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同居人は異世界人  作者: 紫芋
1章

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7話 矯正の時間

 シルティア・フォン・ユーベルアインは無念にも三崎浩司宅へと強制帰還させられてから翌日の朝。


 一向に治る気配のない腹部の傷を庇うように手で抑えた状態で自宅を出た後、浩司の行方を探して街を宛もなく探していた。


 自身の命が少年の命と連結している為、殺害されたという事態はない事は解るが、何時それが現実になるかは自分の預かり知らぬ事であり、相手次第である事には何も変わりない。


「待っていてくれ。コージ⋯⋯。すぐに向かう⋯⋯」


 既に、傷口は塞がっている。それに関わらず、脇腹は未だに痛みを発生させて、抉られたような感覚が残り続いている中、シルティアの脚は動く。


 人目に付きづらいようにと、建築物の屋上から屋上へと飛び移る様は華麗であり、紅の髪を隠す様子もなく、装備を着けたままの状態である。


 恐怖心と不安感は胸の高鳴りを刻み、痛みは共に過ごす者を蝕むという緊張感と見つからないという焦燥感は視線を四方八方へと移していき、奥歯を噛ませていく。


 根拠もアテも情報もないシルティアのガムシャラで無鉄砲でいい加減なる少年の捜索は実に六時間に渡って行われた。

 自宅近辺から隣街付近までの探索による疲労は、彼女の体力が戻りきっていない事を意味しており、焦りによる余分な動きが目立つ事を証左していた。


(何を焦っているのだ、私は⋯⋯。攫った相手がリディナ・ウーバンならば、交渉の余地はある筈だ。あの妖精人エルフがコージを殺す想像が付かないというのに⋯⋯)


 二つの疑問が巡っていた。


 その疑問は、誰かに言えば憚られるかもしれない、そんな疑問で、瞳を閉じて考える猶予は刻一刻と流れる時間が許さない。


 太陽は既に傾き掛かった頃、日本の初夏がシルティアの体温を上げて、汗を流させる。

 手拭いの類いは無く、建物の上で直射される日光を日傘もなく立ち竦んでしまっている彼女の真後ろで唐突に足音が鳴った。


 振り返りと同時に、右手を伸ばした彼女は剣を握り締めて振り切ってやろうと、身体を右回転させる。


 左へと剣先が伸びると共に、何も斬れていないという握った手の感触。

 視線は足音を鳴らした者の正体へと向けて、怒気を露わにして叫んだ。


「っ!⋯⋯リディナ!よくこうも簡単に顔を出せたものだッ!コージは何処だ!」


 結ぶ事もしていない腰辺りまで伸びている金髪と日差しが照らす宝石のような青の瞳は細まっていき、引きこもりでもそうそうない程に綺麗で白い肌は夕暮れ時に近い太陽の光を浴びているリディナ・ウーバンは鼻で笑う。


 嘲笑の意を込めて。


「焦ってるね⋯⋯。生命の繋がり(ライフ・ライン)だけじゃ、やっぱり心配なんだ?」


「貴様には関係ない。コージが無事ならそれで良い」


 赤と金の装飾が施された剣先はリディナへと向けられるも、疲労と焦りは彼女の重心を少し右へとズレている状態であり、暑さによる発汗はシルティアの体力を今尚奪い続けている。


「無事なわけ無いよ」


「なに?!貴様何かしたのか?」


「私じゃなくて、貴女の不注意、無責任、無確認の賜り物だね。可哀想に、寝てる間もうなされてた。あんな相手、貴女ならその気なれば簡単に勝てるのに、手を抜いた。なんで?」


「⋯⋯それは」


 所詮は傭兵崩れ。神造器アーティファクトがあろうと、使用者が優秀でなければ所詮はそれまでであり、多少の癖やギミックがあろうと、シルティアの閃光とも思える迅速なる速度スピードと戦闘経験、剣の性能を鑑みれば、歴然であり、圧倒なのは必然的であった。


 けれど、結果は大きく変わって、腹部に付けられた傷に遊んでるとしか思えない手の抜き加減はリディナに確かな困惑と苛つきを覚えさせて、溜め息すら吐かせてしまう始末。


 そして今、その答えが、未だに本人の口から出ない事でリディナは呆れ返ってしまう。


「あの子の事を忘れてたんでしょ?だから、何時もみたいに動きを一度全て読んでから攻めようとしたとかでしょ?単細胞はこれだから困る。貴女に預けてたら、本当に死ぬかもしれないね」


