↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒見役に転生した私、12年間一度も毒に当たらないので、ただの食レポ係だと思われています  作者: 中原九尾
第二部 本日、北より客あり

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/37

第28話 北からの客

「可」


 朝食のあと、毒見の間で、私はひとりでつぶやいてみた。


 短い。あまりにも短い。言い終わった気がしない。


「……可。本日も、可。判決、可。被告人オムレツ、可」


 だめだ。どうしても長くなる。


 北の毒見役は、判決を一文字しか言わないらしい。それを聞いてから5日、私は暇さえあれば一文字の判決を練習していた。練習してどうするのかは、自分でもよく分からない。ただ、負けたくなかった。何に負けたくないのかも、よく分からない。


「ミレーユさん、何してるんですか」


 盆を下げに来たティモが、扉のところで首をかしげていた。


「判決の練習」


「いつもの判決じゃだめなんですか」


「北の毒見役は、一文字なんだって」


「一文字!」


 ティモの目が輝いた。帳面が開いた。嫌な予感がした。


「書かなくていいわよ」


「『北の毒見役は一文字』。いただきました」


 その日の昼には、城門の衛兵まで「北の毒見役は一文字」と言っていた。夕方には、城下の青い鍋亭で、ハンナさんが客に「一文字で何が分かるのさ」と言っていたらしい。ティモの拡声能力は、雪が解けて、さらに磨きがかかっている。


   *


 花の月21日。昼過ぎ。


 王城の正門の前に、馬車の列が止まった。


 先頭の旗に、銀の狼の紋章。ヴォルスカ王国の使節団だった。


 出迎えの列の端に、私は立っていた。毒見役は、本来こういう場には出ない。けれど今回は、北の毒見役が来る。毒見役同士の挨拶があるだろう、とヘルマン様が判断したらしい。


 隣で、ヘルマン様が懐中時計を開いていた。


「予定より、2分早い」


「早いのはいいことでは」


「出迎えの楽団が、まだ1曲目の途中だ」


 確かに、楽団が慌てて曲を切り上げようとしていた。


 最初の馬車の扉が開いた。


 まず、帽子が出てきた。


 比喩ではない。本当に、帽子が先に出てきた。黒い毛皮の、ものすごく大きな帽子。ひと抱えはある。その下から、遅れて大柄な男が出てきた。赤ら顔に、立派な口ひげ。毛皮の外套。春の陽射しの中で、ひとりだけ真冬の格好をしている。


