16話 砕けた日
優雅にアイスブレイクを決め込み、タブレットに入っているアプリで暇潰し程度にやっているゲームはオフィス内に響くほどの大音量。
曇天の雲は冷たい雨を齎す邪悪な合図。
男は笑う。禍転じて福と為すを地で往くように、むしろ好機であると徐ろに北叟笑み、メインフェイズへと向かう為の安全航路かつ千載一遇のチャンスを逃すまいと窓を見つめる。
ノック音が数回、それに応じるように声を出すと、秘書のクライチェルが執務室へとやって来た。
一礼、そして鈍色に乱回転する無数の光線が詰まったガラス玉を木箱の蓋を開けて視界に捉えさせると男は高級感漂う革製の椅子から立ち上がらせる。
ゲーム画面に映る勝敗は既に『WIN』の文字がデカデカと表示されており、それを喜ぶ素振りもないままに、タブレットの電源を落とすとクライチェルに着いて行く。
「クライチェル、分かってるとは思うが、ヘマをかますな?」
「我々に失敗は許されない⋯⋯当然です」
「そ〜だ。だが、【紅閃姫】の確保失敗、並びに【四聖の魔女】の動向を見失う愚行。最近の貴様は目に余るぅ。どうした?」
「申し訳ございません。ミスター・バイザー」
真っ直ぐと伸びた廊下を進む速度は一定を維持し、タブレットを抱えるように持つクライチェルはバイザーの後を追う。
バイザーは立ち止まり、窓に映り込む街の景色を細まった瞼から垣間見る銀色の瞳で眺める。
「クライチェル。俺は日本人が嫌いだ。そうやって謝れば良いと考えてしまう間抜けにも中身のない『逃げ』と、おもてなしなんて持て囃されてる癖に、内気でキモイ連中しかいない。先進国の中でも技術力が優れていたって、ゴミのような価値観の持ち主しか居ないのではなぁ〜」
それはバイザーの私観であり、結論。
蛇のような絡みつく視線は人を臆させて、高飛車に自分を奉る物言いはあらゆる者に軽蔑の念を向けさせる一種の天才。
そんな天才の蔑視から吐き出される言葉は高揚感を与えていき、バイザーの声は波に乗っていく。
「だが、俺は支配すると決めたからには内側から侵す質でね。ならば残るしかないではないか、このショボイ島国に⋯⋯」
曇天の空は黄金の一射により晴れ渡っている。
遥か遠くをガラス張りとなった廊下から一望するが、空色と白く燦々と鮮明に世界を照らす太陽があるだけの晴天。
それを妬ましいとばかりに太陽に手を伸ばし、掴む仕草を起こす。
「そして、そんなショボイ島国の中に居るショボイ貴様は何が出来る?」
「役目を⋯⋯使命を果たす──」
「違う。そんなものは規定事項だ。出来る、出来ないの話ではない。『やれて当然』なんだ。お前は生命体が生きる事を本分としている中、死ねと言うのか?ならばそれは場違いだ。私が求めている答えは違う」
クライチェルは黙々とバイザーの言葉に耳を傾けつつ、俯いたように前髪が視線を切られている。
金色の髪を作業のしやすさを重視して後ろ髪を一つに結んだ彼女の髪をそっと手を伸ばして、梳くように指をなぞられた。
視線がようやくバイザーへと向け、僅かに瞼を細めると鼻で笑って見せたバイザーは髪から手を離す。
「気ままにやれ」
「え?」
「私の会社、組織、団体、グループ、チームにおいて、機械人形は要らない。求めるのは正しく臨機応変にかつ正確であって大胆不敵の生命体だ。貴様も生き物ならば、誇りを見せろ。次はない」
「⋯⋯はい!」
再び歩き出すバイザーの後を追い掛けるように僅かに歩幅は広まるクライチェルは目に見えて活気に満ちていた。
そして、一方のバイザーはというと──。
(ふふふ⋯⋯。カッコイイ。ガラスに映る俺も、言葉を掛ける俺も、何もかもカッコイイッッ!!こうでなくてはッ!あ〜〜、俺って奴は罪作りの天才だなぁ。プロマイドが欲しいぃぃ)
表情へ出さず、自己陶酔に浸っていた。
悲しい事に、バイザーは自分が好き過ぎる男であり、社内であろうとも、自宅で一人の時であろうともそのマインドは変わらない究極の自己完結型。
エレベーターに乗り込むと、『1』『10』『4』の順にボタンを押して『下』のボタンを押す。
エレベーター上部に表示される数字の数が『2』となった時、クライチェルは『7』のボタンを更に追加で押すと、エレベーターは急激に加速し、地下を急降下した。
徐々に速度は落ちていき、チャイムの音と緩やかに開かれた扉の先には暗闇の中に淡い緑色の光が点々としている異質な空間。
地面には突貫工事により作られたグレーチングが施されており、その上を黙々と歩くバイザーだが、その後方にいるクライチェルはそのグレーチングの奥を思わず視界に収めてしまう。
(⋯⋯⋯⋯何も見えない)
ひたすらの闇。暗く、前方を観れば淡い光がポツポツと漂っているのが分かるというのに、下方向は何もなく、思わず脚を竦めてしまう。
一方のバイザーはクライチェルの様子に気付いていながらも意に介せずといった様子で脚を動かしていき、淡く光った物の正体が輪郭を宿していく位置にまで進む。
それは筒状のタワーのような形状をした機械が天井に値する地面と密接する所まで伸びており、その中心部分はエメラルドグリーンにも似た液体がガラス張りの状態で観察が出来て、そんな構造の為か、液体の光が漏れていた。