「だからといって、貴様に預けるという選択肢もおかしな話だ。わざわざ茶化す為だけにここに来たのか?それとも、私に斬られに来たのか?どちらを取る。言え」


「共闘しに来た」


 淡々と言うリディナに対して、間抜けに口が開かれたシルティアは瞼を閉じて、大きく息を吸い、吐いた。


 何時もの彼女ならば絶対に言わない言葉であり、本人なりに多少は彼女の事を知っているからこそ、呆れた視線を送り、握り部分を両手で強く掴み直して、目を見開く。


「⋯⋯戯言か?憚り事なら他所でやれ。私は貴様の冗談に付き合ってる暇はないッ!」


 左脚が一歩進むと共に、屋上に広がる黒にも似た灰色のタイルが砕けていく。


 魔力による身体強化が齎した勢いは一瞬でリディナの近くまで身体を運び、タイルスレスレの剣先はリディナの右脇腹から左肩へと斜めに軌道を描いて斬ろうと進んだ。


 遅い。そう感じてならないリディナは腹部に来る予定の剣身を視線でバッチリと捉えて、剣を振っている彼女の右側へと回り込むように身体を動かしていく。


 数歩分の回避の後、脚を大きく踏み込んで屋上の手すりへと飛び移ったリディナは片脚を丸みを帯びた手すりに、もう片方を宙ぶらりんとさせながら、焦った様子で両手を叩いた。


 密着させた掌は離される。


 すると左掌にリディナの故郷で受け取った大樹の枝と現在では生成不能の特殊合金で製造された弓が現れた。


 リディナがこれまでの困難を乗り越えて来れた存在にして、唯一無二の相棒であると同時に、神造器アーティファクトでもある。


 上部にある末弭うらはずには翡翠色の布が巻き付けられており、全体的に茶色と白が縦で交互に並んだ配色がされている二百二十センチメートル程度の長さをしたその弓を手に取るリディナは語気を強めて、目を疑う。


「ちょっと⋯⋯。なんで斬ろうとするの?本当に馬鹿になったの?ねぇ?⋯⋯本当──にッ!」


 更に剣がリディナの身体を一刀両断しようと剣身が迫る。


 手すりが僅かに傾く程の脚力で跳び、大きく身体を翻したリディナは、薄緑色の魔力で構成された矢を右手で摘み、標準をシルティアへと合わせて、矢を離す。

 標的へと一直線に薄緑色の矢は走る、疾る。


 剣はそんな矢を振り上げるようにして叩き斬り、未だに上空に身体を預けているリディナの方へと視線を向けると、第二、第三の矢が同時にシルティアの元へと迫りつつあった。


 第二の矢は小さく、後方にある第三の矢と比較しても第二の矢が包み込まれてしまうのではないかと、見間違えそうになる程の大きさの違いと、それによる矢の距離間の掴みづらさにシルティアは微かに苦い顔をする。


 無意識のうちに取った選択は、剣に魔力を込めて斬撃を飛ばして矢を蹴散らす事であり、急かすように、握った両手から紅の魔力は剣へと流れ込み、振り上げていた剣を今度は下へと振り斬るようにして、矢を弾いた。


 アクロバティックな動きで宙を舞い、着地したリディナは僅かにシルティアを見て、微笑む。

 まだ、何かがある。そう警戒したシルティアが左右を見回した時、真上から左肩へと矢が刺さる。


 刺さったと理解してから痛みが発生し、思わず抜こうとするシルティアの隙を走り出したリディナが蹴り込みを入れて、強い衝撃が舞い込んで、後方へと流されるように吹き飛んだ。


「うあぁぁッ!」


「随分、疲れてる?もしかして今日一日、歩き回ってた?」


 シルティアの『魔力の感知』が明らかに脆弱で、集中力も散漫な状態が続いていると確信を持ったリディナが煽るように言う。


「⋯⋯黙れ!」


『魔力の感知』は程度によるものの、魔力を体外へと放出した際に残る残滓を正しく視る、識別する、感じ取る技能であり、魔力を行使する者であり、戦争続きの異世界では必需な技能であった。


