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毒見役に転生した私、12年間一度も毒に当たらないので、ただの食レポ係だと思われています  作者: 中原九尾
第一部 本日も、毒なし

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11/23

第11話 陛下の好物

 翌朝、朝の毒見を終えたところで、給仕頭が毒見の間に飛び込んできた。


「ミレーユさん、食堂へ。陛下がお呼びです。侍従長も」


 終わった。


 減俸の次は、解任だ。規定違反の常習犯として、城から叩き出される。前世で言えば懲戒解雇。退職金なし。いや、そもそも退職金という制度がこの国にあるのかどうか。


 階段を上がりながら、私は城下の求人を思い浮かべていた。毒見役の経験を活かせる職場。……ない。ひとつもない。


 強いて言えば、酒場の味見係。あるいは、市場の八百屋で、試食の桃をかじる係。どちらも、給金が出る気がしない。


   *


 食堂には、ユリウス様とヘルマン様がいた。


 ユリウス様は、いつもの一番奥の席に座っていた。ヘルマン様は、その前に立っていた。懐中時計を、両手で握りしめて。


「毒見役」


 ユリウス様が言った。


「減俸3か月と聞いた」


「……はい。規定違反です。当然の処分です」


「そうか」


 ユリウス様はヘルマン様のほうを向いた。


「ヘルマン。毒見役の減俸分は、私の菓子代から払え」


 食堂が、しんとなった。


「……陛下。それは」


「規定に、王が自分の菓子代を誰に払うかの定めはあるか」


 ヘルマン様の懐中時計が、止まった。


 ヘルマン様は、目を閉じた。頭の中で、規定集を最初から最後までめくっているのが分かった。第1条から、最後の条まで。


 長い沈黙のあと、ヘルマン様は目を開けた。


「……ございません」


「では、そうせよ」


「……御意」


 私は口を開けたまま立ち尽くしていた。


 規定の穴を突いた。陛下が。13歳の陛下が、あの石頭の侍従長から、規定の穴で一本取った。


 この城の穴探し病は、ついに王族にまで感染したらしい。感染源は、たぶん私だ。


「毒見役」


「は、はい」


「昨日の問いの答えは、分かったか」


 ——私は、何が好きなのだろうな。


「……まだです。ですが、調べます」


「調べられるのか」


「毒見役ですから。陛下のお口に入ったものは、全部記録してあります」


 ユリウス様は少しだけ目を見開いた。


「では、調べよ」


   *


 毒見の間の奥の棚には、12年分の記録帳が並んでいる。1冊に3か月分。12年で48冊。一番古い1冊は背表紙の文字が読めない。


 そのうち、右から20冊。ユリウス様が即位されてからの5年分。


 その夜、全部を机に積み上げた。机が、みしりと鳴った。


 前世で、監査の前夜に3年分の記録を一晩で読んだことがある。翌朝、目が開かなかった。今夜は5年分だ。明日の朝は、たぶん目が開かないどころか、目がどこにあるのか分からなくなる。


 ページをめくる。


 【毒見記録】

  日付:秋の月、3日 朝食

  白パン:無罪

  ベーコン:無罪

  茹で卵:無罪

  ハーブティー:無罪

  所見:異常なし


 献立と判決。それだけだ。


 記録帳は毒見の記録で、陛下が何を召し上がったかは書いていない。余白の書き込みを始めたのは、ついこのあいだのことだ。前世の品質保証部なら、「記録項目の設計不備」で指摘を受ける。自分で自分に是正処置を出したい。


