41. 雨月の真実
「お、おい雨月!」
自分が、帝相手にとんでもなく無礼なことをしている自覚はある。
けれどいてもたってもいられず、かろうじて「失礼致します」と雲海帝に頭を下げ、雨月はすぐに執務室を出て走り出した。
『もう、いいんです』
それが陽花の最後の言葉だった。やっぱり彼女は雨月の正体が、かつて彼女が「雨」と名づけてくれた男だと気づいていた。
あの雨の日、陽花を庇って崖から転落したが、川の下流にある曹家に助けられずっと生きていた。
曹家に助けられた時、雨月は記憶を失っていた。日常生活に必要なことや文字は読め、なぜか勉強しないとわからないような難しい知識も少しずつ思い出していた。
父は、きっと雨月は裕福な家の子供だったのだろうと言って、いつか記憶が戻った時に困るかもしれないからと勉強をつけた。
その後すぐに官吏になりたいと思った。なにも思い出せないが、官吏になり、強くなる。その想いが頭を離れなった。
助けられて二年経った頃、父の都合で一緒に都に来た。その時、見慣れた場所を見つけて、ようやく自分が誰だったのかを思い出した。
そして実の父がやっていた商売はうまくいかなくなり、父が母と三人の子を道連れに自ら命を絶っていたことを知った。
家族が死んだことを知っても、少しも悲しくなかった。この家にいた頃、自分がずっと使用人のような扱いを受けていたことを思い出した。
川に落ちた事故の記憶は思い出せなかったが、自分の不注意で落ちたのか、もしかしたら自分を邪魔に思っていた家族の誰かに突き落とされたのかもしれない。
今となっては知る由もないし思い出したくもないと思った。
雨月はそのまま科挙を受け、十六歳で官吏になった。
どうして思い出さなくていいなんて思ったんだ!
大切なことは全て忘れていたのに!
どういうわけか、雨月は陽花と出会って崖から落ちたところまでの記憶が抜け落ちていた。そういえば、なぜ自分にはもとの家族の元では知るはずもなかった知識があったのか、なぜこんなにも官吏になりたいと願うのか、わからなかったのに考えもしなかった。
夢をかなえて、帝の側近にまでなれた。帝に腕を買われるほど知略と剣の才もある。だが、心の渇きは満たされなかった。渇いていたことにさえ気づかなかった、彼女に再会するまでは。
お願いだから、もういいなんて言わないでくれ!
心がはりさけそうだ。でも一番傷ついていたのは彼女だ。優しい人だから、ずっと「雨」を死なせたと思い込み、十年も後悔していたんだろう。
その男が目の前に生きて現れた。衝撃だったに違いない。一度は将来を誓い合った相手に帝の妻になってほしいと頼まれ、体の不調を訴えられてまで嫌われた。結果的に、死んでなお十年も思い続けた相手に、裏切られたと思ったはずだ。
『わたしには子供の頃から好きな人がいます。今もその人のことが好きなんです』
『その人は残念ながら事故で亡くなりました。でもわたしはその人のことが忘れられず、いつまで経っても忘れられず、決めたんです。一生誰とも結婚はしないと』
こんな時に、陽花と再会した時の都合の良い言葉が頭にうかぶ。自分はなんてひどい男なのだろう。陽花はずっと「雨」が死んだ後も想い続けてくれたのに、雨月は思い出すのに時間がかかりすぎた。
彼女は生きる希望そのものだったから、官吏になって出世したって満たされないに決まっていた。
ようやく光を取り戻したのにこの手から逃してしまうなんて。
私用で悪いが、緊急事態なので宮廷の馬を借りる。厩番を急がせて馬の用意をさせる。
陽花は旅に出ると言ったが、旅支度だってある。まずは周家に戻るはずだ。もし既に旅立った後でも後を追えるように、馬車ではなく馬で行く。
はやる気持ちが抑えられず、がんっと厩の壁を叩いたその時。
「曹雨月殿」
女の声が聞こえた。
振り向くと、そこにいたのは陽花の侍女の、翠玉だった。




