9話 永劫なる紅刻の一閃
長いです。
その紅と金の剣を掲げて、先陣を切る勇ましく、麗しい国の英雄とまで謳われた王女様が吼える。
葛藤や後悔を孕まないその流麗な剣捌きには誰も圧倒され、誰もが刮目してその光景を凝視した。
一閃の紅が宿れば、戦場に居る数多の敵を蹂躙し、多くもの侵略者へと刃を向ける閃光と化す。
王女は叫んだ。
「我々の勝利だ!バルファザル王国に今日も平和が参ったぞぉぉぉ!」
後方に居る数多の兵は高らかな喝采と賛美を王女に与え、国王もまたその勇姿を強く瞳に焼き付ける。
紅の髪は血の匂いを香して、濡れた肌は赤く、オレンジ色の瞳は作り上げた死体で積まれていく。
何時からか、【紅閃姫】という二つ名を冠してからは人々の目の色は大きく変わっていった。
初めは不安と戸惑い、そして動揺と同情が大きかったが、気付けば、人々は死臭を醸し出したその紅姫を畏怖し、恐れては、敬いだす。
口癖のように言っていた「人が笑っていれる国にしたい」と、そう口にする事は、初陣から半年後には無くなり、誰もがその強さに魅了され、流麗なる佇まいに忌避感を覚えていく。
彼女の前では誰も笑わず、彼女の前では慟哭を静かに鳴らして、彼女の前では全てが均一なる存在。
それでも、紅の髪を揺らして、身体の酷使を繰り返し、民草に疎まれようとも彼女は悲しむ姿は見せない。
戦場では全てが平等である。
王族ながらもその剣を手に取ってしまった運命の日から、決断したたった一つの願いは、彼女を駆り立てて、平等な戦場で、平等に人を殺す。
たった一人、生き残った戦場があった。
奇しくも、その剣の名を口にして、必殺の魔法を初めて使用が可能となったその日に、彼女一人だけが生き残り、敵も味方の兵も全て消え去った戦場がそこにある。
初めは何かの間違いではないかと目を疑ったが、彼女は悟ってしまった。
自分は他者とは違うのだと。
根本的な強さとその果てに齎される結果は如実に彼女の行動理念は何時も弱者の救済へと向いた。
国を守る為の戦はやがて、国を殺していき、首を締めるように確実に、正確に、少しずつ彼女の心を蝕んでいき、彼女は理解する。
人の死はいずれ訪れると知っていて、泣く必要性を排斥して、訪れる終わりに向き合う為に、剣を振って、やがて気付く。
国は終わると、彼女は悟ってしまい、理解してしまい、最後になるであろう戦地で紅の髪をした姫君は白の衣と赤の布地を着て、黒スカートと黒のタイツと茶色ブーツという死装束を身に纏い、軽やかな脚運びで残った数名の兵と共に、敵陣に飛び込む。
その国に【紅閃姫】が存在している限り、国は滅びず、病まず、臆さない勇猛な国であり、誰もが一目置く、紅の閃光者。
泣く事を忘れ、弱味は捨て去り、臆する気持ちを置き忘れた彼女は今も籠の中。
誰も知らない。彼女がか弱い心を持つ事も、血濡れる剣よりもドレスとピアノに凝りたい事も、血塗れの肌を嫌い、自ら手を掛ける戦地を駆ける事も、オレンジ色の瞳から漏れる筈の涙は、涙腺が壊れて乾き切ってしまって、弱音は国の終わりを招くと悟ってしまったあの日から、彼女は国の人柱として戦い続ける決意をする。
━ ━ ━
倉庫の上から薄緑色の矢が地へと飛び交う。
狙いはただ一人、フォルグッド・カーマルバインのみ。
鎌が二本、高速で男の前で高速回転し、矢を弾き飛ばしながら、ニヤケ顔を浮かべながら狙撃者のリディナへと走り出す。
「この人、慣れてる」
視界はリディナの魔法によって奪っている筈が、そんな事は素知らぬといった様子で、真っ直ぐに倉庫の方へと駆けて行くフォルグッド。
「甘えェェ!傭兵崩れだからッて、真ッ暗闇になッたからッてさァァァ!!」
視界が暗くなる前に見た光景と自身が現状位置する場所を正確に読み解き、逆算形式で倉庫の屋根で射抜こうとするリディナの元へと跳んだフォルグッド。
二本の鎌は回転を停止させて、引き裂くように構えられるも、リディナもそれに対応するように後退して矢を放つ。
狙うは顔面。前方と左右の計三本の薄緑の矢が迫る中、それに動じる事も焦る様子も無く、鎌を使って左右の矢を弾き、目の前から来る矢を最低限の動作のように顔を動かした。
矢はフォルグッドの後方へと飛んで行き、唖然とするリディナ。
「君、見えて⋯⋯無いんだよね?」
「見えてねェよ?見えなくても、音があんだろォがァ?あァ?!」
駆け出して前へと詰めるフォルグッド。
不信な表情をして、上空に二本、前方と左右に五本放った段階で、鎌はリディナの左腕へと迫り、突き刺すように鎌の刃は腕の肉を徐々に絶っていく。
「うぅわァァァァ!!」
「良い悲鳴ダァァァァ!リディナ・ウーバン!」
「自己、紹介⋯⋯した仲じゃ、ないッ!!」
脚裏に魔力を込めたリディナはフォルグッドを蹴り飛ばす。
鎌の刃は腕を離れて、一刀両断とはならずとも、滴り落ち始める血液は手へと向かい、屋根を濡らしていった。
「つつつ。へェ〜、テメェ、肉弾戦の方が得意ッてなァー、マジッぽいなァ」
「君。私の名前、何で、うぅ⋯⋯知ってるの?」
「あァ?あァ〜⋯⋯お前、依頼人に棄てられたんだよォ。ざまァねェな、マジで」
「棄てられた?そう、依頼は棄却されたって事だね」
目の前に居る彼女が安堵の声色を漏らした事に目元が動く。
見えていなくても解ってしまうその聴覚はフォルグッドを困惑させる。
「あァ?普通、怒らねェか?」
「怒る?何で?私は私が面倒臭い⋯⋯妖精人の自覚はあるから、こんな衝突、何度も知ってる」
痛む傷を抑えるべく、右手は左腕に添えられる。
先程まで荒くなっていた呼吸は、既に落ち着きを取り戻して、真っ直ぐ視線を向けるリディナ。
そんな視線を感じるフォルグッドは忌み嫌うかのように舌を鳴らす。
「妖精人⋯⋯。成程ァ、ウザッたい訳ダァァァァ」
左手にある鎌を前へと向けて、歩く歩幅は走る勢いへと変わって行く。
踏み付ける足場はギシギシと軋ませながら、迅速な速度でリディナに迫る。
「【解陣開放】ッッ!」
鎌の刃が柄へと入り込み、紫色の魔力が両先端から吹き出した双刃刀へと変化させた。
「ウゥォォォォォラァァ〜〜!!!」
怪しく揺れる紫炎は、足場としている屋根を縦に斬りながら、リディナの懐へと駆けて行く。
「終わりだァァァ!棄てられっ子ォォォ!!」