「おお、南は暑いな! 溶けるかと思ったわ!」


 声が大きい。中庭の向こうの鳩が、一斉に飛び立った。


「ヴォルスカ王国大使、ラドミールである!」


 大使は、胸を張って名乗った。帽子が、少しだけずれた。


 その後ろから、細身の男が音もなく降りてきた。黒い服。整えすぎた前髪。手に、分厚い革表紙の本を抱えている。


「大使付き書記官、メルヒオルと申します」


 メルヒオルさんは、ヘルマン様の前で立ち止まり、きっちり30度だけ頭を下げた。


 ヘルマン様も、きっちり30度だけ頭を下げた。


 2人が、同時に顔を上げた。


「……北の宮廷儀礼書、第4条。他国の侍従長に対する礼は、30度」


「王宮礼法、第2条。他国の書記官に対する礼は、30度」


 2人は、互いの懐中時計と革表紙の本を、一瞬だけ見た。


 何かが始まった気がした。ろくでもない何かが。


   *


 2台目の馬車から、少女が降りてきた。


 金色の髪を、きっちりと結い上げている。淡い青の旅装。背筋がまっすぐで、顎が少しだけ上を向いていた。年は、ユリウス様とほとんど変わらないはずだ。


 ヴォルスカ第二王女、エレオノーラ殿下。


 出迎えの列の中央で、ユリウス様が一歩前に出た。


「遠路、はるばる……」


 ユリウス様が、歓迎の口上を言いかけた。


「存じております、ユリウス陛下」


 王女は、ユリウス様の言葉を遮って、完璧な角度でお辞儀をした。


「ヴォルスカ第二王女、エレオノーラでございます。このたびは、霜塩の件では、貴国にご心配をおかけいたしました。わたくしどもの潔白を申し上げに参りました」


 声は澄んでいた。言葉も丁寧だった。


 ただ、目が、まったく笑っていなかった。


 ユリウス様は、少しだけ目を瞬かせてから、うなずいた。


「……遠いところを、よく来られた」


「お気遣い、痛み入ります」


 会話が、そこで終わった。


 中庭に、微妙な沈黙が流れた。楽団が、慌てて2曲目を始めた。


 そして、王女のすぐ後ろに、灰色の外套の女が立っていた。


 表情のない顔。まっすぐな背筋。私と同じくらいの年に見える。白い手袋をはめた手を、体の前で軽く組んでいた。


 北の毒見役だ。


 私は出迎えの列から一歩出て、頭を下げた。


「この国の王宮毒見役、ミレーユと申します。遠いところをようこそ。同じ毒見役として、お会いできるのを楽しみにしておりました。こちらにご滞在のあいだ、食材のことでも、厨房のことでも、何かあれば遠慮なく」


「ヴェラです」


 女は、短く言った。


「確認しました」


 何を確認されたのかは、分からなかった。それで、終わりだった。


 私の挨拶は、およそ100文字あった。返ってきたのは、名前と、一言。


 練習した「可」は、口から出る機会がなかった。


   *


 歓迎の茶会は、2階の広間で開かれた。


 卓の上には、ルネさんが朝から仕込んだ菓子が並んでいた。小さな焼き菓子。果物のタルト。それから、ルネさんの今の自信作、プリン。


 私は、ユリウス様の席の脇に立ち、手袋を外した。


「被告人、果物のタルト。罪状、毒物混入の疑い」


 広間の貴族たちが、待ってましたとばかりに身を乗り出した。この口上を目当てに茶会に来る人もいると、ティモが言っていた。


 見る。苺の赤、艶あり。生地の縁、均一な焼き色。


 嗅ぐ。バター、焼けた小麦、苺。かすかに、橙の皮。


 含む。さくっと生地が割れ、カスタードのとろみと苺の酸味が舌の上でほどけた。橙の皮の苦みが、甘さを後ろから引き締めている。


「舌の奥で3つ数えます。1、2、3。判決。——無罪。本日も、毒なし」


 貴族たちの間から、小さな拍手が起きた。


「長い!」


 大きな声が、拍手をかき消した。


 ラドミール大使だった。毛皮の帽子をかぶったまま、焼き菓子をひとつ口に放りこんでいる。


「南の毒見は、ずいぶんと長いな。毒見はおしゃべりではないぞ。わしの国の毒見役を見よ。一文字だ。一文字で済む」


 大使は、焼き菓子をもうひとつ口に放りこんだ。


「それに、南の菓子は甘いばかりで、薄い。腹にたまらん。女々しい味だ」


 そう言いながら、3つ目に手を伸ばしていた。


 この人は、何を言っているのだろう。薄いと言いながら3つ食べている。腹にたまらないなら、食べるのをやめればいい。この人の口は、けなすためと食べるためで忙しすぎて、どちらも中途半端だ。


 だいたい、春の広間でその帽子は何なのか。暑いと言っていたではないか。脱げばいい。脱いだら、たぶん、ただのよく食べるおじさんだ。


 黙れ、毛皮おや——


「……毛皮、おや……親子丼が、食べたいなー」


 零れた。


 広間が、しんとなった。


 大使が、4つ目の焼き菓子を口の手前で止めた。


「オヤコドン?」


「……故郷の料理です。鶏肉を煮て、卵でとじて、ご飯に載せます」


「鶏と、卵を?」


「はい。鶏と、その卵を。親子で一緒に煮るので、親子丼と」


 大使の顔色が変わった。


「親子を、一緒に煮るだと? 南は、なんと残酷な料理を食べるのだ!」


「残酷ではなく、おいしいんです」


「おいしいのか」


「とても」


 大使は、焼き菓子を口に入れて、しばらく噛んでいた。


「……どんな味だ」


 広間の隅で、ルネさんが顔を覆っていた。ヘルマン様の懐中時計が、ぱちんと鳴った。


 メルヒオルさんが、無表情で革表紙の手帳に何かを書きつけていた。あとでティモが盗み見たところでは、こう書いてあったらしい。


 南の毒見役:口が悪い。親子を煮る料理を好む。


 誤解だ。半分は。


 心の中で、メルヒオルさんの手帳に赤字を入れた。「口が悪い」に二重線。横に「心の中が少しにぎやかなだけ」と訂正して、日付と署名。ついでに、整えすぎた前髪を定規で測り直した。1本だけ長かった。


