飛龍の計画
兵部での会議が終わった雨月は、雲海帝の執務室に戻り、「失礼します」と言って扉を開けた。
……。!!!?!?
「失礼しました」
パタン、と扉を閉めて自分が今見た光景を振り返る。
今、自分はとんでもないものを見てしまった。
「ま、待て雨月!!誤解だ!!はやく戻ってこい!」
と、中から叫ぶような雲海帝の声が聞こえたので、一体何事だと雨月は改めて執務室に入る。
先程の光景となんら変わらない。帝が、長い髪を後ろに緩く垂らしたとんでもない色男に襲われていた。大の男二人が至近距離で顔を合わせ、あろうことか帝の顎が色男に持ち上げられている。
「う、うげつ」
帝が涙目に雨月を見たが、頬が赤い。こんな主人は初めて見た。男もいけたのかと感心していると。
「ち、ちがう!こいつは」
「つれないですねえ、主上。久しぶりだというのに」
ふふ、と妖艶に微笑むその男は、流し目で雨月を見た。ぴりっとした緊張感が漂う。何者だ、この男。雨月は顔に来客用の笑みを作りながらも、警戒していた。
「失礼しました。主上に来客中とは存じ上げず」
「いや、こっちが突然来たのでおかまいなく、曹雨月殿」
その男がにこりと笑うと、がたたっと音がした。
雲海帝が椅子から落ちて床に手をついていた。
「……!主上、一体どうなさったんですか」
「……」
主上の反応から刺客ではないと判断するが、どうもおかしい。すると、色男がこつこつと靴音をならして雨月のほうに
近づき、ふふ、と色っぽい唇から吐息をもらした。
「どうも、周飛龍です」
「周……」
飛龍!!??
愕然としている雨月をよそに、彼は優雅に来客用の椅子に座った。
「雨月は飛龍には初めて会うのだったな。この男が周飛龍、周浩然の長男だ」
着衣の乱れを直して席についた雲海帝に紹介された飛龍は、雨月に向かって「はじめまして」と微笑んだ。
「妹の陽花が世話になっているようだね、雨月殿」
「は……こちらこそ。お顔を存じ上げなかったとはいえ、ご挨拶が遅れてしまい誠に申し訳ございません。曹雨月です」
お互い名乗ったところで、雲海帝がごほんと咳払いした。
「雨月、さっきの誤解するなよ。こいつは人をからかうのが趣味みたいなやつなんだ」
「いやだなぁ挨拶しただけでしょう、口づけでもしようかと」
「せんでいい!」
雲海帝と飛龍が既知の仲であることは知っていたが、ここまで帝の調子が乱されているところは初めて見る。
飛龍は約十年宮廷に勤め、父や弟の宇航同様に優秀な官吏として活躍していたが、以前から父から引き継いでいた周家の商売に本腰を入れるため、二年前に官吏は辞めていた。
「雨月、飛龍はおまえに話があるそうだ。応接室を使っていいぞ」
そうして雨月と飛龍は応接間に移動した。そして先に着くやいなや、雨月には一言も発せさせずに、飛龍は言った。
「単刀直入に言おう。雨月殿、悪いが君と妹の結婚は認められない。今日はそれを言いにきたんだ」
***
『陽花』
飛龍は、月を見ながらもう何時間も動かない妹に声をかけた。
『お兄さま』
陽花はゆっくりと視線を飛龍に向け、笑った。清らかな笑顔は天女か、西国の物語に出てくる天使かと思うほど可愛いらしい。けれど、昔見られたあの太陽みたいな笑顔はもう見られなくなってしまった。まるで月が太陽の出番を奪ってしまったみたいに。
『……眠れないのかい?』
『んー……まあね。たまにはそういう日もあるわ』
陽花にはこういう日がある。本人は隠しているつもりだが、亡くなった友人の話は家族全員知っており、その友人がただの友人ではなかったことも予想がついていた。
陽花はきっと、彼のことが好きだったのだろうと。
『さっきまで雨が降っていたのに、月が出てたから庭に出てきたの』
雨の日は陽花が傷つく日だ。頬には涙の後が残っている。以前はもう少し楽観的に、いずれ時が彼女の傷を癒すだろうと思っていたが、一向にその時は訪れなかった。
怖いくらいに一途で、自分には正直理解できない。子供の頃のたった一人のための悲しみを何年も引きずるなんて可能なのか?なんて健気なんだ!
その友人には悪いが、どうか妹をもう自由にしてやってくれ。忘れさせて、誰よりも幸せにしてやりたい。その想いが、蕾が花を咲かせていくように日に日に美しくなる年頃の陽花を目の当たりにするたびに、強くなった。
陽花には縁談が山のように舞い込んでいた。良家の息子、成金の息子、そう悪くない話もあった。けれど誰も陽花のお眼鏡にかなう者はいなかった。
ある時、飛龍は気づいた。そうか、家族の自分たちが完璧すぎるのだと。はっきり言って父も弟も自分も美形で優秀で才能に満ち溢れすぎている。資産は言わずもがな。身近にこんな完璧超人が三人もいては並大抵の男では霞むのは当然だ。
ー でも、僕よりいい男なんてこの世にいるか?
