↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒見役に転生した私、12年間一度も毒に当たらないので、ただの食レポ係だと思われています  作者: 中原九尾
第一部 本日も、毒なし

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/19

第18話 解毒魔法があるので

 試験の前日、フロリアンさんが毒見の間に来た。


 目の下のくまが、保温の箱の3号のときより濃くなっていた。灰色のローブの袖は、焦げ跡が2か所から4か所に増えていた。


「すみません」


 開口一番、フロリアンさんは頭を下げた。


「僕の術式のせいで、あなたが」


「フロリアンさんのせいじゃありません」


「でも、伯爵に研究費をもらっていたのは僕です。何に使われるか、考えもしなかった。毒の反応が読めたら面白いな、としか」


 理論上は、とは言わなかった。この人が「理論上は」を言わないのを、はじめて聞いた。


「術式は、完成したんですか」


「……しました」


 フロリアンさんは、眼鏡を外して、ひびの入ったレンズを袖で拭いた。


「図鑑に載っている毒は、全部読めます。遅効性の7つも。……白雫も」


 白雫も。


 私はしばらく黙っていた。


「それで、お願いがあって来ました」


「なんですか」


「試験には、本物の毒が要ります。7つ全部。王宮で本物の毒を管理しているのは——」


「薬草庫。毒見役の職務です。規定第17条」


 私は腰の鍵束を取った。


 薬草庫の一番奥の棚。鍵のかかった小箱。見習いの頃、アデライデさんに一度だけ見せてもらった。毒見役が毒を知るための、見本の小瓶が7本。


 自分を廃止する試験の、毒を用意する。


 評議会の菓子の毒見より、ずっと皮肉な仕事だった。


「出納帳に記録します。持ち出した量、日時、用途。用途は」


 ペンが、少しだけ止まった。


「……毒見役廃止の、試験のため」


   *


 冬の月16日。評議会の間。


 楕円形の卓の上に、白い陶器の椀が8つ並んでいた。中身は、全部同じ澄んだコンソメ。ガストーネさんが今朝作ったものだ。


 8つのうち7つに、薬草庫の毒が1つずつ入っている。1つには、何も入っていない。どれに何が入っているかは、議長の老侯爵と書記しか知らない。


「では、宮廷魔術師殿」


 フロリアンさんが卓の前に立った。


 評議員11人。上座にユリウス様。その斜め後ろにヘルマン様。卓の端にベルトラン伯爵。それから私。


 伯爵は、今日も紫の上着だった。香水が、いつもより濃かった。勝利の日の正装らしい。


「術式の、調整をします」


 フロリアンさんが卓の上に手をかざすと、白い光の輪がふわりと広がった。


 伯爵がよく見ようと身を乗り出した。


 光の輪の端が、伯爵の胸元に触れた。


 光が、どぎつい紫色に変わった。


「……反応、あり」


 評議会の間が、凍りついた。


「伯爵様、少し、離れていただけますか。香水の成分に、術式が反応しているようです。理論上は、人体に害のない量ですが」


 伯爵が、ものすごい速さで椅子ごと後ろに下がった。紫の光が、すっと白に戻った。


 評議員の何人かが、咳払いでごまかしていた。上座で、ユリウス様がうつむいていた。


 私は、心の中で術式に完全無罪を出した。12年間、私の鼻が言いたくても言えなかったことを、術式はたった一瞬で言ってのけた。


「では、改めて。術式を、展開します」


 フロリアンさんが両手を椀の上にかざすと、白い光の輪が卓の上に広がった。


 光が、8つの椀を順番になぞっていく。


 1つ目の椀の上で、光が青く変わった。


「眠り苔。反応、青」


 2つ目。紫。


「夜霧茸。反応、紫」


 3つ目、黄色。黄泉蔓。4つ目、灰色。沈み石の粉。5つ目、赤。灰鼠の胆。6つ目、桃色。三日月草。


 書記が、手元の紙と照らし合わせて、1つずつうなずいていった。


 7つ目の椀の上で、光が止まった。


 何色にもならない。白いまま。


「……反応なし。毒物、検出されません」


 評議員たちが、書記を見た。書記が、紙を見て、うなずいた。


 何も入っていない椀だった。


 そして、8つ目。


 光が、椀の上に来た。


 しばらく、何も起きなかった。


 それから、ゆっくりと、光が透き通った。白でも青でもない、水のような、ほとんど見えない色。光の輪の中で、コンソメの表面に、細い筋のようなものが浮かび上がった。


「白雫」


 フロリアンさんが小さな声で言った。


「反応、透明」


 書記が、紙を見た。


 長い沈黙のあと、うなずいた。


 評議会の間が、どよめいた。


   *


 ベルトラン伯爵が、ゆっくりと立ち上がった。


「見事。実に見事です、フロリアン殿」


 両手を広げて、卓を見渡した。


「8つの椀、すべて正解。しかも、かかった時間は」


「……2分ほどです」


「2分。30分でも、3分でもなく、2分。しかも、人の舌を危険にさらすこともない」


 伯爵は私のほうに向き直った。


「毒見役殿。念のため伺いましょう。あなたの舌で、この8つ目の椀の白雫を、見分けることができますか」


 評議会の間が、しんと静まった。


 ユリウス様が私を見ていた。


 ヘルマン様も、見ていた。懐中時計を握りしめたまま。


 この紫の香水だるま。後頭部の髪の流れを、今すぐ全部逆向きに梳かしてやりたい。


 でも、それは、答えではない。


 陛下には、嘘をつかない。


「……見分けられません」


 自分の声が、評議会の間に、ひどくはっきりと響いた。


「白雫は、無色、無臭、無味です。私の舌では、見分けられません。毒見役は、30分待つことでしか白雫を確かめられません」


 私はフロリアンさんの術式の光を見た。


「前の……前の職場では、こう教わりました。より確かな検査の方法があるなら、古い方法はそれに置き換えるべきだ、と。検査をする人間の都合で、検査の方法を選んではいけない、と」