それを黙っているだけのリディナでは無かった。
懐に入られる前に、口は動いていく。
「【輪唱の若人。護り手の灰塵。喫する不和に星宿の加護足りえろ。──】」
縦に切り裂かれようとする紫炎を横へと滑り込むように回避し、更に綴る。
「【それは一つの想い出。幸福の一途、破綻の瞑想。睨む我が瞳に敵は皆無──】」
「なんだ?!⋯⋯やらせるかよォォォッッ!!」
暗い視界は映さない。リディナの周囲に魔力が凝縮されて、幾つもの点となっているそれを。
綴る度に増えるその薄緑色の魔力は金色の枠を象りながら、数多のある点は一つに束ねられていく様を、フォルグッドは視認出来ない。
耳から伝わるのは、僅かな震動とリディナの魔法の詠唱と自身が引き裂こうとする双刃刀と鎌の二段構えの攻撃を去なされる事による空振りの音のみ。
更に距離を稼ぐように軽快な足取りで後退し、神造器を左手に添えて、弓を屋根に勢いよく突き立てて、唱えた。
「【天罰の名は神の名。責めろ!仕返しの深徒】ッ!」
風が翡翠の布を揺らし、靡かれる度に黄金の象りを見せる薄緑色の魔力は布地へと入り込む。
翡翠の布へと一点に集まった魔力は、弓を通してリディナを中心に五メートル圏内に緑色の魔法陣が作られた。
既に双刃刀の紫炎は近付きつつある中、弓を突き立ててから微動だにしないリディナはしゃがみ込んだ体勢のまま。
動いていない、だが何かはしたと分かる。
視界は未だに黒一面の中、容赦なく緑色の魔法陣に脚を踏み入れた。
瞬間、フォルグッドの右腕に緑色の亀裂が入り、傷みと共に鎌を手放してしまう。
「ッッ〜〜〜ッ!アァァァァァァ!!なんだァァァ?!この痛みィィィ!」
「受けた傷は全て君に、還元される。どうする?鬼ごっこする?」
「馬鹿なァ?!いくらなんでもここまで酷い痛みな訳ねェ!何だこの喧しい痛みはァァァ!」
右腕を断ち切った訳ではない。僅かに刺さり、抉った事自体は事実だが、思わずのたうち回ってしまう程の痛みではない。
「私のはね?」
「何ィィ?!」
視界は暗さを失い、明るさが蘇っていく。
瞳孔は丸くなっていき、徐々に鮮明となるその光景に苦い顔を浮かべる。
「ッ?!⋯⋯そうかッ。砂利ん子かァァ。この魔法陣に──ぐぁぁぁッ!」
話の途中、理解しようと口にしているフォルグッドはリディナから視線を外しており、見ていたのは、シルティアの胸元に頭を寄せている浩史であった。
そんな彼は、視覚外からのリディナの拳を右頬へと叩き込まれて、魔法陣の外へと出ようとする。
しかし、壁でもあるように阻まれてしまい、壁に打ち付けられたように唾を吐いて倒れ込む。
「喋らなくても解るよ。私が使っている魔法なんだから」
痛みの共有、しっぺ返しとばかりのお返しの魔法。
痛みを譲渡する対象一人として、受けた傷を与える存在は緑色をした魔法陣の中に居なければならない。
効果時間は魔法の任意的な発動停止、または魔力切れの場合のみ。
「くそォォォ!ナメんなよ?!引き篭もり!!この傷に慣れてしまえば、どうッて事ねェんだ!予期してねェ痛みだッたからこうなッただけだァァァ!」
「吼えてばかりいないで掛かって来たらどうだ?」
「あァ?!⋯⋯来たなァァァ、シルティアァァ!」
紅の髪をした女性が、二人の間に割って入るように魔法陣の中へと入り込んだ。
赤と金の剣を右手に持ち、左側に居るフォルグッドを睨む。
「遅い。わざわざ先行して斬り掛かっておいて、一目散にあの子の所に行くんだもん。私の事も考えて」
「すまない。私の方が矢よりは速かったからな」
「⋯⋯悪いと思ってない」
そう言い、リディナは浩史の傷を治す為、倉庫の屋根から降りて急ぎ治療を始める。
後方に居るシルティア達には目もくれず。
「おいおい〜!二人掛りじゃなくて良いのかよォォォ〜」
弓は光となって消えて、リディナの手元へと運ばれた。
それにより、屋根に突き刺さっていた事により広がっていた魔法陣は消滅している。
だが、フォルグッドが少年に与えた傷は残っており、魔法によりしっぺ返しで食らった傷も、また残ったまま。
「どうなッてんだ⋯⋯魔法の効果は、消えたんじャ──」
「物を焼けば、炭になるのと同じだ。結果は残るんだ」
「⋯⋯⋯⋯わざわざご丁寧にどうもなァ。シルティアァァァァ」
痛む右腕には鎌、可動域も痛みも無い安定している左手には紫炎滾らす双刃刀を持って、シルティアへと走り出したフォルグッド。
「【紅臨・《・》桜光】。行くぞ!迅速に仕留める!」
「俺もだァァァ!!バラッティィ──」
【葬陣装甲】を発動しようと、左手に持っていた双刃刀を前へと向けた。
だが、それよりも早く、紅の魔力が身体から剣に、剣から身体に流れ込むと、身体から白い粒子を噴出させて、一気にフォルグッドへと迫る。
「待て!前よりッ!!!ウゥゥ〜〜〜!ガッッ〜〜!」
白と紅の閃光はフォルグッドが意識するよりも早く懐に入り、振り上げるように左腕を切断して、柄部分をフォルグッドの顔面に叩き付けると共に左肩から右脇腹を斬り裂いた。
魔力を剣へと流し込み、未だに叫びを上げるフォルグッドの右腕を振り上げて断絶する。
宙に舞う右腕は砂利が広がる地面へと落ちていき、仰向けで倒れそうになるフォルグッド。
間髪入れずに、身体に纏い続けられている紅の魔力はフォルグッドの身体を押し出すように突撃し、後方へと落下して地面に叩き付けられる。
倉庫がある工場跡地を離れて、四十メートル先にある工事区画となっている空き地へと落ちたフォルグッドを追う為、建物を伝ってやって来たシルティア。
両腕切断の上半身は凹んだようになって、血が口や両腕から垂れ込むフォルグッドを見つけると、剣先を突き出す。
「⋯⋯ぶはァァァ。⋯⋯⋯⋯テメェ、以前は、か、か、かか、加減してたのか?」
「あぁ。この世界に来てすぐ襲撃に遭った時、全力で戦闘をしていたら、隙を突かれる形で傷を負ってな。その事から温存しながら敵の実力を測る方針に変えていた。だが、その心配は今は要らない」
三崎浩史と出逢う数十分前の出来事。
自分だけが異世界に召喚された訳ではないと知った彼女は早速、強敵であった故に交戦し、更に増援を呼ばれてしまうものの、傷を負って撃退に成功するが、壁に凭れ掛かって安静にしていなければならないまでに追い込まれてしまっていた。