周りには電子機器とモニターが十数台に暗闇の中心に位置する筒状の機械の小型式の筒状の機械が空間を取り囲むかのように建造されている。
そんな機会だらけに塗れた場所でひたすらモニターを睨みながらキーボードを叩いている老人が一人。
白衣を羽織り、チェック柄のシャツの色合いによってミスマッチ感を漂わせるものの気にも留めずといった具合い。
腰は曲がり、右頭部は禿げてしまい、左眼を隠すようにボサボサとなっている左頭部の髪は垂れ下がっていた。
目付きも含めて人相は悪く、隈が濃く浮き彫りとなっている老人に声を掛けたバイザーはその姿を鼻で笑う。
「バイザーか」
「ふっ。俺以外にここに来る訳がない」
嘲るようなその態度は何処か親しく、馴れ馴れしい物言いと腕を組む姿勢を崩さないバイザーは点々と淡い光が点いている機械の山々を見る。
天井や壁に照明の類はなく、正面にあるタワーのような形状とバイザーと老人を取り囲むようにある機械のガラス越しから漏れている緑の光だけが光源となっていた。
当然、そんな空間ならば、視界は奥までを見定めず、暗く黒い景色が続くのみ。
老人は自然と眉を顰めて、目を細ばらせた。
「うぅん?クライチェルはどうしたんじゃ?」
「後方で足踏みだ」
「いかんのぉ〜、最近の若いのは⋯⋯」
呆れた言葉には嘲笑や嫌味といった声色はなく、口癖のように出てしまったもの。
その為か、顔色一つ変えずにキーボードへと視線を移し、淡々と作業を進めていく。
「そういう貴様も爺ならではの戯言が増えた。歳だ」
「何を言う。儂は十歳の頃から言っとるわ」
「老害よりもタチが悪い事、この上ないな」
鼻を鳴らして、近くにある机にポケットに手を入れながら凭れ掛かったバイザーは正面にある巨大なタワーを見つめる。
淡い緑色の光は小さな微粒子が溢れており、視界に白い点を作っていく。
それが気に食わない様子で目線を落として、履いている白い靴の汚れを確認していた時、ようやく突貫工事で敷かれたグレーチングエリアを抜けたクライチェルが足音を盛大に立てながらやって来た。
「遅れました。ミスターバイザー」
「おぉー、久しいのぉ。クライチェル」
「ミスターマルドス。ご無沙汰しております」
丁寧に一礼をし、思わず白衣の老人マルドスはニッコリ。
照れ臭そうにするクライチェルは木箱を一つ両腕でしっかりと大事に抱えていた。
「ふぉっふぉっふぉっ。女子は良い。愛嬌があって活力が湧く。お主とは大違いじゃなぁ」
「爺を悦ばせる術など、俺には不要だ。むしろ、俺を喜ばせる術を求めて欲しいものだ」
両腕を広々と伸ばして天からの祝福を仰ぐ。
そんな様に苦い顔を浮かべるクライチェルとその二人を交互に見つめて、呆れた溜め息を零しながらクライチェルを同情的な視線を向けていた。
「クライチェル。お前さん、よくこんな奴の筆者やってられるのぉ〜」
「ミスターマルドス⋯⋯。失礼ながら、筆者ではなく、秘書です」
「うぬぅ?そうじゃったか?では、そうだな」
「ボケ始めたか。悲しいなぁ、天才学者」
「ふっ。悪の魔女と光の勇者に返り討ちのように魔力を剥ぎ取られた間抜けに言われとぉ無いわ!」
「アァ?!」
銀色の目付きが大きく変わる。触れられたくはない禁止言葉であり、過去唯一の対抗者。
苦渋と泥に塗れさせられ、可哀想な者を見るように殺生をせずに見過ごすという行動に走った黄金の勇者。
罵倒のレパートリーで心を揺さぶり、子供のように弄ばれた挙句、鼻で嗤った黒衣の魔女。
どれも直接拝んだのは一度のみ。しかし、その一回がバイザーの神経を逆撫でするには充分な程の行いであった。
欲しい物は必ず手に入り、天才にして最強を欲しいままにしていた男の二度の挫折。
一度目は勇者だからという体裁で保てたかもしれない余裕は若干、十四歳の小娘に肉塊に変えられて、近場にあった古びた木造建築の精肉屋へと金銭に替えられて大笑いをかましながら去っていく。
そんな過去のせいで、強い復讐心は滾っていた。そう、滾っていたのだ。
しかしそれは過去の事であり、既に終わった事。
「⋯⋯チッ。あの馬鹿共のせいで、俺の計画はかなりの遅れを見せてしまった。結局、剥ぎ取られた魔力もそのまま⋯⋯。挙句の果てには予定外の奴らもこの世界に来る始末⋯⋯」
バイザーは自身の両手を見つめ、体内に流れる魔力を測る。
しかし数秒もすると、銀眼は瞼によって細くなり、舌を鳴らす。
何も変化がない。弱いままであり、魔力を削られて右半身はその際に痺れが残ってしまっていた。
まるで魔女の呪いのようにしがみ付いて離れない。
挙句、会得していた魔法は黄金の剣によって制御不能の暴走状態。
ハッキリ言えば、全盛期を知っている者からすればあっけらかんとする程の弱体化。
これに悪態をつかない理由も見つからない。
「ほぉ〜。予定では【紅閃姫】と【紫雷尽くす天王】【地壊灰塵】【黒点】のみの予定だった。⋯⋯して?誰が追加で呼ばれたんじゃ?」
「【四聖の魔女】、【誘零なる散華】、【青勇馬剛】とかいう魔女とブスと毛だるまだ」
「それと【放浪妖精】、召喚後に亡くなったのは【ハチマキ傭兵】と【恒久光波】に後──」
「なんだ?」
ここに来て言葉を濁す意味は何か?
