梅雨
雨、雨、また雨。ここ最近は雨の日ばっかりな気がする。そして今日ももちろん、雨。こんなに沢山雨が降るのによく雨雲は涸れないものだと、今では感心してしまうほどだ。
クラスの人のたいていは雨模様が嫌いなようで、季節が梅雨に移ってからクラスが全体的が暗い気持ちに包まれているみたいだ。まるで、このクラスに雨雲が降りてきたように。
一方で私はといえば、むしろ嬉しい気持ちでいっぱいなのだ。
みんなは梅雨を嫌がるけれど、私は梅雨が好き。
雨音を聴いていると心が落ち着くし、枝葉をいっぱいに広げて雨を受ける木々たちはとっても嬉しそう。
そしてなにより、
「ちぇっ、この様子じゃ明日も体育はバレーか?」
「あぁ、天気予報も明日は雨だって言ってる。ほんと、天気どうにかしてくれよ」
そう、この高校では雨の日の体育は各種目ではなく、みんなで仲良く体育館でソフトバレーをするのだ。
ソフトバレーとは、運動が苦手な私にとって最も嬉しい種目なのである。ちなみに、晴れの日の女子の種目はテニス。私の嫌いな種目だ。
ソフトバレーは本来のバレーコートよりもそこそこ狭いコートで行われるので、そんなにせっせと移動する必要がなく、ボールは軟らかいので腕が痛くならないし、日差しに晒されないので日焼けの心配もない。
男の子たちは体育がバレーだってよくぼやいてるし、女の子たちは髪がまとまんないって不満を漏らしてるけど、私はこんな天気が続いてほしいな。いや、さすがに毎日雨だと困っちゃうか。だったらせめて体育の授業のある月水金だけでも……。
「怜佳ちゃん」
ぽん、と肩を軽くたたかれた。振り向くと、もう既に荷物をまとめ終わった御嶋さんが立っていた。
「そろそろ帰ろ」
「うん、でもちょっと待って。すぐ準備するから」
私はいそいで教科書やノートを鞄に詰めていく。すると、横から私の様子を眺めていた御嶋さんが口を開いた。
「怜佳ちゃんって真面目だね。古典と数Ⅱは明日もあるのに教科書とか持って帰っちゃうんだ。置いていかないの?」
「だって家で復習しなきゃ」
「……。そ、そうだよね。復習ね、大事だもんね」
はっとしたように御嶋さんは答えた。見ると、彼女の鞄は随分と軽そうだった。きっと大抵の教科書類は机やロッカーの中に置いてってるんだろう。全く、それじゃあ復習の1つもできないじゃな。仕方ないなあ。期末テスト前になったら、また私が勉強を見てあげよう。
御嶋さんに勉強を教えている場面を想像してにやけてしまったところで、私の荷物もようやくまとまった。
「お待たせ。じゃあ、帰ろっか」
「うん」
教科書たちが詰まって重くなった鞄を提げて、二人で教室を後にした。
「雨だねぇ~」
「……そうだね」
二人で傘を並べて歩く帰り道。まだ学校を出て間もないのに、ヒタヒタと水溜りの上を歩いたせいで、もう雨水が靴下にまで滲みてきた。
「この調子だと明日の体育もソフトバレーだね」
「うん」
横目で御嶋さんの方を見ると、若干俯きながら頷いていた。
「……早く、止むといいんだけど」
雨音に消え入りそうなほど小さな声で、彼女はそう呟いた。
やっぱり、最近の御嶋さんは例に漏れず前より元気がないみたい。これも梅雨のせいなら、梅雨ってほんとに嫌われ者だなぁ。
「御嶋さんも、やっぱり体育はソフトバレーよりテニスのほうが好きなの? 御嶋さんってバレーとっても上手だから、バレーのこと好きなのかなって思ってたんだけど」
ソフトバレーのチーム分けは名簿で決められていて、私と御嶋さんは同じチームだ。私がほとんど役に立たない一方で、彼女は他のバレー部の人に負けず劣らずの実力を持っている。
あれ? でも確か、御嶋さんは美術部だったはず。それなのにバレーが得意ってことは、中学生時代にバレーとかやってたのかな?