無意識下で行っていた敵との接敵の切り替え。
増援が来てしまう時の為の温存として、弱者には程度を合わせる戦術を取っていたシルティア。
ヒーロー気取りに似た部分も合わさって事態は悪化して、今に至っているのだが、だからこそ、先程のは、程度を捨てた本来の殺り方。
「⋯⋯⋯⋯ナメてんかァッ!⋯⋯ウボァァ。はァ、はァ」
「ハッキリ言おう。お前では私の相手足り得ない。その神造器がどれほど強力でも、使い手が弱いのであればな」
「よ、よェェ、だ⋯⋯と?」
「そうだ。あの神造器は確かに貴様を強くする。【葬陣装甲】と呼ばれるものも強力だった。だが、使い手が私より遅い時点でお察しだ。私の方が速いと知っていて、対策せずに向かって行こうとする時点ではな」
静かで冷淡な言い方は、血濡れの紅姫の真の言葉。
オレンジ色の瞳は、仰向けで倒れ伏している男を刺すように鋭く向けられており、癇に障る物言いとその高圧的なまでの視線は男を叫ばせた。
「ふざけ、んなぁぁぁ。あぁぁぁぁぁぁぁ〜!馬鹿にするなァァァァァァァ」
フォルグッドのズタボロの身体は真っ黒に変色していき、凹んだ上半身は内側から叩かれるように肌を跳ねされる。
「まだ何かッ!」
剣はフォルグッドの上半身を両断するように薙ぎ払われる。
傷一つない剣身は肉をスパッと割いた。
だが、動きは止まらず、段々と身体の不気味で不釣り合いなその動きは、関節や人がしていい可動域を完全に逸脱して、最後には全身が弾けてしまう。
「なんだと?!」
弾け飛んだ全身からは血でなく黒い泥が辺りを濡らして、僅かに残っていたフォルグッドの原型は完全に溶けてしまう。
急ぎ、後退したシルティアは上空へと昇るその泥が徐々に球体となるのを見た。
「なんだアレはッ?!何が起きた?どういう事だ!」
シルティアは叫んだ。目の前で起きている事態が呑み込めない様子で、唖然としている。
リディナもまた、傷を癒して抱えていた浩史を魔法で形成した大木に寝かしながら、その光景を目撃する。
「あれぇ?ひょっとして、ひょっとしたら〜マズイとか〜?」
金の髪、縦ロールの小生意気な口調をする小柄な異世界人も、夕焼け広がる学校のベランダでその光景を眺めており、ニヤケ顔が収まらない。
長身でノッポなスーツ姿の男は、思わず唾を飲み、上空に詰まっていく泥を建物の屋上から見つめていた。
「おい!なんだアレは?!」
荒らげた声に応じるかのように、大柄で肩幅が異様にデカイ毛むくじゃらな男が前へと歩き、近くにある手すりに手を掛ける。
「アレはぁ⋯⋯変質だな。魔力を使用している奴が死の節目で、何かしらの要因で魔力に侵されて姿形が大きく変わる現象だ」
「それはどうなる?!」
「魔物が生まれ出る。以前のショッピングモールとやらに出た小竜の比では無い奴がな」
「な!⋯⋯急いで避難勧告を出さな──」
踵を返して、屋上の扉に手を掛けようとした時。
「待てぇぇぇ!」
腕を組み、胸当てと甲手が互いの金属を擦らした音を鳴らして、ノッポの男が耳を塞ぐ。
野太く張った声以上に、脳を刺激するその耳障りな金属音は男を振り返らせた。
「なんだ?!⋯⋯俺の仕事に対して、お前はケチを付けない。そう約束した筈だぞ?ガンガルド。反故するのか?」
「そう、カッカするな、義文。乗せてやる。恐らく、誰かが戦闘行為をしたのだろう。その結果なのだとすれば⋯⋯」
「お前と同じ、異世界人に接触出来る⋯⋯そういう事だな?」
「おうとも!少なくても、実地に向かっての避難誘導の方が効率が良い。それに、バイザーの介入だけは阻止したい。奴はこの手の事態を引っ掻き回す天才だからな」
「⋯⋯そのバイザーは兎も角、急ぐぞ!」
再び振り返り、扉の取っ手から手を離し、駆け出す。
そして、バイザー本人は、街で最も階層のあるビルの上で一人、シルティアをねちっこく、いやらしく、息を荒らげながら、観察していた。
「さぁぁ〜〜、どうするんだぁぁぁ〜。シィィィルゥゥゥゥゥティィィィィアァァァァァァ!お前が止めなければ、近くに居る人が死ぬぞぉぉぉ〜〜」
髪の毛を掻き乱して、口角を上げる。
興奮と高揚は収まる気配を見せず、事態を察して逃げようとする車や歩行者の道を塞ぐように、近くにあるアパートを指でなぞった。
すると、そのなぞった線通りにアパートに切れ目を発生させて、進行を妨げるように道路へ向かって崩れ落ちていく。
そんな光景を見つめていた。
見ていたのは、倒れる人や倒壊した事によって巻き込まれてしまった車──などでは当然ない。
断じてない。
蟻を観察する事はあっても、心配しないように、建物が道をしっかりと塞げたのかを確認する為に見ていたに過ぎないのだ。
「はぁぁぁ〜〜、さぁぁぁぁぁぁぁーーーッ!!見せてくれ、俺に!私に!世界にッ!!お前の紅の光をぉぉぉぉ!!」
妥協なき叫びはたった一人の男によって発声したもの。
そんな余計な声援はシルティアには届いていると、本気で信じているのであった。
━ ━ ━
バイザーの一人喝采な声援はまるで一瞬もミリですら伝わっていないシルティアは、上空に浮かぶ泥の球体が卵の殻を割ったようになるのを唖然と見つめていた。
「開くッ?!」
光か漏れた。その泥の球体から入った罅は大きくなり、広がって、砕け散って、中身が露見した。
「え?⋯⋯⋯あれは?」
シルティアは知らないという事はない。
ただ、出てくる存在があまりにも見た事のある物で驚きが大きく出てしまって、動揺すらしているのだ。
初めて三崎浩史と出逢ったあの日、あの放課後の夕方頃にも誰もが持っていて、誰もが知っている日用品と酷似しているのである。
上空を見上げた者達は皆、変な空気に包まれて、同時に思ったであろう。
『折り畳まれた傘』だと。
上に向かって細く伸びて、露先と呼ばれる親骨から伸びた雨粒を滴らせる箇所と類似した形状のそれは百あり、石突きと呼ばれるてっぺんと類似している箇所は風船のように膨らんでいる。
全長約七十メートルの黒い傘がシルティアの目の前に浮かんだ状態で泥の球体から確かに姿を現界させたのだった。
『ピピピ───』
淡い紫色が石突きの箇所から光った。
「はっ!うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
