第17話 毒見役廃止案
その知らせは、朝の毒見の最中に届いた。
正確には、朝の毒見の第一審と第二審のあいだの、30分のあいだに届いた。食堂の扉が開いて、給仕頭が青い顔で入ってきた。
「侍従長。評議会から、書状が」
ヘルマン様は書状を受け取り、封を切り、2回読んだ。
懐中時計を開いた。閉じた。また開いた。
「……陛下」
「読め」
ヘルマン様は書状を読み上げた。
【評議会議案 第38号】
件名:王宮毒見役の廃止について
提案者:評議会予算担当 ベルトラン伯爵
理由1:北部の不作に伴い、王宮の歳出を1割削減する必要がある
理由2:毒見役は過去12年間、一度も毒を検出していない
理由3:宮廷魔術師による毒物反応の術式が、完成の見込みである
審議日:冬の月12日
食堂が、静まり返った。
暖炉の火だけが、ぱちぱちと鳴っていた。
私は、手袋をはめたままの手を、膝の上で握っていた。
理由2。過去12年間、一度も毒を検出していない。
——知っている。それは、私が一番よく知っている。
*
前世にも、同じことがあった。
入社して5年目の春。会社の業績が落ちて、経営陣が部署ごとの経費を洗い直した。品質保証部の予算は、3割削られた。
会議室で、専務が言った。
「品質保証部は、去年1件も重大な不良を出していない。人を減らしても問題ないだろう」
課長は、何も言い返せなかった。
不良が出ないのは、品質保証部が仕事をしているからだ。でも、それを証明する方法はない。起きなかった事故は、数えられない。
翌年、人が減った品質保証部で、重大な不良が1件出た。
課長は、始末書を書いた。
*
「陛下」
ユリウス様は、書状をヘルマン様の手から取った。
小さな指で紙をつまんで、じっと見ていた。
「評議会の議案に、私は反対できるのか」
「……陛下は、15歳になられるまで評議会での議決権をお持ちではございません。ご意見を述べることはおできになります。しかし、票は」
「ないのか」
「ございません」
ユリウス様は紙を置いた。
「あと、1年と1か月か」
誰も、何も言えなかった。
ガストーネさんが、暖炉に薪を1本足した。ぱちり、と火が鳴った。
*
厨房に戻ると、黒板がもう書き換えられていた。
【本日の賭け】
毒見役廃止案:否決 4倍
毒見役廃止案:可決 1.3倍
「マルタさん」
「統計よ」
マルタさんは、チョークを握ったまま私を見なかった。
「……私は、否決に賭けたけどね。有り金、全部」
ティモが帳面を抱きしめて泣いていた。
「ミレーユさんが、いなくなったら、ぼく、誰の名言を書けばいいんですか」
「自分の名言を書きなさい」
「ぼく、名言、言えません」
「今、ひとつ言ったわよ」
ティモはぐしゃぐしゃの顔のまま帳面を開き、何か書きつけていた。のぞき込むと、「ティモの名言:誰の名言を書けばいいんですか」と書いてあった。まあ、そうなるか。
ルネさんは、黙って菓子の型を磨いていた。コック帽が、いつもよりまっすぐだった。それが一番、厨房の動揺を物語っていた。
ガストーネさんが、私の前に皿を1枚置いた。
鹿肉の煮込みだった。朝の余りを、温め直したもの。
「……食え」
「今は、いいです」
「食え」
2回言われた。ガストーネさんが「ん」以外の同じ言葉を2回言うのは、12年ではじめてだった。
手袋を外して、ひと口食べた。温かかった。赤ワインと、杜松の実の香り。
判決は、言わなかった。言わなくていい皿も、あるのだ。
*
冬の月12日。評議会の間。
楕円形の大きな卓に、評議員が11人。上座に、ユリウス様。その斜め後ろにヘルマン様。私は、証人として卓の端に立たされていた。
卓の上には、議事のあいだにつまむ焼き菓子が、銀の皿に山盛りになっていた。
「では、恒例の」
議長の老侯爵が、私のほうを見た。
「毒見役殿。まずは、この菓子を」
評議会の菓子の毒見も、毒見役の職務だ。王が同席する場の食べ物は、すべて毒見役が確かめる。規定第2条。
自分を廃止する会議の、お茶菓子の毒見。
前世で言えば、自分のリストラを決める会議に、お茶を出しにいく感じだ。
手袋を外した。
「被告人、焼き菓子。罪状、毒物混入の疑い」
評議員たちが、くすくす笑った。噂の食レポ係の芸を見物しにきた、という顔だった。
見る。バターの焼き色。均一。ただ、表面がやけにつやつやしている。
嗅ぐ。バター、小麦粉。それから、甘い匂い。蜂蜜でも、砂糖でもない。もっと重くて、ねっとりした。
かじる。
「……舌の奥で、3つ数えます。1、2、3」
評議員たちが、身を乗り出した。
「容疑者、なし。毒は入っていません。判決、無罪」
ほっとした空気が流れた。
「ただし、備考があります」
私は、菓子の断面を皆に見えるように掲げた。
「材料の表示では、砂糖とバターの焼き菓子となっているはずです。ですが、砂糖の半分が、糖蜜の搾りかすに置き換えられています。バターも、3割ほどが獣脂です。舌に残る、この重たい甘さと、後味の脂っぽさ。前の……前の職場で言うところの、原材料の不当な置き換え。ロット不良です」
評議会の間が、しんとなった。
「この菓子の納入業者は、どちらでしょう」
