12話 殺る?ヤる?どっちなんだい!?
「三崎くん。ちょっといい?」
暑さが身体を蒸すかのような放課後。
引き止めるクラスメイトの声が聞こえた浩司は、後一歩出れば廊下へと踏み込めるという所で、その脚は前から後ろへと戻った。
「はい?なんだ、初島」
浩司が振り返った先には、肩よりも上で綺麗に切られたボブヘアな髪型をしている我らがクラスの委員長であり、生徒会副委員長の初島遥がそこに居た。
最近、浩司に話し掛ける事なんて事は滅多になく、背後から声が聞こえた時点で嫌な予感がしていたのだが、ここでスルーするのもおかしな話であり、それこそ怪しい人物認定されるのも嫌な為、彼女の次の言葉を待った。
「三崎くん、職員室に行くようにって、先生が」
悲報のお知らせである。しかも言われるまで完全に頭から抜け落ちていた事案。
「あ、やべぇ。忘れてた!」
ハナちゃん先生から『後で話を聞く』として、昼休みに聞く予定だったのだが、フィラーリさんことフィローネと話し込み過ぎて、すっかり忘れていたのである。
「先生怒ってたよ?『アイツはいい加減でならない』って」
「それ半分程、お前の気持ち入ってない?」
その言葉から籠められた語気や伝わってくる感情は私情がヒシヒシと感じられて、浩司は鋭い視線を向けた。
しかし当人である遙は、日差しが強く照らされる窓側をわざとらしく向いて瞼を閉じていく。
「入ってないよ」
「そっかぁ」
「半分じゃなくて、八割だけどね?」
「やっぱり、入ってる!僕が初島になにをしたっていうんだ?クラスで最初の席替えでお隣だっただけだろ?」
「そうだね。そのせいで、教科書殆ど貸してたね」
「ち、違うんだって。二年からはしてないだろ⋯⋯。僕はやればできる子だぞ?現に初島に言われた一週間はしっかり持ってきてたろ?」
「一週間しか持たなかった事に対してはどうなのよ?」
「怒ってるのか?」
「呆れてるの!まったく」
怒っている──そうは感じない遥の言動からは呆れこそはあるが、親しさが込められており、苦笑いを浮かべて廊下へと脚を動かす彼女の邪魔にならないように、廊下に踏み込む。
ジト目で浩司の顔を窺う彼女の視線に圧は無く、申し訳なさが心に染み渡っていく中、溜め息を吐いた遥は持っていた鞄を改めて持ち直した。
「はぁ〜、じゃあ伝えたからね?」
「あぁ、ありがとう初島。わざわざ悪いな」
ぎこちない感謝の言葉を述べて、浩司は職員室へ向けて歩き出す。
オレンジ色にはなっていない白い陽の光は夕暮れには早い証明。
影が同じ方向を歩き、一方は鞄を肩に掛けて歩いており、もう一方は一定のリズムで太腿にぶつけながら鞄を持っていて、脚と鞄の接触音が廊下を鳴らす。
「あれ?お隣ですか?」
別れるものとばかり思い込んでいた浩司はふと右方向を見つめる。
話し方には謙虚さが醸し出されていて、ぎこちない感じが残っていた。
話し掛けられた事は極偶にあっても、話し掛ける事は一年生の頃以来は無く、止まった時間を自分から動かしていくような、そんな感覚が浩司の頭に過ぎらせていく。
「生徒会、あるから」
「なるへそ。それで」
今向かっている方向は本校舎と地続きにある渡り廊下を抜けた先にある西校舎であり、『講義室』『職員室』『保健室』『校長室』といったどちらかと言えば教師が中心に多く点在する校舎だ。
とはいえ、『音楽室』『美術室』『物理室』といった授業で使う教室があるのも事実であり、入学したての生徒が北校舎にある他の教室にあるとよく勘違いする要因となってしまっている。
そんな西校舎の二階には『生徒会室』があり、一階には『保健室』と『校長室』の間に『職員室』があるのだ。
「そういえば、昨日。どうして来なかったの?体調不良──な訳ないよね」
「ちょっと、心配する気があるならしっかり労わって?急にハンドル切られたら誰だって驚くんだぞ?」