剣を盾にしていなければ確実に死んでいた、そんな光線がシルティアを遅い、住宅地まで吹き飛ばされてから出た最初の感想である。
横幅十メートルの太く禍々しい光線は、一直線にシルティアを狙い、百メートル程後ろへと飛ばされて、建物に穴を空けながら、ようやく紫色の一線は千切れたように消えていく。
「な、なんて攻撃だ。まともに食らったら、私はまだしも、コージが死ぬ。【紅臨・桜光】」
効果が切れた魔法を再度発動させたシルティアは一直線に穴を形成した建物から一気に抜けて、八階建ての建物をひとっ飛びで上り、黒色の畳まれた傘のような形状をした魔物に斬り掛かる。
「はぁぁぁぁぁ──」
紅の閃光が疾走している最中、全ての露先部分から濃い紫色の雫が垂れた。
「ッな!なんだ!」
垂れて、宙へと滴り落ちて、急激な速度で旋回して、シルティアへ向かって軌道を大きく変えて襲い掛かる。
「えぇい!フィローネを思い出すッ!」
二メートル程の紫色の魔力で発生した光弾は、総勢百の雨が、猛威を振るい、石突きを狙っていたシルティアの体勢と勢いを大きく落としていく。
剣で薙ぎ払い、圧縮した魔力の光弾は弾け飛ぶが、その勢いは凄まじく、斬ったシルティアの背後で爆発し、絶妙なダメージを与えつつ、集中力は削っていき、遂に数発分の光弾はシルティアに直撃し、大爆発を起こした。
「紅姫ッ!⋯⋯駄目、負ける」
直撃した事により急降下してしまうシルティアを助けに行こうとするリディナ。
そんな彼女のすぐ傍で寝かせている浩司はシルティアが食らった痛みにより、苦痛な表情を浮かべながら起きてしまう。
「うぅぅっ。⋯⋯⋯⋯リディナ、さん?」
掠れた視界で辺りを見渡せば、空は曇天色で夕焼けなんて逃げるように消え去っており、激しい爆発音と脚に負荷の掛かる感覚が急激にやって来て、より意識は鮮明化していく。
「君、起きたの?早く逃げないと行けない」
「なんですかあれ?傘?」
超巨大な黒色の傘が浮いている。しかも、露先から嫌な紫色の光を発光させて、縦横無尽に街を破壊しているようにも見える。
紅の光が空に舞い、傘を斬り付けたのを見た。
だが、僅かな亀裂はすぐさま戻り、石突きをシルティアへと照準を合わせるようにして光が宿っていく。
「痛くないの?さっき、シルティア普通に食らって──」
「危ない!」
シルティア目掛けて走った光線はシルティアが回避を取った事で後方へと一直線。
リディナは起き上がった浩司を見つめており、意識の外にやってしまっていた。
急ぎ立ち上がった浩司はリディナを押し倒す勢いで真横から来る光線を辛くも回避する。
耳には甲高い耳鳴りと焼き焦げた臭いが充満して、土煙と黒色の線がなぞられた。
「⋯⋯⋯⋯君、大丈夫?!」
仰向けになって、胸元に顔を埋めている少年に向かって声を掛けるリディナ。
だが、一向に反応する気配がなく、仕方ないとばかりに、頭を数度、掌でペシペシと叩くと、ようやく顔を上げて、辛そうな表情でリディナの声に反応する。
「あぁぁ⋯⋯。痛てて、あ、はい。僕は⋯⋯⋯えぇッ!!」
リディナに覆い被さる形というのもあるが、胸を普通に鷲掴んでいる事が浩司を萎縮させていき、狼狽えるように離れていく。
頬が赤くなる浩司は手を数度、感触を確かめるようにした後、ハッとなると頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!」
「⋯⋯ううん、良いよ」
狼狽えは続き、慌ててリディナから視線と身体の向きを変えて、巨大で黒い傘へと注視した浩司。
(私のちっさい?)
下に目線をやって、首を傾げているリディナだが、地面が揺れる程の大爆発が起きて、意識はそちらに向けられた。
「⋯⋯兎に角、君は逃げて」
「シルティア何処です?」
「え?」
言葉の意図としては解る。心配しているのだろうという事も分かっていた。
だが、リディナへと向いた浩司の顔は心配よりも、少し勝機があるような顔付きであり、何かを企んでいるようにも見えて、思わず不審がってしまう。
そんな彼女の疑問を解消するように、浩司は語る。
「夢で見たんです。シルティアの剣が凄く馬鹿でかい光がこう、ばぁぁぁって纏わり付いて、振ったらごぉぉぉぉ〜ってなる奴です!」
身振り手振りで壮大な擬音を使っている浩司の言葉を真面目に理解しようとするリディナ。
両手で振り下ろすような身振りを見せた時、リディナは何かに気付いたように目を開いた。
「⋯⋯もしかして。⋯⋯⋯⋯分かった。あの子もその方が一瞬で終わらせられるだろうし、出来るか聞いてみる」
「頼みました。ん?!あれ?何?」
黒い傘へと視線を移そうとする時、馬が地面を蹴る独特な音が響き渡り、思わず、彼方此方に顔を向けていく浩司は、上空へと視線を移した際に何かが駆けているのに気が付いた。
三馬と大きな車輪二つが付いた黒い天井が無い箱であり、人が二人乗っており、思わず浩司は引き攣っ顔を見せる。
「ふぁっはっはっはっはっは!さいやッ!」
「煩いのが来た⋯⋯」
「え?」
「ガンガルド・リガステッタ。私達の世界にある一つの国の王様で、穴堀人と人間のハーフ」
軽く説明をしたリディナ。そんな彼女を上空から見つけた様子のガンガルドは急ぎ手網を振り、浩司達の近くに馬と鋼鉄の黒い荷車を地面に降ろす。
デカかった。その男は赤茶色の髭を蓄え、髭と同じく色をした長い髪の毛をオールバックにしており、肩まで伸びていた。
筋肉悠々な骨格と体格、肩幅をしたその男は白いマントを肩にある金具で留めてあり、靡かせるように馬から降りる。
黒の鎧に掘られた溝は銀色に染め上げられて、黒色の甲手はさながらメリケンサックのように指の第二関節まであり、それを腰に付いた金属の防具に当てた事により、煩く鳴らした。
「おお!久しいな!【放浪妖精】!一年前、共に先陣を切って以来か!」
「⋯⋯ガンガルド、煩い」
「わっはっはっはっはっは!その小生意気め、相も変わらずで安堵した!して、アレは誰がなった?」
「⋯⋯フォルグッドっていう傭兵崩れ?って奴」
「フォルグッド?聞いた事が無い」
考えるような素振りを浮かべるガンガルドだが、何も知らないという表情をこれでもかとすると、目を細めたリディナが問う。