 シルティアとて、その技能は持っており、リディナと比べても見える範囲、感じ取る直感は確かだったのだが、第二、第三の矢を放つ前に撃っておいた矢に気付かず、フラついた剣の振り切り方は空を斬るというよりも空を叩くに近く、繊細さの欠片は微塵も無く、挙句に慌てた様子で矢を引き抜こうとして蹴りを入れられる始末であり、後手後手となっている。


「そうなんだ、分かりやすいね。貴女がそんなに焦ってるのは何故?」


 壁に叩き付けられて座り込むようにして倒れたシルティアを睨むように見つめるリディナは彼女の右手に持っている剣を大振りの蹴りで弾き飛ばし、右手で作った薄緑色の矢の形状をした魔力をシルティアの首筋に触れるギリギリまで近付ける。


 鏃は小指側で、どう考えても突き刺す気満々なその握り方。だが、握っているリディナ本人は僅かに震えていた。


「貴女、死ぬのが怖いんでしょ?」


「⋯⋯。貴様は──違うと、言いたいのかッ!」


 矢を握った手が震えている事はシルティアから見ても明らかであった。


 リディナの攻撃には圧はあっても威力がなく、壁へと叩き付けられたシルティアも殆どダメージがない状態である。

 困惑と疑問は積まれていくシルティアは自身の中にある疑問すら解消が出来ていない中、淡々と増えていくモヤつきは身体の痛みよりも心に乗った重みで力が抜けていそうになっていた。


 一方のリディナは違う。

 多少の迷いはあるにしても、それはそれとして割り切れるある種のドライとも捉えられるその性格は彼女の最大の特徴であり、シルティアとは違いやると言ったらやる妖精人エルフである。


「私も死ぬのは嫌。けど、自分で決めたやり方で、状況で死ぬならまだマシ。貴女は自分で決めた癖に怖がってる。違う?」


「違う!確かに死ぬのは恐ろしいが、それだけで焦るものか!」


 首筋に当てられそうになっている矢をシルティアの手が弾く。


 引っ張叩いたように見えるその光景、リディナが露骨に不機嫌な表情を見せてそれはより一層濃く感じるようになる。


 シルティアの白い衣を掴み、打ち付けられた壁とは反対の開けた場所へと投げ飛ばされた後、大きく溜め息を零したリディナは心底失望したような顔を見せた。


 そんな彼女の表情に戸惑いが隠せないシルティアは徐ろに立ち上がり、脱力しかかった身体を奮い立たせる。


 小さく、小言のように呟く。それは聞こえないようにするものではなく、呆れ果てて思わず漏れたような儚げな声色。


「見栄っ張りにしか、聞こえない。⋯⋯もういい、やっつける」


 リディナの神造器アーティファクトを持つ手を変えて、上へと掲げる。


 靡く翡翠色の布は怪しく揺れ、皺が太陽の光でくっきりと示される中、シルティアは身構えるように剣を握って、腰を低くした。


「【靱やかなる一縷の糸よ。反逆の時は来た。さぁ、希望を掲げるは木漏れ日と共にあれ。陽光よ(サャーン・)反旗の糸と共に(バルフラッチァ)】」


 掲げられた布はさながら義勇軍の如く。

 太陽の息吹きを吸い上げ、翡翠色の布は長く細い糸を編み出した。


 魔力を媒介して練り込まれたその布は太陽の光を行使し、細い糸はリディナの思うがままの手脚として、太陽を囲むように円を作る。


 光は圧縮され、凝縮と構築を繰り返し、絞られた一点はシルティアへと目掛けて穿たれた。


 赤と金の剣はその圧縮された太陽光の光線を跳ね返そうとするように、振られるのだが、右から左へと回すように斬る素振りを見せるシルティアの動きはぎこちなく、錆び付いて動きにくくなったロボットのように太陽の光に圧倒されていく。


 剣身は確かに光を捉えて、斬れる段階まである。


 剣は溶けない。神造器アーティファクトが太陽の光で溶解してしまうのならば、神が造った器とは言われないのだ。


 だが、圧縮された太陽光は人がどうにか出来る程甘いものでもなく、剣は耐えられてもその剣を握っているシルティアの体力はゴリゴリと削れていき、しゃがみこんで歯を食いしばり、苦い顔をする彼女を未だに狙い定めている薄緑色の糸が作る輪っかは、シルティアが手を伸ばそうとも届かない位置と角度にある。


