1話 ワイバーンが来た!
僕、三崎浩史、十六歳で普通の高校に通っている『元・平凡』な人間なのですが、現在、絶賛困っているものの、助けは意地でも呼ばないと心に決めました。
何に困っているのか?それは同居人の女性の替えの服が無いことにあり、男性の僕が女性用の服を持っていない為に起こった問題でもある。
いや、普通は持ってないんだけど。
同居人の彼女、シルティア・フォン・ユーベルアインの防具は僕の知る限りでは昨夜の時点では、左胸に当てられたプレートは砕け散ってしまい、羽織っていた白の衣は破れて、赤色のインナーが全面に出ていて、黒のスカートとタイツもボロ屑同然だったのだ。
それが、朝目覚めて様子を確認しに行くと、見窄らしい格好は嘘のようであり、全てが元通りとなっていて、髪も昨日同様に後ろ髪を白い髪ヒモで括られており、毅然と朝の挨拶を返してくれたのだ。
当然、その事を言及する訳で紅色の髪のシルティアに問うと。
「驚かしてすまない。魔力が戻ったので修復したんだ」
そう言う彼女は朗らかな笑顔で答えてくれたのだ。
けれど、僕は別の事に着目していた。
「寝間着ないの?」
「あると思うのか?」
まぁ、分かっていた事だ。昨日の深夜帯にようやく彼女の使う部屋を綺麗にしてそのまま、おやすみなさいをした訳なのだが、思い返せば鞄の類もなければ、買い物をしていた形跡もない。
結果としては、ボロボロの戦闘服で彼女は寝ていた事になる。
この世界にはコスプレや企業案件といった要素で中世の騎士の格好をしたり、フィクションのキャラクターの振る舞いをする者は確かに居るが、フィクションだと割り切っているからこそ楽しめる行事だ。
反対に彼女の世界はゴリッゴリのファンタジー世界らしく、魔法有り、剣や槍での交戦は当たり前。
籠城戦や戦線維持の為の防衛戦に大将首を斬る為の進軍もある。
つまり、僕ならばゲロを吐くだけでは済まない事柄がわんさか溢れている世界という事だ。
そんな中、第二王女殿下たる彼女は煌びやかな社交界のパーティから血生臭い戦場と股に掛ける日々が続くと、当然衣服の着替えに時間を取られるのが癪になっていく訳で、そういう理由から首飾りのロケットペンダントに魔法を付与して、衣服を自由に一着分のみ着脱を可能としたのだと言う。
けれど、彼女は戦場へ出向く事の方が多かった為に、その魔法に付与したのは僕もよく知る戦闘服であり、今もそれを継続している。
ではこのまま僕と彼女が外出してしまうとどうなるか?
コスプレを着たお姉さんを連れ回しているヤバイ男として名を馳せる事となってしまうという訳だ。
いっその事、僕もコスプレをして均等性を保ってやろうかとも考えたのだが、どの道途中で日和るのは目に見えている。
「てなわけで、行こう。ショッピングへ!」
拳を作り、確固たる意志があるように見せる僕に対して、彼女は違う。
「私はこのままでも構わないぞ?」
敷布団を綺麗に畳み終えたシルティアが申し訳なさそうに言うけれど、僕の意向は揺るがなかった。
女性が衣服一着っていうのも私観ながらに可哀想にも思えてしまった僕の配慮──いや、多分違う。
純粋に見たいのだ。綺麗な女性が着るファッションって奴を。
けれど、それをそのまま伝えてしまっては多分不貞腐れてしまうか邪推されてしまうかでロクな結果には繋がらないだろう。
僕は昨日と同様に、どうでも良い事に思考が回った。
「いや、駄目でしょ?アンタ、風呂に入った後に臭い戦闘服着るのかよ」
「ん⋯⋯。それは確かにそうだが⋯⋯。私としては君に迷惑を掛ける訳にはいかない。我慢出来る事なら、それに越したことはないと思うのだが⋯⋯」
「同居人が一生同じ服っていうのもなんかヤダ」
「君の感性の問題なのか?!」
彼女は優しく、誠実であり、美人さんでありながら僕の数百倍は強い人物だ。
そんな彼女だからなのか、それとも何かしらの理由があるからなのか、全く折れてくれない。
考える素振りを僕はしない。オレンジ色の瞳は依然として申し訳なさそうな念が詰まっているが、僕は最後には喜んで貰える提案をしているのだ。
罪悪感などは全く無い。
「それに、お風呂上がりにさっぱりとしたいでしょ?ボロボロの衣服で『はぁ〜、いいお湯だった〜』なーんて言われたら、僕は悲しくなるよ」
「確かに分かるさ。言ってる事も納得も出来る。けど──」
「よーし行こー」