 それでもページをめくる手は止まらなかった。


 献立の行を指でなぞると、その日の味が舌の上によみがえる。この白パンは焼きが浅かった。このベーコンは塩が強かった。


 毒見役の舌は、覚えている。


 でも、下げられてきた皿の中身までは、私ひとりでは覚えきれない。


   *


 翌日の午後、20冊を抱えて厨房に下りた。


「……何、その山」


「陛下の5年分の献立です。皆さんに、手伝ってほしいんです。陛下が何をお残しになって、何を召し上がったか」


 ティモが勢いよく手を挙げた。


「皿を洗うのは、ぼくの仕事です! 陛下のお皿は分けて洗う決まりなので、3年分、全部見てます!」


「全部?」


「全部です。帳面にも書いてます」


 ティモが広げた帳面には、私の独り言の名言集に混ざって、陛下の食べ残しの記録がびっしり書き込まれていた。


「……あなた、何でも書き留めるのね」


「書かないと、忘れちゃうので」


 この少年の記録癖を、今日だけは褒めたい。今日だけは。


 ガストーネさんが作業台の端に腰を下ろした。ルネさんが長い指を組んだ。マルタさんが小銭を数える手を止めた。給仕頭が、打ち合わせのついでに顔を出して、そのまま残った。


 私が献立を読み上げ、みんなが記憶を持ち寄った。


 持ち寄りながら、マルタさんは、いつのまにか黒板に何か書いていた。


 【本日の賭け】

  陛下の好物:肉料理 2倍

  陛下の好物:パン 3倍

  陛下の好物:菓子 50倍


「マルタ女史!」


 ルネさんが、大理石の台を叩いた。


「統計よ。帳面、見たでしょ」


 ルネさんは、何か言い返そうとして、口をつぐんだ。自分の菓子が手つかずで戻ってくるのを、一番よく知っているのはルネさん自身だった。黙ったまま、菓子の欄に銅貨を1枚置いた。


 芸術家の意地だった。


   *


 日が傾く頃には、作業台に帳面が5冊並んでいた。


「手つかず、が多いのは」


 ルネさんが帳面を指でなぞった。


「……私の菓子だ」


 誰も何も言わなかった。


「プリンの日までは、ね」


 マルタさんが言うと、ルネさんの口の端が少しだけ上がった。棚の上の「陛下の判決 完全無罪」の厚紙が、ちらりと視界の端に入った。斜めに立てかけてあった。


 私は帳面を読み返した。


 白パン、半分。ベーコン、1枚。オムレツ、半分。肉料理、2口か3口。スープ、半分。菓子、手つかず。


 どれも同じだった。何をお出ししても、同じように少しだけ召し上がって、残される。好き嫌いの差がない。


 嫌いなものがないのではない。


 たぶん、好きなものもないのだ。


「……全部、同じですね」


 ティモがしょんぼりと言った。


「待って」


 私は2つの行を指さした。


「ハーブティー。5年間、毎朝、空」


「それから、温野菜。人参だけは、毎回なくなってる」


 全員が帳面をのぞき込んだ。


「ハーブティーは」


 給仕頭がおずおずと言った。


「食堂の脇の小部屋でお湯を沸かして、その場で淹れてお出ししています。茶葉だけを毒見役に確かめていただいて」


「……じゃあ、ハーブティーだけは」


「はい。陛下のお口に入るもので、淹れたての熱いものは、ハーブティーだけです」


 厨房が、しんとした。


 5年間毎朝空になっていたのは、陛下の食卓で唯一の、温かい飲み物だった。


 では、人参は。


 そのとき、作業台の端で、低い声がした。


「……根菜のスープ」


 ガストーネさんだった。


 全員が振り向いた。料理長は、自分の大きな手を見下ろしていた。


「先王陛下が、毎週、頼まれた」


 ぽつり、ぽつりと話した。料理長がこんなに長くしゃべるのを、12年で2回目に聞いた。


 先王陛下は、週に一度、必ず鶏と根菜のスープを所望された。玉ねぎと、じゃがいもと、人参を、鶏の骨のスープでことことと煮たもの。王宮の料理としては、素朴すぎるほどの一品だった。


「ある日、使いが来た」


 ガストーネさんは少しだけ目を細めた。


「人参を多めに入れてくれ、と。……息子が、人参が好きでな、と」


   *


 記録帳を、さかのぼった。


 右から21冊目から先。先王陛下の時代の7年分。毒見役になりたての頃の、角張った私の字。


 あった。


 【毒見記録】

  日付:冬の月、8日 夕食

  鶏と根菜のスープ:毒なし

   (先王陛下のご要望により、人参多め)