「ぐぅぅぅぅッ〜〜〜!!──何ぃッ!」


 ハッとなったシルティアは疎かとなった足場を見た。


「誰も、貴女なんて狙ってない。狙ったのは、この使われてない建物の床」


 剣との接触は火花を生み出し、徐々に着実に溶けていく屋上の灰色タイルはシルティアの足場としての機能を失わせて、太陽光の圧縮線はシルティアの右耳よりも右に逸れて行き、手すりとその遥か後方にあるマンションの壁を一部溶かしきった。


 足場を失い、下の階へと落とされそうになるシルティアは焦った様子で上を見上げる。


 上を取られてしまえば、やられたい放題。


 蒸し焼き、燻し、灼熱地獄と完全な敗北は目に見えているシルティアは魔力を体内から剣へと送り、その魔法名を叫ぶ。


「このままでは、負けるッ。スカーレ──」


「反応が遅すぎるッ!」


 呆気に取られたシルティア。アドバンテージを捨てて、わざわざ下の階まで降りてきたリディナを唖然とした様子で見てしまい、魔法名を言い終わる前に、左胸当てプレート目掛けて拳が突き出される。


「ッあがァァァ〜〜」


 鉄筋コンクリートの支柱に背中と脚を大きくぶつけて、壁際まで一気に追い込まれて、叩き付けられるシルティア。


 思わず剣はシルティアから離れてしまい、金属音を盛大に鳴らして転がっていく。


 そんな事も視界に収める事は出来ず、項垂れて、紅の髪は床に付き、額は接着しているようにして倒れたシルティアとそんな彼女へとひとっ飛びで追い付き、着地と同時に頭を踏み付けるリディナ。


「前に言った。私は魔法より⋯⋯こっちだって。忘れちゃった?」


 弓は既に手元には無く、右手に拳、左手を広げて、突き合わせるリディナの様子なんてものは誰も見ていない。


 黒のタイツは異様な破れ方をしており、黒のスカートは汚れが目立ち、白の衣は灰色に汚れて清楚は消え去ってしまい、戦に負けた敗者の姿そのものである。


 そんな彼女は唸り声を上げて、踏み付けられる脚を払い除けるように勢いよく頭を上げ、手で振り払い、剣を握ろうと右腕を横へと伸ばした。


「ッ!貴様の馬鹿力ッ⋯⋯。ッふざけ過ぎだ!はぁー!」


 転がっていた剣は瞬間的に手元に来て、構わず握り、膝をつけたまま薙ぎ払うように斬るシルティア。


 だが、当たり前のように後方へとバックステップで避けたリディナとそれを追い掛けるようにガムシャラに振っていく剣は一向に当たらずじまい。


 刺そうと、斬ろうと、振り上げようとも全て空の斬っているのみで、徐々に息を切らし始めたシルティアを見たリディナは呆れ果ててしまう。


「間合いの取り方も足取りも覚束無い貴女に負ける道理がない。それとも、萎縮して力が発揮出来ないの?良いよ。後悔させながら叩くから」


 愉快で拙く、惨めったらしい剣劇ダンスは終わった。


 拳を作り、二度三度、力を入れては抜いてを繰り返していたリディナは徐ろにシルティアへと近付いて行く。


「誰がッ──うぁぁッ!うぅ、がはァ。あぁ⋯⋯」


 腹部へとストレートを決めた後、脚を軽やかに運んで、左肘を顔面へと叩き込み、僅かに跳んだリディナは身体を左回転で後退りしたシルティアに近付いて頭部の頂点目掛けて、拳は振り下ろされた。


 勢いよく倒れたシルティアの足元で着地したリディナはゆっくりと彼女の横へと歩いて、ピクピクと痙攣し始める彼女を冷たい視線で見下ろしながら、脇腹目掛けて蹴り飛ばす。


 絶叫が哭く。

 激痛が迸り、身体は圧倒的な電圧を流し込まれているようにジタバタとしてしまい、握っていた剣は知らぬ間に手放して、それにも気付けない程に、瞼を閉じて、埃と汚れが溜まった床を擦るように脚は動く。