バイザーには理解出来ず、急かすように手でジェスチャーを送る。
「これはまだ確定情報ではありませんが、【空白の使徒】も介入してる可能性があります」
思い浮かべるは淫靡にも似た雰囲気を醸し出す長髪と怪しさを漂わせる眼と独特な戦闘スタイルの女性。
それを不意に苦い記憶と共に思い出してしまったバイザーは思わず顔を顰めて、爪を噛む。
「ブラン娘か?!チッ。アレは唯一俺と相性が良い奴だ⋯⋯。下手に戦うと最悪の事態だな」
意外な言葉がバイザーから発されたものだとマルドスは感心そうに眉が上がった。
この男、人前では滅多な事では自分を下げるような言葉を口にしない自己愛者であり、誰もが認める強者。
だからこそ、長い付き合いでもあるマルドスからすればレアなものを拝まされた気分となっていた。
「そうか、お主。確か、攻撃が効かなんざのぉ」
「煩い。そんなのは当然の事だ。この俺様に触れて良いのは俺のみなのだからな!」
しかし、すぐに態度は硬化してしまう。
「クライチェル⋯⋯。前よりもコヤツの性格、曲がっとらんか?」
「元々、曲がってます。今更一ミリ曲がろうと誤差です」
見知った人間からすれば公認のようなものであり、より酷くなって尚、自身の言動と行いを振り返る事など知らない男・バイザー。
そんなバイザーを古くから知る者としては、胃の痛い気持ちとなってしまう。
「マルドス、それで?何が原因でこんなに予定外の奴らが『召喚』されてしまっているのだ!」
予定では四人。しかし数は増えて十人以上も召喚されてしまっているという現状はバイザーにとっては不利益にしかなり得ない。
散り積もった野望と野心は既に視界に捉えており、手を伸ばそうとすれば距離は更に近まっているというのに、それでも最終目標側から遠退いてしまっているかのように離れる。
苦渋に塗れる事を嫌い、努力よりも結果、信念や気持ちという曖昧なものを嘲笑う男がそれでも唯一欲するものの為に。
「⋯⋯恐らくだが、一年前のアレのせいじゃな」
一年前、それはバイザーの計画が狂った第一歩にして、軌道修正不可な所まで追い詰められた嫌悪と惨事の季節。
「【最後にして偉大なる勇者】のクソガキと【災源の魔女】のアバズレがぁぁぁぁ──」
空気が大きく震動し、銀色の魔力が身体から放出された。
青筋を立て、血走る眼球と高らかな咆哮を上げて既に消えた二人の人間に噛み付く。
「あぁぁぁんのおぉぉゴミ共めェェェェェェ!!!何時も、何時も、何時も、邪魔ばかりして!俺の魔力を喰らってようやっとッ!くたばったかと思えばァァァア!死して俺の邪魔をするとは腹立たしい事この上ないッ!」
タワーにヒビが入り、地面に亀裂が発生し、クライチェルとマルドスはその揺れに耐えかねて転倒してしまい、機械の類は悲鳴を上げ出す。
銀色の魔力は空間を完全に支配した。
「落ち着かんか!既に奴らは死んだ。お前がそう言っとったんじゃろ?!⋯⋯お前さんを邪魔する者なぞ居らん!違うかぁぁ!!」
「⋯⋯元来、俺の邪魔をして良い者など、存在してはならんのだ!」
「ミスター・バイザー!」
「なんだァァァ!?」
「あまり声を響かせますと、この空間がペシャンコです。私はまだ死にたくありません」
ピクリと眉が動き、空間を覆い尽くす程の魔力は残滓となって漂う。
揺れは収まり、モニターには危険信号のマークが大きく表示されて、一部の機材はエラーコードを吐き出して動かなくなってしまっている。
そんな中、バイザーはクライチェルの言葉に耳を傾けた。
「⋯⋯言葉の重みが増したな、クライチェル。一児の母になってからか?」
「恐縮です」
「はっ。俺には実験動物の世話の延長で引き取る神経を疑うがな。⋯⋯だが、それはお前の自由か」
「⋯⋯⋯⋯」
思わず視線を外してしまうクライチェルに同情するものなど居る筈がなく、ゆっくりと立ち上がり、腰を抑えるようにマルドスはクライチェルの元まで歩いて行く。
「そろそろ始めるぞ。寄越してくれぬか?『マテリアルコード』をの〜」
「は、はい。コチラに」
後生大事にとばかりに抱えていた木箱を開けて中に入っているガラス玉を丁重に受け取ったマルドス。
天井へと密着する程に伸びたタワーの元へと向かい、キーコードを入力すると、甲高い機械音と共に蓋が開けられた。
その蓋の中身は小さな円状の穴であり、それに『マテリアルコード』と呼ばれたガラス玉を嵌め込む。
「目を背けるな。クライチェル」
「っ!⋯⋯はい」
「貴様にも求める理由があり、必要とする意味がある。生きるとは、何かを犠牲にする方便と思え」
「⋯⋯はい」
この中で、目的や野心、野望がないものなど存在しない。
近くなれば欲して、遠ければ敬遠するその夢に向かって突き進む為に、乱回転を続けるガラス玉の中身を痛ましく見つめるクライチェルには誰も同情する事はないのだ。
「では、いくぞ?」
「さぁ、悲劇が嗤るか。悲劇に踊るか、見物だなぁぁ」
空気を震わすその言葉は世界に仇なす挑戦状は知らぬ間に投げ渡された。
━ ━ ━
「こーじ、こーじ!こっち!」
誰かの声がした。見知らぬ女性の声色はボールのように跳ねたもので、少し気圧される。
真正面から大きく腕を振っているのが見えるのに、顔が見えないでいた。
まるで、意図して隠されているように影が濃くて、服装も黒色のドレスになる事もあれば、僕の通っている高校の制服姿になる事もあり、ローブを羽織った姿にもなった。
それが僕には不自然には思えない。
──そうだ、これは夢だ。
でなければ、こんな光景を見て不可解な気持ちにならないのならば、僕はとうにおかしい奴として自分を認める事になる。
黒い髪とインナーカラーに紫色という異質な髪色の女性はまだ手を振っていた。
後光でも差しているように真正面から溢れる輝きは、太陽よりも眩しく、まぶたを開けていられなくなっていく。
「お前、誰だ!!」
「⋯⋯ふふっ」
不敵に笑うその微笑みは声のみがよく通り、嫌な感じがしてならない。
「私達は貴方。貴方は私達。⋯⋯三位一体」
「達?⋯⋯何処にいるってんだ?」
「ここだよ」
眩しくて開けてられない瞼を辛うじて開けると、女性の隣には男が一人居た。
しかし、顔はやはり浮かんでこず、影が纏わりつくように表情も分からない。
「危機が迫っている。目覚めの刻は近い」
「⋯⋯何言ってるんだ?お前?」
言葉の意図云々よりも、その明らかに厨二病臭い台詞をよく言えるものだと、呆れてしまった。
顔が見えないのを良い事に、なんでも言って良いと勘違いしてるのではないのだろうか?