「え?!」
「何故驚く?!初島、僕が病気にならない体質なら冗談で済まされるが、僕はそんな超人じゃないんだ。当然、怪我や病気だってする至って普通の男だぞ」
むしろ、知らない間で死にかける可能性まである少年である。傍から見れば蜂に刺されてショック症状が起きていると言われた方が違和感は緩和されるだろうが、それすら嘘になるという二段構え。
授業中ですら、シルティアがなにかに巻き込まれて怪我をしないかヒヤヒヤしていたのが実情の浩司くんなのである。
少年も病気になれば、シルティアにも影響がどう出るのかは知らないし、シルティアと『生命の繋がり』で繋がっているからといって免疫が上がっている訳でもなければ、怪我の治りが早くなるといった事は無い。
そんな少年の収まらないドキドキを知らない遥は、口元を僅かに抑えて笑みを零した。
「ふふふ」
「え?笑うとこあった?」
「ごめんなさい。一年前とは違うなって、つい」
「あ〜、あの時は──」
「分かってる。こっちもごめん」
遮るように言葉を紡いだ遥。遠慮や配慮や考慮と言った人に気を使う言葉はあれど、これ程までに物悲しい遮られ方をされてしまえば、触れて欲しくない内容に触れてしまったようであった。
一年前は丁度、浩司の両親が亡くなったばかりであり、心身共に安泰といった様子ではなかった浩司は、周りからは遠慮や配慮と考慮が為されて親の話題はあまり出されなかったのだ。
田舎という訳ではないが、『不慮の事故死』『原因不明の事故』『犯人の存在』等は瞬く間にニュースとなり、知っているものならば記事を見ればイヤでも知れる。
その遺族が浩司なのだから、教室内は変わった空気が繰り出されていたのだった。
現在はそのような空気は消え去り、二年へと進級をしている中、唐突にかつ、中途半端に止められた親の話題。
触れて欲しくないとは言った事が無い少年だが、誰もが知らぬ間に禁句のようにして避けているのは、誰の為か、何の為か、少年の為だとするならば、それは『余計なお節介』に他ならないというのに。
「⋯⋯それなんだ?」
突然スイッチで切り替えられたように変わった二人の間に流れる空気。それを変えるべく遥の鞄にしまわれていた何かに着目するようにして意識を向けさせた。
「今日の生徒会で必要だから持ってきてくれって、会長から言われてね」
学校規定の鞄は、ファスナーを開けてしまうのと、表側にポケット式に物を収納出来るのが存在し、後者の方にしまわれていた袋で封をされている何かを取り出した遥は、浩司の手元へとそれを渡した。
受け取って表紙を見ると、『折り紙・百枚入』と記載されており、懐かしさで胸が込み上げる浩司は、折り紙をくまなく調べるように見渡していく。
「へぇー。⋯⋯折り紙?え?幼稚園に行って一緒に作るのか?もう職員さんしか居ないだろ」
「違う。ほら、前にショッピングモールで火災あったでしょ?あの時に巻き込まれた人の中に先輩の同級生が居て、その人の為にって千羽鶴作るんだって」
消えた足音と、懐かしさが消失して代わりにきた胸騒ぎのように高鳴る心音。折り紙を顔の方へと持ってきていた為、振り返っても顔は見られる事はない。
それを知ってか知らずか、顔は折り紙の方へと近付き、密着させた。
「⋯⋯⋯どうしたの?」
「その人、名前は?」
「私は知らない。先輩に聞こうか?」
「⋯⋯頼む」
「どうしたの?」
明らかな動揺が見えてくる中、近寄り顔色を窺おうとする遥は、踵を返して急いで歩き出した。
しかし、タイミングが被ったように折り紙から顔を離して、前を歩き出した浩司はなんて事のないような当たり前の態度であり、遥の横を過ぎていく。
西校舎に辿り着いた二人。二階にある渡り廊下経由の為、真っ直ぐ進めば『生徒会室』があり一階に降りて進めば職員室があり、お互いここからは別れ道である。