……いなかったら、陽花はずっと自分が面倒をみよう。
それから二年経っても、三年経っても、陽花や家族が進められるような縁談話はなかった。
***
「……どういうことでしょうか」
「陽花に縁談があるんだ、西国の第六皇子とのね。皇子は僕の友人なんだけど、この僕が認めるくらい優秀な男だ。皇子だが母親の身分が低いから皇位継承権はなく結婚しても過剰な重責はない。真面目で実直で、妻以外を側室に迎えるつもりもない人だ。以前からうちの妹にいいんじゃないかとは思って話してたんだが……今回の出張でまとまった」
「……」
「周家だけじゃない、西国の皇族と縁続きになるのは国にとっても利がある。君も帝の側近ならわかるだろう?我が国がどれだけ西国からの輸入品に依存しているか。第六王子は外交と貿易関係を担当されてるから、今回の縁談がまとまれば我が国にとって実りは大きい」
「……陽花はこのことを?」
「今朝話したよ」
飛龍はさらっと笑顔で雨月に言った。
「申し訳ありませんがそれは承服できません」
「なぜ?」
「……飛龍さまは、私と陽花がどのようにして出会ったのか聞いていらっしゃいますか?」
「ああ。君が十年前、あの子を助けて死んだと思われた少年で、それからずっと陽花の記憶をなくしていて、あの子を主上の皇后にしようと企んだら思い出したんだよね?」
雨月はうなずいた。
「そうです。私は子供の頃に陽花に会い、彼女に救われました。彼女のことを好きになって、将来一緒になろうと誓っていましたが、あの事件の日に崖から転落した。……ずっと陽花の記憶をなくしたまま生きていましたが、ようやく思い出した今、もう二度と彼女を離すつもりはありません。私にとって陽花は、命よりも大切な最愛の人なんです」
すると飛龍は初めて驚いた顔をして、すぐに目を細めた。
「……そうか。結婚の約束までしていたんだな」
飛龍はとたんに視線だけで人を射殺せるんじゃないかと思うような目をすると、まっすぐに雨月を見た。
「その約束のせいであの子がどれだけ苦しんだか知っているか?君が死んでからあの子がどんなだったか、君にわかるはずもない。信じられないほど一途で健気で思いやりのある優しい子だったあの子は、君のことが忘れられずに苦しみ続けた。二度と心からの笑顔は見せなくなった。何をするにも君の面影を追いかけ、君との思い出を大事にしていた。まだ若くてこれからだというのに、亡霊に妹を取られた気分だったよ」
「それで僕は探したんだ、あの子が幸せになれる方法を。周家に一生いてくれたって構わない、でもできることなら妹を幸せにしてやれる人を見つけたかった。探して探して、残念ながらあの子にふさわしいと思うような男は見つけられなかった。でもやっと見つけたんだ、この国以外にね」
飛龍はまるで呪いにかけるような魔性の笑みを浮かべた。
「君は罪深いんだよ、僕の陽花を十年も苦しめた。遅すぎたんだよ、何もかも。皇子との縁談はもうまとまってる。周家の話だけじゃなく、国家間の話にもなるから止められない。父上が西国の大臣との会談に西州に向かったことは君も知ってるよね?あれ、ただの外交じゃなくてこの縁談話も含んでるんだ。悪いけど父上も皇子との結婚を認めざるを得ないよ、僕が巧妙に根回ししたんだから間違いない。これから主上にも話す。……残念だけど君の味方はいないよ」
雨月はぎゅっと膝の上で拳を握った。
「私の罪は自分が誰より理解してるつもりです。陽花を忘れて彼女をずっとひとり苦しめていた事を思うと、自分を殺してやりたいほど許せない。あまりにも遅かった。……でも遅すぎたとは思いません。早く出会えたからこそ今一緒にいられるのだと、陽花が言ってくれたんです」
曹家の近くの川辺で、彼女はそう言ってくれた。
あんなに素晴らしい人が、死んだ自分をずっと忘れずにいてくれた。
雨月は「失礼します」と言って頭を下げ、立ち上がった。
「どこにいくんだい?」
「縁談を止めてきます」
「君は馬鹿なのか?西州まで馬を飛ばしても五日かかる。西国との会談は三日後だ。……まあ、参加できたとしても何もできやしないけどね。それと先に言っておくよ。会談で皇子との結婚が決まったら、陽花に君を会わせるわけにはいかない。今のうちに別れ話でもしておいたほうがいい」
飛龍の皮肉な笑い声を後に、雨月は駆け出していた。
***
誰かがわたしを起こしているのを感じた。
「……か。……ようか、陽花!」
ぼんやりと目を開けると、血相を変えた雨月さまがわたしを見下ろしていた。びっくりして起き上がろうとすると頭痛がして、わたしは「うっ」と声を漏らす。雨月さまが体を支えてくれた。
段々と記憶が戻ってくる。今朝お兄さまに衝撃の縁談話を聞いたわたしは、そのあとすぐに気を失った?