「この服装のまま行くのかい?」
「僕のジャージ貸すよ。目立ちたくないならパーカーか帽子のどっちか被って貰うけど」
流石に身長という面では僕は彼女よりも勝っているので、そこそこあるその胸も入り切るだろう。
問題は彼女が僕の衣服を借りるという選択肢を跳ね除けた場合、本気で僕が買って来なければならないという事だ。
サイズも知らず、好きな色も知らなければ、ファッションセンスが平凡程度で止まっている僕に全てを委ねてしまえば、最初の内は喜んでくれる彼女も次第に違和感に気づくだろう。
折角の美人さんなのに、見窄らしい格好だけじゃなくて、もっと綺麗な格好を自慢して欲しいのだ。
単に、僕の無駄なお節介だ。
「君、几帳面な性格って言われないか?」
「いえ、ズボラでだらしないアホの三崎と学校で言われてますよ?」
「え⋯⋯」
僕はこの日、初めて彼女の素っ頓狂な表情を見て、思わず口元が緩んでしまった。
そんな彼女は文句を言う事もなく、僕の部屋に来て、着る予定の衣服を借りようとするのだが、上に羽織っている白い衣の上に黒色のジャージを羽織ろうとしているのだ。
「シルティア、脱げば?それ」
季節を鑑みれば、厚着過ぎる。ましてや左胸に備えられた金属のプレートが邪魔をして着た時に違和感が漂う。
今日は快晴であり、傘を差して歩いている人間はそうそう居らず、人の目に付きやすくなるのだ。
「しかしな⋯⋯。君が言ったんだぞ?汗臭いと」
「言ってないよ?衣服がとは言ったけど」
「言ったような問題だろ〜!」
彼女なりには気にしてしまったのかと、多少の罪悪感が芽生えたが、僕は何も間違った事は言っていない。
彼女が近くに居るとそこそこいい匂いがするのだが、女性に接近して臭いなんて嗅いだ経験がないのだから、それが体臭によるものなのか、制汗スプレー的なのかは僕は知らないが、恐らく前者であろう。
「はぁ⋯⋯。先にお風呂入りなよ。それって洗えるの?」
「洗えるが⋯⋯、もし何かあった時の為にこれに収納しておきたいのだ」
そう言い、ロケットペンダントを掌に乗せる彼女。
僕はそれを無視して、背後に回り込んで、左胸のプレートを外した。
「はーい、洗うねー⋯⋯」
「あぁぁぁ〜〜っ」
白い衣はひとまず没収して、洗面所で衣類を纏めて洗濯機に放り込んで貰い、お風呂へと直行させる。
その間、僕は彼女の白い衣も洗濯機へと入れて、見てしまったのだ。
質素な白い布でデザインされた見窄らしいブラジャーらしきものとパンツらしき物を。
とはいえ、普通な事なんですけどね。むしろ無かったら無かったでそれはそれで別の問題が発生する。
だから、あって良かったと胸を撫で下ろしたぐらいであるのだ。
(シルティアの世界って、もしかして僕達の世界だとかなり古い時代の技術体系なのか?)
魔法がある故に傷も治って、数多の敵をバッタバッタと薙ぎ払う。
冷凍保存は専門職が作られる程の希少性に電子レンジで作られた料理には感無量。
「まぁ、だからなんだって話かぁ〜」
「コージィ〜!お湯の使い方を教えてくれぇ〜」
「赤色の蛇口を捻れば出るよー」
「⋯⋯おお!出た出た。すまない、助かったよ」
知識と言っても、概念的に知っているだけで、使い方までは知らないという事なのだろう。
ペンという書く物がどういった物かは知っていても、何処を押せばペン先が出て書けるのかを知らないようなもの。
そう考えれば、人という存在は知っていても、特定の個人の事までは知識にないのにも合点がいく。
僕なりの解釈で彼女に与えられた知識を納得させて、満足していざ戻ろうとしている時、彼女が僕を足止めさせる。
「そういえば、コージ」
「はい?」
素肌がモザイクのような状態で、扉越しに映る彼女を見つめて、勝手に変な妄想をしてしまう。
(いかんいかん。何やってるんだ僕は⋯⋯)
邪に近い妄想を振り払うように、頭を振った僕は彼女の言葉を聞く為に、浴室の扉に背を向けた。
「君のご両親はいつ頃に帰ってくるんだ?私としてはご挨拶はしておかないとと思って──」
「居ない」
自分でもこんなに暗い声が出るんだと、自然と驚いてしまった。
彼女が息を呑むような声が漏れる。
「⋯⋯⋯⋯そうか。すまなかった」
僕の両親は居ない。一年前に亡くなっている。
事故死で忽然とこの世を去った。