先に脚を動かしたのは浩司である。全くの憂いも待機する必要性も無いように、遥を置いて階段を下ろうとするその背中を凝視していた。
「そうだ」
「ん?なに?」
振り返る浩司は、何か思い出したように声を発した遥の方向へと振り返る。
廊下の窓から差し込んでくる陽の光は遥を呑み込んでいくようにも感じた浩司は瞼を落として、手で光を遮るようにした。
黒のシルエットが一つ、鞄を丁寧に持って、返した折り紙は鞄の中。
「フィローネさんと仲良くできそう?」
「うーん。なんとも言えない。まぁ努力はする」
お昼休みの事も相まって、憎さが可愛らしさを上回ったような金髪縦ロールの少女の顔が、脳裏に映し出されていき、思わず顰めっ面をしていく。
つい顔に出してしまった浩司の様子を察してか否か、頷くのみの遥。
「⋯⋯そっか。うん、わかった」
右手を鞄から離して、小さく手を振る。ぎこちなく、慣れない事をしているのが目に見えて分かるが浩司はそれを受け取って、お返しとばかりに大きく手を振った。
「⋯⋯やっぱり、忘れられないよなぁ」
扉の開閉音が鳴ったのを合図に、階段を歩き出した。
トランペットの音が響く。合唱の歌声が鳴る合図は、本格的に部活が始まる狼煙のようであり、放課後を最も感じさせられる時間の中、少年は一人、職員室の扉をノックして担任のハナ先生の元まで歩き、事情説明が始まる。
「どうして昼休みに来なかったのか、是非先生にも分かるように話して欲しいんですよ?ねぇ?」
「あ、あぁぁ。⋯⋯⋯⋯先生が──です」
「なんですか?」
言って良いものか悩んだ末に、腕を後ろに回して再度声を張ろうとする浩司の瞳からは不安の警鐘が鳴る。
机に肘をつけて脚を組みをして軽快なペン回しはイラつきの押さえ付けのようであり、徐々に回す速度が早くなる中、その瞳を凝視した。
「先生が、怖かったからです」
「怒らせるような事をしなければいいんです!」
周りの先生も一瞥するように浩司達がいる席を見ると、再び机の上にある書類と睨めっこをしたり、教師同士での話し合いが再開される。
一方の浩司は抵抗するように口を走らせていく。
「僕だって、遅刻するなんて思ってなかったんですよ!あるでしょ?先生だって!アイシャドウ忘れるとか、髪を結ぶゴムを忘れるとか、下着を履いてこないとか!」
「⋯⋯⋯確か──いや、無いですよ?少なくても、下着は履いて着ます。当たり前ですよ?」
「な、なんだと?!馬鹿なッ!」
「お馬鹿ですか!」
腕を抓るようにして走り続ける口を強制的に停止させたハナ先生。
組んでいた筈の脚はいつの間にか元の状態に戻っていたが、代わりとばかりに浩司の脚へ小突いていく中、必死になってその脚を手で掴んで止めようと躍起になっていく浩司はしゃがみ込んでしまう。
「先生、僕の成績知ってるでしょ?一年一緒だったんだから?」
さながら服従したような状態となった浩司と、服従させたようにニヤけたハナ先生。
二年生の受け持ちをしている担任は皆何かしらの部活の顧問を受け持っており、ハナ先生の付近には誰も居ないのだ。
「えぇ、知ってますよ?だから、お馬鹿と言ってるんです」
そして、ようやく掴んだ脚。勝ち誇るように笑みを浮かべた浩司ではあったが、もう片方の脚で掴んでいた手を弾き、両手で頬を摘まれる。
「それと、どうして昨日は休んだの?連絡はしたわよ?」
「あぁぁ、あの、携帯、壊れちゃって」
「あ〜、それで。分かりました、とはなりませんよ?」
「チッ。駄目か」
「駄目に決まってるでしょ?!ほら、ちょっと座る」
勢いよく摘ままれた頬は離された。赤くなった頬を優しく擦る浩司は、泣く泣く従うように、隣にある席へと腰掛けた。
再び脚を組んで、考える素振りをするハナ先生は思い出したように指を鳴らす。
