↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒見役に転生した私、12年間一度も毒に当たらないので、ただの食レポ係だと思われています  作者: 中原九尾
第一部 本日も、毒なし

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/22

第19話 最後の毒見

 冬の月20日。


 朝の毒見は、いつもどおりだった。


 白パン。ベーコン。オムレツ。ハーブティーの茶葉。見る、嗅ぐ、含む。30分。判決。本日も、毒なし。


 昼の毒見も、いつもどおりだった。


 いつもどおりにしようと、全員が必死だった。


 ガストーネさんは「ん」の種類を1つも増やさなかった。マルタさんは黒板に賭けを書かなかった。ルネさんのコック帽は、朝からずっとまっすぐだった。ティモは、帳面を持っていなかった。最後のページまで、もう埋まってしまったから。


 そして、夕食。


 献立は、3日前から厨房に貼り出されていた。


 【冬の月20日 夕食】

  前菜:おにぎり(鱒)

  汁物:鶏と根菜のスープ(人参多め)

  麺:ラーメン(食堂の暖炉にて茹でる)

  菓子:プリン


 再現表の板から、ユリウス様が選んだ4品だった。


   *


 食堂の暖炉には、鍋が2つかけられていた。


 1つは、鶏と根菜のスープ。もう1つは、たっぷりの湯。ラーメンの麺を茹でるための湯だった。


 ラーメンを最初に作ったあの日、陛下はこう言った。


 ——次は、のびていないものを。


 麺は、茹でてから時間が経つとのびる。30分待てば、ぶよぶよになる。42分なら、なおさらだ。だからラーメンは、再現表の中で一番、陛下に届けるのが難しい料理だった。


 今日は、暖炉の前で茹でる。


 スープを毒見して、麺を毒見して、30分。そのあいだ、麺は茹でずに生のまま待たせておく。30分が経ったら、ガストーネさんが麺を湯に放り込む。茹で上がりを、第二審で確かめる。


 毒見役の最後の日に、ようやく思いついたやり方だった。


 遅い。私は、いつも遅い。


   *


「被告人、おにぎり。罪状、毒物混入の疑い」


 手袋を外す。


 ユリウス様が、向かいの席で私の手元を見ていた。ヘルマン様は、懐中時計を開いていた。暖炉の前にガストーネさん。扉の脇に給仕頭と、クラウスさん。


 それから、今日は、扉の外の廊下に、厨房の全員が立っていた。規定では、料理長のほかは、料理人は食堂に入れない。だから、廊下から。マルタさんも、ルネさんも、ティモも。


「見ます。三角、均一。料理長の手のひらの形、今日もついてます。嗅ぎます。炊きたての米、鱒の塩と脂。含みます」


 ほろりとほどけた。米の甘さ。鱒の塩気。


「3つ数えます。1、2、3。第一審、無罪」


 スープ。人参の甘い土の匂い。熱い。第一審、無罪。


 ラーメンのスープ。鶏と豚の骨を半日煮た、白く濁ったスープ。塩と、魚醤と、香味油。第一審、無罪。生の麺。小麦粉と、灰を溶かした水の、ほのかなえぐみ。ちぢれ具合、均一。第一審、無罪。


 プリン。ぷるん。卵、牛乳、カラメル。カラメルは、7枚目と8枚目のあいだの色だった。第一審、無罪。


「これより、30分。経過観察に入ります」


 ヘルマン様が懐中時計を見た。


 私にとって、最後の30分だった。


   *


 何を話したのか、あとから思い出そうとしても、あまり思い出せなかった。


 たこ焼きの話をもう一度したような気がする。ユリウス様は、足が8本ある生き物をまだ疑っていた。ヘルマン様が、先王陛下が一度だけ厨房に下りてきた日の話をした。ガストーネさんが、「は」と3回言った。