「あぁ、いや。バレーは、まぁ嫌いじゃない。テニスよりかは好きだよ。あたしの言いたかったのはそういうことじゃなくて……あたし、雨じゃなくて、梅雨が嫌いなんだ」
「梅雨が……? あぁ、そうだったんだ。ちょっと分かる気がする。ジメジメするし、髪はまとまんないし」
私はそう言いながら、自分の髪を指で梳いた。今朝ちゃんと手入れをしたけど、やっぱりちょっとぼさぼさっとしてる。御嶋さんの髪の状態はどうだろうと気になって見てみると、かつて麗らかな春風になびいていた綺麗な黒髪は、今では大分大人しそうにぺたんとしていた。
お互い髪のケアは大変ってことなのかな。道理で最近御嶋さんも元気が無い訳だ。
「え、髪? まあ、それもあるけど、そうじゃなくて」
元気が無い理由は違ったようだ。
「そうじゃなくて……?」
「あたし、春が好きなんだ」
「はる……」
「だけどこの雨は、あたしの好きな、あの美しい春をみんな流してしまうから」
「……」
御嶋さんは、急になんとも詩的なことを言い始めた。春を流すって斬新な表現だなぁ。
「そ、そっかぁ。確かに梅雨に入ると、春とは全然雰囲気違うもんね」
「うん……」
「……」
どうしよう。なんて返せばいいのか。
文学的な表現を持ち出されて返答に困った私は、何かいい返しは無いかと考えながら首を廻らす。すると、私たちの行く先にあるものを見つけた。
「あっ! 御嶋さん、あれ見て!」
「あ、アジサイが咲いてる」
校舎沿いの一画に設けられた背の低い植物の群れ、その一部にアジサイの花が開いていた。
私がそれに駆け寄っていくと、御嶋さんも私の後を付いてきた。
「綺麗だね~、いろんな色があるよ」
青に紫、赤に水色。いろんな色が、溢れんばかりに花びらを広げていた。私はしばらく、その花たちに見とれていた。
「確かにさ、春は終わっちゃったけど、この季節にもこんなに綺麗なものがあるんだよ」
私は振り向かずに、後ろにいる御嶋さんに語りかける。
「この綺麗なアジサイたちも、梅雨が明ければなくなっちゃう。けど、その後にくる夏には海や山、夏休みだって待ってるよ」
「……」
彼女は黙ったまま、私の言葉に耳を傾けている。
「秋には紅葉が綺麗だし、冬は雪が降るんだ。あ、でも雪は場所に依っては降らないかも。とにかく、そうして雪の季節が終わったら、今度はまた、美しい春がやって来るんだ」
私は後ろを振り返り、御嶋さんと真っ直ぐに向き合った。
「つまり、過去を惜しむんじゃなくて、今この時を楽しもうよ」
「今を、楽しむ……?」
「そう! この時この瞬間は今しか味わえない。だから、前を向いていこ?」
そして、私は御嶋さんに微笑みかけた。心なしか、さっきまでより御嶋さんの表情が柔らかくなった気がした。
「くすっ、そうかも、しれないね」
「うん!」
私が微笑みかけると、御嶋さんも笑顔を返してくれた。自然な笑顔を。
「さぁ、帰ろうか。もう靴下まで雨でびちゃびちゃだよ~」
「って、怜佳ちゃん自分から水溜りにはまりに行ってたでしょ? そりゃそうなるよ」
「えへへ、つい癖で」
再び、二人並んで歩き出す。相変わらずの雨模様。でも、ほんの少しだけ、雨脚が弱くなった気がした。