唐突に誰も居なくなった空間と化した家は、優しい父と怒らせると怖い母の肉声が二度と聞けなくなった事を理解したのは、通夜から帰った後で、言いたい事もしてあげたい事も多くあったと後悔したのはベッドの中。
それを何時までも引き摺っているのが僕だ。
「君は一人で住んでいるのか?」
「まぁ、そうなるかな。親戚の人が定期的に必要な分は出してくれてるから別に苦ではないかな⋯⋯」
一切、連絡が来ないが生活費を定期的に僕の通帳に送金してくれる人。ちゃんとお礼も言いたいが、僕はその人の連絡先を知らない。
そういえば──。
「そうか。だが、そうなると私が君を一人にはさせなくなった訳だな」
思わず目を見開いた。振り返る事はしなかったが、目頭が熱くなっていく。
胸の奥が高鳴って、身体の奥から顔までなにか込み上げようとする。
「っ!⋯⋯そう、だな」
どうやら、僕の独りぼっちの生活は飽き飽きとしていたようだ。
じゃなきゃ、こんなに嬉しい気持ちは溢れてこない。
僕はなんて事無さそうに言ってくれた彼女に対してお礼を言おうと口を開けた。
「ところで⋯⋯」
けれど、その前に彼女が何か言いたげと言わんばかりに恐る恐ると僕に声を掛けた。
続きを聞くべく、僕の口は閉ざされる。
「早く出たいのだが、一旦退室願えないだろうか?火照ってしまいそうだ」
「あ、ごめん」
僕は退室した。着替えは洗濯機に置いておいた。
そう言えば、僕、女性用の下着なんてないから、シルティアは実質、ノーブラ、ノーパンで街に繰り出す事になる訳だが、まぁ、良いか。
バレなきゃ、履いてるのと一緒だろう。
そして、遂にショッピングモールへと来た僕達。
道中は特に誰かにジロジロと見られるといった事は無かった。
ジャージの中にパーカーを羽織らせて、備え付けられているフードを被った事により、素顔は見えても髪色が見える訳でもなく、何よりも目立つ彼女の一張羅は着てはいないのが大きな要因となったのだろう。
そんな事を歯牙にもかけないシルティアはショッピングモールの入口の地点で左右に並んだブランドの服屋をキョロキョロと見回していた。
その嬉しそうな顔を傍目で見ていた僕も、つい綻んだような笑みを浮かべてしまう。
「時間あるし、ゆっくり回れば良いから?な?」
「あ、あぁ!⋯⋯それにしても凄いぞ、コージ!王城と引けを取らない⋯⋯いや、活気溢れる様子だけを見るならば負けてるかも」
「城と比べるもんでもないだろ⋯⋯」
「ショッピングモールというのは、ここ一つだけなのか?」
「いや、大小の違いとか、並んでる店舗の違いはあるけど、結構何処でもあるぞ?」
家から最も近いショッピングモール、と言っても二駅分先にある街にあり、一階がスーパーとイートコーナーがあり、二階から三階が電化製品売り場や服屋や本屋などの、今日僕達が目的に置いている店舗が並んでいる。
改札を抜けて、ショッピングモールを目指して歩くと自然と二階に辿り着いた訳なのだが、流石に出入り口のど真ん中で立ちっぱなしは目立つので、僕はシルティアを端の壁際に連れて行ったのだが、あまりに圧巻の光景だったのか、未だにシルティアの興奮は収まっていない。
「⋯⋯⋯⋯、日本はなんだ?ショッピングモールをあらゆる土地に設置して商業で世界征服を企んでいるのか?」
「飛躍するな。それにもっと大きい所はここ以上に階もあって、映画館だってある」
「映画館⋯⋯。確か、大きなモニター?で映像を嗜む場所の事だったな。きっと、裏で秘密の密会として使われているに違いない!」
「まぁ⋯⋯うん!そうだな!」
面倒くさがりの僕の性格が出始めたが、彼女は意に介さずに、左右に並ぶ店舗を見比べて、左側の店舗へと入って行く。
(こういう所は子供っぽいな)
店の中でフードを被っている者はシルティアのみ。
流石に浮くと思っていたが、意外と人なんて見ないもので、僕達以外の客も数人居たが、シルティアの事など居ない者のように目の前にある服に手を取り、あれでもないこれでもないといった様子でみくらべている。
「な、なんだこれは?肩が出ている編み物。⋯⋯コージこれはなんだ?」
「セーターっすね。肩が出てる理由は聞かないでくれよ?僕も知らない」
どうやら、彼女には全てが新鮮らしい。
白で太く編み込まれたセーターを注意深く観察するように見るシルティア。
(肩を出してるセーターなんて着てる女性を最近メッキリ見ないけど、絶滅なさったので?)