 ベルトラン伯爵が満足そうにうなずいた。


「毒見役ご本人が、そうおっしゃる」


 それから、評議員たちに向かって言った。


「では、よろしいですな。毒見役など要りません。解毒魔法があるので」


「……解毒ではなく、検出の術式です」


 フロリアンさんが小声で訂正したが、誰も聞いていなかった。解毒の術式もあるにはある。ただし、図鑑に載っている毒に限った話だ。前にフロリアンさんがそう言っていた。


 伯爵にとっては、どちらでも同じなのだろう。毒見役がいなくなれば。


   *


 採決は11票のうち、賛成10、反対1だった。


 反対したのは、議長の老侯爵だった。あとで聞いたら、「あの菓子の件の礼だ」とだけ言ったそうだ。


 王宮毒見役は、冬の月20日をもって廃止。以後、陛下のお食事は、宮廷魔術師の術式による検査を経ること。


 書記が、議事録にそう書きつけた。


 ユリウス様は、最後まで一言も発しなかった。


   *


 評議会の間を出ると、廊下の窓の外で雪が降り始めていた。


「毒見役」


 振り返ると、ユリウス様がひとりで立っていた。ヘルマン様は、少し離れた場所に控えていた。


「なぜ、見分けられると言わなかった」


 青い目が、まっすぐに私を見ていた。


「言えば、よかった。見分けられると。そうすれば」


「陛下」


「私は、お前に」


 ユリウス様の声が、途切れた。


「……いてほしかった」


 私は、膝をついた。13歳の王様と、目の高さを合わせた。


「陛下には、嘘をつかないと決めています」


「なぜだ」


「陛下のお口に入るものを確かめる人間が嘘をついたら、陛下は、何を信じて召し上がればいいのか分からなくなります」


 ユリウス様の唇が、震えた。


「毒見役が確認しました。責任は私にあります。……それを、嘘で言うわけにはいきません」


 ユリウス様は長いこと黙っていた。


 それから、小さくうなずいた。


「……そうか」


 冷めたポタージュの夜と同じ言葉だった。でも、声が違った。


「では、20日までは」


 ユリウス様は窓の外の雪を見た。


「毎日、一緒に食べよ。延長で」


「はい」


「ヘルマン。記録せよ」


 少し離れたところで、ヘルマン様が手帳を出した。ペンを持つ手が、珍しく止まっていた。


   *


 厨房に戻ると、黒板の賭けが消されていた。


 マルタさんが、黙って小銭の袋を私の前に置いた。


「何ですか、これ」


「否決に賭けた有り金。はずれたから、胴元のあたしが没収した分。……あんたの退職祝いに回すわ」


「胴元が、はずれの金を回していいんですか」


「統計よ」


 意味が分からなかった。でも、マルタさんの目が赤かったので、それ以上は訊かなかった。


 ルネさんは、菓子の型を磨く手を止めずに言った。


「ミレーユ嬢。最後の日の菓子は、泡立てすぎないよう努めよう」


「努めるだけですか」


「芸術家だからね」


 ガストーネさんは、何も言わなかった。「ん」も言わなかった。


 暗い厨房の奥で、ひとりで大鍋を磨いていた。もう磨く必要がないくらいぴかぴかの鍋を、ずっと。


   *


 夜遅く、フロリアンさんが厨房の入口に顔を出した。


「……すみませんでした」


「謝らないでください。フロリアンさんの術式は、正しかったです。白雫を見分けられる検査は、白雫を見分けられない検査より、確かです。それだけです」


「でも」


 フロリアンさんは、ひびの入った眼鏡を押し上げた。


「あなたの判決、もう聞けないんですね。見る、嗅ぐ、含む。あれ、塔の上で、給仕たちの噂を聞くのが楽しみだったんです」


「食レポが聞けなくなるのが、困るんですか」


「困ります。理論上も、実際にも」


 フロリアンさんは泣きそうな顔で笑った。


 帰りぎわに、ひとつだけ付け加えた。


「術式は、かざしたときの器の中を読みます。そのときの器の中を、正確に」


「……はい」


「それだけです。おやすみなさい」


 そのときは、なぜその言葉が耳に残ったのか、分からなかった。


   *


 皆が帰ったあと、ティモが最後まで残っていた。


 作業台の端で、帳面を開いていた。3年分の、私の名言と、陛下の食べ残しの記録。もう、残りのページがほとんどなかった。


「ミレーユさん」


「なに」


「ぼく、最後のページに、何て書けばいいか分からなくて」


 ティモは白いページを見つめていた。


「ミレーユさんの言葉、3年分、全部もらったので。お返しに何か書きたいんですけど」


 私はティモの頭に手を置いた。


「じゃあ、こう書きなさい」


 ティモがペンを握った。


「いただきました」


 ティモはしばらく私の顔を見ていた。


 それから、最後のページのまんなかに、小さな字でゆっくりと書いた。


  いただきました


 書き終えて、ティモは帳面を閉じた。泣かなかった。泣かないように、口をぎゅっと結んでいた。


   *


 ——同じ夜、ベルトラン伯爵の屋敷では。


 伯爵は、書斎で上等な葡萄酒の栓を抜いていた。


 香水の匂いに満ちた部屋で、グラスを2つ出した。


「冬の月20日。予定どおりだ」


 向かいの椅子の人物は、何も言わずにグラスを受け取った。


 燭台の灯りが揺れて、その人物の、きれいに撫でつけた栗色の髪を、ちらりと照らした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。