第25話 完全無罪
花の月1日。
雪が解けて、最初の花が咲く月。この国では、春の月の手前をそう呼ぶ。
朝の毒見は、3階の食堂で行われた。
「被告人、白パン。罪状、毒物混入の疑い」
手袋を外す。見る、嗅ぐ、含む。舌の奥で3つ数える。
「判決。——無罪。本日も、毒なし」
角を挟んだ隣の席で、ユリウス様がハーブティーのカップを両手で包んでいた。
「いただきます」
「いただきます」
2人で、パンをちぎった。
あの雪の夜から、季節がひとつ変わっていた。
毒見役の仕事は、少しだけ変わった。朝昼晩の3回、食堂で陛下と同じ卓に着く。鍋は暖炉の前でガストーネさんが見張る。料理を運ぶ給仕は、必ず2人。厨房ではフロリアンさんが術式をかざし、食堂では私が舌で確かめる。
30分は、変わらない。
ただ、その30分は、もう冷める時間ではなかった。暖炉の前で、話をする時間になった。
ユリウス様は、毎食、器を空にするようになった。ときどき、おかわりもする。人参が多い日は、2回。
ティモの帳面は、3冊目に入った。表紙に「陛下のおかわり記録」と書いてある。
*
「今日の会の、献立ですが」
朝食のあと、私はユリウス様に紙を差し出した。
今日の夕方、この食堂で、ひとつの会が開かれる。ユリウス様が、自分で名前をつけた会だ。
春の食卓の会。
「料理長と相談して、決めました」
【花の月1日 春の食卓の会】
汁物:鶏と根菜のスープ(人参多め)
主菜:カレーライス(第3条の2による)
麺:ラーメン(暖炉にて茹でる)
副菜:グラタン(縁、焦がしめ)
パン:メロンパン
菓子:プリン
ほか:おにぎり(各自、握る)
「……多いな」
「再現表の、全部です」
「全部、食べられるのか」
「24人いますから」
ユリウス様は紙から顔を上げた。
「24人、来るのか」
「来ます。全員、返事をもらいました」
ユリウス様の招待状は、今回は、書き損じが1枚もなかったと聞いた。給仕頭が、そう教えてくれた。
*
夕方。
食堂の長いテーブルに、24脚の椅子。
その全部が、埋まった。雪の夜の晩餐会と同じ数の椅子なのに、座っている顔ぶれは、まるで違った。
一番奥に、ユリウス様。その隣に、私。
その斜め向かいに、ヘルマン様。懐中時計を、今日はテーブルの上に置いていた。
その隣に、アデライデさん。杖を椅子の背に立てかけて、背筋をぴんと伸ばしていた。「王の食卓に座るのは、40年ではじめてだよ」と言っていた。
マルタさんは、よそ行きの服で、でも手にはチョークの粉がついていた。ルネさんのコック帽は、今日も斜めだった。フロリアンさんは、眼鏡を新調していた。ひびのないレンズを、落ち着かなそうに何度も押し上げていた。
ティモは、帳面を膝の上に置いて、椅子の上で跳ねていた。
給仕頭。厨房の料理人たち。給仕たち。昇降機の綱を修理した大工。城の裏門の門番。医務室の薬師。老侯爵。
それから、ハンナさん。
「なんであたしがここにいるのよ」
ハンナさんは、青い鍋亭の前掛けのまま座っていた。着替える暇がなかったらしい。
「陛下の招待状に、書いてあったので。『青い鍋亭の料理人、ハンナ』」
「王様が、あたしの名前を?」
「私が、教えました」
「……あんたって子は」
そして、24脚目。暖炉に一番近い、テーブルの端の椅子。
ガストーネさんが座っていた。
座り慣れない椅子の上で、大きな体を小さくして。口ひげの先はほんの少し上を向き、頭のてっぺんの一房は、今日も天を向いていた。
料理人が、王の食卓に着く。
この城の、はじめての日だった。
*
「では」
ユリウス様の声で、私は立ち上がった。
暖炉の前に、鍋が並んでいた。スープの大鍋。カレーの大鍋。ラーメンの湯と、スープ。グラタンは、昇降機で上がってきたばかりで、まだぐつぐつと煮えていた。
手袋を外した。
「被告人、春の食卓。罪状、毒物混入の疑い」
ひとつずつ、確かめていった。
鶏と根菜のスープ。塩、2回。人参の甘い土の匂い。無罪。
カレー。玉ねぎの飴色。辛さの中の、甘さと、苦さ。薬草庫の出納帳ではなく、規定の第3条の2に従って、私が選んだ香辛料。無罪。
ラーメンのスープと、生の麺。無罪。
グラタン。縁のチーズが、かりかりに焦げていた。今日は、いつもより焦げが多かった。24皿、全部。無罪。
メロンパン。格子の模様。瓜でも、亀でも、スカートでもない。無罪。
プリン。ぷるん。カラメルは、7枚目と8枚目のあいだの色。無罪。
