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毒見役に転生した私、12年間一度も毒に当たらないので、ただの食レポ係だと思われています  作者: 中原九尾
第二部 本日、北より客あり

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30/37

第30話 37品目

「これが、殿下の禁止表だ」


 晩餐会の翌朝、侍従長の執務室で、ヘルマン様が1枚の紙を机に置いた。


「北の書記官から預かった写しだ。殿下の滞在中、厨房はこの表に載っているものを作ってはならん。料理長と毒見役は、すべて頭に入れておくように」


 私は、紙を手に取った。


 上質な羊皮紙に、几帳面な字がびっしり並んでいた。


 【エレオノーラ殿下 禁止表(写し)】

  1:秋祭りの焼き菓子

  2:黒麦の練り菓子

  3:山羊乳の蒸し菓子

  4:森の茸のパイ

  5:燻製鱒の油漬け

  6:冬至の蜜パン

  7:鴨の詰め物焼き

  8:白い腸詰め

  9:葉野菜の和え物(北部風)

  10:苦い葉の茶

  11:黒い飴

  12:祝いの日の揚げ菓子

  ……

  37:南の国の料理全般(安全が確認されるまで)


 読み進めるうちに、眉間に力が入っていくのが分かった。


 37品目。


 多い。多すぎる。


 前世の品質保証部でも、取引先から「この食材は使わないでほしい」という表を受け取ることはあった。でも、せいぜい数品目だった。37品目も並ぶ表は、見たことがない。


 しかも、並び方がおかしい。


 菓子があって、パイがあって、魚の油漬けがあって、腸詰めがあって、茶がある。肉も魚も野菜も菓子も、ばらばらだ。毒草の名前もなければ、毒茸の名前もない。


「ヘルマン様。この表、理由の欄がありません」


「理由?」


「なぜ禁止なのか、です。毒があるからなのか、体に合わないからなのか、ただの好き嫌いなのか」


「禁止表に、理由を書く決まりはないそうだ。北の書記官が、そう言っていた」


 理由の欄のない禁止表。前世なら、受け取ったその場で突き返す書類だ。「なぜ」が書いていない禁止は、仕様ではない。ただの呪文だ。


 心の中で、北の書記官の几帳面な清書に、赤で大きく書き込んだ。「根拠を添付のこと」。37か所、全部に。


「でも、理由が分からなければ、似た料理を出していいかどうか判断できません。秋祭りの焼き菓子がだめなら、春祭りの焼き菓子は? 鴨の詰め物焼きがだめなら、鶏の詰め物焼きは?」


 ヘルマン様は、懐中時計を開いた。


「……毒見役。君は、北の禁止表にまで是正報告書を出すつもりか」


「出せるなら出したいです」


「出すな」


 即答だった。


「外交の場で、他国の王女の食事に口を出すことはできん。殿下の食事は、殿下の毒見役が決める。こちらは、表に載っているものを出さない。それだけだ」


 正論だった。


 前世でも、取引先の仕様書に「なぜ」と書いて送り返したら、課長に怒られた。仕様は仕様だ、と。


 でも、あのとき課長は、こっそり付け加えた。


「なぜ、を考えるのはやめるな。口に出すのを、少し待てばいい」


 私は、禁止表を折りたたんで、胸のポケットにしまった。


 口に出すのは、少し待つ。


 考えるのは、やめない。


   *


 昼前、厨房に下りると、大きな声が響いていた。


「オヤコドンを出せ!」


 ラドミール大使だった。


 毛皮の帽子をかぶったまま、作業台の前で仁王立ちしている。料理人たちが、遠巻きに固まっていた。ティモは、樽の陰に隠れていた。蛸の一件以来、樽を見ると身構えるくせに、隠れるのはなぜか樽の陰だ。