「やっぱり笑われた。アンタ、人を惹き込む才はあっても、人に気付かせる才は、からっきしね」
「⋯⋯構わない。それも俺だ」
「あっそ。っ……もう終わりかな。悔しいなぁ」
女性、男性共に身体から緑色の光が漏れ始めて、身体を確かめるようにしていた女性は何処か萎縮でもしたように身体を縮こめた。
「こーじ。今度、いつ会えるか分からないけれど──」
「浩司!俺の生涯の友。君の夢が叶う事を切に願う。そして、どうか──」
男性が僕に向けて拳を突き出して、女性がドレス姿となってスカートを僅かに指で摘んで、一礼した。
「私の事は思い出さないでね?」
「俺の事は忘れたままでいてくれ!」
「え?」
ブチッ!と後光差す世界は消えて、瞬間、真っ暗闇へと落ちていく。
代わりに僕の視界はとんでもない情報量が圧迫した。
上空に舞い上がる緑の粒子と癒しを与える光は仰向けに倒れた僕を包み込む。
ノイズが走り、視界が暗くなっていく──。
僕はあの二人を知っている気がした──。
包み込まれた右手、交わした小指の重さと紛うことなき幸せの一因。
積み重ねられると信じて止まなかった思いの断絶と恒久という名の無理難題。
夕暮れ時の約束と雨の日を必死に駆けたこの身体が──意図して忘れていく。
重くなった瞼は身体の自由は途端に奪われ、威勢良く上がったボルテージは失速して遂にゼロとなった僕は気付けば見知った天井を呆然と眺めていた。
長い微睡みに落ちてしまっていたらしく、鋼鉄のように硬く、全身が沼に浸かったと錯覚する程に重くなった身体を起こそうとするも、右手に自分のものでは無い感覚が身体を引く。
「⋯⋯リディナ」
僕の腕を枕にして、心地良さそうにして寝ているリディナは何故か僕の布団に潜り込んでいる。
(これ?何でもし放題じゃね?)
邪とは言ってくれないで欲しい。潜り込んだのもアッチ、枕にしてボディタッチを先制したのだって、触り心地の良さそうな頬っぺたを無防備に見せているのも、僕のせいではない。
水色のパジャマは少しはだけていて、可愛らしいお胸は見えるか見えないかギリギリのライン。
もう誘われていると自覚した方が律儀で利口の良いのではないだろうか、そうだきっとそうなのだ。
そ〜と、左手がリディナの胸元を目掛けて進んでいく。
「うぅぅ〜〜ん」
寝返りをうったリディナは仰向けとなって、より触りやすい位置へと移動したのだが、それはまるで、ここにあるぞとばかりに分かりやすく、凹凸の少ない部分を露骨に見せているようだ。
ここまでいくと──。
「お前、起きてんだろ」
「⋯⋯⋯⋯」
このエロエロエルフめ。既成事実でも作ろうとしているのだ。
でなければ、僕が触ろうとした瞬間に「さぁ触れ」とばかりに良いポジションに都合よく寝返りを打つわけがない。
僕の左手は進路を大きく変更する事にして、胸から緩んだ頬へと直撃させた。
迫る速度は亀ではなく犬のように、豪快に食らい付く勢いで柔らかい頬を摘む。
「むむ〜〜っうぅ⋯⋯。なんで気付いたの?」
「なんで気付かれないと思ったの?」
パチッと開かれた瞳は不満が目に見えて浮かばれており、柔らかい頬はリスが頬に食料を貯めておくように膨れていた。
「そんな顔しても乗らないって⋯⋯。というか下りてくれ。腕痺れてきた」
「じゃあこのまま」
「僕をどうしたいんだよ⋯⋯」
無理矢理、リディナを退かして起き上がる僕の右腕は痺れてしまって、やはりと言うべきか感覚がなく、力も入らない状態となっていた。
ぶらんと垂れ下がったままの左腕は勝手に治っていくとしても、隣に居座るこの妖精人は違う。
勝手にひょこひょこと着いてくるだろうし、すぐにボディタッチをしてくる。
心臓に悪いし、ドキドキで手を出しかねない。
僕は歳上派だというのに⋯⋯。
気絶してしまう前まで無理矢理耐える要因となった筈の全身の激痛は嘘のように消えていた。
これが意味するのは一つ。彼女の傷も癒えたという事に他ならない。
「コージ。良くなったならご飯作って?」
「⋯⋯切り替え、早すぎね?」
食いしん坊、万歳!冷蔵庫の中身、グッバイ!