『曹雨月には僕から話す。陽花、おまえは何もするな』
それがお兄さまから聞いた最後の言葉だった。おそらく飛龍お兄さまは朝食に睡眠薬でも仕込んだのだろう。
「……薬を飲まされたようですね」
「う、雨月さま、お兄さまは?お兄さまには会った!?」
「会いましたよ。……あなたの縁談の事も聞きました」
それを聞いてわたしは愕然とした。どこからどう見ても完璧な縁談。わたしたちの結婚に賛成していたお父さまも認めざるを得ないかもしれない状況。
わたしは俯いて彼の顔が見れなかった。雨月さまはどう思ったのか、これからどうしようと思っているのか、聞くのが怖い。
「主上にはちゃんと断ってきたので、今からぶち壊してきますね」
「……え?」
わたしは雨月さまらしからぬ物騒な物言いに顔を上げた。
「ぶ、ぶち壊すって」
「もちろんあなたと第六皇子の縁談ですよ」
「……」
会談は三日後だと言っていたが、今はもう夕方だ。すぐに出発したところで会談には絶対に間に合わない。
わたしは雨月さまの腕を掴んだ。もうこれしかないわ!
「こうなったら、駆け落ちしましょ」
雨月さまは目を大きく開いた。何を今さら、こっちはちゃんとこんな時のために馬にも乗れるよう準備してきた。
わたしは強く頷いたけれど、そんなわたしに彼は優しく笑って首を振った。
「いいえ、前に言いましたよね?あなたに家族は捨てさせないって」
「……っ、でも」
離れたくない。
もう二度とこんな気持ちになることはないと思っていたのに、またもやわたしの心は悲しみで押しつぶされそうだ。彼を失った十年前と、彼に裏切られたと思い込んだ時のように。
雨月さまはゆっくりと大きな手でわたしの涙を拭うと、そのままわたしを広い胸に力一杯抱き込んだ。わたしは彼の匂いに包まれて、幸せで、もう涙が止まらない。
お願い、もうどこにもいかないで!
「どこにもいきませんよ。必ず縁談は止めて帰ってきます」
止められなかったら、わたしはもう二度と雨月さまには会えない。飛龍お兄さまや周家が本気を出せば確実に引き離され、皇子と結婚させられる。
雨月さまに再会する前は、こんな風に家のための縁談話が来る可能性も十分に考えていた。でもわたしは何があっても誰とも結婚しないと決めていたので、わたしの幸せを一番に考えてくれる家族には「家にいたい」と言い続けた。
だからおそらく飛龍お兄さまが皇子との結婚を急にまとめたのは、わたしが雨月さまと結婚する話を聞いた後だろう。雨月さまと結婚させるくらいなら、周家に利がある西国皇族との婚姻を優先させた。
やっぱり行って欲しくない。そばにいてほしい。不安に押しつぶされそうで、きゅっと彼の背中にまわした腕に力を込めたら、雨月さまに苦しいほど抱きしめられた。
「大丈夫、俺があなたを諦めるなんてあり得ません。一生そばにいます。だから行くんです」
「でも」
「俺が信じられませんか?」
その言葉に、彼の肩に埋めていた顔を上げて彼を見た。
雨雲のような瞳と見つめ合う。
「言いましたよね、立派になったらあなたをお嫁にしたいって。きっと俺がこの先も本当に陽花を守れるか、試されてるんだと思います」
「ま、前向きすぎるわ……。もう十分立派じゃない!わたしは、わたしはこんな事もういや。わたしと結婚するために雨月さまばかりが苦労する。主上にわたしたちの関係を話した時もあなたに任せて、また今回も……。いつもわたしのせいで、あなたにばかり苦労させてるのよ!」
そう言うと、雨月さまは意外な顔をして、小さく笑った。
「苦労だなんて、考えた事もなかったな」
「……え?」
「陽花と一緒にいるためなら、こんなこと苦労でもなんでもないですよ」
そう言っていつもの穏やかな顔で笑うと、わたしの額にこつんと自分の額を当てた。
「少しの間、俺を待っててくれますか?」
熱を帯びた灰色がかった瞳がすぐ近くにある。頬に残った涙の後に優しく指が這った。
「うん……」
わたしの声はすぐにかき消され、唇が重なる。
けれどいつもみたいに長くなることはなくて。
雨月さまはさっと身を離すと、わたしの顔を見ることもなく、急いで部屋を出て行った。