議長の老侯爵が、書記に目をやった。書記が、帳簿をめくった。
「……今年の春から、ベルトラン伯爵のご紹介の菓子店に切り替えております。前の業者より、2割安いとのことで」
全員の目が、紫の上着に向いた。
ベルトラン伯爵は、にこやかな笑顔のまま、指の宝石を1つ回した。
「いやはや。菓子の中身まで口を出されるとは。さすがは、試食係殿。舌だけは確かなようだ」
心の中で、伯爵を糖蜜の搾りかすに漬けて、獣脂で揚げた。
「菓子店には、私から厳しく言っておきましょう。……さて、本題に入りましょうか」
*
本題は、長かった。
ベルトラン伯爵は、北部の不作の数字を並べた。麦の収穫が例年の6割。冬を越すための救済に、王宮の歳出を1割削る。削れるところは、どこか。
「王宮の毒見役。年に金貨40枚。見習いの頃から数えて、12年間で480枚。その間、毒の検出件数は」
伯爵はたっぷり間を取った。
「ゼロ件です」
評議員の何人かが、うなずいた。
「毒の出ない毒見役に、年に金貨40枚。いや、陛下がご自分の菓子代から毒見役に払っておられる分を足せば、もっと多い。しかも最近では、陛下と同じ卓で食事までしていると聞きます。毒見役ではなく、陛下の食卓に居座る食レポ係ですな」
ユリウス様の指が、卓の上で強張った。
「そこへ、宮廷魔術師フロリアンの術式です。料理の上にかざすだけで、毒の有無が分かる。人の舌も、30分の待ち時間も要らない。……私は、この研究に私費を投じてまいりました。北部の民のため、王宮の無駄を省くため」
この守銭——
「守銭……シュトーレン」
評議会の間が、静まり返った。
しまった。
「……しゅ、シュトーレン。冬の菓子です。遠い国の。果物を練り込んだ、日持ちのするパンで、少しずつ切って、冬のあいだずっと食べるんです。つまり、倹約の精神と申しますか」
上座で、ユリウス様がうつむいていた。肩が震えていた。
ヘルマン様が無表情で言った。
「シュトーレンなる菓子は、王宮料理規定第3条の食材一覧を確認するまでもなく、議題と無関係だ。毒見役、証人は発言を控えよ」
「……はい」
ベルトラン伯爵の頬が、ぴくぴくと引きつっていた。
意味は分からなくても、何か言われたことは分かるのだろう。後頭部の髪が、心なしか逆立っていた。
*
「陛下。ご意見を」
議長に促されて、ユリウス様が立ち上がった。
「毒見役は、12年間、毒を見つけていない」
澄んだ声だった。
「それは、12年間、毒見役がいたからだ。毒を入れても見破られると、皆が知っていたからだ。……と、私は思う」
私は目を見開いた。
前世の課長が、言えなかった言葉だった。
「それから、毒見役は毒だけを確かめているのではない。魚が傷んでいれば止めた。菓子がごまかされていれば、今のように見抜いた。料理が冷めていれば、温める方法を考えた」
ユリウス様は、ベルトラン伯爵をまっすぐに見た。
「私は、毒見役の廃止に反対する」
評議会の間が、ざわめいた。
13歳の王が、評議会ではっきりと意見を述べたのは、即位以来はじめてのことだった。あとで議長がそう言っていた。
ベルトラン伯爵は深々と頭を下げた。
「陛下の御心、しかと承りました。ですが、陛下。評議会の議決は、票で決まります」
顔を上げた伯爵は、にこやかだった。
「こうしてはいかがでしょう。フロリアンの術式が本当に毒を見分けるかどうか、皆の前で試験を行う。術式が確かなら、毒見役は冬の月20日をもって廃止。確かでなければ、この議案は取り下げる。陛下のご懸念にも、評議会の責任にも、公平なやり方かと」
議長が、評議員たちを見渡した。
採決が行われた。
11票のうち、賛成8。
試験は、4日後と決まった。
*
評議会の間を出たところで、ヘルマン様に呼び止められた。
「毒見役」
「……シュトーレンの件は、申し訳ありませんでした」
「それはどうでもいい」
ヘルマン様は懐中時計を握りしめていた。
「フロリアンの術式が、白雫を見分けられるかどうか。それだけが問題だ」
「分かっています」
「分かっていない」
ヘルマン様は私の目を見た。
「もし見分けられたら、君は、それを認めるのか」
答えられなかった。
陛下には嘘をつかない。規定にも嘘はつかない。
もし術式が、白雫を見分けたら。
舌では見分けられない毒を、術式が見分けたら。
*
——同じ夜、3階の寝室では。
少年は寝台の上で、指を折って数えていた。
冬の月、12日。雪の月、10日で14歳。そこから1年。15歳まで。
何度数えても、1年と1か月だった。
少年は、枕元の小さな卓に目をやった。昼間、評議会の間から持ち帰った焼き菓子が1枚、載っていた。
毒見役が、ロット不良と言った菓子。
少年はそれをかじった。重たい甘さが、舌に残った。
「……本当だ」
ひとりで、つぶやいた。
「脂っぽい」
それから笑おうとして、うまく笑えなかった。
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★作者より
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