第4話 同じ装いのはずなのに
その夜、伯爵家主催の社交会は、例年通り華やかに始まった。
絢爛なシャンデリア、磨かれた床、流れる音楽。
集う貴族たちは皆、伝統に則った正装を身にまとっている。
——表向きは、何も変わらない。
色も、形も、流行も。
誰が見ても、いつもの社交会だった。
けれど、気づく者は気づいていた。
「伯爵夫人、今日は随分とお元気ですわね」
声をかけられた夫人は、にこやかに微笑んだ。
「そうかしら。いつも通りですわ」
そう答えながら、夫人は自然に背筋を伸ばし、軽やかに歩く。
立ち止まる動作も、振り向く仕草も、どこか余裕があった。
長時間の社交会では珍しいことだった。
重いドレス。
締めつける構造。
慣れたはずの疲労。
それらが、今夜は驚くほど感じられない。
(……不思議ですわ)
椅子に腰掛けても、立ち上がっても、動作が滞らない。
会話を続けても、呼吸が浅くならない。
夫人は、自分の変化より先に、
周囲の視線の変化に気づき始めていた。
「……あの方、さっきから一度も席を外していないわ」
「それに、姿勢が崩れないのね」
「同じ形の服のはずなのに……」
ひそひそとした声が、波のように広がっていく。
誰も否定はしない。
批判もない。
ただ、羨ましそうな視線だけが集まる。
比較は、無言で行われていた。
扇を持つ手の震え。
椅子に沈み込む背中。
時折こぼれる、疲れを隠しきれないため息。
そして、その隣で、
最後まで姿勢を崩さない一人の夫人。
違いは小さい。
けれど、並ぶと決定的だった。
「そのお召し物、どちらで仕立てられたの?」
ついに、尋ねられた。
「いつもの老舗の仕立て屋ですわ」
夫人はそう答えた。
それ以上は、何も付け加えない。
特別な工夫も、秘密も、語らない。
だが、言葉以上に雄弁なのは、
その立ち居振る舞いだった。
夜も更ける頃。
多くの貴族が疲れを隠せなくなる中、
夫人は最後まで穏やかな表情を崩さなかった。
帰り際、彼女は軽く会釈をし、
背筋を伸ばしたまま馬車へと乗り込む。
——それが、決定的だった。
翌日。
「社交会で、随分と評判だったようだな」
仕立て屋の奥で、オーナーが静かに言った。
私は、作業台の上の布から目を離せずにいた。
「……そうですか」
自分の手元だけを見つめる。
縫い目は、いつも通りまっすぐだ。
「否定も反発もない。ただ——」
オーナーは、少しだけ言葉を選ぶ。
「皆、“同じものが欲しい”と言っている」
私は、小さく息を吸った。
それは、怒りよりも、ずっと厄介だった。
嫌われるなら、断れる。
奇抜だと言われるなら、引き下がれる。
けれどこれは、違う。
「なぜ、同じ形なのに、あんなに違うのか」
「どうして、あの人だけ疲れていないのか」
答えは、見えないところにある。
裁断、裏地、重さ、通気。
名前のない工夫の積み重ね。
そして、それらは外からは分からない。
「エリー」
オーナーが、真剣な目で私を見る。
「次の注文が来る」
断言だった。
私は、針を握りしめる。
静かに暮らしたかった。
ただ、良い仕事をしたかっただけなのに。
けれど、社交会という場で、
“違い”ははっきりと可視化されてしまった。
誰も責めていない。
誰も否定していない。
ただ、同じものを求めている。
それが、私にとって一番やっかいな状況だということを、
このときの私は、ようやく理解し始めていた。




