第九話 箱の中には悪夢と秘密
俺がひっそりと胃腸を痛めていても時間は流れるし茶は減っていく。こそりと伺うと、アデリーの言った通り、パウリーネは――ついでにテロルも――カモミールの杯ばかりを乾かしていた。ローズヒップが余りにも残るので俺はそれを飲んだ。
ブルースからの剛速球デッドボールにもめげないアデリーを横目にテロルと近頃の情勢を話し合っていると、指輪の魔力が蠢いたのを感じた。どうやら呼ばれているらしい。
「失礼。忘れていたのだが、実は私も遠方より珍しいものを手に入れたのだ。取りに戻るよ」
テロルに断りを入れ、人気のない庭の奥へ向かう。こんなこともあろうかと、ポケットには新しく土門君に造ってもらった"遠方より手に入れた"黄金のドラゴンの小像が入れてある。栞ちゃんの付与能力を試す特訓にも使用したそれには、通信機の役割もあった。
ドラゴン像の頭を撫でて小声で囁く。魔術にも『メッセージ』という通信手段はあるが、音声を伝えることは出来ない。付与能力ってしゅごい……。
会話の内容はとてつもない魔力を持った存在が上に居る、と震えながら佑太君が言っているとのことだった。それ多分ブルースだわ。事前に言っておけばよかったね……ごめんね……。多分佑太君はリリーと顔合わせない方がいいな。俺の妹の戦闘力はブルースの五倍は軽いぞ。
事情の説明を終えて修羅場に戻ろうと踵を返す。我が家――といっても別邸だが――の威光を示す美しい花々は今日も元気に咲いている。
淡い色合いと花弁の揺れる様を楽しみつつ、バラの蔦が絡みつくトンネルを抜けた――まさにその瞬間、ふわりと甘い香りがした。
花の匂いではなかった。何処かで嗅いだことのある香りだった。柔らかくて、そして懐かしくて、優しい……。
「――ソーマ」
「……パウ、リーネ」
むにゅ、と俺の胸板に当たって形を変えるたわわに実った胸。煩悩が一瞬湧いたが、即座に殺す。この女に手を出したが最後、骨の髄までしゃぶられる気がしてならない。というか見た目がNG。好みじゃない。とても。妖艶な美女なんだけどなぁ。
「貴方はいつもツレないわね。でも。そんな貴方も嫌いじゃないの」
「それは、嬉しいことを言ってくれるね、パウリーネ嬢」
毎度の如く身を引こうとすると、それよりも早く彼女は離れた。木漏れ日が黒く艶やかな髪をまだらに照らし、普段は彼女自身の夜の空気がかき消す思わぬあどけなさが引き出されている。快活な少女染みた明るい雰囲気になったパウリーネは、だけど俺を見て悲しそうに眉を下げた。
いつもの飄々とした態度は何処へやら。彼女は本当に無垢に、俺に無碍にされたことを悲しんでいた。
「あのね、ソーマ。私は貴方のためなら何でもできるわ。何でもしてあげる。戦争がしたいならいつでも言って。お金が欲しいなら、権力が欲しいなら、私が全部捧げるわ。スペリオルは全部私のものよ、そして私はそれを全部ソーマにあげる。
何をしても、何をされても、貴方のすることに意見なんてしないわ、だって貴方を……信じてるもの」
「……な、にを言ってる?」
「私のこと、信じてない? 信じられない? でも、本当なのよ。貴方になら何だってあげる。テリーだってその方が喜ぶわ。貴方の力になりたいの。
私たち、本気なのよ。貴方のことが大切なの。だから貴方の転移術にも耐えられたの。あの時だけじゃないわ、今だって受け入れられる。本当に、貴方のことが好きよ。
……だから、だから。そんな風に、あんまり冷たくしないで、とっても悲しいの……」
一筋、そのまろい肌に涙が滑った。
俺と言えば間抜けに口をあけて、彼女の背中が小さくなっていくのを見ることしか出来なかったのだからとんだお笑い者である。
だが待って欲しい。俺の混乱は何も絶対に泣かないと思っていた女の意外と清い涙を見たからというだけでは――それが多分の要素を占めていたことは否めないが――ないのだ。
何故、パウリーネは俺の転移術の発動条件を知っている?
「落ち着け、落ち着け俺。慌てなくてもいい、言いふらす気はねぇみてぇだろ。そうだろ、そうだ。そもそも知られたって何の問題もない条件じゃないか。ただ、吃驚しただけさ。そうだろう?」
自分に言い聞かせて落ち着こうとするが頭の中はパニック状態だ。
パウリーネは何処であれを知った?
