プロローグ01
暇潰しの作品です。更新も多分一週間に一回
小雨の中、傘を差すか、差さないか。
僕、三崎浩史はその日、差さない事を選択して、自宅までの道を通学鞄を頭に乗せて走っていた。
決して傘を忘れた訳ではないのだが、何故かその日の僕はそれを選択して、行き慣れている道を進む。
高校で話す友人も居て、成績も普通程度、職員会議とかで問題になるような不良という訳でもなく、『何処にでも居る』有り触れた普通の学生。それが僕だ。
けれど、そんな『何処にでも居る』というキャッチフレーズを捨てる日は唐突にやってきた。
傍目に映った目慣れない綺麗な紅。
それが第一印象であり、それからも変わらない印象だ。普段使う事が一切ない帰宅路の横道が視界に映り込んで、それを一瞥してしまっていた僕は、徐ろにその姿を確認する。
「コスプレ⋯⋯女子?」
紅色の髪に、綺麗な容姿に、恐らく百六十センチぐらいの身長で同い歳か一、二歳上の女性。
左胸には頑丈そうな鋼の胸当てを。赤のインナーに白い衣を身に包んで、黒のスカートに黒のタイツと茶色のブーツ。
ここまでならばコスプレである程度済んだのかもしれない。
重要なのは女性の凭れ掛かっている本人の状態と側には剣が寝かされている事になる。
女性本人の腹部は血で濡れており、腕は擦り傷が多く、タイツは所々破れていて、やはり血に濡れていた。
また、身に着けている衣服も見るからに裂かれていたり、穴が空いていたりと散々であり、剣に関しては「紙やダンボール製です」とは言えないほどには雨を弾き、煌びやかな赤と金の装飾が目に映ってしまい、思わず身を引いてしまう。
水溜まりを踏んでしまった僕に気付いて、瞼を開かれていき、オレンジ色の瞳をした彼女と目が合った。
目を瞑っていた事と斜めに僕が立っていた事もあって、向けられたその女性の顔を真正面で見た僕は素直に綺麗な人だと、そう素直に思ってしまい、自然と頬が赤くなる。
勿論、そんな事で何がどうなる訳ではないのは理解しているつもりで、女性の傷が癒える訳でもなければ、倒れてしまっている理由が聞ける訳でもない。
僅かに口元に付着した鮮血が徐ろに動く。
「⋯⋯君。私に構うな」
構うな。その言葉に気迫はなく、弱々しい言葉であった事が僕を前へと進ませた。
「え⋯⋯あの、大丈夫⋯⋯ですか?」
「⋯⋯あぁ。ッ問題ない。うわっ!」
立ち上がろうとする脚はふらつき、地面に上半身を打ってしまう。
胸元に当てられたプレートがコンクリートの地面を擦る音が嫌に耳障りと感じる僕。
けれど、それとは相反するように女性の身体を起き上がらせようとする。
「すまない⋯⋯。迷惑を掛けるつもりではなかったのだが⋯⋯。不甲斐ない所を見せた」
「あ、いや。それは別に良いんですけど⋯⋯。あの、その剣は?」
女性から見て右方向にある赤く煌めく長さ一メートル越えの剣。
鍔が赤と金で施された装飾と握り部分は茶色で淡白であり、柄は鋼。中央に細く縦に真っ直ぐ伸びる黒い堀がある鋼の剣身。
「気にしないでくれ。私の物ではあるが危害を加えるつもりはない」
苦しそうに腕を剣へと伸ばして、触れる。
すると、その剣は砂粒が風で巻き上げられるように上空へと光となって消えてしまい、僕は軽く叫んでしまう。
「すまない。君達にとっては見慣れない光景なのだったな。無遠慮が過ぎたよ」
淡く光るオレンジ色の瞳は謝罪の意が多分に含まれており、誠意が伝わる。
対して僕は小心者。だから、オドオドとしながら手を前に突き出して、振るのみ。
「あ、あの。その怪我⋯⋯だ、大丈夫なんですか?」
明らかに怪我を負わせられたと言われた方が素直に納得出来てしまう。
腹部から漏れた痛ましい程の血液は、女性の髪色と同じ種類の赤色とは思えない程に赤黒く、濁って見えた。
けれど、軽く安心させるように微笑んだ女性は今度こそ立ち上がって、右脚を引き摺るように僕に近寄る。
「⋯⋯ん。大丈夫だ。私は見た目以上に頑丈なんだ。気にしな⋯⋯。いや、気にしてくれて⋯⋯すまない。礼を言う」
「そう⋯⋯ですか」
言葉が詰まる。ここまでの傷を負った上でその優しい笑みが出来る事そのものに忌避感にも近いものを感じた僕は察した。
関わってはいけない人なのだろう、と。
「何処だ?!」
「急げ!騒ぎになる前にな!」
僕の真正面。通学路を繋ぐ細い横道の奥から男性二人の声が聞こえる。
忙しなく、焦る様なその語勢には何処か危機感にも似たものが感じられて、思わず視線を移してしまう。
「マズイ⋯⋯。このままじゃあ⋯⋯」
慌てた様子を見せ始める女性は通学路の方へと身体を向ける。
僕にはそれを声を掛けて、止める理由も意味もないのだ。
関わらなくて良いのなら、それに越した事もない。
話し掛けたのは、本当に気になってしまった程度の軽い気持ちで、僕に出来る事は些事程度のもの。
だから、この話はここでおしまい。
「私は失礼するよ。君に、女神リャーナのご加護があらんことを切に願う」
「え?」
そう朗らかに言った女性は、僕の背後を抜いて、傷を負い、痛むであろうその身体を動かして駆けて行く。
まともに会話もせず、中途半端な心配と下手な同情心だけで女性に声を掛けてしまった僕は、雨が降り続ける中、傘も差さずに街中へと消え去った女性の背中を最後まで見届ける事はしなかった。
それから僕の心には何かを詰まらせてしまったような感覚が嫌に残り続けてしまいながらも一軒家の自宅へと帰宅して、何時もの日常を過ごす。
何の事も無い。ただ、普通に食器に冷凍食品を盛り、レンジで温めて、合図が鳴ったら食して、部屋でゴロゴロとしながら、スマホの画面に映っている動画を眺めながら呆然とするだけ。
大した事も違いもない。
けれど、その日は少し変わった事を思い出してしまった。
「あ、冷蔵庫に飲み物ってまだ、あったっけ?」
冷凍庫の中身は覗いたものの、冷蔵庫は朝から覗いていないのと伴い、晩御飯の時には、学校にある自販機で買ったお茶を飲んでいたのが合わさり、冷蔵庫の中身までは確認していなかったのだ。
ノロノロとした歩幅で冷蔵庫を開けると、やはりと言うべきか。お茶を注がれていなければならないピッチャーの中身は残り僅かであり、戸棚にあるお茶のティーバッグは既に空となっている。
窓を眺めるとまだ雨は降り続いているが、時間的に考えてもスーパーはまだ開いていた。
「⋯⋯行くか」
学生服は既に脱いで洗濯機へと放り込んでしまっている為、僕は外行き用のラフなジャージ上下お揃いを着て、財布とスマホをポケットにしまい、中途半端に濡れている傘を手に持ち、玄関を出た。
風が荒むように吹いているものの、雨はむしろ止みかけていたが、面倒臭くなった僕は傘を持ってそのまま屋外に向かう。
傘を差してしまえば風で飛ばされて骨組みがイカれてしまうと、殆どの人がそう思ったのだろう。
僕が歩いている間に通り過ぎた人の大半は傘を差す事をせずに、邪魔そうに持っている傘を地面に着けながら歩いていた。
雷が鳴った。
猫の唸り声を耳の近くで聞かされているような音が街を響かせて前を歩いていた女性二人が慌てた素振りで駆け足になる。
今時、雷に打たれてしまいました。はそう簡単に起こる事ではなく、むしろ、宝くじの一等賞の当選確率と比較されてしまう程である。
有難みなど一切ないにも関わらず、それでも比較してしまうのは人間社会が築き上げてきた技術の賜物であると同時に余裕の表れなのではないかと僕は思う。
僕は雷程度では怯えない。目の前で落雷してしまい、建物が倒壊しましたともなればまた話は変わるが、現代の日本には避雷針が設置されている建築物は多くある。