 廊下から、ティモが鼻をすする音がずっと聞こえていた。


 ユリウス様はときどき、扉の外を見ていた。


 25分を過ぎたころ、クラウスさんが、控えめに口を開いた。


「ミレーユさん。明日からは、術式の検査になると伺いましたが」


「はい」


「術式は、どちらで行われるのでしょう。厨房で?」


「厨房で、フロリアンさんが。料理ができあがったら、その場で。2分で終わるそうです」


「では、そのあと、食堂までお運びするのは」


「給仕の方々です。昇降機で2分」


「なるほど。ありがとうございます。明日から、責任重大ですね」


 クラウスさんはにこやかに頭を下げた。


 いい人すぎて、逆に怪しい。


 でも、明日から陛下のお食事を運ぶ人に、手順を訊かれて答えないわけにはいかない。私は、もうすぐ毒見役ではなくなるのだ。


「……30分です」


 ヘルマン様が懐中時計を閉じた。


   *


 ガストーネさんが麺を湯に放った。


 大きな手で、長い木のへらをぐるりと回す。湯の中で、黄色いちぢれ麺がほどけて泳いだ。


 ユリウス様が、身を乗り出して鍋をのぞいていた。


「こうやって、茹でるのか」


「はい。これが、のびる前の麺です」


 ガストーネさんが、麺をざるに上げた。湯を、ばっ、ばっ、と2回切る。器のスープに滑り込ませる。その上に、煮豚の薄切り、ゆで卵の半分、青ねぎ。


「第二審」


 私は麺を1本すくった。


 すすった。


 ずるずるっ、と音が食堂に響いた。


 はじめてラーメンを作った日、この音で、厨房の全員が固まった。今日は、食堂の誰も固まらなかった。ヘルマン様でさえ、懐中時計から目を上げなかった。


 麺に、こしがあった。噛むと、ぷつりと切れる。スープを吸って、小麦の香りがふわっと立つ。のびていない。


 前世の、会社の近くのラーメン屋の、カウンター席の味だった。仕事で嫌なことがあった日に、ひとりで行った店。


「……3つ数えます。1、2、3。判決」


 廊下で、ティモが息を止めたのが分かった。


「——完全無罪。本日も、毒なし」


 スープ、完全無罪。おにぎり、完全無罪。プリン、完全無罪。


 ルネさんが、廊下で崩れ落ちる音がした。2回目なのに、1回目と同じ崩れ方だった。


   *


 ユリウス様と私の前に、同じものが並んだ。


 手を合わせた。


「いただきます」


「いただきます」


 2人の声が重なった。


 ユリウス様は、まずラーメンの器に顔を寄せた。フォークを握って、麺をくるりと巻かずに、そのまま持ち上げた。


 すすった。


 ずるずるっ。


 上手だった。フォークから麺が1本も逃げていない。どこで覚えたのだろう。


「……練習した」


 ユリウス様が小さな声で言った。


「茶で」


 ヘルマン様の懐中時計が、止まった。


 私は笑いをこらえて、自分の麺をすすった。


 のびていない麺を、陛下と一緒にすすった。


 鶏と根菜のスープを飲んだ。ユリウス様は、今日も人参から食べた。おにぎりを両手で持った。プリンをつついて、ぷるん、と揺らした。


 1品ずつ、ゆっくり食べた。急ぐ理由は、何もなかった。


 最後のひと口を食べ終えたとき、窓の外は真っ暗だった。雪が、音もなく降っていた。


「ごちそうさまでした」


「……ごちそうさまでした」


 ユリウス様は、空になった器を見下ろしていた。


 しばらくして、言った。


「毒見役」


「はい」


「明日の朝、ハーブティーは、誰と飲めばいい」


 答えられなかった。


 陛下には、嘘をつかない。だから、「大丈夫です」とは言えなかった。


   *


 夜。毒見の間。


 私は12年分の記録帳の、最後の1冊を開いた。


 【毒見記録】

  日付:冬の月、20日 夕食

  おにぎり(鱒):完全無罪

  鶏と根菜のスープ:完全無罪

  ラーメン:完全無罪 ※暖炉にて茹で、のびず