「三崎くん。もしかして、前にあった発作?」
「あ、いえ。それはもう去年の夏頃に治まってるで、大丈夫ですよ」
「⋯⋯何が理由で発作がぶり返すか判らないでしょ?」
「それはそうですけど、気にしすぎっていうか」
「気にし過ぎなんて事はありません。普通は気にしなければならないのですから。⋯⋯」
それは自分に言い聞かせられているようであり、自分が意識しなければならない事を忠告のように紡がれた言葉。
決して、蔑ろにされているとは感じてはいないが、『自分の事を自分が大事にしろ』とそう暗喩されているようであり、胸が締まる感覚が離れない浩司は、険しい表情を浮かべる。
「昨日も爆発事件があったし、この頃物騒なのよ?注意喚起はホームルームでしたけど、改めて言っておきます」
机に置かれていた一枚の紙を浩司へと手渡して、ボールペンで慣れた言い回しで内容を話していく。
数分程度で終わった注意喚起。
脚を組見直して、ボールペンの持ち手の部分を浩司の頭へと突くようにして返事を促す。
「分かったの?」
「先生、長い」
「先生ですから」
「はぁ〜、まだ根に持ってるんですか?」
「先生は根に持ちやすいんで」
嫌味ったらしく言い、ボールペンを回しながら、鼻で最後は笑うハナ先生には余裕があり、それを嘲笑と受け取る浩司は溜め息を吐いた。
「だから、陰で『ハナちゃん先生は華はあってもシを込めると話が長い』って言われるんですよ?」
「っ意味が分からない⋯⋯」
喩えで言われたその言葉は誰が言い出したのか、どうしてそう言われるのか、そういった事は関与しづらいのが現状の立場であり、警察でもなければ、私立探偵でもないハナ先生は呆れるに限ってしまう。
ただ一つ、嫌味なのだろうというのは伝わっていく中、目の前の人間がその発信源ではない事を切に願うばかりである。
「じゃあ、今日、分かる日ですね!」
「はぁ〜、それで?私の話は分かったの?」
「はい、ハナちゃん先生」
「なら、よろしい。帰りなさい」
「はーい」
立ち上がった浩司はそのまま、角を曲がり立ち去ろうとする。
しかし、扉に手を掛ける頃合いで動きを止めて、ハナ先生の方へと振り返り、駆け寄っていく。
自身を急かすように、焦らせていくように。
「⋯⋯そういえば、先生」
「なに?」
「この学校で、ショッピングモールであった火災に巻き込まれた人は居ますか?」
遥が生徒会へと持っていく折り紙をふと思い出した浩司は、遥に聞くよりも早く情報が手に入る可能性に掛けていた。
どう言った心境で、どう言った表情でその言葉を伝えるべきか、悩んだ末に平然であるべきと納得させて口にした言葉は眉を下げさせて、机に向かっていた視線が再び浩司の方へ向かわせる。
「⋯⋯⋯⋯三崎くんには関係ないわよ?それとも気になるの?」
「⋯⋯はい」
「貴方、そこに居たの?」
「⋯⋯いえ」
「そう。なら良かったわ」
その安堵の表情は自分の為に向けられていると知っている。
生きているものの特権であり、寝たままの者には見る事が叶わない表情。
職員室を出ようとする少年の背中を追い掛けるように視線を向ける先生の横顔は浩司からはもう見えない。
静かに閉めた職員室の扉。これ以上の用事は一切なく、買い物をして帰宅すれば外に出る事も無い。
変わり者の同居者達がいる一軒家の静かで冷えていた自宅へと帰ろうと昇降口を目指して歩こうと脚を踏み出した時である。
「見っけ!一緒に帰ろ〜!」
「フィローネ」
背中から抱き着かれた浩司は慌てた様子で振り返るも、顔を覗かせるその人物を見て、落胆の色を見せて背中から下りるように手で脚や腕を叩いた。
「僕は一人で帰る」
「えぇー、暇だよぉぉ〜っ、暇で僻んじゃうぅ〜!!そのまま死んじゃうじゃんかぁ〜っ!」
(うるせぇ⋯⋯)