 抑えた脇腹は血が滲み、ようやっと開いた瞼から見えるオレンジ色の眼は苦悶の念が込められており、握ろうとする手は力が入りにくくなっていた。


「言っとくけど、彼にもこの攻撃届いてるよ?」


「⋯⋯⋯⋯うぅ」


「良いの?あの子、今頃転げ回ってる。辛いだろうに。⋯⋯貴女が初めから共闘を是としていれば、苦しまなくて済んだのにね?」


「脅しの⋯⋯つもりかっ!」


「そうだよ?脅しだよ?当然でしょ?」


「貴様ァァァ〜〜っ!ぶごぁぁ。はぁ、はぁ」


 力一杯、振り絞って起き上がろうとするシルティアだったが、叫んだ後、大量の吐血をして、大きく呼吸していく。


 視界がグラつく中、また倒れそうになる身体を手で必死に支えて、意識を保とうとする彼女の目の前までやって来たリディナは近くにある肩を蹴り倒すようにして、シルティアを仰向けにさせた。


「がぁぁッ〜〜!⋯⋯うぅ、はぁ、はぁ」


 完全に負けた。完膚なきまでに叩きのめされたシルティア。


 左胸に当てられたプレートも砕け散り、頭からも血が流れ、腕脚は脱力に身を任せている。


 夕暮れの日差しが紅の髪がさに差し込み、瞼を思わず閉じそうになるも、それを腹部を脚で押し込んだリディナが許さない。


 満足そうにしているその姿も様子も否定するように、捻じ込む勢いで、踏み付ける。


「貴女、分かってない。貴女一人の命じゃないって事の意味を、本当に分かってない」


「な、何?」


 薄れる意識は絶妙なバランスで目覚めていく。


 苦しい表情をするシルティアの胸ぐらを掴み、顔を近づけたリディナは怒気を多分に含んで語る。


「あの子にね、痛覚遮断して、痛みを無くそうか?って言ったの。そうしたら、あの子なんて返したと思う?」


 目を見開いたシルティア。


 内容の意図が掴めないまま、見つめるものの答えが一向に出ない為、勝手に話は進行していく。


「『同じ痛みに耐えられないのは、違う』って、そう言ってた。貴女の甘えた動きのせいなのにね。きっと、痛みに頑張って耐えれば、貴女の戦闘の支障にならないって考えてたんじゃないかな?」


「⋯⋯コージ」


「それに、戦闘たたかいに夢中になって無視した貴女は悪くないって言ってた。自分には足りないものがあるから悪いって言ってた。完全に貴女にしか非はないのにね」


「や、奴はどうなんだ!」


 血反吐を吐き、掠れた声で痛ましく叫ぶシルティアの頬を叩いて、冷笑するリディナ。


 屑を見るように、冷たく見つめる彼女と胸ぐらを掴まれても抵抗すらしないシルティア。


「敵がわざわざ事情なんて察してくれるの?お友達だったりする?違うよね?だったらお優しい考えだよ。【紅閃姫】様は随分と腑抜けでいらっしゃるご様子で、本当に情けない」