僕の通っている学校もそうだし、今通っている道の脇にあるマンションだってそうだ。
だから、僕は驚く事はあっても恐れはしないし、怯えない。
「がぁぁぁぁぁぁッ!!」
僕の正面を何かが横を通り過ぎる。
悲痛な声を発して、横にあった建物に大きな衝撃音を掻き鳴らして激突した。
「⋯⋯え?」
思わず脚は止まってしまう。間抜け様のように口を僅かに開けて、建物の方へと視線を送る。
コンクリートがパラパラと落下して、ぶつけた箇所はヒビだけではなく、穴が僅かに空いていた。
けれど、問題はそこじゃない。
僕は目を疑ってしまう。夢か幻の類いを知らぬ間に見せられてしまったのでは無いのかと疑った。
「あの人⋯⋯放課後の⋯⋯」
紅色の髪を後ろで纏めて、白い布で括り付けており、左胸に装備されている胸当ては砕け散った状態で、羽織っていた白の布は何処にいったのか、肩までしかない赤色のインナーが全面に出ており、ボロボロ黒のスカートを履いているあの人に会ってしまった。
「うぅ⋯⋯。まだ⋯⋯⋯⋯。まだッ!」
地面に突き刺した剣からは紅のオーラのようなものを放っているものの、それは僕が視認したと同時に消失しかかっていた。
「⋯⋯だ、大丈夫ですか!?」
「っ!君は⋯⋯っ!何故ここに居る?!逃げるんだ!」
面食らってしまったような表情を浮かべた女性は、慌てた様子で僕に対して叫んだ。
急かすようにも聞こえるものの、僕はそれを無視して駆け寄る。
理由や何が起きているのかと言う根本的な事は何一つとして分からないけど、僕は女性の傍まで行くとしゃがみ込んで同じ目の高さになって声を掛ける。
「何やってるんですか?!誰に⋯⋯、あ、いや、違う!取り敢えず、病院ッ!」
頭から血を流して、穴が空けられた肩からは大量の出血。脚も震えており、よく分からない剣を支えにしてようやく身体を立ち直せられるといった状態なのが素人目の僕からでも分かってしまえる程に悲惨な状態にあった。
「私に構うな。巻き込まれるぞ?!」
「言ってる場合ですか!貴女が死んだら、それはそれで僕が嫌な気持ちになるんです。ちょっと待っててください。病院に今、繋いで──」
「あぁぁれぇぇ?なんか居るぅぅ?」
「え?」
「ッ!フィローネ⋯⋯」
歯を噛み締めて、怨敵に出会ったかのような声でそう呟いた女性。
風が顔に当たって耳から伝わる情報を阻害しようとしている中、僕は紅髪の女性の向く方へと倣うように向いた。
それは浮いている女性。否、少女であった。
腰にまで伸びた縦ロールの金髪。
遠巻きから見れば黒、近付かれて緑であると分かった瞳。
白色でセーラー襟がある裾が長い軍服にも似ている上着に、腹部辺りに巻かれた黒のベルト、白のスカートとはみ出したフリルに、黒の紐付きのブーツを履いている少女。
どう考えてもコスプレでもない限り着ないであろう服装と宙を浮いているという二つの衝撃が僕の視界に映りこんだ。
「なぁぁに?もしかして、一般人?止めてよねぇ。ほら、シッシッ」
浮いているせいでちゃんとは分からないが恐らく百四十センチメートル程度の小さな子に軽くあしらわれる僕。
口調が小生意気な子供のようにも聞こえて、僕は少し不快そうな表情を浮かべるも、少女にとってそんな事はどうでも良いのだろう。
僕の近くに居る女性の方へと視線を移して、怪しく微笑んだ。
「お前か!この人をここまで痛め付けたのは!」
「⋯⋯え?あぁ、途中からねぇ?⋯⋯と言うかさ〜。普通、私見たら逃げたりするもんじゃな〜い?浮いてるんだよ?ホレホレ〜」
後転して身体を一回転させた少女。
これで実はヘリコプターで浮かせていました。というオチならばまだ笑える冗談であり、素晴らしいマジックでありましたと、拍手喝采が巻き起こるし僕もそうしたろうが、風が強く、ヘリコプターが鳴らすローター音が一切耳には届いていないという事を加味すると、糸や縄といった類で吊るされているという線は無くなってしまっている。
更に言えば、波に揺られるようにプカプカと浮いており、強風が吹き荒れる向きには意に介していない様子であり、僕は理解の外へと追いやられた。
「⋯⋯それは、そうだけど。訳分かんない奴に、とやかく言われたくない⋯⋯」
「あえ?⋯⋯プッ、アッハッハッハッハッハ〜。なにそれ〜〜、あーー、涙出てきたよぉ〜」
宙で脚をバタバタとさせながら、よく絵に見る腹を抱えたポーズを取って、笑っている少女。
僕的にもかなり変な事を言った自覚はあったが、ここまで笑いが出るような事を言った覚えはないし、何よりも少女の笑いのツボが分からない。
そんな少女は一頻り笑い終えると、目元に溜まった涙を拭って、座り込むような姿勢となって、僕に指を差した。
向けられた視線が妙なくらいに恐怖感を募らせて、僕の心臓は一気に早鐘を打っていく。
「君さぁ、ちゃんと状況見えてる?」
「⋯⋯え?」
「巻き込まれても知らないぞって言ってるんだよ?私達は訳が分からない存在だからね〜」
最後に少女の不快さが詰まった怪しい笑みが耳を劈く。
浮いていたり、壁が壊れて穴が作られてしまうほどの衝撃を何かしらの要因で繰り出せて、それを受けたであろう人も傷だらけながらも生きている。
この状況が不自然なのは流石の僕でも分かってる。
顔が強ばってしまい、身体が今になって震え始めてしまい、隠すように手を握って拳を作った僕。
それが中途半端で情けないぐらいの抵抗である事は想像にかたくない。
状況や流れから見ても僕の出る幕ではないと伝わる。
「君、心配は感謝する。だが、いい人、うぅ、はぁ、はぁ、なんだろうけど⋯⋯、関わらない方が君の、為だ。逃げろ。私に、構わないで⋯⋯くれ」
剣で身体を支えて、僕の前へと歩き出す。
緩やかな歩幅に、フラついてバランスがマトモに取れていないのが誰の目から見ても明らかである。
それにも拘わらず、徐ろに剣先を浮いている少女へと向けた。
「まだ、やるんだぁぁ〜。イイネ!じゃあ、これぐらいは止めてくれなっきゃね!」
強風にも負けず、雨にも負けず、夜闇にも負けないその少女は僕達の視界で最も大胆で、軽やかで、目立っており、指を鳴らして反対の手から杖が現れた。
「良いな?逃げるんだぞ?⋯⋯⋯⋯行くぞ!」
声を張り上げて再度僕を遠ざけようとする女性は宣言のような言葉を少女へと放ち、その剣を持って歩道を走る。
「あ、おい!」
僕の静止は届かない。仮に届いたとしても何処までの意味があったのか分からなかったけど、きっと停止する事はなかっただろう。
「あんな傷と怪我で⋯⋯。ど、どうしたら⋯⋯」
警察を呼ぶという選択肢を取ろうと持っていたスマホの画面を見た。
雨に濡れて、水滴が多く付いているそれを服の内側で拭って急ぎ掛けようと番号をタップしようとしていた時だった。
「【|雨の旋律、明晩に続く螺旋の雫──】」
「え?」
何かを言っている。そう気付いた僕は既に呼出音がするスマホから耳を離してしまい、声のする方向を向いた。
少女だった。杖を上に掲げて、円を作るように回して始めている。
「【氷殻は砕け、揺蕩う姿は愚か者。相克の火に告げる。尽きろ──】」
その瞬間、スマホの明かりが消えた。
「え?⋯⋯あっ!」
スマホだけではなかった。街灯を始め、近くの建物の中を照らしていた筈の明かりや遠巻きでポツポツと点となって光っている光源と呼ばる物は僕の視点からは、ほぼ全てが黒へと塗り替えられてしまっている。
「【殉ずるお前に告げる。我に恭順するべし──】」
「⋯⋯⋯⋯はっ?!」
雨が止まった。
