第3話 貴族からの正式な注文
噂は、思ったよりも早く届いた。
市民の間での小さな評判は、
いつの間にか、使用人の口を通じて、貴族の耳に入る。
声高ではなく、
「なんとなく良いらしい」という曖昧な形で。
ある日、オーナーのロベルトが私を呼んだ。
「貴族から、正式な依頼だ」
短い言葉だったが、店の空気がわずかに張り詰める。
市民服の仕立て直しとは、意味が違う。
注文内容は、
外見としてはごく一般的な正装。
流行から外れず、格式も保ち、
どこに出しても恥ずかしくない一着。
私は少しだけ、迷った。
市民服と、貴族服は違う。
求められる見た目も、立場も、場面も違う。
だが——
身体は同じだ。
「市民向けと、同じ考え方でいい」
ロベルトの一言で、決まった。
私は、まず布を選ぶ。
見た目の格を落とさないため、
表地は上質なものを使う。
光の当たり方で表情を変える、
重厚さのある織りだ。
だが、裏側は別だ。
重さを減らすため、
軽量のシルクを使う。
汗を逃がすため、
薄手のリネンを内側に仕込む。
見えない層で、
身体を助ける。
裁断も、平面では行わない。
立つ。
歩く。
礼をする。
その動作を想定して、
布に最初から余裕を持たせる。
見た目は張りがありながら、
動けば自然に沿う構造。
背筋が自然に伸びるよう、
革と布を組み合わせた支えも入れた。
締め付けない。
ただ、支えるだけ。
完成した服は、
見た目だけなら、他と変わらない。
豪華でも、奇抜でもない。
むしろ、控えめですらある。
だが、着た者はすぐに気づく。
「……違う」
それ以上、
言葉が出てこない。
肩が軽い。
呼吸が深い。
長く立っていても、疲れが溜まりにくい。
けれど理由は説明できない。
布も、色も、形も、
見れば普通なのだから。
貴族は理由を言語化できない。
だが、
説明できないものほど、
印象に残る。
数日後。
その服を着たまま、
長時間過ごした貴族から、
追加の注文が入った。
理由は、一行だけだった。
「同じ考え方で、もう一着」
仕様書でも、流行の指示でもなく、
“考え方”が指定される。
私は、少しだけ困った。
名前を付けた覚えも、
流派を作った覚えもない。
ただ着る人が楽なように、
縫っているだけなのに。
——静かに暮らすのは、
どうやら難しくなりそうだ。
まだ誰も、
それが何なのか分かっていないまま、
“同じようにしてほしい”という注文だけが増えていく。