【紅閃姫】は国の英雄であり、紅の輝きで自国の平和を守る大胆不敵な姫君。


 その国に生まれた者は誰もが鼓舞を高らかに、喝采は盛大に、武勇は大袈裟にしてしまう。

 そんな彼女に釣られて名乗りを上げて戦死した数は百、二百では済まない。


 国の為にと始めた剣技は誰もを魅了する毒となり、掲げられた旗に示すは忠誠の一途で、攻め立てる軍勢を屠る刃とて先陣を切る彼女は魔性の存在。


 彼女が名乗りを上げれば、意に反して皆が賛同し着いていく。

 そして死ぬ。分かりやすいまでの自殺志願をシルティアは止めない。


 そんな様子を見てきたリディナは今尚、過ちを知らず知らずの内に歩もうとしているシルティアをどう思うのか。


『正真正銘の悪魔』としてしか見ていないのだ。


 悪魔は人を誑かす。人を惑わし、忠実に尽くし、そして、蔑める。


 彼女の言葉で人が動き、彼女の武勇は心躍ると同時に勇気という名の毒を含ませて、国という人が居なくてはならない概念と社会を傘に人を死地へと送る。


 シルティア・フォン・ユーベルアインは自殺志願者製造人間として、今日も誰かを殺そうとするかもしれない。


 だからこそ、三崎浩司に毒牙が向き切る前に矯正したいのだ。

 しなければならないと、あの倉庫で誓い、シルティアの元へと馳せ参じたまでの事。


「それとも、非が認められないの?」


 冷たい視線を続けるリディナに苦い顔を浮かべるシルティア。


 シルティアは気付いていない。三崎浩司が自身をどう思っているのか。

 シルティアは気付いていない。自身の心根にある感情と我儘にも等しい弱音を。


「悪いとは思っている、本当に。がはァ、がはァ。⋯⋯だが、私はどう贖罪したら良いのだ?怪我をさせただけに飽き足らず、心も傷付けてしまった。償いようはあるとでも?」


「あの子はちゃんと向き合おうとしてる。あの子なりにだけど。貴女はそれに対して向き合えてない。誰かの英雄や勇者なんてしてる暇ないよ?」


「⋯⋯そんなつもりはない。ただ、目の前の人を助けようとして──」


「それが向き合えてないの!」


 普段は荒らげない声は盛大に、建物に響き渡っていく。


 溶けて崩れてしまった屋上の床は今尚、熱を持って下に滴り落ちる中、熱気と煙が立ち込める。


「ハッキリ言っとくけど、貴女が死んだら彼も死ぬし、彼が死んだらあの子も死ぬ。この法則は言い方を変えたら、あの子が戦闘の衝撃で打ちどころが悪くて死んじゃっても通用するんだよ?貴女が頭に大きなダメージを受けて、貴女は無事でもあの子がダメージで脳に損傷を負って死んでも、同じ事が言える。そんな状況下で目の前の人なんて庇ってる余裕がある筈がない。貴女はやっぱり単細胞だね」


生命の繋がり(ライフ・ライン)』は【欠陥魔法】と謳われている。


 二人の命を共有する事は一人が毒や暗殺で死ねば自動的に繋がった人間も死ぬからだ。


 王族はおろか、貴族や民草すら名前は聞いて興味が湧いても使う事はない。


 更に、命だけでは飽き足らず痛みも共通して伝播するのだから欠陥と言われてしまえばそれまでで、スパイとして送り込み、繋がった人間が死ねば、そのタイミングを測れるぐらいの使い方しかされていなかったこの魔法は、一般人の子供と勇猛な戦士とでは相性が悪いのだ。


 そして、少年の命を助けるという一助として明け渡した繋がりが返って死地へと追い込んでいる事にシルティアは今ようやく気付く。


「⋯⋯ホント、単細胞。自分の国でチヤホヤされて、実績が無駄にあるばっかりに優先順位を見誤るなんて滑稽だよ。愚かで馬鹿で畜生以下だね?貴女」


「⋯⋯ッ!⋯⋯っ」


 胸ぐらは離された、膝を落として、力なく座り込むシルティアは俯きながら、息を静かに荒らげていく。


「怒らないの?」


「怒ってどうなる?事実、その通りだと打ちのめされた」


 あの日の夜、間違いなく善行で善良な行いを確かにした。

 けれど、その行いが後に良い結果になるかはまた別の話であり、敵との接敵をしなければならない状況下で、一つの見誤りが自分だけでは取り返しの付かない結果に繋がるのだと、悟ったシルティア。


 子供二人を助けた事は間違いなく善なる行為であり、後方に居た人々を守る行動力は褒められる事であると同時に、うつつを抜かして挙句に少年は誘拐されるという始末は否定出来ない。