降り注ぐ事を忘れた雨粒は、時間が止まったように動きを完全に静止してしまう。
まるで、言葉通り、恭順し、指示を待つ家臣のように。
「【防人の万物への癒しを賜りし生命の原初に告げる。我が敵を蹂躙する礎になれ!──】」
「て、敵?誰だ?⋯⋯⋯⋯はっ!」
道路を弱々しく走り、剣先をむけながら、宙を浮いている少女への警戒を続けている女性だ。
嫌な想像をしてしまう。そんな漫画やアニメといったシチュエーションをホイホイと信じる程、僕の頭はお花畑になった試しはない。
けれど、これ程の非現実的な光景を目の当たりにした上で、これから少女のやろうとしている事が分からない程、愚か者でありたい訳でもない。
「駄目だぁぁ!!」
精一杯の叫び声を上げる僕。
「【水麗・奉零徒ッッ!!】」
杖が紅の髪をした女性へと振り下ろされた。
僕の視界には、不思議な光景が広がる。
水色の光源が辺り一面に灯るようにして発光していく中、僕はそれが雨粒達なのだと理解した。
その雨粒達の動きは静止していた筈だったが、水色の輪郭を象るとピクリと動き始める。
そして、曲線を描くかのように、ただひたすら女性の方へと向かう。
数なんて数えられる訳もないが、強いて数を表すなら無数であり、僕の背後にもあった筈の雨粒は僕を避けるようにして線を描き、狙いを定めて大量の雨が一閃へと形を変化させて紅の髪をした女性の方へと一斉に迫って行った。
「来いっ!」
一方の紅の髪をした女性は、持っていた剣を強く握って、前のめりになるようにして、一気に駆けて行く。
そして、女性の近くにあった、電波塔を脚で駆け登る。
「私はまだ⋯⋯死ねないッ!」
水色の雨粒達は半分残した状態で残りを紅色の髪をした女性目掛けて背後や正面から貫こうとするかのように掃射された。
電波塔の鉄骨を足場に、水色の光をヒラリと回避していき、時には剣で弾いて、大きく翻すように身体を反らして、大量に浴びせる筈だった水色の雨粒は女性の横を通り過ぎていき、電波塔に直撃。
雨粒が直撃した箇所は穴が空いてしまうもそれを気に止める様子はなく、薙ぎ払われるようにして掃射された雨粒達を更に速度を上げた女性によって無駄撃ちと終わってしまう。
僅かな隙が生まれた。それを逃すほど、女性は弱くは無いのだろう。
たとえ肩に穴を開けていようと、身体が激痛と疲労によってフラつこうとも、その身体捌きが自身を穿とうとする攻撃を躱して、攻撃までの流れをもぎ取る事が出来る強者なのだと、僕は理解した。
剣全体に紅の光が灯された。眩く、そこに女性が居るのだとハッキリと明確に鮮明に視認出来てしまう程に鮮やかな紅。
連動するようかのように女性も紅色の輪郭として纏い始めて、電波塔の先端まで駆けると、身体の向きを下にして、少女へと顔を向けた。
蹴り込んだという表現がピッタリなのだろう。
電波塔の先端は砕け散ってしまい、地面に自由落下してしまうも、それを起こした女性は電波塔を踏み台のようにして、少女へと急接近して、握っていた赤と金の装飾が施された剣を縦に振るう。
その一連の流れは僕の視界からは、紅の閃光が迫ったようにしか見えず、唖然としているのみだった。
「マジですかぁぁ?⋯⋯なんちゃって、ホイ」
杖が振り上げられた。軽やかに優雅に粛々と。
瞬間、女性の後を追って居た雨粒から少女の背後と脚付近に待機させていた雨粒が動き出した。
「くっ!」
紅の閃光は一気に速度を落としてしまう。
水分が蒸発したような煙を発生させて、火花を散させながらも、女性本人はピクリとも少女の方へと進めずにいる。
雨のカーテンが女性の剣を遮ってしまったのだ。
さながら滝のような激流が女性の持つ剣の剣身に浴びせられていき、閃光にも似た眩い光と付いた勢いと俊敏さは影も形も無くなってしまう。
「あれぇ〜?まさか、かの【紅閃姫】お嬢ちゃまがこの程度ですかぁ〜?やだ、ウケるんですけど〜、アッハッハッハッハ〜、傑っ作なんですけど〜〜っ」
「減らず口が相も変わらず減らないのだなッ!貴様は!」
「減らず口ですからねぇ〜。仕方ないっチェ」
「⋯⋯うぅ!」
下から流れる激流に弾かれるように女性は空から陸へと落下していく。
けれど、女性は焦った様子がなく、平然と少女と落下予測箇所を目視で確認する。
頭が下になっている体勢のまま、身体を少し反らすと、真下へ向かって剣を薙ぎ払う。
紅色の眩い光が剣から発光していき、女性の真下にある地面へ向かって光線が放たれていく。
地面に衝突したその光線は煌びやかな紅色の粒を上空へと撒き散らしながら衝撃を発生させた。
少し離れていた僕の所まで衝撃は風となって伝わり、建物の壁に凭れながら身を縮こまらせていた僕は、その衝撃があまりにも強くて、危うく紙吹雪のように飛んで行きそうになってしまうものの、衝撃自体がたったの数秒間のみであった為、瞼を開けて、女性の方を見つめる。
女性は息を切らして、剣を支えにしてしゃがみこんでしまっており、疲労の表情が滲み出ていた。
「はぁ、はぁ⋯⋯⋯⋯。これはマズイかもしれないな⋯⋯」
「あぁ!⋯⋯っ!大丈夫ですかぁぁぁぁ!!」
大声で叫ぶものの、一向に気付く気配がない。
もしかしたら、気付いているけど、無視している可能性もあったのかもしれない。
僕は血迷っていたのだろう。
状況を見るならば僕は何も出来る事はなく、黙って家に帰って今日の事を忘れようとするかのように布団に篭もるのが正解だったのだが、あろう事か駆け寄ってしまったのだ。
長く続く歩道の真横にある信号を一つ渡り、大通りにいるその紅色の髪をした女性の元へと。
死なせなくない。勿論、それもある。大いにあったが、一番の理由は後悔したくなかっただけだった。
あの女性も少女も訳が分からない怪物のような力を持っている事は嫌でも理解しているが、それでもあの紅色の髪をした女性が良い人だという事は分かってしまう。
敢えて、遠くへ行こうとする時も、人気の少ない場所を選び、初めて会った時もこういった事に関わらせようとしたくなかったからなのだと、僕は既に察している
ならば、あの人は誰が助けてくれるのだろう。
僕は非力で恐らく此処に居たとしても邪魔になるだけの存在だろう。分かってるし、理解もした。
けど、何もしないままはきっと、何時か自分を蝕んでしまうって知っていて、辛そうなあの人をただ単純に見ていられなくなってしまったから、僕は走った。
ここで選択したのは僕の意思であって二人の意思ではない。
邪魔であろう僕に忠告のような言葉を放った少女もきっと巻き込みたくないのだろうというのは気付いている。
そうでないならさっさと僕を殺せば事済む話であり、他人で忠告を破った僕はこれから馬鹿にされ続けるし、呆れられる事も言われるだろう。
分かっていて尚、僕はあの人の方へと走ってしまった。
「さぁてと、【奉零徒達】⋯⋯、あの姫ちゃんをやっちゃいなさ〜い!!」
少女の周りを漂う雨粒達は線を描く。
水色の光を纏って、美しい曲線を夜空から地上へと降り注ぐ。
「ッ!はぁ、はぁ⋯⋯。最後の賭けと出るか⋯⋯。いや、もう魔力がないか⋯⋯」
降り注がれる雨は紅色の炎を消化する浄化の光。
剣先は地面へと当てられて、下を向く事なく、潔が良いまでに少女を見つめた。
灯火が消え去る。それが僕には懐疑的であり、否定したい事柄であり、実行してしまった故に助けたいと動いてしまった罰が僕に降り注ぐ。
「逃げろォォォォ!」
「え?!」
「はァ?!ちょっと待ってッ!?」
僕は女性を押し倒した。文字通り、穴の空いた女性の左肩を手で押して、女性の居た位置に僕が代わりとばかり立つ。