腕は一向に身体を離さず、左右にブンブンと振り回しても、身体を浮かせて腕を首に巻き付けて絞めていくフィローネ。
意固地になればなるだけ浩司の肺に送られる予定だった酸素は供給されずに死に至ると察してしまい、倒れ込んで思わず『OK』の一言を出してしまうのであった。
ようやく離れた腕。浩司の前方へと位置したフィローネは手を伸ばして、立ち上がられてくれるご予定であったが、それを跳ね除けて、自らの力で立ち上がった浩司は、衣服に着いた砂を手で払っていく。
フィローネから一方的に話をする事はあっても、浩司から会話をする事は無いまま、昇降口を抜けて、自転車置き場まで辿り着いた浩司は、鍵を開けて近くにある正門へと向かった。
上りか下りの坂となっている左右を見渡していく浩司はフィローネを最後に見つめる。
「お前、帰り道どっちよ?」
「え?アッチだよ?」
指した指は上り坂。つまり──。
「じゃあ、真反対だな。すまない、そしてさらば」
「えい!送って、送って!送れぇぇぇ〜〜」
自転車の前まで駆け寄るフィローネは籠を掴み、自転車の前輪の事なんて気にも留めない様子で、ガンガンと上下に振っていた。
その腕を無理矢理払い除けていく浩司はそのまま漕いで逃げようとするも、今度は後輪の近くにある荷台を掴まれて、一向に前へ前進しないのである。
「厚かましいぞ?!なんで真反対の所まで行かにゃならん」
「自転車良いなぁ。私ももっと便利な移動道具があればなぁ〜、女の子なのになぁ」
「バスがあるぞ。ほら乗れよ」
学校前にあるバス停は今も使われており、学校から徒歩五分というお手軽なもの。
屋根がなく、夏場は暑さに耐えなければならない事と、停車時刻が一時間に三本であり、二十分~三十分の間を常に要する事を除けばリッチなものだ。
そんな立て看板が多少錆び付いているバス停を睨んだ後、浩司の肩を掴んで、顔を覗かせるフィローネは悲しそうな表情をしていた。
「むむむ!⋯⋯君、察し悪いなんて言われない?」
「僕の記憶力って都合良いから、多分無いな」
「乗せて、乗せて、乗せてぇぇ〜〜!」
自転車を引いたり押したりのお時間は終わり、今度は浩司本人を揺らしていき、ペダルを漕ごうにもすぐに転倒不可避となってしまう。
そんな状況に遂に、堪忍袋の緒が切れた浩司は掴まれた肩を殴る勢いで叩き、睨み付ける。
「だぁぁぁぁ!子供か!癇癪もここまで来ると蝉の方がまだ耳障りがマシってもんだぞ?!」
「乗せてくれないなら、部活やってる人に『乱暴された』って言っちゃおうかなぁ〜?」
叩かれた手を隠すように、背を向けたフィローネ。
甘い声を掛けて、ゆっくりと振り返る。
「チラ──アレッ?!もう行ってる!なんでなのよー!」
既に少年は辟易した様子で、坂を自転車で下っていたのであった。
やってられるかこんちくしょう。そう言いたい気持ちも大いにあったが、言っても直らなさそうと直感のようなものが邪魔して、最後は逃亡を選択したのである。
「まったく、たまったもんじゃない。下校まで関わってられる──」
言葉は、乗っていた自転車が急に揺れた為、遮ってしまい、思わず舌を噛みそうになる浩司は慌てた様子で、ブレーキを掛ける。
「わッ!危ねぇ!⋯⋯なんだ?」
海も未だに見えず、潮風も波の音も無いこの坂での急停止は浩司を思わず降り向かせた。
「来ちゃったぁ〜!送って?」
フィローネさんは荷台に座っており、ニコニコと夏にも負けない太陽のように燦々としている。
ご丁寧にスカートはしっかりと折り畳んで、キッチリと座っており、鞄を自転車の籠に押し付けるようにしまい込んでいく。
前のめりになり、フィローネの匂いや僅かな膨らみがあるのを感じるものの、そんな事が些事なレベルで浩司は物申したい事が浮かんでしまう。
「⋯⋯⋯⋯お前、ここまで行くと病気だぞ?」
「私だって寂しんだよぉ〜。お願い〜お願い〜!」