  プリン:完全無罪

  毒見(延長):陛下と同卓にて摂食

  所見:異常なし。本日も、毒なし


 ペンを置いた。


 記録帳を閉じて、厨房へ下りた。


 灯りが、ひとつだけついていた。


 ガストーネさんが、奥の壁の前に立っていた。


 正の字の壁。白い漆喰の上に、炭の線がびっしりと並んでいる。天井近くまで。隣の壁にもはみ出している。1日3食、12年分。1万3千本を超える、「毒なし」の線。


 ガストーネさんは炭を持っていた。


 一番新しい列の端に、書きかけの正の字がひとつ。あと1画で、閉じる。


 ガストーネさんは炭を私に差し出した。


「……引け」


「私がですか」


「ん」


 12年間、この線を引いたのは、いつもガストーネさんだった。私は一度も引いたことがない。引いていいものだと思ったこともない。


 炭を受け取った。指が黒くなった。


 最後の1画を、引いた。


 正の字が、ひとつ閉じた。


 ガストーネさんは、しばらく壁を見上げていた。それから、私の手から炭を取って、壁の下の棚にそっと置いた。


「あの事件のあと、って、マルタさんが言ってました」


「ん」


「何の事件ですか」


 ガストーネさんは、答えなかった。大きな手で、私の頭を1回だけ、ぽんと叩いた。


 それから、灯りを消した。


   *


 侍従長の執務室の扉を叩いた。


 ヘルマン様は、まだ起きていた。机の上に、懐中時計が開いたまま置かれていた。


「これを」


 私は鍵を2本差し出した。


「薬草庫の鍵と、毒見の間の鍵です。薬草庫の出納帳は、今日の日付で締めてあります。見本の毒の小瓶は、試験で1本ずつ使いましたので、それも記録に」


「……ご苦労」


「それから、記録帳です。12年分、49冊。最後の1冊は、途中までですが。毒見の間の棚に並べてあります。陛下が即位されてからの分は、余白に、召し上がった量も書いてあります」


 ヘルマン様は鍵を受け取った。


 手のひらの上で、2本の鍵が鳴った。


「毒見役」


「もう、毒見役ではありません」


「規定では、今夜の12時までは毒見役だ」


 ヘルマン様は、懐中時計に目をやった。夜の11時を回っていた。


「……第8条は、100年前にできた」


 唐突だった。


「当時の毒見役が、白雫で倒れた。料理を確かめて、何も感じず、陛下のもとへ送り出した。その25分後に、厨房で倒れた。陛下は、まだ料理に手をつけておられなかった。毒見役が倒れたと聞いて、皿を下げさせた」


 ヘルマン様は懐中時計の蓋を撫でた。


「毒見役の命で、陛下のお命が助かった。だから、第8条ができた。毒見役が倒れるまで、待てるように」


 私は黙って聞いていた。


「術式は、正しい。毒見役を廃止した評議会の判断も、規定上は正しい。私は、それに従う」


 ヘルマン様は蓋を閉じた。


「……だが、100年前の毒見役の名前を、この城で覚えているのは、私だけになった」


 かち、かち、と懐中時計が鳴っていた。


「君の名前は、覚えておく」


「……ありがとうございます、侍従長」


 私は深く頭を下げた。


 執務室を出るとき、背中に声がかかった。


「毒見役。最後に、ひとつ」


「はい」


「ジンジャーブレッドは、菓子職人に申しつけておいた。明日の朝、厨房で受け取りたまえ」


   *


 ——同じ夜、魔術師の塔では。


 フロリアンは、明日から使う術式の紙を、もう一度読み返していた。


 かざしたときの器の中を、正確に読む。


 かざしたときの。


 ペンの先で、その一語を何度もなぞった。


「……そのあとは」


 呟いてから、首を振った。


「そのあとは、術式の管轄外、か」


 理論上は。


 フロリアンは灯りを消した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。