「焦ってしまった理由が分かった気がするよ。私はてっきり、自分が死ぬのが怖いから焦ってしまったのだと⋯⋯。けど違うのだ」


 小言のように呟くその声はシルティアのみではなく、前に居るリディナにも聞こえている。

 しっかりと聴く為に汚れた地面に座り込み、体育座りでシルティアの真正面に位置した。


「私は、自分で取り返しのつかない事をしてコージが死ぬのが嫌だっただけだ」


 疑問は解消された。焦燥感を大きく駆り立てていた気持ちの解答は存外単純。


 一国の姫君である彼女に失敗は許されず、弱音も惰性も必要とされない時代に生まれた彼女に形成された要素は『完全な存在』である。


 貧困と血と血で洗う世界で生きていく為、王族としての立場と求められた重圧は彼女を立派で勇敢なる騎士さながらの武勇と剣技と功績を残した。


 だが、多くの民、多くの存在に揉まれた環境は優しすぎる彼女には全てが均一であり、不平等と傾きを許さない。


 誰かにとっての特別になれても、誰かを特別に扱えないのが、シルティア・フォン・ユーベルアインであり、リディナが最も嫌う要素である。


 彼女は恩を大事にする存在であり、数すら数えるマメな人物。

 傍から見れば鬱陶しい関係を作ろうとするものの、言い方を変えれば恩があれば贔屓するのだ。


 そんな彼女は知っている。人は平等ではいられない事と、不平等性が時として大切な心を育む事を。

 だから、否定した。否定して、拒絶し畏怖して、嫌悪して、挑んだ。


 けれど、もう必要はない。彼女は今日、この夕暮れ時に、『不平等』を得たのだから。


「そうだ、私は彼に死んで欲しくないんだ⋯⋯」


 表情が歪む。滴り落ちる溶けた床は熱気が引いていき、煙は徐々に晴れていく。


「なんで、声が聞こえなかったんだろうぅ⋯⋯。あの時、なんで、頭の中から抜けてたんだろ⋯⋯。なんでぇ、出来た気になっていたのだ私は⋯⋯⋯⋯」


 リディナは黙って見ているだけだった。彼女の目元に流れる涙を黙々と見つめるのみで、彼女が吐いていく思いの丈をしっかりと心に聞き届けようとする。


「どうして、ちゃんと見なかったんだ私は。どうして見てあげようとしなかったんだ」


 唸り声を上げて、身体を震わせるシルティアの前に立ち、頷いた。


「でも、貴女の事だから帰りたいんでしょ?元の世界には」

 

「⋯⋯あぁ。だが、それと同時にちゃんと、もっと話をしたい。もっと、話をして、仲良くなりたい。私は彼に言われたんだ⋯⋯。友達だって、それなのに、なんで⋯⋯私は⋯⋯」


「なら、会いに行けばいい」


「え?」


 弓を改めてだしたリディナは翡翠色の布に手を当てて、シルティアの方へと向ける。

 瞼を閉じて、ゆっくりと口を開け、静かに謳う。


「【そよぐ木々、癒しの音色は未踏の足枷にはさせぬ為。幾度の穢れ、積み重なる轍を踏み抜いて、その汚れが純白となるまで私は謳おう。木漏れ日に揺蕩う傷を置いていけ。さぁ、その身を預けて癒しを綴れ。翡翠(ティソート)の癒風(・ファクサー)】」


「な?!」


 一つの大木がシルティアの背後から現れて、何処からともなく涼しい風が吹き込む。

 シルティアを包み、紅の神が靡くよう吹きだした風は擦り傷、打撲傷、刺し傷といった損傷部分を浮き彫りにするように風が上空に運び、薄緑色の塵へと変えていく。


 シルティアの右脇腹にあった傷は最後に残り、頑固で粘りのある貼り紙のように身体に付いていたが、数秒して剥がれるようにシルティアの頭上へと昇り、塵へと変化した。


「身体の傷が⋯⋯、無くなった。まさか、驚いたな。傷という概念そのものに作用する魔法があろうとは⋯⋯」


 本来、傷は物体として現れない。宙には浮かなければ、負った人物からは離れる筈がないのだが、【翡翠(ティソート)の癒風(・ファクサー)】はあらゆる傷を物体化、具現化して、『傷』という概念そのものとしてカウントし、それを浮き彫りさせ、風で舞い上がらせて、塵にする魔法である。


 彼女がどんなに適当な性格で、どんなに覚えた魔法の数が一般的な妖精人エルフと比べて少なくても、この魔法だけは彼女の専売特許の一つであり、無類の治癒能力と一本につき複数人治せる効果があり、非常に重宝されている魔法なのだ。