俺の転移は俺を除いた人間には効かない。物だ。意思を持たない物体だけが俺の転移を受け入れる。
それは、この術が魂すらも分解するという性質を持っているからだ。精神に介入する術だからだ。砕いて細かくして、転移させて組み立てる。その過程に、術主である俺は魂を如何様にでもすることが出来る。
当然、対象者の意思の拒絶があれば不可能だが、生半可な覚悟では受け入れることなど出来はしない。その点において奴隷は首輪があるので、無理やりになら転移させることは可能である。意識を失わせる必要があるが。
つまり、俺がいつか人間を転移させることが出来るようになるとすれば、それは"俺に全幅の信頼を置き、殺されても侵されても砕かれても踏みにじられても覗かれても"何の躊躇いも無い人間のみである。
パウリーネは、そんな俺の魔術の特性を知っていた。所か、体験したかのような口ぶりだった。
もう察しているだろうが、俺が使う術は基本的に精神――魂に関するものばかりだ。幻覚や幻聴、相手の思考を誘導する程度なら造作もない。
主に得意とする魔術は二つ。一つ目、転移術。二つ目――対象の記憶を弄る魔術。俺は忘却術と呼んでいる。
これも転移術と同じく、他者に使う場合承認なしでは不可能だ。が、『俺自身』には使える。しかし俺がこの能力を使ったのはたったの二回のみだ。幼少期、テロ組織に拷問された時だって使わなかった能力である。お陰で脳裏には生爪が剥がれる感覚がまだ記憶されている。
俺は……転生したと仮に言ってはいるが、所詮は魂の残滓。この体の脳に宿った記憶だけの存在なのだ。
そんな俺が記憶を消すなど、そんな恐ろしいことが出来るわけがない。それは自身の人格を一部消失させるのと同義だからだ。……だからこそ胸が冷えた。自分という存在を削るような真似をしてまで、消し去りたかった記憶とはどんなものだろうか。
二度も忘却術が使われたという事実。これはとても重い意味を持っているに違いなく、頭の中にある箱二つはどちらも厳重に縛り付けられている。
俺は忘却術で忘れたことであっても、俺の一部だと思っているから――というがそうでないとアイデンティティが崩壊しかねない。日本での記憶が俺ではない誰かのものだと認めることになる――いつか思い出す必要のある日が来るかもしれないと、『忘却術を使ったという事実』だけは残すよう固く心に誓っている。だからこの箱は任意で開けられるし、脳内イメージの鎖はそこへ閉じ込めた記憶の残酷さや惨さを暗に表しているわけだ。
つまるところ、パウリーネが俺の転移術を知ったきっかけは、『拷問で生爪を剥がれる』よりも凄惨な記憶二つのどちらかにあるのだということだった。
長い間呆然としていたが、鳥の囀りがすぐ側で聴こえたことでビクリと身体を揺らし、正気に戻る。
パウリーネの件は……気になるが、思い出した途端に俺が発狂しかねないので、暫くは保留だ。
頭を何度か振って考えを切り替える。まだ俺にはやることがある。リリーのことも何一つ解決などしていない。勇者は未だ不明なままだ。高校生たちをこんな所で捨てる訳にもいかない。
決意を新たに茶会の席へと戻ると、太陽の光がはっきりと感じられて、自分の手がそれほどに冷えていることに漸く気づいた。
パウリーネは何事も無かったかのように、いつもの如く嫣然と微笑んでいる。俺は矢張り、その笑みが不思議なくらいに嫌いだった。
午後四時、夕日が遠くに見える頃に茶会は終わった。アデリーはブルースの側に居られて頬を赤くしていたが、彼の冷たい対応には流石に傷ついていたようだった。
頭を軽く撫でてハグをして慰めた。俺の仕草には一切の色気がなく、アメリカ人とかが男友達に対するそれと同じであった。
屋敷の庭から門へ向かう途中、俺はパウリーネに関する記憶を思い出した際に発狂してしまう可能性のことを視野に入れて、ブルースへアデリーへの冷たい態度を問い詰めることにした。なんか俺、思ってたより長生きできなさそう。不安の芽は今の内に詰んでおきたい。
「ブルース、お前アデリーにだな……」
「ソーマ、言わなくてもいい、分かってるさ」
スペリオル姉弟が去った途端に言葉遣いが荒くなっている呆れた男は、頭を掻きむしりながらもバツが悪そうに視線を下げた。
「ほら、俺とお前って……友達じゃないか。少なくとも、俺はお前のことを本当に得がたい理解者だと思っているんだ。そんなお前の婚約者が……いや、分かってはいるのさ。彼女が精霊によって自然と"そう"なってるのはね。お前が気にしてないのも分かるよ……。でも――割り切れないこともある」
ブルースは少し怒ったような顔で、アデリーのいた席の方を一瞥した。
「どうしても、な。お前をないがしろにするような態度は、見ていて気持ちの良いものじゃないんだ。お前が気にしていなくても、俺はついつい憤ってしまうんだ。……おかしいな、変だ。何で俺がされてるんじゃないのに、こんなに怒ってしまうんだろうね」
へへ、と照れたように笑う野郎が一人と、その恥ずかしいセリフに耐えきれず同じく照れて来た俺がここに居る。何でこんなにあけすけに物を言うんだ!
二人して若干照れ合いつつ顔を背けたが、貴族ながらにストレートな友情を伝えてくれたブルースの言葉が内心とても嬉しかった。
隠すことなく心の柔らかい部分をそっと見せてくれたことに、信頼が透けて見えた気がしたのだ。俺は衝動に駆られ、胸にある秘密をぶちまけてしまいたくなった。
しかしいざ口に出そうとすると言葉が詰まるのだ。
どうせ頭のおかしい奴扱いをされてお終いだ、いやそれならまだいい。軽蔑の目で見られるに違いない。お前が"どんなに穢らわしい人殺し”なのか、忘れた訳じゃあないだろう?
キラリと西日に光る指輪。光を反射したそれが尖ったように目に刺さった。
俺は、言えないことが沢山ありすぎて、麻痺してしまっていたのかもしれない。
先日も特異点を囲いこんだ、という新しい秘密を拵えた所だというのに全てを打ち明けることなんて出来るはずがなかった。
懺悔すらする資格がない。
なあソーマ・エイディンラム、お前は幾つ秘密を持っている? 教えてみろよ。
自分でももう分からなくなってしまった。指輪に映りこんだ自分が黒く濁ったように見えて、ただ苦笑をしてまた秘密を飲み込んだ。
n+1年 4月
次の話から高校生たちの能力を使って色々と暗躍したりする予定です
が、忙しくなってきましたので更新が週2くらいになるかと思われます。悪ければ週1です。あしからず