  仔牛の煮込み:毒なし

  所見:異常なし


 当時はまだ、記録に判決を書く習慣がなかった。アデライデさんに教わった口上を、記録帳にまで持ちこむようになったのは、もっと後だ。


 毎週。鶏と根菜のスープ。人参多め。


 先王陛下が亡くなられる、前の週まで。


 それから先の記録帳には、一度も出てこなかった。


「……作らなくなったんですか」


「頼まれなくなった」


 ガストーネさんは短く答えた。


「頼まれないものは、作らない。王宮の料理は、そういうものだ」


 スープを頼む人がいなくなった。8歳の子供は、自分から料理を頼むことを知らなかった。誰も、何が食べたいかを訊かなかった。


「先王陛下は、スープだけは大鍋ごと食堂に運ばせて、ご自分で取り分けておられました」


 給仕頭が懐かしそうに言った。


「冬の間は、食堂の暖炉に鍋をかけ直して。狩りの野営と同じだと、笑っておいででした。……亡くなられてから、暖炉で料理を温め直すことは規定で禁じられました。料理人でない者が、陛下の料理を火にかけてはならない、と」


 陛下の好物は、人参ではなかった。


 父親が自分の器に取り分けてくれた、人参のたくさん入った、温かいスープだった。


   *


 その夜、給仕の手が「たまたま」足りなかったので、私は夕食の盆を持って食堂に上がった。


「毒見役。分かったか」


「陛下は、鶏と根菜のスープを覚えておいでですか。先王陛下が毎週ご所望になった。人参を多めに、と」


 ユリウス様の手が、止まった。


 長いこと、黙っていた。


「……父上が、取り分けてくださった」


 小さな声だった。


「人参ばかり入れるので、私はいつも人参から食べた。そうしないと、器がいっぱいでスープが飲めなかった」


「はい」


「あれは、熱かった。舌を焼いた。父上が、笑っておられた」


 ヘルマン様が、懐中時計を握ったまま、床を見ていた。


「毒見役。あのスープを、また食べられるか」


 作ることはできる。ガストーネさんは覚えている。


 でも、熱いままお出しすることは、今はできない。42分。暖炉は規定で使えない。


 ユリウス様が覚えているのは、舌を焼くほど熱いスープだ。


 陛下には、嘘をつかない。


「……作ることは、できます。でも、熱いままお届けすることは、今は、できません」


 ユリウス様は、少しだけ目を見開いた。それから、小さくうなずいた。


「そうか」


 冷めたポタージュの夜と、同じ言葉だった。


 でも、今は、と私は言った。今は、だ。


   *


 地下に戻ると、厨房の灯りがまだついていた。


 ガストーネさんがひとりで、作業台の前に立っていた。台の上に、人参が山のように積まれていた。


「……聞いてたんですか」


「給仕頭から」


 ガストーネさんは、人参を1本取って皮をむき始めた。


「作る」


「でも、熱いままは」


「それは、お前が考えろ」


 包丁の音が、夜の厨房に響いた。


「俺は、作る。5年分、作っていなかったからな」


 ティモが、再現表の板の一番下に書き足した。


  (番外)鶏と根菜のスープ:陛下の好物 人参多め

   課題:熱いまま、届ける


 「課題」の下に、線が2本引かれた。


   *


 ——同じ夜、侍従長の執務室では。


 ヘルマンは、背後の棚の奥から、筒状に巻かれた古い羊皮紙を1本取り出した。


 城の断面図だった。地下の井戸から、まっすぐ上に伸びる1本の線。3階の、ある部屋で止まっている。


「……先王陛下」


 ヘルマンは羊皮紙を撫でた。


「あのとき私は、予算がないとお答えしました」


 懐中時計を開く。夜の10時を回っていた。


 ヘルマンは羊皮紙を机の上に広げたまま、明かりを消さずに執務室を出た。

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