第2話 イカロス
テレパシーの空はいつだって夜だ。
私がそう設定したから。
デフォルトは時間変化だけど、それだと移り変わる時間に処理が重くなる。
紺碧の空を駆け巡るのは気持ちいい。
一瞬たりとも減速したくない。
私は加速して高度を上げ、身を翻した。
全身に風を浴びる。
現実世界ならすごいGなんだろうな。
仮想世界ではずっと体は軽い。
見覚えのある黒ずくめの少年が見えた。
「クロ!」
呼びかけて隣に並ぶ。
「また飛んでるの」
この少年、クロもよく飛んでいる。
「イカロスだって」
「私は飛ぶのが目的だから」
「だったね」
どこに行くのか聞きたかったが、クロは速度を上げていってしまった。
追いかけるほどではない。
多分アオイのところだから。
私はビルの狭間を急降下した。
◇
ぐんぐん近づく地面にスリルを味わっていた時、急にスピードが落ちるのを感じた。
ブレーキ処理ではない。
脳裏に閃く。
――弧を描く目と口元。
――「なんでもいいよ」
――「うん」
――『なんでもいいよ』はダメだった?
Busy
◇
「え」
私は地面にぶつかった。
「うわー失敗……」
身を起こす。
通行人が避けて通っていく。
「www」
チャット欄に表示された文字列に舌打ちする。
私のことじゃないかもしれないけど。
外部通話の着信通知。
お母さんだ。
「なに?」
「戻ってきて」
「なんで?」
「あなた三日も寝てたの」
「三日?」
「とにかく戻ってきて」
通話は切れた。
三日?
私が?
とにかく戻ることにした。
ログアウト
暗闇
◇
目を開けると見慣れない白い天井が目に入った。
声を出そうとしたが、喉が張り付いていた。
「すずちゃん」
お母さんだ。
顔を向けると、その目が潤んでいた。
「何……」
かなり頑張って出した声は低く掠れていた。
点滴の袋がぶら下がっており、伸びたチューブは私の腕に繋がっていた。
耳の後ろが熱い。
ユニットが発熱している。
看護師さんもいた。
「順番に先生が来ますからね。寝ていてくださいね」
看護師さんはそう言って、私の指を挟むものに触れてカーテンの隙間から出ていった。
手を挙げる。
「指のそれ、外さないでね」
お母さんは続けた。
「三日もずっとダイブしてたの。呼びかけても起きないし、通話も繋がらなかったんだから」
頭がぼんやりとしていた。
体も動かす気になれない。
「運営に聞いても問題ありません、待ってくださいの一点張りで……」
お母さんは私の頭を撫でた。
「とにかく良かった……」
外部ユニットはまだ熱を帯びている。
こんなに熱くなったのは初めてだ。
何があったんだろう。
「しばらくダイブはやめてね」
お母さんの言葉に私は目を瞑った。
◇
後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔
後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔
後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔
なぜ、あんな目にあったのだろう?
混乱。
◇
私はハッとして目を見開いた。
暗い天井。
なんだ今の。
私の記憶とは別の記憶がある気がする。
点滴は抜かれていた。
体を起こす。
頭痛がした。
喉が渇いている。
横を見ると、サイドテーブルに冷蔵庫があった。
ベッドを降りて覗いてみると、ペットボトルの麦茶があった。
ありがたくいただく。
冷たい麦茶が全身の隅々まで行き渡っていくのを感じた。
「ふう」
さっき感じた記憶は薄れていた。
なんだったんだろう。
私はベッドに座ってぼんやりと仕切りのカーテンを眺めた。
◇
次の日、私は退院した。
一日休んで学校に行った。
「おはよーすず」
「おはよ、紗良」
「ニュース見た?」
紗良は長いウェーブのかかった髪を揺らしながらスマホの画面を見せてきた。
「大規模不正アクセス事件?」
「脳端末がたくさん巻き込まれたんだって」
「ふうん」
「すずも巻き込まれたんでしょ?」
「えっ」
「えっ……知らなかったの?」
紗良が目を丸くする。
「ニュース見てなかったから」
「ええー……じゃあ記事を読んでみなよ」
私は紗良からスマホを受け取った。
「大量ビジー? へえ。詳しいことは調査中か……。つまり私が不正アクセスされてたってこと?」
「そうそう」
「……ふむ」
私は病院で感じた別の記憶のことを思い出していた。
あれが不正アクセスだった?
「……大丈夫?」
紗良が顔を覗き込んできた。
茶色の瞳と目が合う。
小さなピンクの唇が窄まっている。
「うん」
紗良の唇がキュっと引き伸ばされた。
「調子が悪くなったらすぐ言うんだよ?」
「ありがとう。荷物片付けるね」
私が言うと、紗良は小首を傾げて席に戻っていった。
不正アクセスされてビジーになった。
そのせいで、私は飛行に失敗したのか。
私のものでない記憶を引っ張り出しながら、私は自分の席に向かった。