だから、穿たれた。激痛なんて生易しい程に、激しい水色の光は身体を貫通する。
「うぅっ〜〜!!がはッッ!」
光が僕の身体を通り過ぎたのは三秒間という短い期間であるものの、人生で味わった事のない強烈で壮絶で圧倒的なまでの痛撃であった。
細く、有り触れた雨という曲線が僕の上半身にポッカリと穴を開けて、僕は倒れ伏せる。
そんな僕の元へと駆け付けるようにして抱える女性は酷く狼狽した様子であり、僕の身体にポッカリと空いてしまった穴に手を抑えながら、僕の顔を見つめる。
「君?!⋯⋯なんて事だ!ッッ〜〜!何故庇った?私と君は、それほど親しい間柄でもないだろう?どうしてこんな真似を?!」
「うぅ、あぁ⋯⋯助け、たかっ⋯⋯か⋯⋯」
度肝を抜かれたように、口を僅かに開けて、俯いた女性は次に悔しがる表情を見せた。
抱えられる手が震えているのを感じ取れていたものの、僕自身の身体の感覚が徐々に薄れてきたせいで、触れられているという感触が無くなってきている。
寒気と体内から口内へと不快感が迫ってくる。
「信じられないんだけど⋯⋯。この子、貴女の知り合いだったりするの?」
少女が宙から降りて来た。敵を前にしているという状況とは思えないほどに接近する少女ではあるが、女性の方も戦意を失ってしまい、少女を一瞥もしない。
「⋯⋯違う。今日の夕暮れ時に一度会っただけだ。偶然な⋯⋯」
「⋯⋯だとしたらなに?この子⋯⋯。最悪の気分なんですけど?⋯⋯あ〜もう!こういうの好きじゃないのにさぁ〜!」
死んだ後も耳はまだ生きていて聴こえる。そう聞いた事がある僕。
それが事実ならば、僕が死んで少しの間は彼女達の会話ぐらいは聞こえるのだろうか。
「ねぇ、【紅閃姫】ィ?この子と契約してくれない?」
「⋯⋯何を言い出す?」
「だって、そうしないと助けられないもん」
「待て!助けられるのかッ?」
声を出せない。「どういう事だ?」と口にする事が既に出来なくなっている僕は、せめてその方法だけでも聞いてやろうと意識を集中させた。
「そうだよ?でも、その為にはこの子の現状の状態が悲惨過ぎるの。だからさぁ、敢えて契約して、この子と『生命の繋がり』を繋いでくれない?」
「分かった」
「⋯⋯即決過ぎない?言いたくなんてないけど、デメリットだってあるんだよ?」
「どの道、あのまま戦っていても敗れていたのは私だからな。ならば、彼だけでも生かす方向に進むだけの事」
「はぁ〜。これで私の雇い主に怒られるのは確定かぁ〜。あ〜ヤダヤダ」
意識が遠退いていく。目を開けていられない。
待って欲しいといくら心の中で叫んでも、僕自身で選んだ事と結果であり、誰かが強制した事ではない。
だから、ここから先の言葉が聞けないのも、きっと罰なのだろうと、考えたくはなかった。
微睡んだような感覚が僕の身体を包み込む。
居心地の良い気分と一切の激痛が伴わない安寧の世界。
そんな場所で漂う僕は、ただ流されるのみ。
瞼を閉じて、開放的になる心と真っ暗ながらも幸せの世界に、眩い光が閉じた瞼を貫通して見えた。
それが一体何なのか、それを確かめようにも明る過ぎて、背を向けたくなるものの、身体は自由が効かない。
それでも、明るくて、眩くて、壮大な光は僕という存在を矮小でちっぽけだと思わせる程の発光を見せており、少し不快になる。
精一杯腕を伸ばした。それが邪魔で、目障りで、安息を阻む障害を少しでも遠ざけようとするべく。
それに相反して、その光は近付いてくる。
閉じた瞼越しに徐々に白くなる視界がそう理解させていた。
その光はすぐに僕を包んだ。包み込んで、白から紅に視界は染まっていき、温かくて、燃え上がっていく。
身体は熱に充てられて、焼け爛れそうな程の劫火。
世界は黒から紅一色となり。やがて、僕は誰かに背後から抱き留められる。
それが誰なのか、僕は理解に及ばないのだ。
「君、───頼む、起き───君ッ!」
女性の声がして、思わずハッと目を開けると、声を上げていた女性が、嬉しそうに顔を覗き込んだ。
「本当に良かったよ。⋯⋯全く君って奴は⋯⋯」
紅色の前髪が僕に向かって垂れており、影のせいで黒くも見える。
僕はこの状況を察してしまった。
膝枕だ。男の子の浪漫であり、夢にまで見る光景。
どう考えても位置的にも、頭は柔らかい何かに乗っけられていると感触で伝わる。
けれど、僕は申し訳なさと突然の事による緊張と恥ずかしさで顔から火が出そうになり、僕は慌てて起き上がろうとする。
「ごごごご、ごめんなッ!!うぅ〜〜ッ!痛ったぁぁ」
上げられた頭は再び女性の太腿へとダイブしてしまうも、それを意に介した様子はなく、一安心とはならない。
僕が受けた傷は上半身の腹部と胸部辺りの筈だったのだが、今僕が歯を食いしばって痛みに耐えているのは左肩と右脚なのだ。
全くもって理解出来ない。貫かれた穴がどうなったのか、少女は何処に行ったのか。
それも聞かなければならないと言うのに、痛みで口を開く事を躊躇いそうになる。
「暫くの間、じっとしていろ。君は仮にも死にかけだったのだから⋯⋯」
「は、はいぃ」
「私は君に言わなければならない事が出来てしまった。だが、その中でも最も最初に言わなければならない事が一つある」
「え?」
「君は大馬鹿者だ。あれほど関わるな、構うなと口にした筈だ。それがどうして私を庇うという判断に至ったのか、私には理解しかねる」
理由は告げた筈。けれど途切れ途切れだったような気もしなくもないと思い、もう一度それを口にする。
「助けたかったからですよ⋯⋯」
「その根本的な理由を聞いているのさ」
根本的な理由。ならば一つしかない。
馬鹿なぐらいに自分本位で身勝手ではあるけれど、それでもはぐらかすというのは違うような気もするし、何よりもそれを僕自身が許さない。
「後悔したくなかったんです。辛そうな貴女を見て、何もしない自分が嫌で⋯⋯、逃げ出したら自分が嫌になっちゃうから。⋯⋯だから、僕は貴女の所に行きました。優しい貴女を死なせなくもなかったから」
言わなければならない事は詰めて言った。
その詰められた言葉を悲しそうに受け取った女性は、僕の頭を少し撫でると、悲痛そうに微笑む。
それと呼応するように僕も悲しくなってしまう。
そんな資格があるかと言われればきっとないのだろう。
自分で決めてしでかした事と顛末なのだから、後味も悪いときた。
「⋯⋯⋯⋯。そうか⋯⋯。私自身の価値をそこまで評価してくれる事は素直に嬉しい。けど、それならば、もっと自分の価値もちゃんと見て欲しかったよ、私は⋯⋯」
「⋯⋯すみません」
「いや、謝るのは私の方だな。本当にすまなかった。自分の不徳の致すところだ。君と言う無関係の人間を巻き込んでしまい、挙句に死なせてしまう所だったんだ」
何も言えなかった。事実として無関係であり、死にかけていたのも間違いなんかではない。
生きているのも、少女と女性が何かしらの方法をとったのだと、僅かに記憶している。
けれど、それにしては女性の傷が少し治っているように思えてならない。腕の擦り傷や頬や口元に付いていた血の跡が無くなっているようにも窺えるのだ。
「あ、あの⋯⋯傷は?」
「ん?あー、心配ないよ。言っただろ?私は頑丈なんだって。君が思っている程、私はか弱いつもりは無いよ?」
「⋯⋯そうですか。良かったです」
「君は自分の心配をしなければいけないよ?この世界で言うならば危篤状態というものに限りなく近かったんだから」
「⋯⋯この世界?」
女性の言葉の意味がイマイチ掴めなかった。
