第4話 外はサクッ、中はふわっ
厨房の人たちは、「また今度」を3日しか待たなかった。
4日目の午後、毒見の間の扉が、ばーんと開いた。ノックという文化は、この城の厨房にはない。
「ミレーユちゃん、ちょっといい?」
マルタさんが、腕まくりをして立っていた。その後ろで、ティモが帳面と木炭を構えている。完全武装だ。
「よくないです。今、30分の待機中です」
「嘘おっしゃい。昼の毒見はとっくに終わってるでしょ」
ばれている。私は手鏡をそっと伏せた。舌の色を見るふりをして、実はうとうとしていたのだ。
「メロンパンよ、メロンパン。作ってあげる。どんなパンか、教えてちょうだい」
「……なぜ急に」
「急じゃないわよ。3日我慢したのよ」
マルタさんは、どさりと毒見の間の椅子に腰を下ろした。部屋に椅子はひとつしかない。私は立ったままになった。毒見の間の主は、誰だったか。
「それにあんた、魚の件でガストーネを助けてくれたでしょ。厨房一同、お礼がしたいの。お礼は、食べたいものを食べさせるのが一番なのよ」
「……お礼なら、胡椒を30秒遅く挽いてくれれば十分です」
「それはあの人に言いなさい」
*
午後の厨房の作業台に、マルタさんとティモと私が並んだ。
「じゃあまず、確認ね。メロンパンって、メロンが入ってるのよね?」
「入ってません」
マルタさんの手が止まった。
「入ってないの?」
「入ってません」
「じゃあ、なんでメロンなの」
「見た目が、メロンに似てるからです」
「見た目が瓜に似たパン」
ティモが帳面に書きつけた。見出しのように大きな字で。
「で、中身は普通のパンなのね? ふわふわの」
「ふわふわの、甘いパンです」
「外側が瓜っぽい、と」
「……まあ、そうです」
「分かった。任せて」
マルタさんは腕まくりをさらに1段まくった。もうまくる余地がないのに。
私は、何か大事なことを伝え損ねた気がした。前世の品質保証部なら「仕様の伝達不足」として報告書が1枚書ける案件だ。
*
1時間後、作業台の上に緑色のパンが置かれた。
楕円形で、表面にうっすらと縦縞が入っている。ほうれん草の汁で色をつけたらしい。どこからどう見ても、瓜だった。
「どう?」
マルタさんが胸を張った。
私は手袋を外さなかった。外すまでもない。
「……瓜ですね」
「でしょう!」
「褒めてません」
この国の瓜は、表面がつるりとしている。網目のあるメロンは見たことがない。見たことのない果物に似ているから、という名前の由来を説明するのは、思ったより難しかった。
「丸いパンの上に、甘いクッキーの生地をかぶせて焼くんです。表面に格子の模様がついていて、それが網目に見えるから、メロンパン」
「網目の瓜なんて、あったかしら」
「……私の故郷には、あったんです」
「あんたの故郷、孤児院の裏の畑でしょ」
この城には、アデライデさんの口調が感染する病でも流行っているのか。
*
2つ目のメロンパンは、亀になった。
丸いパンの上に、厚さ1cmほどのクッキー生地がぽこりと載っている。焼いているうちにパンが膨らみ、上のクッキーが持ち上がって、甲羅のようにひびが入っていた。
持ち上げると、甲羅だけがぱかりと外れた。
「……外れました」
「外れたわね」
「甲羅を剥がされた亀みたいです」
ティモが言って、帳面に亀の絵を描いた。うまい。無駄にうまい。
私は外れた甲羅をかじった。固い。これはビスケットだ。下のパンは、ふわふわで、何の味もしなかった。
「被告人、亀」
「亀じゃないわよ」
「判決。——執行猶予。クッキーが厚すぎて、パンと一緒に膨らめていません」
「執行猶予ね! よし、まだ罪は確定してない!」