「ぶい。私、妖精人エルフの中では魔法、下手だけど、これだけは褒められたから、自慢の一品」


 当然、それを分かっている彼女は静かに手を前にやり、ブイサインを作って自慢する。


 けれど、弱点もあるのだ。


 シルティアの後ろにある大木は人為的に伐採しなければ撤去されないという事であり、これが理由で今現在も、家電量販店では四本程、店内に木が生えたままなのである。


「私の傷は食事ではない⋯⋯。まぁいい、礼を言うリディナ。おかげで全快だ」


「良いよ。許してあげる。早く行こ。あのよく分からない人が来ても私が相手取るから」


 警戒すべきはシルティアの命を狙うフォルグッド・カーマルバインただ一人。


 矢による遠距離からの射撃というアドバンテージを活かしての搦め手で接敵するつもりで意気込むリディナと彼女の背中を追い掛けるように屋上へとひとっ飛びで着地したシルティア。


 浩司を監禁している倉庫がある方角へと身体を向けて二人を会わせようとリディナが脚を踏み込もうとした時。

 シルティアが右上腕部を抑えながら蹲ってしまってしまう。


「え?!」


「ま、まさか⋯⋯コージに何か?!」


 急に走った痛みに耐えるように顰めっ面をするシルティアは立ち上がり、それを見届けたリディナはシルティアから視線を外して手すりに脚を掛けた。


「急ぐよ」


 そして、彼女は目の前にある建物の屋上へと飛び移り、駆け足気味に海岸がある隣街へと脚を動かしていた。


 そう、途中までは。


「⋯⋯あ、どうしよう」


「どうしたのだ?!⋯⋯なんだ?早く言え!」


 右手を脱力させた状態でリディナの後を追っていたシルティア。


 そんな彼女も唐突に前の人物エルフが停止して、呆気に取られたような声を出して、微動だにしなくなれば多少の苛つきがあっても責められる事はないだろう。


 ぎこちなく顔をシルティアの方へと向けて申し訳なさそうな表情を見せるリディナは正直に告白した。


「⋯⋯私、監禁してた倉庫の鍵、開けっ放しなんだよね⋯⋯」


「は?⋯⋯え?お前、何を?え?」


 理解不能といった具合に言葉が出ないシルティアだが、そんな彼女を手助けでもするようにリディナは更に補足情報として言葉を紡いだ。


「だから、貴女と共闘する前提で動いて、すぐ戻るつもりだったんだけど、彼をこのままも可哀想かなって思って、鎖も巻かずに扉の鍵を掛けないでここに来ちゃって⋯⋯」


「つ、つまり、コージはお前が閉じ込めた倉庫から出てる可能性があると?」


「う、うん⋯⋯」


「馬鹿者!監禁したなら、閉じ込めとけ!」


「ひ、酷いッ!どっちが監禁した側か分からないぐらいには酷い言い草⋯⋯」


「ほら、前を走れ!行くぞッ!待ってろ、コージッ!」


 背中を押すようにしてリディナを前へと突き出して、駆け出したシルティア。


 苦悶の表情をするリディナには一瞥もせず、建物と建物を飛び越えて行き、二人は倉庫までの道のりを大幅なショートカットをしつつ向かうのであった。


 そんな光景を近くにある大きなビルの一室で眺める男は口角を大きく上げて、笑むのである。


 それは見世物を見ているように、大好物な食べ物が皿に乗って興奮するように、高揚感と胸の高鳴りを嘘偽りの一片もない様子で、遠くなる二人を見つめていた。


「クライチェル。済まないが、急用が出来た。すぐ戻れると思うが、一応だ」


「畏まりましたミスター・バイザー」


「はぁぁぁぁぁ〜、待ってろよ〜シルティア・フォン・ユーベルアインンン〜〜。お前の華々しい戦果を私自らの肉眼で見届けようではないかぁぁぁ〜」


 徐ろに廊下へと出たバイザーは扉が閉まると同時に駆け出した。


 社員はまだ居て、異様な光景として映る事を躊躇わず、ひたすらに紅の姫君目掛けて駆け出したのだった。


「はぁ〜、子供みたいですね⋯⋯」


 クライチェルの小さな文句は誰にも聞こえないように、ひっそりと、淡々と。


 資料の整理と見積もりで忙しい中、ひたすらにパソコンのモニターと睨めっこの時間が始まるのであった。


次回、一章終わり

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