それに季節を鑑みれば、薄い生地の服や半袖を購入するのがベストな気もする。
僕はそれを伝えようとしていると、既に彼女は店を出てしまい、向かいにある店舗へと脚を踏み入れていた。
(⋯⋯⋯⋯。まぁ、良いか)
「コ、コージ!ズボンが破れているぞ?!これは不良品ではないのか?」
どうやら次はズボンが気になったご様子である第二王女殿下は綺麗に畳まれたデニムパンツを手に取ると僕に見せるようにして広げだした。
「不良品じゃない。ダメージジーンズだ。個性派の人や脚の長い人が履いてるイメージが多いな」
僕のその解説にもならない説明を真剣に聞いていたシルティアは自身の手に持つズボンを細かく見ていき、「なるほど」と訝しむような表情を顕にした。
「ふ、不良品ではないのか⋯⋯。私はてっきり、『はい残念、破れてるよ〜だ』っ的なのを想像していたのだが⋯⋯」
「悪徳なイタズラだな⋯⋯。いや、しねぇよ?」
なんて風評被害だ。こんなの店員さんに聞かれたら、出禁は無くても噂されてしまう。
少なくても、僕の後方には店員さんが一人居るのに。
ズボンをシルティアなりに畳み、目移りする物へと脚が自然と運ばれていく中、急に彼女は立ち止まって、驚愕と言わんばかりの顔で僕を見た。
「あ、あぁ⋯⋯待て、待ってくれ。なんだこれは⋯⋯。この世界の下着は前に留め具がある物なのか?」
「現実を見なさい。ちゃんと目の前にあるだろ。ホック無しのも存在するし。後ろに付いてるのもある」
シルティア第二王女殿下は、あらゆる物が気になるお年頃のようだった。
結局、後ろに留め具がある一般的な物を買いご満悦の様子である。
そして、次に向かったのは比較的に安めのお手軽な値段の衣類が並んでる店舗。
残念な事に、湯水のように僕の財布の中身は膨らんでくれない。
だから、シルティアがさっきまで行っていた店舗の商品はどの道買えなかった。買えなかったんだよ。
僕は密かに彼女の誕生日辺りに買ってやろうと画策しサイズを確認するべく注意深く見ていたのだが、何かに気付いた様子で走り出して、ある場所で立ち止まった。
「コージ!」
「シルティア⋯⋯元気ね?」
「良いから、来てくれ!」
「なんだよ⋯⋯って普通だな?」
普通にTシャツがハンガーで掛けられており、下の棚には綺麗に畳まれた色違いの服が並んでいる。
おかしな要素も間違っている箇所も見当たらなかったので、何がそんなに不思議なのか思わず口にした僕の言葉にシルティアは驚いた様子で顔を向けた。
「何が普通なものか!血迷ったか?!くぅっ、日本人!こ、こんな⋯⋯非道な事を。うぅ、どんな調教をされれば、可愛い猫を服に閉じ込めるだなどという発想に到れるんだ!」
「あの、これ──」
「どんな拷問の果てに、服の中でも平常心を保っていられるようになってしまったんだ⋯⋯。待っていろ!今は無理でも、いずれ、いずれ。君という小さな命を救ってみせるからなー!」
プリントアウトされた偽物の猫が全面に出ているTシャツ。
他にも犬や猿のもあったが、彼女は猫に無我夢中であり、必死に懇願するように僕に頼んで来た。
買ってくれと。
そうして、カゴには一枚の猫のプリントが施されたTシャツと他にも多数の衣類を買い込む事で、一万越えの出費となったが、大変ご満悦頂いているご様子である所のシルティアを見た僕も少し満足したのだった。
そして、多少自身に危機感を覚えたまま、エスカレーターで階を降りて、イートコーナーにある席に座り込む。
中華料理店やジャンクフード店、アイスクリーム専門の店や他多数の店舗が並び、それに人が集まって注文している様子を僕は眺めると、真正面に座っているフードを被っている彼女は頬を緩めた。
「はぁ〜、楽しんだぁ〜」
ご飯三杯平らげました、とばかりの幸せそうなシルティアは購入した衣類のレジ袋の中身をチラチラと見ては微笑んでいた。
「僕は将来が怖くなったよ⋯⋯主にデートの時に」
どうやら、僕はかなり甘い性格のようだ。
それでいて、面倒くさがりだからか、彼女に連れ回させる買い物は気疲れが酷い。
おかしい。僕にとっては初めてのデートだったのだが、これほどに疲れるものなのだろうか。
もしそうなら、僕は向いていない事になるし、僕に都合よく合わせてくれる異性を誰かが宛てがってくれなければ何も出来ないのではないかという危機感が湧いていたのだ。
「うん?あぁ成程。君にも想い人が居るのだな」