マルタさんは、なぜか嬉しそうにこぶしを握った。執行猶予の意味を、この厨房はたぶん誤解している。
3つ目は、薄すぎた。
クッキー生地が焼いているうちに溶けて、パンの側面を流れ落ち、天板の上で固まっていた。パンの裾から、薄い煎餅がスカートのように広がっている。
「……スカートをはいた、パンですね」
「あんた、たとえだけはうまいわね」
「たとえ以外もうまいです。舌とか」
「料理は?」
「……」
マルタさんは額の汗を拭って笑った。
夏の手前の厨房は暑い。パン窯の前はなおさらだ。マルタさんは、もう3時間も窯の前に立っている。丸い頬が、窯の火で真っ赤になっていた。
「すみません。私の説明が、下手で」
「何言ってんの。パン屋は失敗してなんぼよ」
マルタさんは、太い腕で私の背中をばしんと叩いた。息が止まった。
「それに、夢のパンなんでしょ。一発でできたら、夢じゃないわ」
*
4つ目の前に、ティモが手を挙げた。
「あの、マルタさん。クッキーの生地、一度冷やしてみたらどうですか」
「冷やす?」
「ルネさんが、タルトの生地を氷室で冷やしてから伸ばしてるの、見たことがあるんです。冷やすとバターが固まって、焼いても流れにくくなるって」
マルタさんが、ぽんと手を打った。
「それよ! ティモ、あんた天才!」
「いえ、ルネさんが天才なんです」
作業台の向こうで、ルネさんが「当然だ」と言った。聞いていたらしい。
クッキー生地は氷室で30分冷やされ、麺棒で2、3mmの薄さに伸ばされた。丸く切り抜いて、丸めたパン生地にふわりとかぶせる。
「格子模様は、どうやってつけるの?」
「たぶん、ナイフの背で押しつけるんだと思います」
前世で、駅前のパン屋のガラス越しに見た記憶を引っ張り出しながら答えた。見たことはある。やったことはない。私の人生はだいたいそれでできている。
ティモがナイフの背で、斜めに4本、反対向きに4本、線を引いた。菱形の格子がきれいに浮かび上がる。最後にマルタさんが、クッキーの面を砂糖の皿に押しつけた。白い粒が、格子の上できらきら光った。
天板が、窯の中に滑り込んでいった。
*
甘い匂いが厨房に広がり始めたのは、15分ほど経った頃だった。
バターと砂糖が焦げる匂い。その下から、パンの焼ける香ばしい匂い。
鍋を洗っていたガストーネさんの手が止まった。菓子を仕込んでいたルネさんが鼻をひくつかせた。野菜を刻んでいた料理人たちが、1人、また1人と窯の前に集まってくる。
マルタさんが、窯の扉を開けた。
天板の上に、6個のパンが並んでいた。
丸くて、ふっくらと膨らんでいる。表面は薄い黄金色。菱形の格子が、パンの膨らみに合わせてひび割れのように浮き出ていた。砂糖の粒が、窯の火できらきらと光っている。
私は、息を止めた。
——メロンパンだった。
「さあ、毒見役さん。判決をどうぞ」
マルタさんが1個を皿に載せ、私の前に置いた。厨房の全員が、私を見ている。
私は、手袋を外した。
その瞬間、厨房がしんとした。
「被告人、メロンパン。罪状、毒物混入の疑い」
見る。
「表面の亀裂、不規則。……毒茸のツバの裂け方に、似ています」
「似てないわよ!」
「見た目の話です。続けます」
持ち上げる。熱い。手のひらに焼きたての熱が伝わってきた。表面の砂糖が、ぱらぱらと皿にこぼれる。
嗅ぐ。バター。砂糖。焼けた小麦。卵。
かじった。
さくっ。
最初に歯に当たったのは、薄いクッキーの層だった。砂糖の粒が、じゃりっと小さく鳴る。バターの香りが口いっぱいに広がった。
その下で、ふわっ、と、柔らかいパンが歯を受け止めた。
