第十五話 石切り場の小さな炉
勝利の翌朝、村は静かだった。
昨夜の宴の熱は、まだ炉の周囲に少し残っている。
空になった鍋。
骨の器。
誰かが置き忘れた杯。
酒の匂いと、肉を焼いた匂いが、冷たい空気の中にかすかに漂っていた。
だが、夜が明ければ、勝利はすぐに現実へ戻る。
西門前の黒石の防壁には、大きな亀裂が走っていた。
霜牙軍の氷槍が突き刺さった跡。
バルガンが敵を叩きつけた凹み。
フルカスが防衛線を維持するために、無理やり積み直した石組み。
昨日は、それで持った。
だが、次も持つとは限らない。
ヴェスパーは防壁の前に立ち、腕を組んでいた。
「……勝ったなら、直さなきゃならねぇ」
呟いた声は、白い息にもならず、冷たい朝の空気に溶けた。
村は守れた。
炉も守った。
救護所も守った。
赤い帰還柱も、避難してきた悪魔たちも、なんとか守りきった。
だが、無傷ではない。
西門前の防壁は割れている。
帰還柱は一部が砕け、赤い光がわずかに乱れている。
見張り台の床板には、試作狙撃筒の反動で走った亀裂があった。
救護所は、まだ仮設のままだ。
熱結界装置の支柱も歪んでいる。
狙撃筒の改修にも、黒石と黒鉄が必要だった。
つまり。
「王様、修理一覧です!」
背後から、元気な声がした。
ヴェスパーは振り返らずに言った。
「一覧にするな。見たくねぇ」
「見なければ直りません!」
「正論が一番むかつくな」
アガレスは、両手で抱えた記録板を胸に押し当てながら、ぱたぱたと近づいてきた。
その後ろには、ザグとメルツがいる。
どちらも昨夜の宴の空気など欠片も残さず、すでに現場の顔をしていた。
「王様、まず防壁補修です。次に帰還柱の台座、救護所の床と壁、見張り台の補強、狙撃筒の台座補修、熱結界装置の柱、排管の土台、それからそり道の目印も必要です!」
「やめろ。増えるな」
「増えております!」
「知ってるから嫌なんだよ」
ヴェスパーは額を押さえた。
ザグが、いつものように短く言う。
「石が足りない」
「分かりやすく最悪な報告だな」
「足りない」
「二回言うな。分かってる」
メルツが腕を組んだ。
「黒石材も、普通の石材も足りねえ。今ある分を全部使っても、防壁を元通りにするだけでほとんど消える。帰還柱と結界装置まで回せねえな」
「狙撃筒の台座も?」
「無理だな。あれ、反動を舐めすぎだ。次撃ったら、見張り台ごと泣くぞ」
「現場が泣く前に直すしかねぇか」
ヴェスパーは割れた防壁を見上げた。
勝った。
けれど、勝ったせいで必要なものが増えた。
守る場所ができる。
守るための道具が増える。
道具を支える設備がいる。
設備を支える材料がいる。
生活は、一つ作ると十個足りなくなる。
「石がいるな」
ヴェスパーが言うと、ザグが頷いた。
「切ればある」
「南か」
「南だ」
短い。
だが、それだけで話は決まった。
南の石切り場。
これまでも石材を切り出してはいた。
そりで運び、村で加工し、防壁や柱や土台に使ってきた。
だが、それはまだ採石場所として使っていただけだ。
寒さをしのぐ場所は弱い。
道具置き場は遠い。
石材の仮置き場も雑。
作業員は手足が冷えるたびに村へ戻る。
移動と休憩ばかりが増え、肝心の石切りが進まない。
昨日の戦いで、はっきりした。
この村は、もうその場しのぎでは保たない。
「石切り場を見に行く」
ヴェスパーが言った。
アガレスが顔を輝かせる。
「視察ですね!」
「現場確認だ」
「王様の視察です!」
「言い方だけ立派にするな」
同行したのは、ヴェスパー、アガレス、ザグ、メルツ、バルガン、ハボリム、ラゴ、グレル、そしてモルクだった。
そりには黒石の枠材、黒鉄の継ぎ手、骨管、工具、予備の結界柱が積まれている。
バルガンはそのそりを引きながら、やたらと胸を張っていた。
「王! この程度の荷なら、俺一人で運べるぞ!」
「そりの存在意義を奪うな」
「ならば、そりごと俺が運ぶ!」
「さらに悪化させるな」
モルクが冷静にそりの滑り具合を見ていた。
「この道は、まだ細いです。重くすると横へ流れます」
「聞いたか、バルガン。そりにも都合がある」
「そりにもか!」
「あるんだよ」
ラゴは風を読みながら、南へ続く氷原を見ていた。
「今日は風が少し重い。南側の岩場で巻いている」
グレルは鼻を動かす。
「昨日の霜牙軍の匂いは薄いです。けれど、魔物はいます」
「どこにでもいるな、あいつら」