「いや居ないよ。募集中だよ?」
(シルティアさんや。僕に彼女が居たら十中八九、君を家に招く事はあっても、住まわす事はしないんだよ)
気付くだろ、察しろとも思ったが、そもそも異世界の人間である訳で、こちらの常識全てを知っていると思い込んではいけないのだ。
もし知っていたら、彼女はこんな台詞を真面目な顔で放ったりしない。
「募集制なのか?!き、君。見合いの作法はちゃんと習ってるんだな」
いっその事、僕色に彼女の常識を塗り替えてやろうかと考えもしたのだが、後になって一挙手一投足、彼女の動き全てにビクつかなければならないのはゴメンだ。
ここは普通にしよう。そう思い、ジョーク混じりに彼女へ向けて言った。
「僕にそれほどの価値があると?寄らないと寄ってこないんだぞ?」
「何を言う。どんな人間にも価値があるように、君自身にも価値はある。断言しよう」
「シ、シルティアさん〜!」
嬉しいけど慰めにしてはアバウトな返しである。
誠意があって、確かに優しいのだが、彼女の場合、言葉よりも行動で示す派なのだと、僕はこの時悟った。
そんな事をしていると、シルティアの鼻腔を擽ったのだろう。
チラチラと辺りを眺め始めるのであった。
「いい匂いがする。⋯⋯あの出店だな」
「そっか、もう昼過ぎてるのか──シルティアさん、涎垂れてる」
「え?⋯⋯わぁ!すまない、はしたない所を見せてしまった」
僕は恐らく、人生で初めて見たぞ。涎を垂らしている女性ってものを。僕が貸したジャージに触れられた涎を拭こうと焦った様子を見せていると、今度は空腹を鳴らす音が僕の耳に届いた。
「あ⋯⋯うぅ」
赤面で何も言えなくなってしまい、俯いた彼女。
朝ごはんも食べず、歩き回ったようなものなので気持ちは分かってしまう。
僕だってお腹は空いているから、イートコーナーに入った時から辺りを見回していたのだ。
「いや、お腹ぐらい誰でも空くだろ?そんなに恥ずかしがらなくったって良いって」
「慰めてくれるのか?」
上目遣いにも近い感じで僕を見てくるシルティアさん。けれど、忘れてはいけない。彼女は今フードを被っている。
これが意味する事と言えば一つ。僕から見た今のシルティアは表情が窺えないという事だ。
第二王女殿下たる彼女が果たして慰めが通用するのか、はたまた一蹴するのか。
「まぁ、はい」
僕は前者を取った。
数秒の沈黙の後、彼女はなんとも微笑ましい破顔で僕を見つめてくる。
孫を見るお爺ちゃん目線を味わった気分だ。
「き、君は良い奴だなぁ〜」
「君はチョロいなぁ〜」
彼女の今後が少し、不安になってしまった僕だが、彼女のお腹を満腹にするべく彼女が真っ先に向かったのは簡易的なイタリア料理店だった。
僕個人は何でも良かったので、彼女に合わせるように彼女共に人集りの列へと並ぶ。
店の名前の少し下にあるメニューと宣材写真を眺めているシルティアは悩ましそうにしながらも、様々な味の想像をしているのだろう。
目線が左右を行き交って迷子のようだった。
「なんだろうか。意外とワクワクするな⋯⋯。店に並んでいるだけというのに」
「それも醍醐味だと思えばいいさ。僕達は慣れすぎて、もうそんな風にすら思えないから、シルティアは変わってくれるな」
「ん?まぁ判った」
反応に困ったシルティアだったが、意図を汲んだように頷いて、前へと向き直る。
僕達からすれば、並ぶのは当たり前で、ワクワクなんて言葉はアミューズメント施設に行く時ぐらいしか出て来ないだろう。
どうか、彼女には不変であって欲しいと切に願って、ようやく注文の出番が回って来たのだった。
彼女が頼んだのは、カルボナーラで僕が頼んだのはミートスパゲティ。
量は大した多さでは無いが、この店独自のソースや香辛料を使っているようで、かなり舌に残る味であった。
不味くは無いよ?美味しかったよ?本当、嘘吐かない。
一方の彼女は口元が緩みきっており、食べ終わってしまった皿を満足そうに見つめていた。
「ご馳走様。中々の美味であった」
「千円ポッチで満足する王女ってのもどうなんだよ」
僕は彼女が王女としての気品らしさや風格は感じるものの、それらしい行動を見せられた事はない。
けれど、言葉が真実なら、存外ここの安値の料理よりも良い物を食してそうなものだ。
「安いから不味くて、高いから美味いとは限らないのさ。私の知る中では、『サダリック・ワイバーン』と呼ばれる小龍の肉は美味と聞いたが、実際に食べたら臭みが強すぎて食べられたものではなかった⋯⋯」