まるで、別世界があるような言い回しであり、意味であるように聞こえたそれは僕の頭を混乱させて、糸が縺れるようにぐちゃぐちゃとなっていく。
「その事も踏まえて話すとしよう。⋯⋯取り敢えず、落ち着いて話せる場所が欲しい。何処か良い所は無いか?」
「僕の家しかないです⋯⋯」
「よし。では、君の家に向かうとしよう。さぁ、立ってくれ。流石の私も、膝枕というものは長期間だと脚が痺れそうになる」
「あ、はい!」
慌てて僕は女性の太腿から脱却した。
僕は忘れない。あの感触を未来永劫。
起き上がって最初に分かった事、それは、どうやら僕が寝ていたのは、僕が倒れてしまった箇所のまんまらしい。
アスファルトの地面には、よく見ると血痕が付着しており、生々しさを感じざるを得ない。
自分の血を見て引いてしまう日がやって来るとは夢にも思わなかった僕だが、雨が止み、車が走行していない事や人通りが無さすぎる故に発生している静けさに違和感を感じた。
まるで初めから誰も居なかったかのような大通りは僕も人生で初めて見る光景で、異質さを覚える
「そういえば人が全然居ない⋯⋯」
「あ〜、アイツが人払いの結界を張り巡らせていたからね。本来は君も自発的に帰りたくなる筈なんだが⋯⋯」
「あ、あはは⋯⋯」
「笑い事じゃないぞ?君って奴は⋯⋯⋯⋯。あぁ、そう言えば名乗っていなかったか。私の名前はシルティア。シルティア・フォン・ユーベルアインだ」
「僕は三崎浩史です。えぇと、ユーベルアイン?さんでいいんですかね?」
「ユーベルアインでもシルティアでもどちらでも良いよ。私は呼ばれる名前に頓着はない」
「じゃあ僕の事は浩史と呼んでくれて構いません。シルティアさん」
「さんは要らないし、その丁寧な話し方もよしてくれ、コージ。私はその方が気が楽なんだ」
(そういうものなのか⋯⋯。結構フランクというかなんというか。まぁ良いか)
何がともあれ気が楽になった僕は手を差し出した。どんな理由であれ、助けてくれた人間に出来る敬意が尊重とこれぐらいしか思い至らなかったからだ。
差し出された手を不思議そうに見るシルティア。
「あれ?駄目でしたか?」
「⋯⋯いや、すまない。こういった事に慣れていないだけなんだ。これから宜しく頼む」
少しの驚きを見せつつも、嬉しそうに僕の右手を掴んで握手する左手は僕でも優しく包み込めそうな程の大きさで剣を振るっていた手とは到底思えなかった。
そして、何よりもシルティアの放った最後の言葉の意図がピンと来ずに、首を傾げてしまう。
━ ━ ━
ハッキリ言わせて貰えば、僕はかなりドギマギしている。何がと言われれば一つしかない。
自宅に女性を招いた事、そのものである。
僕の人生において、異性を招くという慣習がある訳でも、親し過ぎて毎日朝起こしてくれる幼なじみがいる訳でも、恋人がいた経験もない僕にとって、こんなイベントはドギマギの一途を辿らずして何を辿るのか。
シルティアは僕の自宅に入ると、辺りを興味津々な様子でキョロキョロと見渡していた。
じゃあ早速、お茶でも出そう。そう思っていた僕だったのだが、大事な事に気が付いてしまった。
(お茶⋯⋯切らしてるじゃないか?!)
元々、スーパーへ買い物に出掛けた最大の要因は『お茶』を購入しようとしていた事であり、行きの時点でとんでもない事に巻き込まれて──巻き込まれに行った僕はすっかり『お茶』の事が頭から抜け落ちていたのだ。
そんな僕にも気付かないで、紅色の髪が特徴的なシルティアは嬉々として言葉を紡いでいく。
「初めてこの世界に生きる民の家にお邪魔したが、中々になんと言うか、設備がしっかりとしているという情報は本当なのだな。素直に驚きだよ」
壁をノックしてみたり、キッチン周りをペタペタと触れてみたり、脚を擦るようにしてフローリングの踏み心地を堪能してみたりと中々にアクティビティなお方のようだ。
「⋯⋯僕はシルティアの言ってる事が全然判らないんだけど?」
「その辺も含めて話そう。⋯⋯座って良いかな?」
「どうぞどうぞ」
シルティアは「すまない」と口にして、ダイニングにある椅子に座る。
丁寧というか、綺麗な所作が目立つシルティアは何処かのお偉いさんなのだろうか?気品のある動作や仕草が度々、目に移っては僕はそれに見蕩れてしまう。
「さて、何処から話そうか。うん、まずは私の事を知ってもらおう」
流石に僕だけ座らずに起立したまま彼女の話を聞くのは疲れてしまうと思い、真正面に向き合うように僕も椅子に座った。
聞く準備は整った。お茶菓子も出さず、大したもてなしも出来ていない中、僕はシルティアの顔を真摯に見る。
「私は、この世界とは違う世界からこの世界にやって来た、『バルファザル王国の第二王女』の地位に就いていた者だ」
「⋯⋯⋯⋯」
駄目だ。もう分からない。初っ端からフルスロットルで弾け飛んだような内容で、もう頭がフリーズしそうになる。
頭痛にならないのは漫画とアニメをそこそこ読んで、観ていた事が起因してるのかもしれない。
そうだと信じたい。
「えっと、どうしてこの世界に?何かあったの?」
「あぁ、それなんだが。私達の世界で突然白い光が空から降ってきたのだが、それに巻き込まれてしまってこの世界にやって来てしまったのだ」
「えッ!!」
アニメや漫画だと絶滅エンドを辿りそうな事を口にしたシルティア。
僕は彼女に大変失礼な事を口走ってしまう。
「幽霊なの?」
対して、彼女は柔らかく微笑んだ。
可憐で美人。それでいて生真面目な女性がここまで綻んだ笑みを浮かべるとここまで爆発力というものがあるとは、今日この日まで知らなかった次第なのである。
「幽霊ではないよ。私は正真正銘、生きている」
「そ、そうなんだ良かった〜」
「まったく」
僕も自然と笑みが零れる。
それに呼応するように彼女がまた笑む。
「話の続きだが、私のような存在が他にも多数この世界に居る。その一人がフィローネ⋯⋯、私と先程まで戦っていた相手なんだ」
『フィローネ』とは、あの白い軍服みたい格好をした金髪の少女の事であり、雨粒を物理法則度外視で目の前に居る彼女に浴びせて、僕の上半身を貫いた人物。
フィクション性に限りなく近い力を持った人達がまだ居るというのは、不謹慎ながら少し気になった。
「何人居るとかは分かるの?」
「少なくても、私が見た範囲では三人。フィローネにダイブリンという大男、それとパスカルという青年だな。けれど、彼等の話を聞いた限り、未だ私の世界からやってきてしまった者達が居るのは確かだろう」
僕の想像だが、シルティアはその三人と戦っていた可能性がある。憶測で聞いたら良い事なのだろうけど、それよりも気になる事があった。
『この世界にやって来た』というが、逆はどうなんだろうか?というものだ。
どういった経緯でこの世界に来たかは、詳しく知らないのだろうという事と、巻き込まれた数が相当数居るという事とは知れたが、やはり彼女にも彼女の生活があって、人生がある。
来たくもない世界に来させられてしまったのだから、それに対するリカバリーもなければならない。
少なくても僕はそう思う。
「⋯⋯元の世界に帰る方法って、あるの?」
だから、聞いてしまった。けれどこれは、間違った選択だとすぐに思い知ってしまう。
眉が僅かに動き、微かな悲壮感を彼女の顔に浮かび上がらせてしまったからだ。
助けてくれた恩人に対してそれはやってはいけない愚行であるとすぐに察する。
「まだ、調べる最中なんだ」
「ごめん」
「何故謝るんだ?君が謝る理由が無い筈だが?」
「いや、嫌な事聞いたかなって思って」
「気にし過ぎだよ。君が私を案じた言葉だという事は伝わっている。それで充分さ」