掌を合わせて頼み込むものの、表情は変わらずニコニコであり、余計に訝しんでしまう浩司は思わず舌を鳴らした。
「ヤダ。だって、僕に得が無い!」
「⋯⋯じゃあ、一回ヤラせてあげるって言ったら?どう?」
「なんて?」
聞き直そうとするその言葉が真か嘘か。
「だから、ヤラせてあげるよ!」
「え?!殺らせてくれるのか?!でも、法律的にどうだよ?」
そう、人の存在を故意に世界から抹消こと、デリートするには、法律と呼ばれるものと刑事罰と呼ばれるものが邪魔をするのだ。
無ければいけない罰則と法則にそこにケチは付ける気はあまり起きておらず、当然本気で殺そうとは考えていないのだが、お灸を据えるという意味でも、浩司は噛み合わない会話に乗っかってしまう。
「大丈夫!言わないから!」
「そりゃ、言えんだろうけど⋯⋯。実はドッキリでしたとか、軽いジョークとかやめろよ?僕も憂さ晴らしぐらいはしたいしな」
「ふふん!そんな冗談もジョークも言わないっチェ!」
「言っとくけど、亡くなるんだぞ?!お前、本当に良いんだな?」
「無くなる?あぁ〜、処女膜ね。うん、痛いって聞くけど、耐えるよ!」
(声の事か。まぁ、そっちが言うなら良いか)
命の心配よりも、漏れてしまい兼ねない声を気にするなんて、すげぇイカれてる。
そう感じてしまい、呆れた表情を浮かべてしまうものの、好都合に変わりなく、お灸を据えるという名目上、誰かに見られて後で何か言われても困る為、渋々ながら了承したのだった。
「じゃあ、何処で私はヤラれちゃうのかな?」
「⋯⋯そうだな」
「取り敢えず、家だな。逃げるなよ?」
「え?」
「え?」
素っ頓狂な声が上がる二人。首を傾げるフィローネと間抜けな表情を浮かべた浩司。
「い、家?!【紅閃姫】とか【放浪妖精】が居るよね?え!マジで?」
再度、確認のように聞いていくフィローネだが、焦りのようなものがあり、それを見てしまった浩司はニヤケ顔を隠すように、耐えるような素振りを見せていた。
「はぁ?居なきゃ殺れんだろ?」
その半笑いな口調に多少の誤解は生まれてしまうものだが、フィローネ本人は男の子抱く劣情故に半笑いになったのだと解釈してしまい、しばらくの間の後、頷いた。
(僕の力で殺ってやりたいが、どうせ無理だろうしな。つか、最悪コイツならシルティア達から逃げれそうだし。脅せばいいか)
昼の鬱憤は収まっておらず、フィローネならやれるだろうという勝手な信頼は更に悪い方向へと進んでいく。
「君ィ〜、アブノーマルなのは止めてよね?フィローネちゃんはこれでも初体験なんだから」
「そりゃ、そうだろ」
(アブノーマルな殺し方ってなんだ?)
密室とかトリックとか有りきの殺害って事か、未知なだけで異世界では人の殺害方法すら一癖、二癖すらあるのだろう。
そう納得してしまった浩司ではあるが、既にフィローネのはしゃぎ具合で、背中を叩かれまくり、傷を負ってる真っ最中なのである。
「ちょっと!なに決めつけてんのさ!まぁ、良いけど〜」
(そもそもの話。私、あの二人に裸を見られた上でって事だよね?ちょっと初めてが過激過ぎない?!彼、初めてじゃない⋯⋯とか?こんな一見モテなさそ〜な、やる気のない顔していて?最近の子はマセてるねぇ〜⋯⋯あれ?)
ふとした疑問は如実に頬を赤らめさせていき、隠すように手で押えるものの、動揺は緑色の瞳をぐるぐると回り始めさせていく。
「てかてか?【紅閃姫】と【放浪妖精】呼んでどうするっていうの?まさか、複数?!」
「⋯⋯まぁ、お前がいいなら」
(コイツ、二人相手でも上等って相当凄いんだなぁ⋯⋯。怖ぁぁ)
若干引いてしまう浩司。
「っっ⋯⋯⋯マジかよぉ〜」
(どうしよう。⋯⋯段々、恥ずかしくなってきちゃったッ!どうしよう、恥ずい!想像するだけで、顔がぁぁぁ〜〜!)
