第十三話 安穏の揺りかご
あの日、文ちゃんが買われた日。ここに居る八人が残った日。
八人の中で戦える人は居なかった。八人の中で、文ちゃんみたいに逃げられそうな能力を持っている人は居なかった。
そしてお誂え向きにも、私たちはずっとずっとずっとずっと、傍目からすればたったの一年かもしれないけど、長い間絶望に浸って、すっかり心が淀んでいたのだ。
もう、駄目になってしまっていたのだった。
「私の能力は、何の役にも立たない、誰の手にも扱えない『聖剣の作成』でした。見た目は綺麗だけど、鞘から剣を抜いて使えるのは『武器ならなんでも使える能力』を持っている佑太君だけだったんです。だから佑太君にお願いして……皆で、文ちゃんを見送ったら、お休みしよ、って、そういう、風に話し合ったんです……」
「何を……言ってる? 君らは元の世界に帰るんじゃなかったのか?!」
「……今なら。ソーマさんになら、私たちはそう言えるかもしれません。でも、あの時は本当に無理だと思ってました。何を言うことも許されなくて、今まで当たり前だったものが全部なくなって……人じゃなくなっちゃった。もう希望を持つのは止めよう。楽になってしまおう。
――そんな時に、ソーマさんが来てくれた。だから、私たちは、今生きてるんです」
ソーマさんは狼狽した様子で、真偽を疑うように私たちの瞳を見つめた。一人一人じっと見つめる様子は、まるで初めて出会った時のようだった。
碧の目はキラキラしていて、私はいつまでも見つめ返した。八人の誰もあの色が嫌いじゃなかった。この世で一番綺麗な色だと思っていた。
「……俺が、君らの命を救ったって?」
「そうです。ソーマさんは私たちの命の恩人なんです」
「…………こんな俺が?」
「こんな、とか言わないで下さい。ソーマさんは私たちにとって、神様……みたいなものなんです」
信じられないと目を開く彼に何度も肯定した。そして、いっそ弱々しいと言っても差し支えないその態度に、私はちょっと驚いていた。この人は完璧で、いつも物腰穏やかで、慌てたことなんて今日まで一日もなかったのに、彼にもこんな一面があったのだと不思議に思っていた。
「……それは……なんて、言うか。ありがとう。本当に。俺が、君らの救いになれたんなら、何だか……俺も、少し、救われた気がする」
「そうですよ、だから奴隷扱いとか全然気にすることないんです! だって本当は、死んでたかもしれない命なんです。私たちが捨てたものを、ソーマさんが拾っただけです。ばんばん救われてください。それに、私たちはソーマさんの役に立てるのが一番嬉しいんです」
調子に乗って胸を張っても、ソーマさんは頬を引っ張ったりデコピンをしたりはしなかった。
ただじんわりと何かを噛み締めている様子で、目を閉じていた。
「……君たちのお願い、今度こそ聞かせてくれるかい?」
あの日、聞けなかったから。とソーマさんは苦笑する。
私たちもそっと苦笑して、今度こそ思いを、望みを、口に出す。
「まるで夢物語みたいなお願いです……。佑太君なんて、片腕無くて……他のクラスメイトもまだ全然見つからなくて。でも、それでも、私たちの願いはっ、たったの一つだけなんです……ッ!」
ボロボロと泣き出す私の頬を拭って、ソーマさんはうん、うん、と何度も頷いてくれた。
「――帰りたい。元の世界に、帰りたい」
「その願い……ソーマ・エイディンラムの名において、必ず叶えてみせるよ」
◆◆◆***◆◆◆
小さな吐息が部屋に満ちている。高校生たちの体は華奢で、リシア人になった俺とじゃ、まさに大人と子供程の差がある。
多分この子達、俺のこと二十代だと思ってるんだろうなあ。実際には十七歳で同い年くらいな訳だが。
中身はアラサーだから全然構わないが、老けて見えるのは少し複雑だ。
茫と中空の辺りを眺めていると、雪ちゃんが俺のすぐ近くで身じろぎした。彼女の髪が目元にかかってしまったのを見て、そっと耳にかけてあげると、雪ちゃんはむにゃむにゃと口元を動かした。
「……っふ」
思わず笑ってしまい、慌てて口を抑える。起こしてしまう所だった。彼らは俺の腹や手に体を寄せているので、ほんの少しの振動も命取りになるのだ。
大きいはずのベッドが何だか窮屈に感じるが、気分は悪くない。暖かいしな。
天蓋の帳が外と内を隔てる。帳の内には柔らかな布団と、優しい体温と、微かな呼吸だけがある。穏やかで、心地よいものだけで出来た空間だった。
あんな醜態を晒したのは、文字通り生まれて初めてだ。叫んだせいで喉がおかしくなってしまった。