僕は彼女に気を遣われてばかりではないだろうか。
自分の家に彼女と共に帰ってくる際も、僕と話をしながら、左右や後方を定期的に向いていた。
アレは僕に被害が出ないように最大限の警戒をしてくれていたのではないだろうか。
もし、そうなら僕は、彼女に救われっぱなしという事になる。
「コージ。気になる事があるなら答えるよ?遠慮はしなくて良い」
彼女には、顰めっ面でも見えたのだろうか。
はたまた、空気が悪くなっていくという感覚に耐えられなかったのかもしれないし、一向に返事の言葉を返さない事に対しての答えのようなものなのかもしれない。
僕の事を彼女は同情的にも見える表情で微笑んで語り掛けてくれており、申し訳なさが膨れ上がっていく。
けれど、彼女から差し出された空気を変えるチャンスというものは甘んじて使わせて貰おうと、聞きたい内容を模索して、一番先に思い至った事柄を彼女に聞いた。
「え、あぁ。シルティアさんの赤い発光現象とか金髪の女の子がやってたアレって、何ですか?」
嬉々として語る彼女。
僕には何が嬉しいのかピンと来ていないが、僕は『彼女に質問した』という事が嬉しかった事による安堵なのだと、勝手に解釈した。
「よし、説明もしよう。私達は、魔力を糧にして魔法を放ったり、身体能力の向上を行ったりが出来る。フィローネの奴も浮いていたろ?あれも魔力を使って身体を浮かせているんだよ。私達の世界では皆が、当たり前のように魔力を使っているが、君達には馴染みは無いかもしれない」
「フィクションの⋯⋯、創作物の世界だと馴染み深いよ?炎の弾を撃ったり、雷纏わしたり。後⋯⋯あ、光線放ったりとか」
「魔力を使った事も無いのに、そこまでの発想が出来るのか!私達の世界よりも文明が進んでいるのを見るに、魔力が無くても生きていけそうなのだと思っていたが、やはり憧れのようなものはあるのだろうか?」
「まぁ、ないものねだりって所だと思う」
「ないものねだり⋯⋯。成程、それなら納得だ」
この世界の人々とシルティアの居た世界の人々とでは、身体の構造自体が違うのだろうか。
一見すると、僕達と同じ人間に見える彼女も、やはり電波塔を駆け上り、空中をジェット機並に速く飛んで距離を詰めていたが、あぁいうのが当たり前に出来てしまうのが彼女の居た世界な訳で、僕達の世界とは明確に違う証拠。
「そう言えば、魔力が尽きるとどうなるのさ?まさか、死ぬとか⋯⋯」
その言葉でシルティアは考え込む素振りをして、僅かな唸り声を上げた。瞼を閉じて、眉間に皺を寄せて、俯いてしまう彼女。
『第二王女』という看板を背負っているとシルティアから聞いてしまった事もあってか、かなり絵になると思ってしまった。
「うん。私達と同じ世界の仕組みならば、昏睡状態に入る。魔力を外部から摂取しないと死ぬと言っても良いから、コージの推論はあってるぞ」
頷いた彼女は平然とそう言うが、僕にとってはそんなに余裕そうな表情は見せられなかった。
「それ、軽く言う事なのか?マズくないか。シルティア?」
「何故だ?」
思い返されるのは、身体の支えとなって貰うべく剣を地面に突き刺した光景であり、肩から血が溢れ出して、腹部にも生々しい血の跡は今も残っている。
そんな傷を負いながらもそれがさも、普通ですけど?とばかりに平然な表情を浮かび上げられるのか、僕には解らない。
「だってシルティア、瀕死だったろ?魔力の有無は知らないけど、身体のダメージも込みだと、シルティア死にかけみたいなもんじゃん」
「酷い評価⋯⋯とは言えないかな。身体の傷に関しては今は大丈夫としても、魔力は確かに殆ど無い。けれど、私は君の心配の方が大きいよ」
「なんで?」
「私が君に話さなければならないのは、ここからなんだ」
真剣な表情は依然変わらず、瞳は自責の念が籠っていて、綺麗なオレンジ色が揺らいでいるのが見て取れた。
言葉が紡がれていく。
「君は瀕死で、その処置の為に私と君とで『生命の繋がり』を勝手ながら繋がせて貰った。助けられる術が限られた中これしかなかったんだ。本当にすまない」
ダイニングテーブルに額をぶつける勢いで落とされた頭に対して、唖然としている僕は、疑問が生まれた。
(謝る理由ってなに?)
人を死の淵から蘇られると罪が増える的な何かなのだろうか。
それとも、お前のせいで何が大事な物を失ってしまった、的なものなのだろうか。
代償でもあるのか。それとも、禁忌に近いものかその類いの可能性も捨てきれなかった。
いずれにしても、僕は彼女に謝らせるべきではない。
「謝らないでくれ。むしろ謝るのは僕の方だ」
「違う。君は意味が分かっていないからそう言えるんだ!」
上げられたその顔からは、悔やんだ表情が滲み出ていて、困惑してしまう僕にはその意味を聞くべきか悩ませた。
けれど、その必要は無かったらしい。
彼女は僕の困惑やつまらない悩みなど皆無に切り出したのだから。
「良いか?『生命の繋がり』は命の共有の事を意味している。小突かれる程度なら影響はないが、先のように私が肉体的にダメージを負えば、君も連動するようにダメージを負うんだ。⋯⋯」
黙って聞いていた僕には何処で驚いて、何処で喚けば良いのか判らなかった。
いや、違う。きっとそんな資格は無いと知っている。
再三の話だが、僕は自分で巻き込まれに行った立場で、忠言や警告の意を全て蹴り払って進んだのは僕の判断で在り方の問題であり、シルティアやフィローネもきっと悪くない。
強いて悪いのだとするならば、あんな街中でドンパチ騒ぎを起こした事そのものだろう。
「後、どちらかが病を発症すれば、同じ病を発症する。まぁ、生まれ持った病のようなものは影響は出ないらしいが⋯⋯。そして、私は元の世界に戻るべく、これからも戦闘を否応なくする事もあるだろう。勿論──」
「待ってっ!!そっちが不利益だと感じるならそのライフラインって奴を無くせば良いじゃないか!」
身体の異変には僕も気付いていた。
何故か痛んでいる左肩と右脚と腹部。
それは彼女が受けた傷と類似していたからだ。
けれど、耐えられない程の激痛という訳でもなく、気に掛けるのは後回しにしていたのだが、合点がいった。
しかし、明らかに彼女にとって不利益な情報が出てきては話が変わる。
どう考えても僕よりも彼女の方が不利になる条件にも聞こえたのだ。
これから先、このままだと優しい彼女は僕を案じて戦えない可能性が出てくる。
傷を負わずに勝利するのが完全勝利なのだろうが、ゲームや漫画ではなく現実だ。どう考えても傷を負わずに勝利できる場面は限りなく〇に近いのだと、今回の出来事で嫌でも解ってしまえる訳で、戦い方自体も変えなければならないのは彼女で、実践するのも当然、彼女。
僕は命を救って貰った癖に、交通事故でも遭おうものなら僕だけに留まらず恩人の彼女にもダメージが行くという事だ。
納得なんて僕には出来ない。
「『生命の繋がり』はどちらかが死なない限り解除できないんだよ」
「⋯⋯じゃあ、僕はシルティアを助けたつもりでその実、足枷になったって事か?」
彼女を押し出したあの時、自分でも誇らしい気持ちが込み上がっていて、それなりの結果ならば恐らく、死んでも満足していたのかもしれない。
痛いのは当然嫌だし、苦しいのも避けたい。
けれど、痛がって、苦しんでいる様を見せられて、平然と鑑賞するに留まってしまうのが何よりも我慢ならなかった。だから、飛び出した。
苦しんで居た堪れない彼女を助けたかっただけなのに、結果だけは残酷なものになり、生きている分、生殺しに近い。