「それ、臭み抜きしてないからだろ?」
「臭み抜き?」
「ハーブを巻いたり、酒で漬けたり、香辛料マブしておくとか⋯⋯してないのか?」
「私は調理工程にある意味の全ては解らないが、あの時は直焼きだった。なんというか、こうバァーって」
仮にも王家の人間の料理番の筈なんだが、特別な催しの為にそうしたのか、その料理番が適当なのか。
真実は闇の中だろう。
臭み抜きの工程を挟むものの、ちゃんと美味しく食べられる料理となれば、一般的にはアレしかない。
今日の晩御飯は決まった。
「⋯⋯今日の晩御飯は魚料理だな」
「さ、魚だと?『グランパール・オオウオ』のような毒には気を付けろ?あれは舌に触れた瞬間、八時間は動けなくなる代物だ」
怪訝な表情で手振りでその魚を表しているシルティア。
口元を啄むようなその仕草は魚の口なのだろうが、僕にはエロいお姉さんにしか見えない、もっとしてください。
「いやいや、毒なんて含んでないの買うし⋯⋯」
「そ、そうか!ならば安心だ」
怪訝な表情は僅か数秒で吹き飛んだご様子。
嬉しそうに僕を見つめる彼女なのだが、僕はいい加減に聞かなければならない。
「ところでだがね」
首を傾げるシルティア。机に肘を置いて僕が敢えてスルーしていた疑問を投げた。
「君、さっきから『ワイバーン』だの『オオウオ』だのとなんだか言ってますがね、え?なに?シルティアの世界は怪物でも居るの?」
そう。ファンタジー世界にしかいる訳無いだろバッキャロー案件の『ワイバーン』だの『グランパール・オオウオ』というような、少なくても僕からすればゲームや漫画に登場する名称を言われて多少混乱していたのだ。
「『魔物』が存在しているな。だから驚いたよ。魔物のいない世界というのは」
「人間同士で争ってる話は聞いていたから、そんな存在、居ないとばかり思ってたんだが⋯⋯」
「そうなんだ!他国は領土拡大がしたいが為に、魔物の進軍を利用してバルファザル王国を襲撃したんだ。酷くないか?!」
人の襲撃も気になるが、魔物の事の方がよく解らない。喋るのか、知性があるのが、僕の知っているゲームの知識とかと類似しているのか、等など。
疑問が一気に膨れ上がっていく中、僕が最初に問い掛けたのは進軍についてだった。
「その魔物って、操られていたのか?」
イメージではあるが、魔物がやって来るタイミングと人が大軍揃えて襲撃するタイミングが被るのは、基本的に人が何かしらの策を興じた時が多い。
どうしても人が魔物側に対して何かやったのではないかと考えずにはいられなかった。
「操れる魔道具はある。けれど、一つに付き一体までだからな。生態を上手く利用したんだろう」
「倒したの?全部?」
シルティアの表情が曇った。僕は地雷に近いものを踏んでしまったのだろう。
「⋯⋯⋯⋯、その途中でここに来てしまったんだ。だから、私はなんとしてでも帰らなければならない。民が、王が私の帰りを待ってくれているのなら、それに応えたいのだ」
「⋯⋯そっか」
そして、今度は僕が曇った表情を浮かべてしまう。
本来はその資格もないのだが、解っているのだが、そうなってしまった。
「あ、勘違いするな!私は今でも君と生命の繋がりを結んだ事を悔やんだり、悩んだりといった事はしていない。アレは一つの最善を選んだだけだ。何も間違ってもいないと自負出来る。だから、君はそんな顔をするな」
違う。僕がこんな表情になったのは、そんな事じゃない。生かしてもらえて、許してもらった上に、今更そんな事で僕も悩んではいない。
僕が悩んでいるのは──。
「っ!!コージ!⋯⋯っ魔物が来る!」
「⋯⋯は?」
呆気に取られた表情をしている僕の視界には、シルティアとその後方で家族連れがイートコーナーにある座席に座って楽しく昼食を楽しんでいる光景と、イートコーナーを素通りして店に入ろうとする子供や大人達で溢れていた。
僕は目を疑う。何度も瞬きをして、それが間違いではないと確認する。
通路には僅かに黒いシミのようなものが浮かび上がっており、それが広がって行くと同時にヒビとなって、ガラスが砕けたようにその黒いシミから何か爪が出現した。
「なんだあれ?!」
思わず叫んだ僕に近くに居る客も視線を浴びせていくも、僕の方向を見ると皆が一様に驚きだして、騒然としだした。
