話を聞いていると、だんだんとお父さまの、いや周家の思惑が見えてきた気がした。
「……ひょっとして、お父さまも宇航お兄さまも、それに実は飛龍お兄さまも、雨月さまのことはちゃんと認めてて、でも西国との良縁も切りたくないから帝まで動かして、何が何でも西国との取引交渉を成功させようってこと?」
飛龍お兄さまの雨月さまへの挑発は、雨月さまを介して雲海帝を焚きつけるためだったとしたら。
「ま、婿殿を試す意味もあったけどね。おまえも知っての通り、周家の男は政治にも金にも強くなきゃ。今回は飛龍が嫌われ役を引き受けて、雨月殿の力を見定めようとしてるってところかな。わたしはね陽花、これまで何度も言ってるが、おまえのことはおまえに任せてるよ。でも父心としては、やっぱり最高の男に巡り合わせてやりたいからね。雨月殿が我々の期待に応えられなければ、第六皇子と結婚する。それはそれで、おまえにも、周家にも、この国にも利があると判断した。どっちに転んでも全部うまくいく算段だよ」
にっこりと笑うお父さまに、わたしは絶句した。そして思い出した。おじいさま含め、周家というのはこういう抜け目のない奴らばかりだった!と。
だからこそ、国で富も権力も一番となり、帝の信も厚い。周家のやることは結局は国のためになるからである。
「……わたし、改めて周家の恐ろしさを思い知ったわ。でも、それに巻き込まれたわたしと雨月さまって」
「何を言ってる、おまえだってその周家出身で、雨月殿も家族に加わるんだから当然だろう?ま、この件で色々急に動かされて少々とばっちりを受けてるのは主上だけど、後宮にいた頃のおまえを毒殺事件に巻き込んだんだから、このくらいはやってもらわなきゃあねぇ」
案外それがお父さまのいちばんの目的だったりして。
結局、お父さまには「まあおまえはのんびりと結婚の準備でもしながら待ってなさい」と言われ、それ以上の説明はなく、わたしは自分の部屋に戻るとへなへなと床に座り込んだ。
***
雨月さまから手紙の一通もないまま、二か月が過ぎた。向こうの所在もわからないので、わたしから手紙を送ることもできない。
婚礼衣装も出来上がり、結婚式の招待状も式の日付以外は用意して、その他必要なことは翠玉と鈴玉がやってくれている。
わたしは心配でやきもきしながらも、雨月さまもなんで連絡のひとつも寄越さないんだとか、飛龍お兄さまや周家の勝手な行動にも怒りが湧いてきて、無性に孤独を感じていた。
ある日、宇航お兄さまから「主上に特別に許可を頂いて、内緒で宮廷書庫をおまえに使わせてもらえることになった」と連絡を受けた。以前から後宮時代に読めなかった本を、宇航お兄さまに代わりに借りてこれないかと頼んでいたのだ。
今日は、約半年ぶりに宮廷書庫に来ている。もう夕方だが、内緒でと決められた時間に来てみたら人払いがしてあり、当時より書棚には埃が積もっていた。
やっぱり入念な掃除は皇后のためにやってくれてたのね。
久しぶりの書庫はなんだかとても懐かしくて、後宮で過ごしたのは三か月ほどだったのに、意外と自分は馴染んでいたんだなと思った。
わたし、あの頃はここで雨月さまと会ってたんだわ。
初めは優しく笑顔を向けていた彼が、だんだん冷たい態度を取るから戸惑った。頭痛がするという彼が心配で、伸ばした手を跳ね除けられて、どうしようもなく傷ついた。
わたしは最初にここで雨月さまに会った時に見ていた画集に手を伸ばした。墨で描かれた動物や植物の絵。
『昔好きだった人が絵を描いていたんです。画集を見ていたら、彼が描いた絵を見るのが好きだったなぁと思い出しまして』
『本当に今でも初恋の人を想っていらっしゃるんですか?』
『どうして主上もあなたもわたしの気持ちをそんなに疑うんでしょうか』
『普通、十年近くも死んだ人を想い続けるなんて不可能じゃないかと』
そんな風に話したんだったわねえ。まさか初恋の人が目の前にいる彼だとは微塵も思わずに。
わたしは当時のことを思い出しながら、ぺらりと画集をめくった。すると。
……!