恥ずかしさで引いてしまうフィローネ。
勘違いは加速する。
「待って!せめて、ちゃんとお化粧と電気は消してね!」
「⋯⋯化粧?電気?」
死装束の格好の際に化粧をして、死ぬ場面を目撃されたくない。そう解釈した浩司は、静かに頷く。
「あー、分かった。まぁそれぐらいなら」
「⋯⋯ヤバいよ!言っておいてなんだけど、ドキドキしてきたよ!どうしよう!」
「跳ね飛んでしまえ」
「なにをーー!」
首を掴んで、抵抗も出来ないまま、遂に自転車から落ちてしまう二人。
慌てて、先に帰ってやろうかと自転車に乗るものの、荷台にすぐに乗り込むフィローネにより、阻止されて、最終的に家までこの茶番は続くのであった。
━ ━ ━
荷台に誰かを乗せての自転車走行は禁止。
そんな事は百も承知だが、この場合はどうすれば良かったのだろうか?僕は訝しむ。
警察官が一人も近くを通って無くて良かったと、心の底から安堵した僕は自宅に着いた──訂正、僕と彼女、だ。
本当に殺っても良いのだろうか?仮にも命の恩人だし、間違っても死ぬなんて事は無いだろうが、どうして自ら提案をしたのか、僕は甚だ疑問だったのだが、この鬱陶しい彼女が離れてくれるのならば、それもありかと僅かに孕んだ感情が肯定していく。
「ねぇねぇ?まだぁ?」
玄関前でクルクルとバレリーナのように回しながら、待機しているフィローネ。
「煩い。誰のせいで遅れたと思ってんだ。全く、帰宅だけでなんでこんなに傷だらけになるんだよォ」
「君が私の美貌に負けたからだねぇ〜?」
「はぁ?何処に美貌があるんだろぉ?おっしえて?」
「むーー!私だって、可愛いって言われたいんだぞぉぉおお!!」
前後に回転する腕、と言われれば納得いくかは不明だが、とにかく、とんでもない早さでヘリのプロペラの如く、旋回した両腕は僕の身体を叩いていく。
「止めて!てか、パワプロくんとかドラえもんみたいな手の形、それなに!!痛い!ちょー痛い!」
何故か丸い。必死そうな顔で頬を膨らませている彼女はそんな僕の声は届いていない様子で、ただ気の済むまま叩く事に意識を向けていた。
抵抗なんてしてもすぐに追い掛けてくる為、玄関扉の鍵を開けて急いで中に入ると、旋回していた腕は動きを徐々に止めていき、軽く引きを吸ったり吐いたりを繰り返していくフィローネ。
「ふぅ〜、止めてよね?カロリー高い事するのさ〜」
「どの口が言うんだ?お前が始めた事だろうが!」
玄関の開閉音、恥や外聞を捨てた会話は、ダイニングから紅の髪をした女性の顔を覗かせるには充分な事であり、僕はそれに気付かなかった。
フィローネは先んじて視線を向けていたというのに。
「お!コージ!おかえ──、フィローネッ!」
「えぇ?【四聖の魔女】?!なんで⋯⋯」
紅の髪色をして、楽なスゥェットをパジャマにしているシルティアとそんなシルティアのパジャマを借りて寛いでいたリディナが顔を覗かせていく。
鬼気迫る表情で右手を横に伸ばして、剣を出現させたシルティアは更に威嚇とは思えぬ語気で叫ぶ。
「コージから離れろ!」
「あれぇ?君、言ってないの?」
訝しんだ表情を僕に向けるフィローネ。
「言う機会あったか?」
笑顔で言ってあげたものの、フィローネには届いていないご様子であり、右腕で僕の左腕を小突いてくる。
誰も漫才はしていないし、ツッコミ待ちなんてしていないし、僕はボケ担当なんて引き受けた覚えが一切ない。
ニヤニヤしながら、僕をおちょくるような会話を繰り広げていく中、前方は更に慌ただしくなる。
「コージ!離れるんだ!」
「もしかして、催眠されてる?」
リディナの何気ない一言。何処で覚えたのだろうか、それはさておき、ようやくマトモに彼女達の方を向いた僕は思わず手を上げた。
一人には剣、一人には弓。どう考えても脅しとしては上々である。
けれどフィローネだけは僕の挙動を見るなり、わらいを抑えるように腹を抱えていた。
(今どついたら勝てますかね?)