おにぎり用の、炊きたての米。甘い湯気。無罪。
「第一審、すべて無罪。これより、30分」
ヘルマン様が、テーブルの上の懐中時計を開いた。
*
24人の30分は、にぎやかだった。
マルタさんが、黒板を持ちこもうとして給仕頭に止められていた。代わりに、口頭で賭けを始めていた。「陛下のおかわり、何回だと思う?」「3回」「5回」「ヘルマン様が、ラーメンをすするかどうか」「すすらないに全部」「すするに銀貨1枚」。最後の1枚を賭けたのは、ユリウス様だった。
ルネさんとハンナさんは、なぜか意気投合していた。「泡立てすぎの何がいけないのかね」「泡じゃ腹はふくれないよ」「芸術は、腹をふくらませるためにあるのではない」「じゃあ何のためにあるのさ」。答えは、出なかった。
フロリアンさんは、老侯爵に北の毒の術式の話をしていた。老侯爵は、3分で寝ていた。
アデライデさんは、ずっと黙って、暖炉の前のガストーネさんを見ていた。
ヘルマン様は懐中時計を見ていた。
でも、ときどき、テーブルを見渡していた。24脚の椅子が、全部埋まっているのを。
「……先王陛下は」
ヘルマン様がぽつりと言った。
「この食卓を、24人で埋めたいと、よくおっしゃっていた。狩りの野営のように、皆で鍋を囲みたいと」
「叶ったな」
ユリウス様が言った。
「……叶いました」
ヘルマン様は、懐中時計に目を落とした。蓋の裏の刻印が、ちらりと見えた。
時を守る者へ。
「30分です」
*
「第二審」
ガストーネさんが、麺を湯に放った。長い木のへらで、ぐるりと回す。
ひとつずつ、もう一度確かめる。熱い。どれも、熱い。のびていない。冷めていない。
舌の奥で、3つ数えた。
1、2、3。
「判決」
24人が、私を見ていた。
「——完全無罪。本日も、毒なし」
食堂じゅうから、拍手が起こった。
ガストーネさんが、器にスープをよそいはじめた。給仕が2人ずつ、テーブルに運んでいく。カレーライス。ラーメン。グラタン。湯気が、テーブルの上にいくつも立ちのぼった。
全員の前に、料理が並んだ。
ユリウス様が両手を合わせた。
24人が、それにならった。ハンナさんも。アデライデさんも。ヘルマン様も、少し遅れて。
「いただきます」
24人の声が、重なった。
*
それから先のことは、全部は覚えていない。
ユリウス様が、カレーライスを3回おかわりしたこと。スプーンの使い方が、うまくなっていたこと。
ティモが、グラタンの一番縁の焦げた皿を、黙って私の前に置いてくれたこと。
ルネさんのプリンを食べたハンナさんが、「泡立てすぎてないじゃないか」と言って、ルネさんが複雑な顔をしたこと。
アデライデさんが、おにぎりを握って、ガストーネさんに差し出したこと。ガストーネさんが、それを両手で受け取って、長いこと見つめていたこと。「……ん」。何種類目なのか、私にはもう分からなかった。
そして、ヘルマン様が、ラーメンの器の前で固まっていたこと。
「侍従長。すすってください」
「作法に反する」
「すすらないと、のびます」
「……」
「のびたら、差し戻しです」
ヘルマン様は、目を閉じた。頭の中で、規定集をめくっているのが分かった。第1条から第63条まで。それから、改正された分まで。
目を開けた。
フォークで、麺を持ち上げた。
ずるっ。
小さな音だった。でも、確かに、すすった。
食堂が一瞬、静まり返った。
それから、ユリウス様が、テーブルを叩いて笑った。マルタさんが「銀貨1枚、陛下の総取り!」と叫んだ。
ヘルマン様は、ナプキンで口を拭いて、何事もなかったような顔をした。耳が、真っ赤だった。
この石頭——
「……石窯パン、今日もおいしいですね」
テーブルに、石窯パンはなかった。
ヘルマン様がじろりと私を見た。
「石窯パンの話は、報告書に書かなくてよい」
去年の春。魚の報告書を出した日に、同じことを言われた。
この人も、覚えていたのだ。
*
料理が、あらかた片づいたころだった。
「ミレーユ」
ユリウス様が私を呼んだ。
「ひとつ、やってみたいことがある」
「なんでしょう」
ユリウス様は立ち上がった。
24人が、静かになった。
ユリウス様は、テーブルを見渡した。空になった器。焦げの残ったグラタン皿。カラメルの跡だけになったプリンの皿。歪んだおにぎりが、ひとつだけ残っていた。たぶん、ユリウス様が握ったものだ。
それから、私のほうを向いた。
「被告人」
私は目を見開いた。