 他人の記録に手を入れたら、前世なら始末書だ。心の中なので、許してほしい。


   *


 王女は、何も食べなかった。


 卓の上の菓子に、一度も手を伸ばさなかった。ヴェラさんが王女の脇に立ち、出された茶の器を手で制していた。


「失礼ながら」


 王女が、茶会で初めて口を開いた。


「わたくしは、南の国の料理はいただきません。禁止表に定められておりますので」


「禁止表?」


 ユリウス様が、聞き返した。


「わたくしの口に入れてよいものと、いけないものの表です。南の国の料理は、安全が確かめられるまで、すべて禁止となっております」


「この菓子は、私の毒見役が確かめた」


 ユリウス様の声が、少しだけ硬くなった。


「無罪だった。毒は、入っていない」


 王女は、ユリウス様をまっすぐに見た。


「陛下の毒見役が、わたくしの毒を確かめたわけではございません」


 広間が、また静かになった。


 言い方は丁寧だった。でも、ひとつひとつの言葉に、薄い氷の膜が張っているようだった。


 ユリウス様は何か言いかけて、口を閉じた。


 その横顔を見て、私は、少しだけ胸の奥がざわついた。


 出された料理を、信じないで、手をつけない子供。


 去年の秋まで、この城の3階に、同じ顔をした子供がいた。


「……では、殿下の毒見役が確かめたものなら、召し上がりますか」


 私が言うと、王女はちらりとこちらを見た。


「南の毒見役が、口を挟むことではございません」


 それだけ言って、王女は茶の器に視線を落とした。ヴェラさんは、相変わらず何も言わなかった。


 ユリウス様は、自分の皿のプリンを、しばらく見つめていた。


 それから、ひと匙だけすくって、黙って食べた。


   *


 夜。厨房に下りると、黒板が書き換えられていた。


 【本日の賭け】

  縁談まとまる 4倍

  縁談まとまらない 2倍

  そもそも縁談ではない 6倍


「マルタさん」


「統計よ」


「縁談なんて、誰も言ってませんけど」


「言ってなくても、15歳の王女様が来たのよ。14歳の陛下のところに。城中そう思ってるわ」


「城中?」


「ティモ」


 ティモが、作業台の陰で帳面を抱えて縮こまっていた。


「ぼく、まだ『縁談かもしれない』としか言ってません」


「それを何人に言ったの」


「……38人です」


「かもしれない、で十分なのよ。この城では」


 私は、黒板の前で腕を組んだ。


 縁談。あの2人が。茶会で、ひとことも笑わなかった2人が。


 大人というのは、どうしてこう、子供を勝手に並べたがるのだろう。前世の親戚の集まりでも、同じ年頃の子供がいると、すぐに「お似合いね」と言い出す伯母さんがいた。あの伯母さんは、本人たちの顔をまったく見ていなかった。


 この城の大人たちも、たぶん、2人の顔を見ていない。


 陛下は、今日、プリンをひと匙しか食べなかった。


 王女は、ひと口も食べなかった。


「……私は、『そもそも縁談ではない』に銅貨1枚」


「あら、珍しい。あんたが賭けるなんて」


「賭けじゃありません。判決です」


 マルタさんが、黒板の6倍の横に、私の名前を小さく書いた。


 厨房の奥で、ガストーネさんが黙って大鍋を磨いていた。北の使節団の料理人が、近いうちに厨房の半分を使うことになっている。料理長の縄張りに、北の誰かが入ってくる。


 ガストーネさんは、鍋を磨く手を止めずに言った。


「……ん」


 何種類目かは、分からない。ただ、背中が少しだけ大きく見えた。


   *


 ——同じ夜、王城の客間では。


 灰色の外套の女は、窓辺の小さな卓で、手帳を開いていた。


 北の典礼法を写した、薄い手帳。その最後のほうの白いページに、几帳面な字で、今日の記録が書いてある。


  南の毒見役 ミレーユ

  判決が長い

  毒見のあとの待ちは、30分(侍従長より)

  料理を、飲み込む


 女は、ペンを止めた。


 それから、もう1行書き足した。


  楽しそうだった


 しばらく、その1行を見つめていた。


 女は、その行に、まっすぐな線を1本引いて消した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。