――俺のお陰で助かった、か。
俺は控えめに言ってクズだ。これは一般的な日本人の観点から見てのことで、自身を卑下しての主観的な評価ではない。幾らかの犯罪を犯し、それでは飽き足らず人を殺したこともある。これが真人間だと、日本人である俺には口が裂けても言えない。
自罰的なのは自覚するところにあるが、それでも"日本人だった俺"としての感覚を、俺はそれ程までに大切にしているのだ。それが俺の存在証明そのものであるが故に。
俺はこの世界に来てから、戦争を五歳の時に体験した。顔見知りだった騎士が当たり前のように死んだ。物流の乱れや、働き手の徴兵によりスラムが加速的に広がり、外出時には虚ろな目をした者を沢山見た。
そんな世界に今生きている。人の命は日本よりもずっと軽くて、気に入らない奴隷を手ずから殺す貴族も少なくはない。周囲の者は皆そうだ。当然だと思っているのだ。俺の父も、その妾もそうだった……。
しかし俺は、だからこそ自分もそうしていいとは、決して思わない。
例えこの世の全てがそうで在っても、俺だけはそう在ることはない。
奴隷を使う自分を責めよう。犯罪を犯す自分を侮蔑しよう。人殺しを行う自分を決して許さない。
俺がこの世界の人間でないことを自分に証明する為にそうする。お前はお前だと。ソーマ・エイディンラムではなかったことがあったのだと。脳に巣食うガンのような、ぬるま湯のような世界での幸せな記憶を肯定する為に。
たった三歳のハオマ・エイディンラムを殺した罪を忘れない為に。
「……俺は人殺しだ。良い奴何かじゃない」
同じ日本人から善人のように見られるのは全くの想定外だった。俺が彼らなら、絶対にそうは思わないと考えていたから。人殺しに……神様みたいだ、なんて。
「…………」
俺には幸せになる資格がない。ずっとそう思っていた。だけどそれは……もしかしたら、違うのかもしれない。
だって同じ日本人である彼らは、『俺のお陰で救われた』と言ってくれた。
だったら、ほんの少し。本当に少しだけなら――欲深くなっても、いいのだろうか。
冴えた目で天蓋を見上げていると、すっかり慣れてしまった体温がすり寄ってくる。もういい年したオッサンなのだが、笑えることに彼らと出会ってから久方ぶりの安眠を手に入れられている。人肌寂しかったということなのだろう。
中身は四十路近いというのに……。俺は意外とメンタルが弱いらしい。
自嘲の笑みを一人浮かべていると、なんの前触れもなく、寝相の悪い土門君が俺の方へ転がって来た。巻き込まれた佑太君の呻きが面白かったが、可哀想なので退けてあげる。
寝転んだまま押した土門君の背中。じんわりと伝わってきた体温。
その温度が失われようとしていたことに今更ながらに恐怖を覚える。
俺が居なければ失われていた命。無くなっていたもの。
頭を撫でるとへらへら笑って、お菓子をあげると分けてくる。そしてこの小さな手で俺の存在を許してくれた子供たち。不器用ながらも猫可愛がりしていたこの子達が、俺が居なければみんな死んでいた。
背筋がゾッとして、俺は土門君の頭を勝手に撫でる。それだけでは胸のざわめきは収まらず、俺は眉間にシワを寄せながら深呼吸した。
ふと――魔が差した。俺は内心「やめろ馬鹿落ち着け阿呆よく考えろ」と自身を宥めつつ、それでも欲望に素直に体は動いてしまう。
身を起こして彼らが入念に眠っていることを確認してから、近くにいた楓君と佑太君へそっと腕を回した。細心の注意を払い、決して起きないように。
男を抱きしめるのも十分アウトだと分かってはいるが、女の子よりはマシだろうと。いやどっちも駄目だけど。あー俺何やってんだ。死んだ方がいいぞ変態ショタコン野郎。肉体年齢は同い年だけど。
俺は自分へ毒づきながらも、胸の裡の、ずっと昔からあった孤独の穴が埋まった充足感に驚く。
腹が一杯になったように満たされた。いつも心の何処かにあった恐怖や孤独、怯えが和らいで、これ以上ない凪いだ優しい心地がした。
俺は安寧に酔いながら、たちまちのうちに睡魔に溺れていく。
殆ど霞んだ視界の中、雪ちゃんが俺の頭を撫でて何かを囁いたのをぼんやりと聞いた気がする。
ふわふわした多幸感が全身を包み込む。ああ、だめだ、部屋に戻らないといけ、ないの、に……。
「おやすみなさい、ソーマさん」
――ああ、この子たちは、俺を傷つけない。信頼してもいい者だ。
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