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毒見役に転生した私、12年間一度も毒に当たらないので、ただの食レポ係だと思われています  作者: 中原九尾
第一部 本日も、毒なし

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12/18

第12話 温かいまま、届けたい

 敵は2つあった。


 毒見のあとの30分。地下から3階までの12分。


 合わせて42分。陛下のスープを冷ましているのは、この42分だ。


 私は毒見の間の机に紙を広げて、2つの数字を大きく書いた。前世の品質保証部で叩き込まれた基本だ。不良が出たら、工程を分解して、数字にする。数字にできれば、手が打てる。


 30分は、規定で決まっている。毒見役ひとりの考えでは動かせない。


 なら、先に12分を片づける。


   *


「12分を、短くしたいんです」


 厨房で言うと、料理人たちが顔を見合わせた。


「給仕を走らせたら?」


「スープがこぼれます」


「じゃあ、速く歩く」


「今でも十分速いです。私が運んだときは12分でしたけど」


「それはあんたが遅いのよ」


 マルタさんの指摘は、いつも正確で容赦がない。


「階段が多すぎるんですよね」


 ティモが帳面に城の絵を描いた。四角い箱が3段重なり、一番下に「厨房」、一番上に「食堂」。その間を、ぐねぐねの線がつないでいる。


「地下から1階に上がって、使用人用の通路を通って、2階の回廊を半周して、3階へ。遠回りなんです。まっすぐ上がれればいいのに」


「まっすぐ、ね」


 マルタさんが天井を見上げた。


 厨房の天井の右奥。ミレーユの焦げ跡の、すぐ隣。


 古い木の板で塞がれた、四角い穴の跡があった。


「……あれ、何ですか」


「井戸の穴だ」


 ガストーネさんがぼそりと言った。


「砦だった頃の。地下の井戸から、上の階へ水を汲み上げた縦穴。俺が来たときには、もう塞がれていた」


 私は四角い跡を見上げた。


 もし、あの穴が、まっすぐ上まで続いているなら。


   *


 城の古い図面を持っているのは、侍従長だけだ。


 翌朝、執務室の扉を叩くと、ヘルマン様は書類の山の向こうから顔を上げた。


「毒見役が、何の用だ」


「城の古い図面を——」


 言いかけて、止まった。


 ヘルマン様の机の上に、黄ばんだ羊皮紙が広げたままになっていた。城の断面図。地下の井戸から、まっすぐ上に伸びる1本の線。3階の、食堂の隣の部屋で止まっている。


「……それ」


「給仕の控えの間だ。今はハーブティーの湯を沸かす部屋になっている。壁の一部が、塞がれているはずだ」


 ヘルマン様は、羊皮紙を私のほうへ押しやった。


「先王陛下が、同じことを考えておられた。狩りから戻られて、冷えた料理を召し上がるのが嫌だと、よくこぼしておられた。この縦穴を使えないかと、私に相談された」


 ヘルマン様は懐中時計を開いた。


「私は、予算がないとお答えした。その翌年に、落馬で亡くなられた」


 懐中時計が、ぱちんと閉じた。


「……予算は、今もない。城の大工は貸せん。厨房の者が、手の空いた時間にやるなら、止めはしない」


 この石頭。


 予算がないなら、最初からそう言えばいいのに。……いや、言っている。今まさに言っている。言いながら、羊皮紙を出してくれている。


 この人は、石頭の中に、先王陛下の頼みを5年間しまっていたのだ。


「ありがとうございます」


「礼は要らん。規定に定めのないことに、礼の手続きはない」


 石頭。でも、いい石頭だ。


   *


 工事は夜、厨房の仕事がすべて終わってから行われた。


 天井の板を外すと、黒い四角い穴がまっすぐ上へ伸びていた。ランプをかざすと、石組みの壁に、古い滑車の金具が錆びついたまま残っていた。


「生きてる」


 ガストーネさんが金具を指で叩いた。


 錆を落とし、油を差し、新しい綱を通す。滑車に吊るす籠は、マルタさんのパン籠を改造した。底に板を張り、取っ手をつけ、鍋がちょうど1つ入る大きさに。3階の控えの間の塞がれた壁は、給仕頭が外してくれた。