自室を一歩出た僕は、リディナを背後から押されるような形であった。
急かされているようにも感じたし、何処となく甘えられている感じもして悪い気もない。
廊下には照明が付いていないにも拘わらず、斜線が引かれたように光が見える。
暗い部屋で瞼を閉じていて気付きにくかったが、玄関のガラス張り部分から漏れ出るオレンジ色の陽光から夕暮れ時かそれに近しい時間帯だという事が分かった。
玄関側には行かず、真反対のダイニングとキッチン、リビングが広がる空間を目指して、扉を開けると──。
左側にはキッチンがあり、その奥はダイニング、その二つの空間の奥にあるリビングに設置したソファとローテーブルへ向かって正座の状態で紅の髪をした女性が座り込んでいた。
斜めから視界に捉えた僕は『とても綺麗だ』と、素直にそう思ってしまえて、瞼を閉じている。
息を呑み、思わず立ち止まってしまった。
リビングのカーテンが開けられたことによってなのかどうかは分からないが、オレンジ色の陽光によりシルティアの端正なその姿は磨きが掛かったように美しく彩られ、見蕩れてしまっていた。
「⋯⋯ぁ」
「──っ!?コージっ!⋯⋯心配したのだぞ!」
後方から聞こえた音に気付いたのだろう。
振り返り僕を見るなり声を掛けて、涙で目を潤ませている。
「ごめん。心配掛けた⋯⋯。いや、先に心配したのは僕だ」
「うぐっ。す、すまない」
立ち上がった彼女は僕の元に駆け寄ると、ペタペタと身体を触ってくる。
「なにやってんだ?」
「異常があったら困るだろ?」
「異常がない事は自分の身体を触ったら分かるだろ」
僕と彼女は『生命の繋がり』で繋がっている為、感覚や痛覚のリンクが施されている状態。
身体の異変は自分の身体を調べれば、むしろすぐに済む。
「私が治した。ブイ」
自慢気に指を二本立てて、ドヤ顔を浮かべるリディナは褒めて欲しいのだろう。
僕は彼女の頭をそっと添えて、撫でた。
「ありがとう。リディナ」
「う、うん。えへへ〜」
可愛いなコイツ。頬が緩みきった表情は蕩けており、彼女の頭部に添えた僕の手を押えるようにリディナの両手は添えられた。
すると、シルティアがリディナの手を引き始め、リビングへと何やら小言で文句を垂れながら歩いて行く。
その意味が僕には分からないのだが、リディナは意味深な視線をシルティアに向けて、笑うのみ。
僕は首を傾げて、その状況を観察するに留まったのであった。
改めてリビングにあるソファに座り込む。
僕を砂浜まで連れて来たフィローネの姿は見えず、大男のダイブリンも何処かへ消えていた。
ダイブリンの過去を聞くと約束をして、フィローネに礼の一つもしていないので、居場所が分かるなら声を掛けたいものだが、どうなのだろうか。
「シルティア、あの男とフィローネは何処に行ったんだ?」
「あぁ、二人はいずれ戻ってくると言っていた。特にダイブリンがな」
優しく誠実であろうとするあの男の事だ、何かしらの見舞い品でもくれるのかもしれない。
そう期待している僕は、がめついのかもしれないが、それだけのダメージを感覚として受けたのも、また事実。
罰は当たらないと信じた。
そして、フィローネに関しては正直、まだ苦手意識こそ残っているが、それでも吐きそうになりながらも僕をシルティアの元まで運んでくれたのは紛れもない事実で、彼女のお陰で早く着く事が出来た。
それに、話を聞く限り、リディナも大男と接敵して重傷を負ってしまったらしいが、フィローネが治してくれたらしい。
大きく吹き飛ばされ、建物に突っ込んでしまい、一撃の重さに身体は耐え切れずに見るも無残な姿へと変貌していた、そうリディナは口にしたのだが、その言い方だと死んだみたいな言い方である。
「リディナも戦ってたんだな。僕はてっきり部屋で篭ってるとばかり思っていた」
「むーっ。それは軽率な考えだよ?私だって動く」
「あっはっは。だよな?いやぁ〜、食べてばっかだから、つい⋯⋯な?」
「酷い〜」
本当に食っちゃ寝しかしてる様子か、僕を攫った時の様子しかロクに知らないのだから仕方ない。
シルティアと互角程度の実力と聞いた事はあるが、これほどに可愛らしい歳下の女の子があのバカ強い剣撃を放てるシルティアと同等というのは、ギャップのようなものを感じる。
そして、そんな二人掛りの彼女達よりも強いダイブリン。
彼にとって二人を相手取るのはどのぐらいのものなのだろうか。
僕が来た時にはかなり余裕そうに見えたし、相当の実力者だというのは直接見た時に感じたし、曇り空を一掃するあの黄金の光線も食らえばロクな結果に繋がらないのは目に見えている。
異世界人は本当に僕達のような人間と違い、何もかもが変わっているのだろう。
そんな事を考えていると、僕の右肩にポスンと何かが乗った。
その方向に視線を向けるとシルティアが気持ち良さそうに頭を肩に乗せて寝ている。
紅色の前髪は下に垂れて、角度的にも顔色は少ししか窺えないが、本当に気持ち良さそうに寝ていた。
「彼女、貴方が起きるまでは寝ないって言ってた。負い目だね、きっと」
「そっか⋯⋯。律儀だなシルティアの奴」
「寄せて上げて。彼女も頑張ってたあの【黒点】相手にある程度は耐えていたんだから」
「⋯⋯分かった」
僕はシルティアの右脇腹に手を添えて、寄せるように力を入れる。
けれど、彼女の身体はズレていき、僕の膝元へと頭ごと落ちていってしまい、慌てて僕は腕で抱えた。
「⋯⋯っ!あっぶねぇ〜」
「コレでも起きないんだ」
「信頼、されてるって事かな?」
不安な物言いに聞こえたのかもしれない。
リディナは笑って言った。
「うん。きっとね」