「春の食卓。罪状」
ユリウス様は少しだけ考えた。
「……皆で食べた疑い」
テーブルのあちこちで、誰かが笑った。誰かが、鼻をすすった。ティモは、帳面に何かを書きながら、もう泣いていた。
ユリウス様は、手袋をはめていない手を、胸の前で合わせた。
舌の奥で3つ数えるように、目を閉じた。
1、2、3。
「判決」
目を開けた。
「——完全無罪」
14歳の王様の声が、食堂に響いた。
私は立ち上がって、頭を下げた。
それから、両手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
24人の声が、重なった。
「ごちそうさまでした」
*
夜。
誰もいなくなった厨房で、ガストーネさんが、奥の壁の前に立っていた。
私はその隣にいた。
1万3千本を超える、黒い線。
その中に、1本だけの、赤い線。
ガストーネさんは炭を取った。
新しい列に、線を引きはじめた。1本。2本。3本。4本。5本目で、正の字がひとつ閉じた。
6本目。7本目。
24本。
「……今日は、24人分だ」
「24人とも、無罪ですか」
「お前が、言った」
「言いました。完全無罪です」
ガストーネさんは炭を置いた。
それから、私の手に、新しい炭を1本握らせた。
「明日の朝の分から、お前も引け」
「私がですか」
「ん」
何種類目かは、もう数えなかった。
数えなくても、意味は分かった。
*
28年前、私はこの世界に生まれ直した。
前世の私は、夜の11時に、品質保証部の検査室で、レトルトのクリームシチューを確かめながら死んだ。ひとりで。評価表を片手に。何ひとつ、おいしいと思わないまま。
この世界で、私は毒見役になった。
12年間、1度も毒に当たらなかった。食レポ係と呼ばれた。試食係と呼ばれた。説明係と呼ばれた。
1度だけ、毒に当たった。
それで分かったことがある。
毒見役の仕事は、毒を見つけることではない。
食べる人が、安心して「いただきます」を言えるように。作る人が、胸を張って皿を出せるように。
その間に立って、ひと口だけ先に食べて、「大丈夫」と言うこと。
毎日。何度でも。
それが、どれだけいい仕事か。
私は、壁の線を見上げた。黒い線と、1本の赤い線と、今夜の24本を。
明日の朝も、私は手袋を外す。見る。嗅ぐ。含む。舌の奥で、3つ数える。
そして、言う。
「判決。——無罪」
壁の前で、声に出して言ってみた。
ガストーネさんが黙ってうなずいた。
「本日も、毒なし」
*
——同じ夜、厨房の片隅では。
ティモが再現表の板の前で、背伸びをしていた。
【ミレーユさんの夢の料理 再現表】
メロンパン:完全無罪(マルタさん、ティモ)
カレー:完全無罪 ご飯つき
ラーメン:完全無罪(マルタさん、ガストーネさん)
プリン:完全無罪 陛下の判決も完全無罪
おにぎり:完全無罪(ガストーネさん、陛下)
鶏と根菜のスープ:完全無罪 熱いまま、届いた
ティモはチョークで、一番下に1行書き足した。
たこ焼き:未着手 ※陛下が、南の港に蛸を注文済み
書き終えて、ティモは少し考えた。
それから、その横に、小さく付け加えた。
足が8本あるらしい
(第一部 完)
第一部「本日も、毒なし」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
口の悪い毒見役と、ひとりで冷めたスープを飲んでいた少年王の食卓が、24人で囲む食卓になるまでのお話でした。
そして、物語はまだ続きます。
明日から、第二部「本日、北より客あり」が始まります。届いたのは、足が8本ある生き物と、一文字しか話さない北の毒見役です。
引き続き、毎日16時に更新します。
感想や評価、ページ下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、とても励みになります。誤字を見つけた方には、毒見役から「差し戻し」の判決が出ます。
引き続きお楽しみ頂けますと幸いです。
なお、今日から新しく投稿を開始した作品があります。
よろしければそちらも是非ご覧下さい。
タイトル:
前世で予約3か月待ちだった美容師の俺、美醜逆転の異世界で開業したら客が3人しか来ない ~その3人がSランク冒険者で、予約枠を奪い合っている~
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