彼女の言葉で動揺した素振りを見せてしまう僕。
けれど、彼女はそれを笑わない。笑ってくれた方がいっそ道化にでもなれて気は楽だったろうが、優しい彼女はその意図は汲まないだろう。
現に今も、少し怒った表情を浮かべているのだから。
「コージ。そういう物言いは好かない。少なくても君は本来、あそこで死ぬべき存在ではない。私達の事情に君は巻き込まれてはいけなかったんだ。それがあぁなってしまったのは、私達の落ち度なんだ。だから、コージ。私を罵るのは構わないが、自分を貶めるな」
「⋯⋯⋯⋯」
僕に対して叱責する彼女は少し悲しい表情を滲ませていた。
きっと、シルティアは誰にでも優しく、気品を保ち、そして同じ事を口にする素敵な女性なのだろう。
出逢ってそれほどに時間が経っていない訳だが、ここまでの事を言わせてしまっている僕という愚か者は、それでも何かしらの言葉を発する事はしなかった。
「それに⋯⋯」
瞼を閉じた。
開かれた瞼から垣間見えたそのオレンジ色の瞳は、彼女が僕を安心させようとしているようにも見えて、不覚にも嬉しい気持ちにさせられる。
そんな優しい彼女を縛ってしまう事になった要因たる僕がだ。
「私個人は君の命を救えて、素直に嬉しいと心の底から思っている。これは、第二王女としての言葉ではなく、私本来の言葉だ。嘘ではない」
「けど、俺が何かの拍子で死んだら、シルティアも死ぬんだろ?」
「それは逆の立場でも同じ事さ。大丈夫。私が護るよ。だから、そんな顔はしないでくれ」
僕は彼女の『護る』という言葉にどれ程の重みがあるのかをまだ知らない。
俯いて歯を食いしばった僕は諦めた様子で下手くそな笑みを浮かべる。
それを見た彼女も口角を上げて、合わせるように微笑んでくれた。
「判った⋯⋯。これからは、その。⋯⋯一蓮托生の運命共同体って事でいいんだよな?」
僕に出来る事は少数で、彼女に出来る事は多数にあって、きっとこれから先、僕が死ぬまで彼女は苦しませてしまうのだろう。
それでも、それを受け入れてしまった僕は、彼女の足枷であり、愚かで惨めな只人だ。
「あぁ。宜しく頼む、コージ」
綺麗な笑顔が僕の頬を赤らめる。
それに気付かない彼女は天然のタラシなのではないかと、疑うばかりであった。
━ ━ ━
大きな窓越しで見下ろす男の視界には二つの事柄があった。
一つは街に点々と夜空を淡く煌めかせる生活感のある街並みの光。
日本では比較的に当たり前のように広がるその景色は、見下ろしてこそ絶景なのだと、男は語る。
もう一つは見下ろす事が出来ない程に夜空の中で、紅色の一閃が紫雷と衝突した光景。
男は不覚にも見上げてしまったその光に魅了されるか如く、窓に手を当てて、覗き込むように眼球を前へ前へとやろうと顔を寄せるも、大窓というごく当たり前に存在する物によってその動きは遮られてしまい、悔しそうに眺めるばかり。
街並みにも勝る優雅で美しい赤色の光を纏って、忌々しいその邪悪な紫色の稲妻を弾き飛ばした瞬間を男は高揚感で胸を高鳴らせていき、拍手を送るほどである。
「素晴らしいぃぃぃぃ。なんて、素晴らしいんだぁぁ〜。あーーっ、アレを物にしたい⋯⋯。俺という存在にこそ相応しいと見た!そうに違いない!」
両手をこれでもかと振り、目を見開きながら、抑えられない興奮と高鳴りは動作として体現されていく。白を基調とした黒の線が幾つもある高級なスーツは手に持っていたワイングラスの中身で汚れてしまい、後方に待機している秘書の女性が目を細める。
普段の彼ならば、それを軽蔑し、嘲るような視線で悪態を付くのだが、今宵は違う。
そんな赤く形成されたシミすらも、男は窓越しに映る紅の閃光と同一視してしまう程にただひたすらに惹かれていた。
「ミスター・バイザー。替えのお召し物です」
「あぁぁ〜?あぁーすまない。思わず昂ってしまったよ。⋯⋯クライチェル、君はあの光をどう思う?」
不意に訊ねられたその質問に秘書役の女は聞いていないかのように淡々と替えとして持ってきた白のスーツを羽織らせた。
窓側を見つめると同時に激しい雷鳴が鳴り響き、紫色の稲妻は街の彼方へと吹き飛ばされて行く光景が視界に映る。
「私めには、あの光は鮮明が過ぎます故、ご勘弁を」
「なぁんだ。取り合ってくれてもいいじゃないかぁ〜。かの高名な【紅閃姫】嬢が異世界で何も分からず敵を屠ろうとする様は、如何なる奴隷の腰が効いた踊りにも勝るぞ?」
替えのスーツのボタンを素早く止めた男は、嘲笑気味に後ろに居る秘書を見つめる。
秘書は瞼を閉じて待機状態であり、一瞥した男はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「私には判りかねます」
「ふふぅん。まぁ、良いかぁ〜。『バルファザル王国』は今頃、大パニックだろうが⋯⋯。知ったこっちゃない。⋯⋯うん?」
愉快な声色が消えて、怪訝そうに大窓を覗き込む男。目を細めて、小さな豆粒程度の大きさとして映り込むその人物を注視した。
「どうなさりましたか?」
「【四聖の魔女】⋯⋯。何故ここに?」
「っ!我々の計画が悟られたとい──」
「ない、百パーセントない。ある筈がない。奴に語らう友も居なければ、親密な友愛など持ち合わせていない。もし居るのならば、此処に立ってすらいないだろう。それに勘づかれたとして、あの小娘に何が出来るという話だ」
断言しきった男は不敵な笑みを浮かべて、ワイングラスを揺らしていく。
絶対的な確信と明確な成功性が男をそうさせていき、革靴を大理石の床をリズム良く鳴らして後ろに居る秘書を再度見る。
【四聖の魔女】の名称を聞いた秘書は珍しくも驚いた表情を浮かべさせており、視線が交差した。
「先走った事を。申し訳ございません」
「構わん。今日は機嫌がいい。⋯⋯シルティア・フォン・ユーベルアイン。奴を捕獲して、俺の所に持ってこさせろ。奴のあらゆる物は俺の物だと今、決めた」
ワイングラスを真上に投げた。鮮血にも等しい濃厚な赤の液体は、宙へと撒かれていく。
頭上へと落下しそうになる液体は男が指を鳴らした途端、四散しようとする液体は一箇所へと集まっていき、玉状へと変化して口の中へと運ばれていく。
喉を大袈裟に鳴らして、飲み干した男は自信満々な顔色を浮かび上がらせており、秘書に溜め息を吐かせた。
「期限は」
「シルティア・フォン・ユーベルアインは強敵だからなぁ〜」
考える素振りをする男。その背後では、雨が降っており、窓を鳴らしている。
そして、その雨は動きを止めたと同時に、男はその定めの時刻を申し付けた。
「三日⋯⋯そう、三日だ。良いな?」
「畏まりました」
駆け足気味に秘書は退室していき、それを蛇が睨むような眼で見送ると、大窓から見える景色を眺める。
不敵な笑みは止まらない。
「さぁ〜、愉快に素敵に、俺の礎となってくれェ!召喚されし馬鹿共ォォォ!」
━ ━ ━
「おおぉ〜!コージ!君はこの世界では厨房係か何かなのか?」
毅然と待っていた彼女の表情は、僕が皿に盛ったある料理が机に運ばれた途端、一気に破顔した様子を見せて、持っていたスプーンをルンルンで小さく振っていた。
「違うよ。僕が作ったんじゃなくて、冷凍食品っていう簡単楽チン料理だ」
「こ、これが!これほどの物が簡単に作れるなんて、やはりこの世界は進んでいるな!」
どうやら、彼女の世界には電子レンジもなければ、冷凍食品はないらしい。
冷凍保存で食材を保管するという事はあるらしいが、魔法を使っている保存しているらしく、替えが効かない専門職まであるのだとか。