 1回目の試運転。


 籠に水を張った鍋を載せて、ガストーネさんが綱を引いた。籠はするすると上がっていき、2階のあたりで、がくんと止まった。綱が古い滑車の溝から外れたのだ。


 次の瞬間、籠が逆さまになった。


 縦穴の上から、水が滝のように降ってきた。真下にいたティモが、頭から全部かぶった。


「……スープじゃなくて、よかったです」


 ティモは、びしょ濡れのまま帳面を掲げた。帳面だけは守り抜いていた。


 2回目は、綱がよじれて籠がくるくると回り出した。3階に着いたとき、鍋の水は半分になっていた。


「被告人、昇降機。判決、執行猶予」


「機械にまで判決を出すな」


「機械じゃありません。被告人です」


 ルネさんは、返事の代わりにため息をついた。


 ルネさんが縦穴をのぞき込んで言った。


「籠の底に重しをつけたまえ。重心が低ければ回らない。菓子の型を吊るして冷ますときと同じ理屈だ」


 籠の底に、厨房で一番重い鉄の鍋ぶたが取りつけられた。


 3回目。


 ガストーネさんが綱を引く。籠は、まっすぐ静かに上がっていった。


 上から、給仕頭の声が降ってきた。


「届きました! こぼれていません!」


 ティモが砂時計をひっくり返していた。


「地下から3階まで、2分です!」


 12分が、2分になった。


 厨房が沸いた。その夜、ティモは籠の取っ手に小さな木札を結びつけた。


 【陛下のお膳籠】

  乗るべからず

  揺らすべからず

  綱から手を離すべからず


「乗るべからずって。誰が乗るのよ」


「1回乗ってみたいなって思ったので。自分への戒めです」


「乗ったら、どうなるの」


「たぶん、2階で止まって、逆さまになります」


 実験済みのような言い方だった。


   *


 翌朝、ヘルマン様が厨房に下りてきた。


 縦穴を見上げ、籠を見下ろし、ティモの木札を読んだ。


「乗るべからず」


「自分への戒めだそうです」


「……よい心がけだ」


 ヘルマン様は、懐中時計を開いた。籠が3階まで上がって、降りてくるまでを、黙って計った。


「2分」


「はい」


「……先王陛下にも、お見せしたかった」


 小さな声だった。聞き返す前に、ヘルマン様は懐中時計を閉じて、いつもの顔に戻っていた。


「王宮料理規定に、昇降機の定めはない。したがって、禁じる理由もない。ただし、綱が切れたら、毒見役の責任とする」


「なんで私なんですか」


「言い出したのは君だ」


 この石頭。……いや、筋は通っている。筋が通っているのが、余計に腹立たしい。


 ヘルマン様が去ったあと、ガストーネさんは、綱を握った自分の手のひらを見つめていた。赤い跡が残っていた。この綱を、これから1日3回引くことになる。


 手のひらを1回だけ握って、開いた。


「……ん」


 11種類目の「ん」。引き受けた、の「ん」だ。


   *


 昇降機が使えるようになった最初の夜、ガストーネさんは鶏と根菜のスープを作った。


 5年ぶりの、あのスープだった。


 毒見の間で、大鍋から少しだけ取り分けた。


「被告人、鶏と根菜のスープ」


 見る。澄んだ黄金色。脂の粒は小さく少ない。人参の橙色が、ほかの野菜の倍くらい沈んでいる。


 嗅ぐ。鶏と玉ねぎとローリエ。人参の、甘い土の匂い。


 口に入れる。熱い。鶏のスープが舌の上にやさしく広がる。塩は控えめで、野菜の甘みがそのまま生きている。人参を噛むと、ほろりと崩れて甘い汁がにじんだ。


 素朴な味だった。王宮の料理とは思えないくらい、家庭の味だ。前世の実家で、母が作っていた豚汁に、少しだけ似ていた。


「判決。——完全無罪」


 そして、30分。


 大鍋にふたをして、厚い布で何重にも包んだ。脈を測りながら、ずっと布に手を当てていた。布越しの温かさが、少しずつ弱くなっていくのが分かる。


 30分が、長い。


 12年でいちばん長い30分だった。


 時間が来ると、ティモが鍋を抱えて厨房へ走った。籠に載せる。ガストーネさんが綱を引く。


 2分。


 上から、声が降ってきた。


「届きました!」


   *


 私は階段を駆け上がった。


 12分かかる道のりを、7分で上がった。息が切れて、3階の廊下で壁に手をついた。前世の運動不足と今世の運動不足が、合算で私の足を殺しにきていた。


 食堂の扉の隙間から、中をのぞいた。


 ユリウス様の前に、深い器が置かれていた。


 湯気が、かすかに立っていた。


 目を凝らさないと見えないくらいの、細い湯気。でも、確かに。


 ユリウス様は匙を取り、器の中の人参をすくった。口に運ぶ。しばらく噛んで、次の人参。また次の人参。器の中の人参が、1つずつなくなっていく。


 人参がなくなってから、ようやくスープを飲んだ。


 器は、人参でいっぱいではなかった。給仕頭は先王陛下ほど人参を盛らなかったはずだ。それでもユリウス様は、人参から食べた。


 器が空になった。


 ユリウス様は、匙を置いて、扉のほうを見た。


「毒見役。そこにいるのだろう」


 びくりとした。


 扉を開けて入り、頭を下げた。


「……失礼いたしました」


「息が切れている」


「階段を、走りましたので」


 ユリウス様は空の器を見下ろした。


「父上のスープより、ぬるかった」


 分かっていた。私はうなずいた。


「だが」


 ユリウス様は顔を上げた。


「冷めたスープより、温かかった」


 それから、給仕頭のほうへ器を差し出した。


「もう一杯」


 給仕頭の手が、震えた。大鍋のふたを開けて、器にスープをよそう。今度は、人参を器いっぱいに。


 ユリウス様はまた人参から食べ始めた。


   *


 地下に戻ると、厨房の全員が縦穴の下で待っていた。


「どうだった!」


「おかわり、されました」


 一瞬の静寂のあと、厨房が爆発した。ティモがガストーネさんに飛びつき、ガストーネさんはティモを片手で持ち上げた。ルネさんのコック帽が宙を舞った。マルタさんは、なぜか小銭をばらまいていた。何に賭けていたのか、訊くのはやめておいた。


 私は輪の中で少しだけ笑っていた。


 でも、頭の中では、もうひとつの数字を見ていた。


 30分。


 12分は2分になった。それでも陛下は「ぬるかった」と言った。舌を焼くほど熱いスープを、陛下は覚えている。


 あと30分。


 毒見役の30分だけが、まだ、陛下のスープを冷ましている。


   *


 ——同じ頃、3階の寝室では。


「給仕頭。今夜のスープは、何分で届いた」


「厨房から、2分でございます。その前に、毒見の30分が」


「30分」


 少年は寝台の上で膝を抱えた。


「……30分は、変わらないのか」


「規定でございますので」


「そうか」


 少年はしばらく黙っていた。


「毒見役は、その30分、何をしているのだ」


 給仕頭は答えを知らなかった。

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