「戦ってくれるの?」
「そうしたいのは、山々なんだがなぁ」
鋼鉄の荷車へと目線を向けたガンガルド。
すると、しゃがみこんでいたノッポの男が、勢いよく降りて来て、ガンガルドの太い腕を叩き、叫ぶようにして言う。
「駄目に決まっている!避難誘導が先だ!なんの為の馬車馬だ!」
「お主、まだ馬等と宣っておるのか。これは牛だ!」
「どう見たって馬だ!あんぽんたんの馬鹿王め!」
「何を言う!愚策で民を苦しめた事は兎も角、そこまで言われる謂れはないではないか!」
(素直ぉ〜)
浩司とリディナが呆れてしまうぐらいに状況に合わない口喧嘩を繰り広げる二人。
残念ながら、誰が見ても『馬』である。
黒く、鎖で左右に繋がれた馬の頭部から少し灰色の角のような物は生えてこそいるが、誰がどう見ても『馬』なのだ。
「馬と牛の区別くらい付けてから言ってくれって言うんだ!⋯⋯ん?」
ノッポの男が不意に浩司を見る。ハッとなった様子で咳払いをして浩司に近付く。
「君、巻き込まれたのか?早くこちらに来い。避難する」
「あ、僕いいです」
「何言っているんだ?見て分からないのか?惨事だぞ?ここは?」
「いや、でも──」
「おい、どうした?何をしておる?ジャグ!グリラ!リラッチ!」
真ん中に居る白いツヤッツヤの馬と黒色の角の生えた馬がソワソワした様子で浩司に近付いて行く。
手綱を握って名前を呼ぶガンガルドを無視して、着実に距離を縮めていき、通常の馬よりも明らかに大きい三頭の馬は浩司を凝視する。
「え?なになに!?⋯⋯⋯⋯あはは、擽ったいって!冷た!硬?!何こいつら?!助け、助けてぇぇ〜!!」
舐める、擦り付ける、頭を撫でて貰おうとする。
そんな三頭の馬は全て、鉄の身体が硬く、触る感触は肌触りが良いとは言えなかった。
三頭の馬の頭を押し付けられてしまっている浩司はワシャワシャと無造作に撫でて宥めようとするも、一向に落ち着きが収まる気配はない。
「ペットも飼い慣らせないなんて、王様は馬鹿だね」
「お主、動物に好かれる体質か?」
「いや違うんですけど?!そんないいハンターになる素質とか持ってないんですけど?!擽ったい!」
「おい、ガンガルド!早く後ろに下がらせろ」
「分かっとる!」
手綱を強く引き、上手く間を取ったガンガルドにより、既に地面に転がってしまっている浩司は辛くも平穏が訪れた。
三頭の馬に舐められまくった事により、唾液は顔中に付いてしまい、唸り声を上げる浩司。
そんな時、腹部から発生した急な痛みと、紫色の線が四人の右方向をなぞり、爆発が起きると同時に女性の叫び声が上がった。
「うわぁぁ!」
「シルティア!」
思わず、腹を抑えながら叫んだ浩司は更に追い討ちとばかりにやってきた背中の痛みに項垂れるようになってしまう。
リディナとノッポの男がそんな様子に心配するように近付く一方、ガンガルドは吹き飛ばされたシルティアの方へと視線を移していた。
「【紅閃姫】か!久しいな!」
瓦礫の山と化した倉庫から突き抜ける閃光が現れて、四人の近くに着地したシルティア。
剣を巨大な傘の方へと構えて、ガンガルドを睨む。
「状況を見て言え、砂国の王!⋯⋯コージ、起きたのか?!傷はないか?!⋯⋯なんか?ベタついたか?」
心配していた筈のシルティアは、浩司の頭に触れると粘つきのようなもの感じて、思わず手が離れてしまう。
そして、項垂れていた浩司は立ち上がり、シルティアを見て自信満々に言い切る。
「シルティア、僕はいいハンターの素質があるっぽいんだ。これはそれを知る為の代償だ」
「ん?何言ってるんだ?」
言葉の意味が伝わらないシルティアは不審そうな視線を浩司に向ける。
だが、状況は逼迫している事自体に変わりはない。
リディナがシルティアの破れかかった白い衣を摘んで何時もの調子で問いた。
「それで、紅姫。貴女の剣使ってアレ倒して欲しいんだけど?」
「そうしたいが、魔力を溜める時間もッ、無い!」
五人目掛けて、石突きの箇所から光線が飛んでくる。
各々で慣れた回避行動を取る中、浩司はシルティアに腰を掴まれて光線から逃れるべく、上空へ二人で滞空していた。
別の建物まで、退避したリディナが矢を使って傘目掛けて射撃を開始し、三馬と鋼鉄の荷車は二人の男を乗せて、宙を駆けながら、敵の動向を見つめている。
「うわぁぁ!う、浮いてる!」
「コージ何処でもいい、私に掴まれ!」
「あぁ」
「ひゃ!」
「え?!何!痛かったか?!」
「いや⋯⋯何でもない」
腰に手を回しただけの筈が、何故か軽く黄色い悲鳴が上がってしまい、思わず取り乱してしまった浩司とシルティア。
紫色の光弾は未だにシルティア目掛けて旋回を重ねて、剣の餌食になろうとする中、青い稲妻がそんな紫色の光弾を弾き飛ばしていき、シルティア達へと接触する前に、一帯を制圧するように駆け抜けて行く。
ひょいっと黒の鋼鉄箱から顔を出したノッポの男は二人に聞こえるように声を張って叫んだ。
「どうするんだ!勝ち目はあるのかァァッ!」
「お前は誰だ?」
シルティアが不審そうに聞くと「え?」と素っ頓狂な返しをしてしまう男。
咳払いをして男は前で馬を巧みに操り、空中を駆けているガンガルドを指差しながら先程よりも大きな声で叫んだ。
「そこの馬鹿王と行動を共にしている。嘉島義文、警察官だ!」
「えぇ!?警察官ってあの青い服着るんじゃないの!?」
「警察官皆がそんな訳がない。ほら、証拠だ!」
青いスーツの内ポケットから取り出した警察手帳。
だが、光線を避けているシルティアに抱えられている状態である為、目を細めてその小さくなっていく手帳の中身を見ようとする浩司。
結局、中身が本物かすら解らないまま、諦めてしまい、抱えてくれているシルティアへと視線を向けた。
「⋯⋯シルティア、アレなんだ?」
「いや、知らないが⋯⋯」
シルティアが地面に着地すると同時に、手を離した浩司は地面に倒れる。
着地の衝撃は全てシルティアにやって、離した浩司はシルティアが抱えていた位置から地面までの僅かな高さ分だけが身体にダメージとして入っていく。
「うっ!」
「す、すまない。衝撃を軽くしようとしたんだが⋯⋯」
「いや、いい。ありがと」
「アレは変質体。魔物になった人だよ。うぅ!⋯⋯つまり、人を辞めたって事」