「まぁ、食べなって」
大皿に盛り付けたそれは米がメインながらも様々な調味料と香辛料での味付けも可能であり、誰でも一度は聞いた事のある料理。
「えぇと、確か。いただきます⋯⋯で、良かったかな?」
「うん」
スプーンを机に置いてから手を合わせた彼女は、徐ろに合掌をやめると、待ちきれないとばかりにスプーンを持って、湯気が立ち込めたその料理に入れ込む。
(まぁ、冷蔵庫の中身なんて無いに等しいから、冷凍食品くらいしかシルティアに食べさせられないんだけど⋯⋯)
冷蔵庫の中身は壊滅状態ではあったが、冷凍庫は違う。料理をする気もない僕にとって、冷凍食品は救いの女神であり、神から差し伸べられた助力の手と言っても差し支えないのだ。
冷凍食品は美味い、簡単、種類が多いと三拍子を売りにしている中、それに飲まれた僕も是非、太鼓判を捺したい。
そして彼女にとって、果たして皿に盛られた冷凍食品は受け入れられるかは、聞くまでもないようだ。
「うん〜っ。美味い!私の世界では味わえない物だなぁ」
「良かった、良かった」
ゆっくりと料理が口に運ばれていったのだが、何故か此方をチラッと見つめると、スプーンを持つ手は皿から離れていった。
「君は食わないのか?」
何を思ってそれを気にしているのかは知らないが、僕は首を横に振って伝えた。
「僕はいいよ。シルティアと会う前に食べちゃってたから」
「そうだったのか。私の国では、慢性的な食糧難が続いていた事もあって、この事にシビアに物を考えてしまう節があるんだ。すまないな」
「あぁ〜、だから⋯⋯」
だから、僕の方を見たのかと、そう納得した。
日本だって、食糧難の時代はあったと聞くが、僕達の生きてる今の時代はそういった状況を打破するべく奮闘した結果の賜物で出来ている。
彼女の世界も頑張ってもらいたいものだが⋯⋯、いや他人事のように感じてしまうのは、悪い癖なのかもしれない。
「それにしても、この炒飯は美味しいな!幾らぐらいの値段で購入できるんだ?」
「だいたい、四百円あれば⋯⋯」
僕の脳内に疑問が駆け巡り、言葉が止まる。
今尚、美味しそうに食事をしている彼女の事を思えば待つのも正解だったのだろうが、疑問の払拭の為に、先に口が動いた。
「僕、このメニューが炒飯って言ったっけ?」
少なくても、僕の記憶の中では言っていない。
半分程食べ終わって、口元にある米粒を指で摘んで口に含ませた彼女は律儀に僕の疑問に対しての答えをくれた。
「言っていない。私が知っているだけだよ」
「異世界からやって来て、炒飯を知る機会ってあるもんなんだな⋯⋯」
僕のその言葉に、彼女が首を傾げて不思議そうな様子で見つめる。
僕は何か間違ってしまったのかと、この時に思ったのだが、すぐにその不安は解消された。
何か閃いた!と言わんばかりに目を見開いた彼女は優しい表情のまま言う。
「あ〜、違うんだ。この世界にやって来た時に、自然と頭の中に知識としてあったんだ。だから、直接見たのは初めてさ」
「え?何それ⋯⋯。誰がどう授けたのさ?そんな知識」
実は彼女の正体は高性能女性型アンドロイド:シルティア。というオチではなかろうかとも思考が過ぎった。
そんな要らない思考をばかりを働かせているのに対して、彼女は真面目に僕の後方にあるある物を指差している。
「さぁ、私には判り兼ねる。けれど、あそこにある物がテレビという名前である事も、あの縦長の白い箱が冷蔵庫で、此処が日本で、通貨が円という名前なのも知っているよ」
「じ、じゃあ、日本で最初の総理大臣は?」
「あ、いやすまない。総理大臣という言葉の意味は知っているんだが、著名人の事までは流石に⋯⋯」
伊藤博文の事までは知り得ないらしい。
もし答えれたのならば、日本史や世界史といった内容を教えて貰えたのだが。
まぁ、仕方ないと諦めよう。
けれど、未だにアンドロイド説を捨てきれない僕は訝しんだままであり、視線を彼女に向けていた。
「⋯⋯君、流石にそこまで見つめられると、食べづらいのだが⋯⋯」
「え?あぁ、ごめん」
「⋯⋯お腹がすいたのか?なら、食べかけで良いなら食べたらいい」
多少の名残惜しい顔をしながら、スプーンを皿に置いて、僕の手元へと寄せていく。
「え?あ、いや⋯⋯そうじゃなくて⋯⋯」
寄せられた皿を僕は吃りながらも彼女の近くに戻すのだが、言い訳が一向に思い浮かばなかった。
馬鹿正直に言ってしまえれば、それはそれで楽なのだが、言ったとして彼女が傷つくのが目に見えている。
「うん?なんだ?歯切れが悪いな。まさか、何か知らない内に魔法にでも掛かってしまったのか?!」
「あ、いや違う!⋯⋯えぇと、そうじゃなくて」
「なら、どうしたんだ?」
(駄目だ!要らん疑い掛けられて、気を遣われる。⋯⋯もういい、地獄に僕一人で落ちてやる!)
僕は彼女を傷付ける事を選んだ。
あんなに親切にしてくれている彼女に対して、要らない思考を巡らせてしまったツケのようなものだろう。
けれど、タダでは転ばない。
「いや⋯⋯。シルティアがさっき知識云々の話してただろ?見た目の綺麗さも合わさって、ロボットなんじゃないかって思っちゃいました⋯⋯はい」
僕としては、せめてもの抵抗として彼女の容姿を褒めたのだが、やはりと言うべきなのだろうか大した効果は得られなかった。
それどころか、『見た目のせいでそう思っちゃいました〜!』と言っているようなものである。
僕自らの脚で泥沼にハマりに向かってしまうという結果になり、流石の彼女も物悲しい表情を浮かべていた。
「『機械人形』と一緒にしないでくれ。私は正真正銘の人間だよ。そりゃ、君達からすれば埒外な力はあるし、私もどうして知識が頭にあるのかは解らないが、流石に傷つくぞ?」
「ごめんなさい⋯⋯」
頭を下げて謝罪した僕。けれど、彼女はそんな様子を見て少しすると、静かに笑いだした。
「ふふっ。まぁ、綺麗と言われた事自体に悪い気はしないから、今日も免じてやろう」
「あ、ありがとうございます!」
彼女の許しを得た僕は声を張って感謝を告げた。
僕は彼女が食べ終わるまで、リビングに居て、話をし続けた。
明日は土曜日である。ゆったりとした朝を迎えられれば良いのだが、一つ聞いていない事がある。
それは、彼女は何時帰るのかだ。
年齢すら聞いてはいないが、僕よりも恐らく歳上なのだろう彼女は果たして、泊まる場所はあるのか等とそんな事を考えていると、彼女が背後から声を掛けてきた。
「そういえば、君の親御さんは何処にいるんだ?ここに住む以上、ご挨拶はしておかなければならない」
「⋯⋯⋯⋯ん?」
言葉を失ってしまい、思わず振り返る。
泡がついて、水に濡れたその手で床に水滴を撒き散らせながら、僕は面食らった顔をしながら彼女を見た。
「あの?⋯⋯えと。まさかと思うけど、ここに住むの?」
「当然だ。君が言ったんじゃないか。『一蓮托生、運命共同体』だと。それに、君を守るのに遠くにいる意味が分からない」
「いやっ!?あの⋯⋯え?僕はその、気持ち的には確かに一蓮托生だし、運命共同体のつもりだったけど⋯⋯。本気で言ってるの?」
「ん?本気だが?⋯⋯あ〜、もしかして。そういう事か。ふふっ。お年頃というやつだな」
「そう言うシルティアって何歳なのさ?」
「この世界でだと、九月頃に十八歳だ」
「お前もお年頃じゃねぇか!」
結局、彼女の住む所が無いというのもあって、自室の隣部屋を使う事になった。
当然ながら、掃除もしなければならず、深夜までの間、二人で作業して何とか事が済んだのである。
プロローグは次回で終わります。
長くてすみません