その言葉が少し嬉しかった。共同生活において、信頼というのはかなり必要な要素に思える僕からすれば、こうして身体を預けてくれるというのは、一歩前進したような気分であり、自然と口角が上がってしまう。
「後、二分したら私も乗る」
「リディナは負けず嫌いなのか?」
「負けられない戦いがここにある⋯⋯。それだけ」
「さいですか」
その躍起は何処から来るのか、僕には計り知れないが、どちらにしても二人が無事で良かった。
ただそれだけの事。
━ ━ ━
大男は少年の読み通り、見舞いの品を購入していた。
袋の中身はリンゴとキウイ、バナナといったフルーツ類。
見舞いの経験なんてものは殆どないダイブリンにとっての試行錯誤。
その結果がフルーツという安直であり、外れが少ない食べ物の購入へと脚を運ばせた。
とは言え、格好からして不審者である大男は金銭だけをフィローネに渡して、買ってもらうという手法で袋を手に取っている為、二人から少年の見舞いとしてフィローネは考えていたのだが、ダイブリンにはその意図は悟って貰えず始末。
フィローネはその後、何処かへと向かい、別れたダイブリンは少年の家へと建物と建物の屋上や屋根を飛び越えながら向かっていた。
(しかし、あの少年の体内の気の流れ⋯⋯。我の聞いていた話とは何か──)
心中による思考。それは大地から溢れ出る異様な流れを視認した事で止まる。
ダイブリンの眼は特別仕様。故に人の生命力や力を込めた時に溢れ、凝縮される『気』を視認出来てしまう。
流れは点や波のように視認が可能で、人を見た際に流れる方向から攻撃が向かう位置を即座に判断出来る。
更に本人の反応速度と『神造器』の性能も加味され、この世に二人と居ない強力な戦士へと成った。
そんな男が、不意に立ち止まり、冷や汗を流す。
見つめる視線の先はアスファルトやコンクリートが広がる大地そのもの。
「⋯⋯っ?!なんだ?これは⋯⋯?!」
目を大きく開けたダイブリンは驚愕し、地面に伸びて広がっていく『気』を目視する。
一つの魔法陣が街の下を囲うように形成された。
水色の光、文字列は不明ながら、確かに感じ始めるその邪気ある者の気配にダイブリンは、焦るようにその魔法陣中心点へと向かう。
一方のバイザーはというと、高揚感を隠す事もなく、両手を広げて高らかに笑っていた。
ガラス張りになっている緑色の淡い光が外へと漏れ出ている事で色が付与されて、無色透明の小さい粒子は緑色に視認出来ている。
その変哲もない光は男の胸を高鳴らせていた。
「遂に、遂に!遂にぃぃぃぃ!完ッ成だぁぁあ!」
筒状の機械仕掛けのタワー。そのタワーに張られたガラスの中には乱回転の光が発生しだした。
マルドスは思わず拳を作り、成功を祈る。
クライチェルは顰め面を隠す様子もなくただ呆然と見つめるのみ。
バイザーは口角を上げて、成功を確信した。
「やっと、遂に……切願が達成されるぅ!遂にぃぃ──」
爆発音が一つ。真上からの強襲と爆発音。
そして、崩落でもするかと思えるほどの激震が三人を襲い、その姿を見上げた。
「何をしているのだ!【評導者】」
「⋯⋯はァ?【黒点】?!貴様ぁぁぁ何故、此処に?!」
「うおおぉぉぉぉッッ!!!──っ?!」
『大断剣』を片手に魔法陣の発生原因ともなるタワー目掛けて振ろうとするダイブリンは確かに目視してしまう。
その大きく上に伸びたタワーの中には誰かが居る。
微弱で小さなその『気』は複数ある──しかし、タワーの内部には乱回転された光のみ。
「き、貴様ァァァ?!人を使ったか!」
「⋯⋯ふっ。ほら、どうした?肉ダルマ。そのタワーを壊して見せろ。そうすれば俺の野望は阻止出来るぞ?代わりに貴様はこの世界の人間を殺した事になるがなァァァ」
『マテリアルコード』──人の生命を凝縮と圧縮の果てに造られた『生命のガラス玉』であり、乱回転する光の線は無数に束ねられた人の血管の動きがそう見せるだけのもの。
ダイブリンは顔を顰めて、バイザーを睨むも当の本人はしてやった顔を浮かべて、両手の平を擦り合わせる。
「ふふふ。死ね、肉ダルマ⋯⋯。【脈動】」
右手と左手の動きを真反対して擦り合わせられた。
瞬間、ダイブリンの身体は炸裂し、唸り声を大きく上げた状態で急降下する。
大きく倒れた衝撃と自身が降りて来た際に積み上がった瓦礫と岩等が、ダイブリンの身体を轟音と共に打ち付けられた。
「や、やったのですか?」
「馬鹿者。【黒点】がこの程度で死ぬならば、苦労しない」
「⋯⋯っっううう!うわぁぁぁぁあ!!」
豪快な雄叫びは空間を震動させていき、耳鳴りを発生させた。
マルドスは這うように退避を図ろうとして、クライチェルはダイブリンの放つ迫力と赤く燃え上がった瞳に宿る鮮烈な威圧に、堪らず萎縮してしまい座り込む。
だが、【評導者】は違う。
この男には苦渋があり、憎しみがあり、苦い思い出もある。
しかし、決して弱者ではない。見据えたような瞳は高速に近しい速度で迫ったダイブリンの一断ちを軽々しく回避し、片脚を軸にクルッと回ると、大男の背後に立ち、そっと筋肉質な背中に触れた。
「【炸裂】」
更に加えられる爆発は背中の皮を貫通し肉を爛れさせた。
骨は剥き出しとなり、痛みに思わず屈み込んでしまいそうになるダイブリンを白い靴で一蹴り。
「ッッ〜〜〜!!!」
粉塵が撒き散らされ、辺りを煙たく、騒然とさせる。
ただでさえ暗闇の中での視界。淡い緑色の光が漏れ出る機械が数多くあるとは言え、限度はあった。
クライチェルには【炸裂】から放たれた赤黒い光が弾けた灯りしか見えず、混乱を禁じ得ない。
「な、何が起きて⋯⋯」
「クライチェル。強者とはなんだ?」
「え?」
突然の質問。広々としているとはいえ密閉に近い空間から発せられたバイザーの声は木霊しているのに近く、周囲全方位から聞かされているようなものであった。