ふわりと背中から抱きしめられ、あたたかい腕が腰に回る。それが誰なのか、到底信じられないけれど、振り返らなくてもわかった。
「……雨月さま」
ばさり、と画集が床に落ちる。わたしは身じろぎして腕の中で振り返った。
三か月ぶりに会った彼は、相変わらずとても素敵で。少しやつれていたけれど、彼の目は変わらないわたしへの愛を語っていた。
「すみません。少しの間と言ったのに、思ったより時間がかかってしまいました」
「……っ、ほんとよ!連絡のひとつもないんだから、わたしがどれだけ心配したと……っ」
この三か月の間溜め込んでいた色々な感情が溢れかえって、涙が出てくる。雨月さまに強く抱きしめられた。
「陽花……っ、会いたかった」
ごめんなさい、わたしのせいでやっぱり大変な目に合わせてしまった。連絡もなくて、わたしのことなんか忘れてしまったのかと思った。心配で不安でたまらなかった。
謝罪も、恨み言も、言いたい事もたくさんあったけれど、口を開けば勢いよく唇が塞がれて何も言えなかった。
「んっ」
息ができないほど繰り返される口づけ。腰を抱かれ、舌が熱く口中を這い、唇を吸われる。彼の愛が、唇から全身に注ぎ込まれるようだ。
こうしてわたしたちは、思い出の場所で再会を果たした。
***
「いやあ、雨月がさ。真っ先に陽花に会いたいけど、まずは主上に報告入れなきゃいけないっていうから、じゃあ陽花を宮廷に呼べばいいかと思って。優しい兄さまだろう?」
「優しい兄さまといえば僕のほうじゃないかい、宇航。僕なんか雨月を義理の兄として、心を鬼にしてびしばし鍛えてやったんだ。まあさすが僕の可愛い陽花が選んだだけあって、商売の飲み込みも恐ろしいほど早かったけどね」
「いやいや、俺なんか雨月に代わって側近業務まで手伝ってたから。しっかしあいつ、あの量の仕事ひとりでこなして、貴重な休みの日は朝から晩まで陽花と会ってたのか?どんな化け物だよ、普通倒れるぞ」
久々の家族全員揃っての夕食で、わたしと雨月さまの破談危機は完全に去ったことを理解した。
結局、雨月さまと飛龍お兄さまは西国まで行って交渉を成功させ、西国からの関税優遇や我が国の西国への輸出品目増加など、いろんな好条件をもぎ取ってきた。
雨月さまもこの間に皇子と随分親しくなったらしい。皇子は雨月さまとわたしの馴れ初めに感動し、ぜひ結婚式に呼んで欲しいと言ったそうで、なんと結婚式には西国からのお客様も迎えることになった。
「ごめんよ、陽花。急に戻ってきて結婚反対なんて、ショックだっただろう」
「そりゃもうショックだったわ。駆け落ちしようと思ったくらい」
「か、駆け落ち!?」
「雨月さまが止めてくれたけどね」
「そうか……。陽花、雨月とはこの三か月一緒にいたけど、彼はこの僕が認めざるを得ないほどいい男で、おまえに対する愛は紛れもなく本物だと分かった。というか、陽花はむしろあれで大丈夫か!?その、重すぎるだろう、愛が……」
飛龍お兄さまはそう言うと、急に自分の皿の肉に塩を振り始めた。そのお肉、もう十分味付けしてあると思うんだけど。
「何言ってるの。わたしだって十年も好きだったんだから、十分重いわよ」
「そうだけど、彼のほうがもっと屈折してるというか、病的というか……。まあおまえが幸せならいいんだけどね」
飛龍お兄さまはまだごにょごにょと言っていて、宇航お兄さまは苦笑している。
そしてそれまで黙っていたお父さまが口を開いた。
「ようやくこれで家族全員揃った。陽花の結婚式も無事挙げられるね。式の日取りを決めて、皆に連絡しよう」