辛くも光弾を避けて、浩司の所へと着地したリディナ。
腕を僅かに焼き、脚裏を地面に擦らせながらのご登場に、華麗さはなく、むしろ焦った様子が滲み出ていた。
「でも、人だったんだろ?!」
「来るぞ!」
「え?!」
傘が開いた。
骨組みは見えないにも関わらず、開かれたその巨大な傘の露先から光が溢れていき、石突きへと集中していく。
そして、上空へと放たれた紫色の光は線香花火のように舞い上がり、弾けた。
本来の花火ならば四方八方に散り、綺麗な光景として鮮烈に記憶されるものであるのだが、禍々しい紫色の光は四方はおろか、一直線にシルティア達の方へと向かって駆け抜けて行く。
リディナが急ぎ魔法を唱えようとする。
シルティアが魔力を込めて後方にいる浩司を守ろうとする。
ガンガルドは急ぎ地面まで馬を寄越して、そのまま三人を引っ掴んで、鋼鉄の荷車へと降ろした。
大気が震えて、荷車は激しく揺らされいく。
巻き込まれるように隣町は地面に線を描き、黒く焦げていく建物と人の悲鳴が聞こえる。
義文は歯を食いしばり、太腿を叩く。
唖然としてしまう浩司は焼き尽くされていく隣町の現状をただ呆然と見ているだけであった。
「坊主、アレは人を辞めたから死んだのではない。死んだと同時に人を辞めたと解釈しろ。魔力を多く持つ者の宿命だ」
「宿命?じゃあ、シルティアも?」
「可能性はある。だが、滅多な事では起きん」
「ガンガルド、俺達は避難誘導だ。忘れるな」
「わかっておる!」
馬が徐々に大地に着こうという時、ガンガルドが叫ぶ。
「坊主!【紅閃姫】と共に行くか?」
「おい!ガンガルド!」
「分かっておる!だが、男とて見届けなければならん時もある。どうだ?」
「頼む!シルティア」
隣で後方からの攻撃を防ぐように身構えていたシルティアを見つめた浩司。
視線はすぐに伝わった様子で、振り返って浩司を見る。
数秒の沈黙の後、シルティアは諦めたように口を開いた。
「⋯⋯⋯⋯分かった。速攻で終わらせよう。砂国の王、避難誘導は要らない。代わりに一つ、あの光を塞き止めてくれ」
「破壊し尽くして良いんであろうな?」
「構わない」
「あい、判ったッ!」
馬は地上へと降りた。場所は焼き尽くされている隣町の岸付近。
傘はシルティア達の元へと漂うように近づいて行く中、リディナは鋼鉄の箱からは降りず、神造器と弓を出現させて、魔力の矢を形成する。
「私は馬鹿王のサポート。シルティアはアレ使う時には魔法陣出るから要らないでしょ?」
「あぁ、コージを護れるようにはしてやってくれ。発動中、私は無防備だ。何かあると困る」
「義文!お前は降りて避難誘導だ!間違っても、あの南側に行くな。あそこは海だ」
「誰の世界だと思ってるんだ?俺達の世界だぞ?」
「⋯⋯」
「よし、行くぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
馬は先陣を切った。黒い土を掃き鳴らすように辺りに舞われさせながら、宙を駆けていく。
義文は早々と後にして、瓦礫と化していく一帯で、未だに逃げられない人達を捜すべく奔走する。
浩司とシルティアは立ち尽くして黒い傘が迫るのを睨み付けていた。
「コージ、間違っても前には出るな」
「あ、あぁ」
先陣を勇ましく駆けていく三馬。その馬達が引いている鋼鉄の箱に立っている妖精人は謳う。
確固たる敵へと目掛けてではなく、味方であるガンガルドへと向けて。
「【翡翠の瞬き、畔に咲き乱れるは、希望を冠する花束。幾千の陽を浴び、幾億の月日を巡って、その開花に祝辞と栄華の賛美を与えよう。──】」
傘は気付く、何か良からぬ事を企んでいるのだと。
紫色の光弾は一斉に発射されていき、馬と鋼鉄の箱目掛けて掃射された中、間を掻い潜るように縦横無尽に疾走して、攻撃を回避していく。
だが、一度背後に回った光弾は、意識があるように急停止の後、更に不意打つように後方から迫り続けていた。
そんなストーカー気質の攻撃の最大の対処方法は何か。
根本を叩く事のみである。
ガンガルドは腰に携えた剣を抜剣して、高らかに魔法を唱えた。
「【鋼牙迅雷ッ!余す事無く食い尽くせェ!頂きに立つその邪を討ち滅ぼすは、竜骸の鎧賜る、三英雄なり!──】」
石突きの箇所から光が一瞬、暗転して蓄えられた紫色の光線が押し出されるように放たれた。
馬達は右方向を一直線に突っ切り、光線を辛くも回避していく。
激しい震動を鳴らして、海へと向かって飛んで行った紫色の光線は轟音と衝撃を掻き立てる。
未だに収まらない光弾は、馬達と二人の背後をピッタリとマークする中、リディナの表情は変わらず、謳う事は止めない。
「【眠れる息吹に幸福を。目覚めし明け星に泪を。我が一射に不朽と恒久の華よ咲け!──】」
薄緑色の矢は一点に矢へと注がれていく中、赤と白の粒子が溢れ始めていき、上空へと標準を合わせる。
『ヒピピビビビ───ギャァァァァァァァァァァァ』
「なんだ!急に悲鳴に変わった?!」
未だに遠くに居る傘から鳴り響く機械音にも似た声は唐突な悲鳴となり、浩司は驚いた様子を見せて、シルティアは訝しんだ。
「怒っている?」
表情は読み取れない。黒の傘は本当に顔もなく、一面黒に染まっており、顔なんて見当たらない。
悲鳴へと変化した叫び声が木霊して、避難する人々の耳を刺激する中、黒い傘の露先へと馬を走らせて行くガンガルドは威勢と逞しさを高揚していく声色で魔法を唱え続ける。
「【至れ、廻れ。一つの栄光を二つに与え、二つの戦果を一つに託し、巡り、慈しみ、尊重慈悲の大鋼三馬!多くの轍を踏み越え!数多の戦場を駆け巡り!伝説を走れェェ!───】」
『ジャグ』『グリラ』『リラッチ』の三頭の馬が青い稲妻を放ち出す。
猛々しく、騒がしいまでのその雷は轟音を唸らせて、響き渡る雷鳴は天地を裂く勢いである。
馬は同時に鳴き声を上げて、更に加速して、一筋の刃のように青く光った。
「【散華灯臨!柊華の花束】」
射った矢は上空へと一直線に上昇していき、天に僅かな亀裂を走らせていく。
その亀裂は確実に広がりを見せて、白い空間を空けると、白い光が漏れ出してガンガルドに浴びせられていった。
祝福の加護と身体能力並びに魔力の強化を齎す魔法であり、リディナが最も魔力を消費する魔法でもある。