「ま、魔法が強い事でしょうか?」
「間違いではない。魔法は『攻撃』『防御』『治癒』『撹乱、陽動』と多種多様。どれもが必殺になり得て、どれもがそれを防ぐ術でもあり、どれもがそれを癒し、時に欺き愚弄する……しかし」
ダイブリンは加速した。余裕を持って話すバイザーの元へと攻撃を仕掛ける為、一撃を持って終わらせる為に。
「【吠える魂、忠義の遊び屋。眼前の闇は一振を持って払え!──柴斬りッッ!!】」
『大断剣』は蒼く燃え上がっていく。
その曲剣は線を一本。たった一本のみの蒼の線を形成し、バイザーの身体を斬った。
シルティアの【紅臨】をも超える一瞬の暗殺に等しい瞬間芸当。
ダイブリンは確信した──確実に入ったと。
しかし、その沈黙は一秒も満たない間に棄却された。
「本当の強者は『死なない事』だ。この俺のようにな?」
「なっ!何?!」
クライチェルは唖然とし、ダイブリンは困惑を顔に浮かべながら、口を開けていた。
「マルドゥゥゥゥス!!計画を進めろォォォォォォ」
「うわぁぁぁッッ!!」
呼び掛けと呼び止めを同時に行う言葉と共に、愕然としているダイブリンの顔面をポケットに手を突っ込んだまま蹴り飛ばして見せた。
その様子に白衣の老人マルドスはイケる、そう判断して急ぎ持ち場でもあるキーボードの前まで戻ろうとする。
一方のダイブリンは大きく蹴飛ばされた影響でマルドス、クライチェルから距離を離されてしまい、急ぎ起き上がろうとした。
「動くなら転がれ。肉ダルマ」
しかし、突如、上空から降りて来たバイザーにより、抉れた背中を叩き付けられてしまい、声にならない声を上げる。
「どうした?【黒点】の名はこの程度か?貴様、誰と戦っていたかは知らぬが、魔力がかなり減少しているではないか……よきよき。余っ程この俺に殺されたかったと見た」
「おのれぇぇぇ!」
「っっ!」
半月状の曲剣は突然、ダイブリンの手元まで振って来るや否や握り部分を掴み、強烈な薙ぎ払いはバイザーの顔面へと直撃した。
震えた脳は身体の制御を失い、覚束無くなる足取りが壁へと大きく叩き付けられる事でその期間はより増える。
畳み掛けるかのように、上へと掲げた『大断剣』は振り下ろす準備が既に完了されていた。
「ウォォォォォォォォッ〜〜〜!!!」
大激震が走った。クライチェル、マルドスは互いに衝撃のあった位置からは大きく離れた場所に居るにも拘わらず、身体は芯から震わされたように硬直して、倒れ込み、吐き気を催す。
土煙は蔓延り、辺りを茶色と黒のフィールドへと変化させて、グレーチングされていた場所は地面が歪んだ影響で外れて奈落の底へと真っ逆さま。
亀裂が広がる地面にギリギリの位置で座り込むクライチェルは目を凝らしてダイブリンとバイザーの戦闘の光景を観察しようとするも、突風が突如にして吹き荒れた事で瞼を閉じる。
「全く。貴様のその『神造器』は確かに優秀だ。だがな、俺の方が優秀なのだから、勝てる訳がない」
「っ!?!貴様、何故傷を負っていない?」
上下お揃いの黒のラインが入った白のスーツは破れて、上半身は裸となっているバイザーだが、傷は何一つとして付いていない。
それどころか、『大断剣』を涼しそうな顔で軽々しく持ち上げてしまい、バイザーの手元へと引く。
「それはなぁ。俺が強いからだぁぁぁぁぁぁッッ!!」
銀箔の魔力は右手に集中し、強烈悲痛な一撃がダイブリンの腹部を貫く。
「ッうわぁぁ〜ッッ!!ガハァァァ」
大量に漏れ出る血液はバシャバシャと音を鳴らして落ちていく。
それはつまり、血が近くに居るバイザーの白いスーツに付着する事を意味していた。
「おい貴様。このスーツ⋯⋯いくらしたと思ってんだァァァァァァ!!!」
自分を美しく、綺麗に。そして、勇ましく誰もが羨むように着飾る事に固執しているバイザーはワイン一滴のシミすら許さない。
血液が付着した要因がバイザー本人にあろうとも、汚されたという結果に違いはなく、憤怒の面を見せるだけの理由なり得た。
「貴様は生かしてやろうとしていたが、仕方ないな〜。殺すか」
乱雑に貫いていた腕を引き抜き、人差し指と中指を突き出すようにしてダイブリンの身体に触れさせる。
「そうだ。貴様に良い事を教えよう」
「ッッ!ぬおぉぉぉ!」
今尚握り続ける『大断剣』を持ってして薙ぎ払おうとするダイブリンの強烈な攻撃は確かに直撃していた。
右から左へと流れる突風にも似た衝撃はバイザーの身体を通り抜けて密接している壁は砕け散り、瓦礫の山を更に多くする。
しかし、それだけ──バイザーは以前表情も変えず、ただの結果報告を口にした。
「貴様ら一族を滅ぼすように愚王に進言したのは俺だ。良かったなぁ此処に宿敵が居たぞ?」
目を見開く。情報の精査をしようとするものの、上手く思考が回らないダイブリンは『大断剣』という名の曲剣が小刻みに震える事で、動揺が見て取れた。
『大断剣』に首元が直接触れてしまっているバイザーには特にそれが手に取るように分かってしまい、怪しく笑うばかり。
「な、なんだと⋯⋯。馬鹿な、ぅっ。こ、【紅閃姫】ではないのか、『ユーベルアイン』では、ない⋯⋯のか?!」
「ふっ。馬鹿め。そもそもの話、懐刀に近い貴様の親父は極めて優秀であった。そんな男に血筋だけで選ばれた愚王のコンプレックスは三人娘という汚点一つで膨れ上がるのだぞ?利用するしかないではないか?」
血筋で選ばれた『バルファザル王国』の王は決して何事においても優秀などではない。
だからこそ、家臣含めて懐刀の『ドルガンム』には確かに秀でる才が求められ、尽くす事を命じられていた。