「大使閣下。厨房は、客人の立ち入る場所では」


 料理人のひとりが、おそるおそる言った。


「構わん! わしは南の料理を検分しに来たのだ。あの毒見役が言っておった、親子を煮る残酷な料理を、この目で確かめねばならん」


「確かめるなら、食べなくてもいいのでは」


 私が言うと、大使はくるりと振り向いた。帽子が、半拍遅れてついてきた。


「おお、南の毒見役! ちょうどよい。オヤコドンを作れ。わしが検分する」


「私は、料理ができません」


「毒見役なのにか」


「毒見役だからです」


 大使は、意味が分からないという顔をした。分からなくていい。


 厨房の奥で、ガストーネさんが黙って鍋を火にかけていた。


 料理長は、こういうとき何も言わない。ただ、作る。


   *


 ガストーネさんの手は、迷わなかった。


 鶏のもも肉を、ひと口大に。玉ねぎを薄切りに。


 小さな平鍋に、出汁と魚醤と砂糖を合わせて煮立て、玉ねぎを入れる。しんなりしたら鶏肉。鶏に火が通ったところで、溶き卵を回し入れる。半分だけ。ふたをして、ほんの少し。残りの半分を回し入れて、すぐに火から下ろす。


 炊きたての白麦の上に、鍋の中身をするりと滑らせた。


 黄色い卵の衣に、鶏と玉ねぎが透けて見える。とろりと半熟の卵が、湯気の中で揺れていた。


「……これが、オヤコドンか」


 大使が、ごくりと喉を鳴らした。


「わしの皿にも、判決を出せ」


「大使閣下の毒見役は、ヴェラさんでは」


「あれは殿下の毒見役だ。わしには、毒見役はおらん。大使に毒見役をつける予算は、北にはない」


 大使は、胸を張って言った。胸を張ることではないと思う。


「だから、出せ。南の判決を、わしの皿に」


 私は、手袋を外した。


「被告人、親子丼。罪状、毒物混入の疑い。……および、親子を一緒に煮た疑い」


 厨房の誰かが、吹き出した。


 見る。卵、半熟。表面の黄色と、下のほうの固まりかけた白の層がきれいに分かれている。鶏の皮目に、煮汁の琥珀色。


 嗅ぐ。出汁。魚醤の香ばしさ。砂糖の甘い匂い。卵。


 含む。


 白麦と一緒にすくって、口に入れた。


 とろりとした卵が、甘辛い煮汁を抱えて舌の上に広がる。鶏肉を噛むと、ぷりっとした弾力のあとから、肉汁と煮汁が一緒にあふれた。玉ねぎは甘く、くたりとしている。その全部を、白麦が受け止めていた。