人の神経逆撫でする天才かと思えてしまうが、どうせ大したダメージは与えられないし、本当に殺られたら、洒落にならない。
「何それぇ〜、アッハッハッハッハ〜。フィローネちゃんは〜、君達と違ってぇ、お呼ばれされたんだよぉ〜?」
「な、なに?!」
二人を指差して、ご自慢する様子はなんともまぁ、友達が今までいなくて、高飛車になっている奴のまんまであり、悲しくなってしまう。
「コージの裏切り者。金髪ならここに居る。満足するべき!」
「誰が髪色で人を家に誘うか!」
とんでもない偏見だ。『いい金髪みっけ!』って言って、家に招く奴が何処にいてたまるかという話だ。
「ち、違うの?!『紅姫』は馬鹿として、私と彼女の全面戦争が始まる。そんな予感が絶えないのだけど⋯⋯」
「そんな戦争あるか!⋯⋯フィローネ、お前食ってくだろ?後でちゃんと殺られろよ?」
「ちょっと!なんでこんな玄関口で!!」
「コージ、やられろ?とはなんの話だ?」
「え?それは──」
「あぁぁぁぁぁぁぁーーー!!!」
手を大振りにして、僕の前で視界を遮るようにして叫んだ金髪縦ロールは慌てた様子を見せていた。
「うるせっ!なんだ、お前!」
思わず目の前に突如としてきたその手を振り払い、叫んでいる口を閉じさせようと口を手で塞ぐものの、すぐに脱出していく。
(ちょっと僕、弱すぎない?泣いてやろうかな)
慌てた様子は依然変わらず、僕の両腕を掴んで、前後に揺らしていく。
「なんだはこっちの台詞なんですけど?そんな恥ずかしい事、普通言わないでしょ?!」
「え?お前が殺られるんだぞ?二人も良いんだろ?」
「言ったけど!言ったけどぉぉお〜!デリカシー!!」
「死ぬのにデリカシーってあるのか?」
「え?」
「え?」
僕と彼女の間に余白が生まれて、お互いに首を傾げていく。
「死ぬ?なんの事?」
最初に声を発したのはフィローネ。本当になんの事だといった表情で目を細めて僕を見つめる。
「え?だって、殺らせろって殺す事だろ?」
「何!コージがフィローネを殺すというのか?!いや、出来るのか?!私でも苦戦するんだぞ?」
「いや、君らにお任せ、二人の他力本願だよ?勿論、お灸を据える目的だから、本当に殺さなくてもいいんだけ──」
「あ、あ、あ、あ、あああ!」
しゃがみ込んで、金切り声を上げるフィローネ。
頭を抱えて項垂れてしまうと、唸るような声を発声して、目が泳ぎ始めていく。
そんな様子を訝しんで見ていた僕は、彼女の耳元で呟いた。
「お前、まさかと思うけど、殺らせろをセッ──」
「止めてーー!言わないでぇぇぇぇ!あーー!フィローネちゃんは穢されたよぉぉ〜〜。お嫁に行けないーー」
玄関前にあるカーペットがズルズルと別の位置に移動していく。
身体を捻って、頭を床に着けてなんとも言えない羞恥心に悶えている彼女は滑稽な芋虫のようである。
「お前に婿なぞいる訳ないだろう」
「おい、【紅閃姫】!口を閉じて貰えるかなぁ〜!」
溜め息を吐いて戦意を失ったシルティアは剣を消した。それを後方から見ていたリディナも合わせるように弓を離して、項垂れるフィローネの頭を指でつつく。
「熱くなってる!あ、コージ、ご飯」
「犬かお前は」
「ワン」
「止めろ。ほらシルティア、買い物行こうぜ。コイツがチャリに乗ってきて、スーパーに行かせてくれなかったんだよ」
「いやコージ、フィローネが」
もはや同情気味なシルティアが差したのは先程まで項垂れていた筈の芋虫であり、僕の脚へと手を掛けて、へばりつこうとしている、そんな惨めに近い彼女であった。
共感性羞恥は起きていない為、グズっているのも、泣きそうなのも彼女一人なのだが、僕にもお裾分けでもしようとしてくれているのだろうか。
お返しします。
脚にしがみつこうとするその腕を振り払い、彼女の目の前に移動して、顔色を見ると、子供のように泣いていた。
免疫力無さすぎて、ちょっと笑いそうになった僕は悪い奴だろうか。
「お嫁に行けないよぉおー。恥ずかしさで死にそうだよおぉぉぉ〜!うわぁぁぁぁぁぁぁぁんっっ。君のせいだぞ!分かってんのかー!」
「知らんな。ほら、ご飯ぐらい奢ってやるから、買い物付き合え。ついでに金よこせ」
「最後の方が本音だよね!私は三崎家の財布じゃないんですけどぉー!」
「食わんのか?」
「食いましゅ⋯⋯」
お財布事情がピンチである我々三崎家において、タダ飯なんて許さない。
しょぼくれた表情を浮かべたフィローネは、絞られきったレモンのようである。