熱い。焼きたての湯気が口の中にこもる。甘い。でもクッキーほどは甘くない。ほんのりとした甘さの生地が、上の甘さを受け止めて、ちょうどいいところに落ち着かせている。
外はサクッ。中はふわっ。
最初に説明したとおりの言葉だった。
*
前世で食べたメロンパンは、たいていコンビニのものだった。
深夜11時過ぎ。弁当のついでに、翌朝の朝食として棚から1個取る。ビニール袋入り。ときどき半額シールつき。翌朝、袋を破ると表面はしっとりしていて、サクッとはいわなかった。それを駅までの道を歩きながら食べた。おいしかった。朝の5分でお腹が膨れて、甘かった。
焼きたてを食べたのは、一度だけ。
大学に入って一人暮らしを始めた日、母が駅前のパン屋で買ってくれた。段ボールだらけの部屋の床に座って、2人で半分こにした。
そのあと、母とはあまり会わなくなった。忙しかったからだ。忙しいというのは、便利な言葉だ。
*
「……ミレーユちゃん?」
マルタさんの声で我に返った。
視界が、少しにじんでいた。
「ちょっと、泣くほど? そんなにまずかった?」
「……逆です」
私は手の甲で目元をこすった。砂糖の粒が頬にくっついた。
舌の奥で、3つ数える。1。2。3。
「判決」
厨房中が、息を止めた。
「——完全無罪。夢で食べたのより、おいしいです」
マルタさんが、両手を突き上げた。
「やったあああ!」
ティモが帳面を放り投げて飛び上がった。料理人たちが鍋を叩いた。ルネさんが「ふむ。批評家の涙は最高の賛辞だ」と、したり顔でうなずいた。泣いてない。砂糖が目に入っただけだ。
ガストーネさんが黙って窯に近づき、残りの1個を取った。ひと口かじって、しばらく噛んでいた。
「……ん」
それから、残りを全部食べた。料理長の「ん」は、たぶん最上級の「ん」だった。
*
そのあと、名前で少しもめた。
「メロン入ってないのに、メロンパンは変よ。格子パンでいいじゃない」
「ぼくは、ミレーユパンがいいと思います!」
「却下。私の名前がつくと、焦げそうだから」
「甘味の芸術家としては、『網目の宝冠』を推したい」
「長い。却下」
「メロンパンです」
3回目に言ったとき、マルタさんが根負けした。
「分かったわよ。夢のパンに文句つけても仕方ないわね」
*
その日の夕方、ティモが厨房の壁の、正の字の隣に、小さな木の板を打ちつけた。
【ミレーユさんの夢の料理 再現表】
メロンパン:完全無罪(マルタさん、ティモ)
次:
「次、って」
「次の夢の料理です」
ティモは木炭を握りしめて、目を輝かせていた。
「ほかにもあるんですよね? 夢で食べた料理」
あるに決まっている。前世29年分の食生活だ。コンビニとファミレスと社員食堂の記憶が、この頭には詰まっている。
「……黄色くて、辛くて、茶色い料理があるわ」
「黄色くて、辛くて、茶色い」
ティモが、真剣な顔で板に書きつけた。
厨房の奥で、ガストーネさんが鍋を洗う手を止めていた。料理長の背中が、明らかに「詳しく」と言っていた。
*
——同じ頃、3階では。
「陛下。本日のお茶の菓子に、厨房から、焼き菓子がひとつ追加されております」
給仕頭が差し出した皿の上に、見慣れない丸いパンが載っていた。表面に、格子の模様。
「これは」
「厨房の者が申すには、毒見役の『夢のパン』だとか。判決は、完全無罪だったそうです」
少年は、パンを手に取った。もう冷めていた。表面は少ししっとりして、さくっとはいわなかった。
それでも少年は、最後の1かけまで食べた。
「……完全無罪、か」
給仕頭は、皿を下げながら思った。陛下が菓子を残さなかったのは、いつ以来だろう。