通路を歩く人達も慌ただしくなっていく中、黒いシミから出てきた爪から伸びた脚、鱗、牙、顔、胴体、翼、尻尾と姿を如実にそれは、現れる。
「何!『サダリック・ワイバーン』?!何故ここに⋯⋯いや、何故そんな現れ方をしているんだッ!」
「あ、アレが?!」
茶色のテカテカとした鱗は触れると刺さってしまいそうな程の鋭利さで、黄色の目付きの悪い瞳、口元から隠しきれていない牙は凶悪の証。
筋肉質な腹部や胸部は頑丈さを物語っており、左右へと広げられた翼は近くで怯えた人を後方へと吹き飛ばし、勢いのあまり風が僕の所まで吹いてきた。
全長五メートル程のその『ワイバーン』は咆哮を上げて、全てのフロアに行き届くように鳴くと、翼を大きく上下に動かして、旋回しだしたと思えば、口から赤い何かが漏れていき、それを僕達の方へと放つ。
「コージ!伏せろッ!」
「うわっ!」
情けない声を上げた僕を庇うように、荷物も纏めて地面に倒したシルティアの表情は焦りを全面に出している。
押し倒された僕はシルティア、並びに机と椅子が邪魔で視界が殆どシャットアウトだったのだが、僅かに焦げ臭い臭いが鼻に舞い込み、理解した。
今、ワイバーンは『火球』を放ったのだと。
騒然としたショッピングモールは阿鼻叫喚に包まれていき、乱雑で汚いリズムの足音があちこちから聴こえてくる中、シルティアはようやく僕から身体を離した。
「コージ。私は奴と接敵する。悪いがそのまま真っ直ぐ、ここから脱出してくれ」
「わ、わかった」
「うん。いい子だ。よし⋯⋯」
頭を撫でてくるシルティアだが、そんな事をしている場合ではない。
それにその余裕の表情は一体何処から湧いてくるのか、僕には皆目見当が付かなかった。
「か、勝てるのか?」
「勝てる。奴は希少ではあるが、強くない。高い値で売られているからと言って、それが戦闘能力と比例して付けられた価値基準ではないんだ」
立ち上がる彼女は僕に背を向けて、首にかけてあるロケットペンダントに手で握る。
すると、シルティアの身体一面が白くなって、それを閉じ込めるように彼女の身体は赤く縁取られていた。
次の瞬間には何時もの一張羅、戦闘服を着たシルティアが居たのだが、さっきまで着ていたジャージは上空を漂い、僕の足元に落ちてくる。
「ジャージが!あれ?破れてない?」
「あぁ、悪いがしまっておいてくれ。戦闘が終わった後に着替えさなければならないからな」
「わ、わかった」
彼女の一張羅は洗濯してまだそれほど時間が経っていない為、乾いていない。
身体を濡らしながらも、右手を横に伸ばすと、掌から忽然と赤と金の装飾が彫られた剣が現れて、握り部分を掴んだ彼女は踏み込む体勢に入った。
「では、行くか。【紅臨】ッ!」
勇ましく、逞しく、靱やかで迅速。
紅に象られた彼女の輪郭は、ワイバーンの懐へと瞬間的に移動して、腹部と胸部を斜めに掻っ斬り、頑強さ故か斬ると言うよりも叩き斬るに近い感覚でワイバーンは地面に転がされて左方向にあるゲームセンターの店舗内に入り込んだ。
彼女の猛威は止まらない。斬った際の体勢のまま、姿勢を変える事なく、ワイバーンへと踏み込み、更に追い討ちとばかりに剣を突き立てて刺そうとする。
だが、ワイバーンも馬鹿では無かったのだろう。
火球を放ち、合わせるように濡れた衣服を身に纏う彼女は身体を反らして、火球を素通りさせる。
僕がシルティアに言われた通りに前へと駆けている時、その火球は背後を素通りして、少しすると衝撃が一気に背中を叩いた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
思わず叫んだ僕は荷物を大事に抱えたまま、倒れ込み、無意識に閉じていた瞼を開ける。
直撃した訳では決してない。ただ、ショッピングモールの壁に圧縮された炎の弾がぶつかり、余波で倒れただけの事。
なのに、全力疾走で百メートル走を走り切った後のような疲れ方をしていて、不思議と脚が動かなかった。
火災報知器の音と共に、水飛沫が身体を打つ。
未だ、飛び回るワイバーンを追い掛けるべく通路を駆けてだして、跳躍力で飛んでいるワイバーンと同じ高さまで行くと翼を一枚潰した彼女は本来ならば、ショッピングモールのライトと僕の居る位置のせいで陰りにならなければならない。
なのに、僕は彼女が輝いて見えた。既に紅を纏っていないにも拘わらず、彼女は誰よりも綺麗に見えてしまう。