王の汚点──男が王位を引き継ぐ習わしがある王国によって、女性は王位を引き継げない事がそうさせてしまった要因。
「貴様、【紅閃姫】を付け回していたらしいではないか?だが、残念だなぁ〜。お前の人生は俺によって徒労と無駄と無意味と不毛なだけの人生へと変わったんだァァァ!笑って見せろ?」
愉悦の笑みは止まらない。愚弄の言葉は脳を刺激し、怒りよりも早く憎しみが増築されていく。
だが、そんな速度ではバイザーには至らず、唸り声を上げようと怒号を鳴らそうとも既に時は遅い。
「【蹂躙】」
人差し指と中指から漏れた銀箔の魔力はダイブリンへと流れ込んだ。
怒りで我を忘れて襲い掛かろうとするダイブリンには既に痛覚の悲鳴よりも心境による絶叫が勝り、『大断剣』を用いてバイザーの身体を薙ぎ払おうとする。
激しい衝撃と甲高い耳鳴りが発生するほどの爆撃にも似た一撃はバイザーを襲う。
余裕を持っていたバイザーだが、ダメージが通らないだけであり、決して衝撃が通らない訳ではない。
「っっ!?!」
大きく吹き飛ばされたバイザーは左方向へと濁流に流されるようにダイブリンと距離が離されていく。
痛恨にも似た一撃はバイザーの様子を観ようとするクライチェルの身体を疾走り抜けて行き、大きく後方へと飛ばされてしまい、エレベーターがある場所まで戻ってしまい、壁に叩き付けられてしまう。
マルドスは悲願の為、野望の為、既にスイッチを起動させており、タワーが緑色の光から怪しい紫色の光を発生させていた。
「儂の望み!コレで、コレでぇぇぇぇえーーー!!」
嵐のような風は吹き荒れ、マルドスもまた後方へと身体の自由も効かぬままに吹き飛ばされてしまい、壁に後頭部を強く打ち付ける。
そして──ダイブリンは。
「済まない。少年⋯⋯君との約束は、果たせな、いようだ⋯⋯。弱き我を許してくれ、幸運を祈る」
赤黒い液体が身体を侵食し、内部から針状のものが皮膚を貫通していた。
それは自身の魔力であり、暴走であり、自害の魔法。
大量に籠められたダイブリンの魔力はバイザーの魔法によって一気に暴発してしまい、何十、何百、何千と、魔法を掛けられた者の魔力が続く限り、ひたすらに体内から針状の魔力を貫かれる。
「全く、最後の一撃⋯⋯。最も重かった。この体質でなければ、八度は死んでいたな⋯⋯。だが、貴様の命はこれまでだ【黒点】」
バイザーの視界に移るのは、人の身体の形状を失い、肉塊が赤黒い針によって何度も突き刺さっているだけの物。
茶色の肌色は血液と魔力により一切視認出来ず、大男と冠されても問題ない程の身長はもはや一メートル程度の肉塊に変貌してしまい、その傍らには『大断剣』が横たわっていた。
それがバイザーには顔が歪むほどに滑稽であり、どうしようもなく耐えられない笑みであった。
「フッフッフ。いよいよだ、マルドスが既に機械を起動している……叶う」
タワーの上空はバイザーの経営している会社がある。
それを丸々呑み込むように上空に淡い緑色の光が天を射抜くかのように伸びていき、晴天を緑溢れる異様なものへと変えていく。
「あぁ〜〜、ようやく⋯⋯。第一ステップ、完ッッ!だな⋯⋯感無量だぁぁぁ」
そう、感無量のあまり油断してしまう。
そこに刺客がもう一人居る事に気付かないでいたのだから。
「【空白弾】」
放たれた攻撃はバイザーの右腕を貫通し、タワーに直撃した。
一瞬の油断と明確な一撃はバイザーの視線を右腕へと移す。
「⋯⋯あ、あぁ⋯⋯はぁ?っ!くぅぅぅぅぅぅ!【空白の使徒】ァァァ!!」
後方から放たれた攻撃。完全な不意を突かれた一撃は目を血走らせながら獲物を探すものの、未だに漂う土煙と瓦礫の山が邪魔をして【空白の使徒】の影も形を視認出来ずにいる。
それがバイザーにとっては屈辱以外の何物でもなく、歯軋りを立てながら、八つ当たり感覚で壁を殴った。
振るったのは右手。だが、バイザーの右腕は血が流れており、痛みが起きていた。
「⋯⋯くぅぅぅぅ⋯⋯ッッ!!あの女ァァァァァァァァ!俺に血をォォォォォォォ!」
見上げた天井。突き抜けて、吹き抜けて、空が滑稽なほどに映り込む。
空は緑色に染め上がっており、黒の亀裂が入った。
そんな騒然とした中、バイザーは違和感を持ってしまう。
「⋯⋯ッ待て?!何故亀裂なんだ?多次元への道が繋がる、次空間が形成されるのではないのかッ!」
それは声にすればするほど、不明瞭な現実を直視する結果となり、睨み付けながら自身の右手の親指の爪を噛んでしまう。
たった二つの誤算。
一つはダイブリンの先制とも呼べる攻撃は機械にも影響を与えた事。
物理的なものだけでなく、衝撃によって流された瓦礫や機材はタワーに直撃してしまったのも痛手に繋がったのだ。
二つに【空白弾】はバイザーの右腕を貫通しタワーに触れている事。
透明で色もなく、音もないその弾丸による一つの効果がタワーを不調にさせたのだ。
「完全に失敗だ⋯⋯。チッ、クソが!!──後悔するだな⋯⋯。どうせアレから出るのは⋯⋯」
空が砕けた──。
単純明快で分かりやすい言葉に言い換えるならば、緑色に染まった空から発生した亀裂は決壊し、現れてしまう。
『魔物』が。
膝元に紅色の髪をした女性と肩に頭を付けて寝ている妖精人によって身動きが取れない浩司は夕暮れが広がる空を見つめる。
突然やってきた違和感は目を凝らさせ、胸騒ぎを起こす。
『砂国の王』のガンガルドは顰め面から唖然とした様子で緑色に染まった空を見ていた。
金髪縦ロールの魔女は目を細めて舌を鳴らす。
「コレってもしかして……。ヤバいかも」
異世界人は空を見上げる。その光景は一つの終わりを鳴らす鐘のようであった。
音を震わせ、ガラスが割れるような音と共に、その存在は姿を現していく。