白く身体を発光させるガンガルド。そんな彼に呼応して、青く稲妻を纏う馬達も合わせて白く発光して、青い稲妻に纏うように白いベールが被せられたようであった。
「【鋼鉄の巡雷凱】ッッ!!」
青の稲妻は音を捨てて、疾く駆けて行く。
巨大な傘の周りを青の輪っかが形成されていくのを浩司は見た。
それが輪っかではなく、馬達が駆けた事による轍によって形成された残像であると、理解したのは少し後になってからである。
青と白の合体魔法は神速の勢いであり、後方に着き纏う紫色の光弾を振り切って、青と白の刃は開かれた黒の傘の周りを飛び交い、露先部分を粉々にしていく。
「は、速ぇ。見えない」
「砂の国の王。ガンガルドはあの馬を引き連れて、泉を求めて幾星霜を駆けたと聞くが、確かにアレなら幾星霜も過言では無いな」
「いや、泉って。普通に⋯⋯まぁ、いいか」
百ある内の八十を僅か十秒足らずで破壊し、石突きの箇所から放たれた光線による攻撃を掻い潜り、更に露先を粉々にした。
「オオオォォォォォォォォォ〜〜ッッ!!!⋯⋯まだまだだァァァア!!!」
そして、上昇した馬達は急加速し、石突き部分へと突撃して、激しい雷鳴と共にへし折れて爆発していく。
『〜〜〜〜ッッッ!!!ガァァァァァァァァァァァァァァァア!ダダダダ⋯⋯ズゥァアウ───ユユユ、ユルサササ⋯⋯⋯』
一足先に鋼鉄の箱から降りたリディナは上空へと身を任せている状態でいる中、真上から疾走する馬の足音が鳴る。
その様子を見届けたシルティアは後方にいる浩司を見た。
「コージ。良いな?」
「⋯⋯あぁ」
【その紅は煌々なる審判の刻を賜りし一刻の永劫。至る輪廻を排斥し、巡る螺旋を一閃に集わせろ!──】」
彼女を中心に煌びやかな紅と金の魔法陣が浮かび上がり、白い粒子が吹き立ち、空へと突き立てた剣は、勝利を示す存在の誇張のようである。
「決めて!紅姫!」
鋼鉄の箱にしがみ付いているリディナは完全にバテてしまっており、息を荒らげていた。
揺らされる箱は速度が徐々に落ちて行くに連れて、揺れの勢いは増していく。
「うぅ、再生するのか!?⋯⋯締めは貴様だ!【紅閃姫】!!早くせんか!!」
少しでも削ろうと攻勢に出ようとするも、石突き部分と露先部分は既に回復を始めてしまっており、数発分ガンガルド達に迫っており、回避行動を取らざるを得ない状況になってしまっていた。
「【虐げる簒奪者に鉄槌を。流麗なる世界に仇なす邪気には消失を!導くは我が紅刻剣!】
背中越しで掲げた剣の光とそれを一番浴びている彼女。
神々しいとすら感じてしまい、思わずに呟いてしまう。
「すげぇ⋯⋯」
白い粒子は金色なる煌びやかな光へと変化を遂げて、大気を大地を揺らして、彼女を中心に溢れる金色の粒子と紅色の魔力は紅刻剣へと向かって色を染め上げる。
紅色の剣身と黄金の象りをした鮮やかな一振の剣は眼前の黒き巨大な傘へと今、振られようとする。
「【因果必潰!!───永劫なる紅刻の一閃】ァァア!!!」
叫んだ声は幾星霜に響き渡る程に勢いと勝利に満ちたものであり、紅の髪とボロボロになった白い衣を靡かせて、振り降ろされた。
瞬間、眩しさで瞼を閉じた浩司は手で視界を塞いで、目の前に居る彼女の勇姿を見届けようとする。
放たれる紅と金箔の光を模した超巨大な光の一閃は鐘と酷似した音を鳴らして、黒い傘へ直撃した。
抵抗する間も無いほどの超高速の紅光なる閃光はあっという間に巨大な傘を包み込み、天を穿つように紅い光は昇っていく。
『ピピピピ───ガガガ──シヌ──シニタク──ヴヴゥヴ⋯⋯⋯⋯────』
爆発は無かった。光に飲まれて器官は瞬間的に蒸発してしまい、人のような言葉を呟いて、世界から消えた。
究極の蘇生殺しにして、多勢を圧倒的な速度で焼き尽くし、因果や概念を通り越して、確実に仕留める人に持たせるには強力すぎる必殺の魔法──紅刻剣に宿る魔法。
シルティアの魔法により、放たれた紅の光線は大地を裂いて、傘が浮いていた付近にある海は割れて、波を大きく立てていた。
【永劫なる紅刻の一閃】は今日も誰かの目に留まり、人々に畏怖と高揚を与える。
「⋯⋯あ、あ。嘘だろ?こんなに、凄いのかよ。夢以上だ⋯⋯⋯」
「ふぅ〜。コージ終わったな。流石の私もあれを使っては疲れるんだ。肩を貸してくれ」
「あ、あぁ」
倒れそうになる彼女を支えるべく近寄る浩司と上空から馬達に運ばれてやって来るガンガルドとリディナ。
その遠くで一望していたバイザーは目を輝かせていた。
「は、はは。ふぅぅっはっはっはっはーーーーー!最っ高だぁぁぁぁぁ!!!なんだ、あの光?!あぁぁぁ〜、物にしたい!手にしたい!染め上げたいッ!!こんな高揚感は久しいぞ!久しいぃぃぃぃぞォォォォォ!!あぁぁぁぁ、我慢ならん!あの女と剣を手にして俺はァァァ〜、俺ハァァァァ。見たか!民衆!貴様らの傷に染め上がった赤などよりも、余っ程アレは綺麗だァァア!こんな体験が!心躍る体感が出来るなんてェェ!感・激・だッ!今行く───」
スマホが鳴った。まるで止めろとばかりに高鳴る高揚感と髪をクシャクシャにしながら抑えられない昂りを諌めるように鳴ったそのスマホを恨めしく見続けるバイザー。
舌を鳴らして、通話に出るとクライチェルの悲鳴が上がっていた。
『ミスター・バイザー!お戻りください。会社が⋯⋯粉々、です』
「あ」
自分の会社がある方向へと目を向けると、黒い傘によって焼かれた方角であり、脂汗を滲ませていくバイザー。
「ヤバい。忘れてた⋯⋯。クライチェル!お前は今日、残れェェ!」
『えぇ!』
「私も残る!だから、お前も残れェェ!いいなぁ?!」
『ひぃぃぃ!は、はい』
通話を切るバイザーは項垂れるようにして泣きそうになりながら叫んだ。
「最悪だぁぁあ〜あーー!ッ何故!こうなる!」
━ ━ ━
ガンガルドのおっさんは警察官(自称)の人の元へと向かう為、僕達と別れた。
そして、残った僕達は疲れ果てた状態にあり、リディナさんとシルティアに言われるがままに自宅に帰ろうとする。
「なぁ、避難とか手伝った方が──」
「万全なら良い。でも、紅姫が怪我してるのは変わらないから駄目」
リディナさんが腕を引いて僕の行動を阻害してくる。
疲れている様子なのに、なんでこんなに強いの?