そんな彼女は落下する頃に、ついでとばかりに薙ぎ払いで右脚を斬り裂いてから、濡れているタイルへと脚を着けて、ふと僕を見る。
不審な顔をした後ら彼女は叫ぶ。
「何をしている!逃げるんだ!」
そうだ。逃げなくちゃいけない。ハッとなった頃には僕の脚はもう震えていない。
逃げられるから、立ち上がり、何気なしに消化されかかっている炎を再度見た。そう、背後を見てしまう。
「え?⋯⋯⋯⋯は?」
唖然とした。呆然としている場合ではないとは、考える事も出来ない。視界に広がるその光景は地獄と化していた。
僕は聞いていない。悲痛な叫び声も、痛みに項垂れる手脚を床に叩き付ける音も、泣き声も、喚き声も聞いていない。
僕達が食事をしていたあの場所、あの席の後ろの席の人達、並んでいた人達は皆が同じように、焦げて死んでいた。
「⋯⋯⋯⋯、あぁ、はぁ、はぁはぁ⋯⋯」
僕はてっきり、皆は一律に逃げたんだとばかり思っていた。突然の襲来に動揺して、女性に押し倒される形で回避した間抜けな奴は僕くらいで後の人達は皆が逃げだしたように逃げているのだと思っていた。
けれど、違う。
「なんだこれぇぇぇぇぇ!!!」
「ッ!⋯⋯見てしまったのか?!クソ!──はァ!」
僕は思わずシルティアの方を振り返る。
僕を蘇生出来たように、彼女ならばそれが可能なのではないかと、期待に縋るように見た。
もう一翼を根元からバッサリと斬り裂いたシルティア。
抵抗するかのように脚の爪で彼女の身体を貫こうとするものの、振るわれた剣がその爪諸共脚首を断ち斬って、流れ作業のようにワイバーンの股部分から左脚を剣が抉っていく。
ワイバーンの片脚は斬られたというのに、血は一切流れず、痙攣しているように胴体と別かれた脚はピクピクと動いている。
「決めさせて貰うぞ。今日は魚の予定でな。丸焼きの気分では無いのだ!」
シルティアの握っている剣の剣身部分に刻まれてある縦に伸びた黒の堀。僅かに紅色の光が堀部分に伸びると、剣身から紅のオーラが一気に出力された。
辺り一帯が風に圧倒されて、窓ガラスが砕けて、後方に居る僕もその風を余す事なく受ける。
暖かくて、包み込むような風は僕の身体を吹き抜けていき、名残惜しさを残した。
「終わりだァァ!」
勝利宣言を高らかに上げたシルティアは、紅の光を滲み出している、勢いある赤と金の剣で瀕死となったワイバーンの身体を真っ二つにする。
崩れ落ちるように倒れたワイバーン。倒れたいきおいで砕けたタイルや逃げるべく捨てられた中身の入った袋などが浮き上がり、また転がっていき、シルティアの足元に着いて動きを止めた。
二分割されたワイバーンは塵になって、完全に姿を消失してしまう。
何も落とさず、報酬と言えるものは安息とデカすぎて割食っていたスペースの確保と、殺人の犯人がもう居ないという事実のみとなった。
そんな中、シルティアが僕の方へと急いで駆けてやって来る。
心配そうな顔色を浮かべて僕の方へと手を伸ばす。
「立てるか?コージ」
呆気ないほどの幕引き。唐突に現れて、気付けば死んでいた。
僅か五分未満の戦闘であり、大した怪我も何もしていない彼女は本当に強いのだろう。
割食うのは、何時も何も知らない弱者なのだ。
「シ、シルティア。他の、他の人達を、な、治す⋯⋯」
シルティアの首は横に振られた。僕を治した時と何が違うのだろう。
焦げてしまっている事が問題なのか、数が多すぎる事が問題なのか、遺体が熱で溶けてしまい、触れた箇所とくっ付いているのが問題なのか。
僕には、判らない。何故、僕を治せた筈のシルティアがそんな悲しい結末を受け入れるのかが、甚だ疑問だ。
「死人は、生き返らない。コージ、君だって解っているんだろ?」
「⋯⋯⋯⋯っ」
見知らぬ人間であることは間違いなくて、その場限りの出会いとその場限りの別れで、次に会った時には前に会った事すら忘れているような関係の人達。
それでも人の死というのは、痛くて、辛い。
「帰ろう。君の体調も心配だからな」
そっと、僕の頭は彼女の胸元に運ばれる。
安心出来る心音と温もりはこの場では僕のみに与えられていて、他の人は冷たくなっていく。
「シルティア」
「どうした?」
「僕は、君が生きてくれてて良かったよ⋯⋯」
「私もだよ」
身体を支えられるようにして、僕は彼女と歩き出す。
パトカーの音がショッピングモールに鳴り響く頃には、僕達はそこを抜けて、帰路へと着いていたのだった。