 前世の、会社の近くの蕎麦屋の親子丼。昼休みに、5分で食べて職場に戻った、あの味。


 あのときは、味わう暇がなかった。


「舌の奥で3つ数えます。1、2、3。容疑者、なし。親子を煮た件については、鶏と卵がそれぞれ別の家の出身なので、親子ではない可能性が高いです。判決。——無罪」


「別の家?」


「はい。この鶏と、この卵は、たぶん赤の他人です」


 大使は、しばらく黙っていた。


「……では、オヤコドンではないではないか」


「そこは、言わないお約束です」


 大使は、匙を取った。ひと口食べた。


 毛皮の帽子の下で、赤ら顔が、さらに赤くなった。


「……薄い!」


 大使は叫んだ。叫びながら、2口目を食べた。


「南の味は、やはり薄い! 北の男の腹には、まったく足りん!」


 3口目。4口目。器が空になった。


「おかわりだ!」


 ガストーネさんが、黙って2杯目を作った。


「薄い!」


 2杯目も空になった。


「もう1杯!」


 3杯目が空になったところで、大使は満足げに腹を叩いた。


「南の料理は、やはり薄くていかん。わしは、これを北の料理人に作らせて、もっと濃くさせる。それまで、毎日検分に来る」


 厨房の奥で、ガストーネさんが「……ん」と言った。あきらめの「ん」だった。


 この人は、薄いと言いながら3杯食べて、毎日来ると宣言した。


 口と胃袋が、別々の国に仕えている。昨日の晩餐会でそう思ったけれど、訂正する。胃袋のほうが、明らかに南に寝返っている。


 大使は、帽子を直して、意気揚々と厨房を出ていった。


 マルタさんが、黒板に何か書いていた。


 【大使の言葉と行動】

  「薄い」 3回

  おかわり 2回

  完食 3杯

  帽子を脱いだ回数 0回


「統計よ」


「何の統計ですか」


「あの人の『薄い』は、『うまい』って意味だって統計」


   *


 午後。厨房の隅に、灰色の外套があった。


 ヴェラさんだった。


 北の典礼法では、王族の食事に使う食材を、毒見役が自分の目で検める決まりがあるらしい。ヴェラさんは、厨房の食材棚の前に立ち、ひとつずつ手に取って見ていた。


 その隣に、ガストーネさんが立っていた。


 2人とも、何も言わない。


 ガストーネさんが、棚から塩の壺を下ろして、ヴェラさんに差し出した。


「ん」


 ヴェラさんが、壺の中を見た。指先にほんの少しつけて、舌に載せた。


「可」


 ガストーネさんが、うなずいた。次に、小麦粉の袋。


「ん」


「可」


 バター。


「ん」


「可」


 私は、作業台の陰から2人を見ていた。会話が成立している。成立しているように見える。少なくとも、2人の間では。


 ガストーネさんが、棚の一番奥から、小さな壺を下ろした。琥珀色の油が入っている。


「ん」


 ヴェラさんは、壺を見た。


 ほんの一瞬、手袋をはめた指が止まった。


「否」


 ガストーネさんは、何も聞き返さなかった。黙って壺を棚の一番奥に戻し、その前に別の壺を2つ並べて、見えないようにした。


「ん」


 ヴェラさんが、小さく頭を下げた。


 私は、作業台の陰から出ていった。


「今の、何が通じたんですか」


 ガストーネさんは、何も言わなかった。


 ヴェラさんも、何も言わなかった。


 2人は、同時に次の食材のほうを向いた。


 あとでティモの帳面を覗いたら、「料理長とヴェラさんの会話:翻訳不能」と書いてあった。


 私の毒舌は、ガストーネさんにはまったく効かない。12年かけて、それだけは分かっている。


 今日、もうひとつ分かった。


 この厨房に、私の言葉がまったく効かない人が、2人に増えた。


   *


 夕方、私は毒見の間で禁止表を広げていた。


 胸のポケットにしまったまま、半日が過ぎていた。


 1から37まで、もう一度読む。秋祭りの焼き菓子。黒麦の練り菓子。山羊乳の蒸し菓子。森の茸のパイ。燻製鱒の油漬け。


 燻製鱒の油漬けは、昨夜の晩餐会の前菜だった。毒はなかった。私の舌でも、北の針でも。それでも、ヴェラさんは「否」と言った。


 そして、さっき厨房で、ヴェラさんは琥珀色の油の壺に「否」と言った。


 あの壺の油は、どんな匂いだっただろう。


 私は、作業台の陰にいて、壺の中を嗅いでいない。


 手順を、飛ばしてしまった。


 口に出すのは、少し待つ。前世の課長の言葉を思い出しながら、私は禁止表をもう一度折りたたんだ。


 琥珀色。昨夜の燻製鱒の油も、同じ色だった。


 明日、あの壺を嗅ぐ。


 それから、考える。


   *


 ——同じ夜、王城の客間では。


 エレオノーラは、窓辺に立っていた。


 客間の窓からは、城の中庭が見下ろせた。中庭の向こう、地面すれすれのところに、小さな窓がいくつも並んでいる。地下の厨房の窓だ。


 その窓に、まだ明かりがついていた。


 明かりの中で、人影が動いている。大きな影と、小さな影。ときどき、窓越しにかすかな笑い声が聞こえた。何を話しているのかまでは分からない。ただ、楽しそうだった。


 北の城の厨房は、夜になると明かりを落とす。王族の料理は、すべて昼のうちに作り終えて、冷ましておく決まりだからだ。夜の厨房に、笑い声はない。


「……殿下。お休みの時間です」


 背後で、侍女の声がした。


「ええ」


 エレオノーラは、窓から離れなかった。


 卓の上には、夕食の皿が残っていた。1時間待って届いた、冷めた黒麦の粥。半分ほど、残っていた。


 中庭の向こうで、また笑い声がした。


 誰かが、何かを食べて、「おいしい」と言ったような気がした。


 エレオノーラは、窓の取っ手に手をかけた。


 開けかけて、やめた。


 それから、もう一度だけ、地下の明かりを見下ろした。

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