疲れ果ててる彼女とまだ万全に近い僕とじゃあ、リディナさんの方が強いっていう事なのだろうか。
なんか、プライドが傷付く。
「リディナさんが治せばいいじゃん」
「魔力がもう無い。だから、回復させてやれない。ざまぁないね」
「お前はどっちの味方なんだ!」
ジト目で嫌味ったらしく言うリディナさんと、言われたご本人であるシルティアは肩を揺らして噛み付く勢いで迫る。
されるがままのリディナははっ倒して、僕の方へと視線を向けたシルティアは不安そうな表情で僕の右腕へと触れた。
「しかしだ、コージ。そのフラつき方からして、血が足りて無いのではないか?」
僕からしたらフラついている気はなかったし、至って健康のつもりだが、他人から見ればそうではないのだろうか。
それとも、シルティアだから解るのだろうか、いずれにしても血が足りてないと言われてしまい、そんな気もしなくもないのだ。
「まぁ、腕斬られた時に血は流れたけど」
「無茶ばかりし過ぎない事だ」
「で、でも」
「いいな?」
食って掛かろうとする僕を覆い被さる勢いの圧で強制的に断念させられてしまう。
「あ、はい」
渋々と言った様子に、まだ不満な表情で受けて立つとばかりに僕を見るシルティア。
そんな彼女から逃げるように、立ち上がりだしたリディナさんへと矛先を変えた。
「そういえばリディナさん。どうするんです?この後?」
「君の家に行って住み込む」
「は?⋯⋯え?」
今なんと言ったのだろうか。目を見開いて、彼女がさも当然のように言い切ったその言葉を理解しようと手を側頭部に当てて考える。
「紅姫がやらかさないようにしたいし」
「貴様という奴は、まだ言うか?!」
リディナさんへと迫るシルティアをひらりと躱して、僕の方へと躙り寄り、僕の脚を両腕を巻き付けてくる。
「お願い、泊めて?」
上目遣いで懇願して来るその様子に、正直、悪い気はしなかった。
「⋯⋯まぁ部屋余ってるけどさ⋯⋯」
「やりぃ!」
「おい、コージ!騙されるな!コイツはいい加減な奴だぞ?」
そんな彼女からの支援攻撃とばかりに横から口を挟んで来ようとすると、何故か胸元を抑えるようにして俯いてから、ウルウルと目に涙を溜めて、僕を見た。
「紅姫は泊めてるのに酷い。胸だって鷲掴みで⋯⋯触られたのに。乙女の純情が〜」
「な?!お前!」
「コージ⋯⋯監禁されてる間に何をしているんだ?」
「いや、違う!監禁されてる時じゃなくて!」
「つまり、あの傘が居る時か?私は戦っていたのだが⋯⋯」
それを言われると何も言い返せない。実際、殆ど接敵してたのはシルティアで僕なんて見てただけだ。
何も言える資格もなくなった。
「はい、すみません」
「じゃあ、コレから宜しくね?」
「待て、それはそれ、これはこれ、だろ?何当たり前のように言っているのだ!」
「私なら、二人のカバー出来る。弓と矢だから、遠距離でこの子を守れる。つまり、紅姫より有能!証明された。キュ〜イ〜ディ〜」
「よく知ってるな。まるっとスルッとお見通しぐらい聞かなくなったな、それ」
時代は流れていくもので、名言とか流行語とかも年が明けて、月日が経ったら死語なんて言われる始末だ。
古語だって死語にならないのは何故なのだろうか、なんて考えていたら、リディナさんは真剣な表情に切り替わって、シルティアが最初に気付いて、僕が後になって気付いた。
立ち上がったリディナさんは僕の手を握ってくる。
「それに、しばらく拠点は欲しいかな。私を売った奴の事も突き止めたいし」
「売った?」
「うん。紅姫を殺すように言ってた依頼者が私を売って、あの倉庫にフォルグッドを遣わせたみたいだからさ」
フォルグッドの標的が一人から二人に変わったのはそのせいだったのだと、僕はこの時に理解した。
「顔は?」
「知らない。使いの人がいて、目出し帽とサングラスしてたから分からない」
オーソドックスはサングラスと黒の帽子と黒のコートを着た人物を想像したが、この時期にそれはいくらなんでも暑すぎる。
「怪しくね?普通に」
「うん。だから、懲らしめるまで泊めて?」
「どうするコージ?コイツは言ったら聞かない方だぞ?」
そこそこの付き合いがあるシルティアがそう言うのだから、恐らくそうなのだろう。
だが、リディナには『恩を売る』という事を考えれば、ある意味では得なのではないかとも思い、迷った末に僕は承諾した。
「解ったよ。その代わり、ちゃんと家事とかしてくださいよ?」
「敬語はノーバディ!私の事はリディナって呼んでオーケー!」
イントネーションがズッタズタな英語を披露したというのに、サムズアップをしている様子と英語の使い方が合っていないせいで、残念な人なのだと理解した僕はシルティアを見る。
「一応、この子は十四歳だし、敬語じゃなくても問題は無いと思うぞ?」
「⋯⋯今なんと?」
「リディナ・ウーバンは十四歳だ。知らなかったのか?」
「知る機会ある訳なくない?え?マジなの?」
「リディナはピッチピチの活きのいい十四歳!イェーイ」
それにしては顔立ちが少し大人っぽいが、妖精人だからなのだろう。
妖精人だから、両手でブイサインをして、それを押し付けるように僕に迫ってくるのだと判断して、頭を掴んで悪態をついた。
「腹立つな。捌いてやろうか」
「駄目だよ?まだ成熟するから、せめて後、八年待って!そうしたらとんでもない美女になるから!」
「と仰ってますがどうなの?」
「いや、流石に妖精人での知り合いはリディナしか知らないから分からない。本人が言うならそうなのではないか?」
「エッヘン!ドヤさぁ〜」
腰に手を当てて、バッチリとポーズを決めたリディナ。
ドヤ顔が妙に腹立ってくるが、歳下というのならばとぼくは諦めてしまう。
「⋯⋯ちゃんと家事しろよ」
「任せて、洗濯畳む事はできる!妖精人嘘つかない」
「それ、嘘吐きが言う奴だな」
そうして、僕達は街を歩く。疲れた身体にボロボロの衣服で未だに混乱の中にある街と人々を掻き分けるようにして。
僕と異世界からやってきた人間と妖精人を連れて、同居生活が再開する。
1章おしまい。
2章からは更に話が複雑するからお気を付け。