「地獄ですので」
「便利な言葉だな、本当に」
南の石切り場は、黒い岩稜の手前にある。
氷に半分埋もれた岩盤を切り出し、使える形に割っていく場所だ。
以前よりは道ができている。
帰還柱や目印も立ち始めている。
だが、現場として見ると、ひどいものだった。
足場が悪い。
切り出した石材が、作業動線を塞いでいる。
道具置き場は離れすぎていて、取りに行くだけで体が冷える。
そりの向きを変える場所は狭く、何度も切り返さなければならない。
排管の熱は途中で逃げ、石切り場に届くころには弱い。
作業員は手を温めるために、何度も村へ戻っていた。
ヴェスパーは石切り場に着くなり、顔をしかめた。
「足場が悪い」
アガレスが記録板を構える。
「はい!」
「道具置き場が遠い」
「はい!」
「石材の仮置きが動線を塞いでる」
「はい!」
「そりの向きを変える場所が狭い」
「はい!」
ヴェスパーは、氷に削られた足場と、雑に積まれた石材と、遠すぎる道具置き場を順に見た。
「これじゃあ、そのうち事故しか起きないな」
アガレスが真剣な顔で首を傾げる。
「事故、ですか?」
「ああ。石に足を取られる。道具を取りに行く間に手が凍る。そりを回そうとして荷が崩れる。誰かが怪我してから直すのは遅い」
アガレスは、はっとした顔で記録板に書き込んだ。
「怪我をする前に、配置を直す……!」
「そうだ。現場は根性で回すな。先に危ない場所を潰せ」
「王様、現場指揮です!」
「ただの事故防止だ」
ザグは石の割れ目を見ていた。
黒い指で岩肌を撫で、耳を近づける。
「石は悪くない」
「石の機嫌みたいに言うな」
「寒い」
「それはみんなそうだ」
「石も寒い」
「石にまで同情する余裕はない」
メルツは道具置き場を見て、腕を組んだ。
「これじゃ作業にならねえな。手が冷える。道具も凍る。石は硬くなる。そりも回らねえ」
「つまり全部ダメか」
「全部ではない。石はある」
「そこだけ救いだな」
ラゴが岩陰に立ち、風の流れを確かめた。
「ここは風が巻く」
「炉を置くには?」
「悪いです。風が入りすぎます」
ヴェスパーは岩陰と氷の裂け目、それから炉を置く予定だった場所を順に見た。
「風が入り込みすぎたら、火柱になるぞ」
アガレスが目を丸くする。
「火柱、ですか?」
「ああ。炉は火を強くすりゃいいってもんじゃない。空気が入りすぎれば燃えすぎる。熱が暴れて、石も管も割れる」
ハボリムが、ゆっくりとうなずいた。
「火は、息を吸いすぎると暴れるのう」
「そういうことだ。だから、風を真正面から食わせるな。炉はあっちの岩陰に寄せる。吸気口は小さく、排煙口は上に逃がす」
アガレスが慌てて記録板に書き込む。
「炉は、息を吸わせすぎない……!」
「そうだ。火は生かす。暴れさせるな」
ヴェスパーはしばらく黙って石切り場を見回した。
ここを、ただの採石場所として使うのは無理だ。
村はこれから、もっと石を使う。
防壁を直す。
帰還柱を増やす。
結界柱を立てる。
排管を支える。
見張り台を補強する。
狙撃筒の台座もいる。
そのたびに、作業員が凍えながら石を切り、村へ戻り、また来る。
非効率すぎる。
「石切り場に小さい炉を置く」
ヴェスパーが言った。
アガレスがぱっと顔を上げる。
「炉の増設ですね!」
「村の心臓を増やすわけじゃない。現場用の小型炉だ」
「作業炉一号では?」
「一号を付けるな」
「なぜですか?」
「二号が必要になるだろ」
「必要になるのでは?」
「言うな」
ハボリムが、そりの荷台から黒石の塊を持ち上げる。
「火はよいのう。遠くでも、火はよい」
「焦がすなよ」
「石は焦げるかのう」
「焦げる前に割れる」
「それは困るのう」
「困るから言ってる」
南作業炉。
最終的に、アガレスの記録板にはそう書かれた。
村の灼熱炉核ほどの力はない。
新しい炉核を作るわけでもない。
村の炉から排管で熱を引き、黒石にその熱を馴染ませ、黒鉄の枠で逃がさないようにする。
骨管と接続し、作業員が手足を温められるようにする。
石を切る前に少し温め、割りやすくする。
道具置き場と石材仮置き場、そり積み場の近くに置く。
それだけだ。
だが、その「それだけ」が現場では大きい。
「ここに置く」
ヴェスパーは岩陰を指した。
「風が真正面から入らない。そり積み場にも近い。道具置き場をこっちへ移す。石材の仮置きは向こうだ。そりを回す場所は広げる」
メルツが頷く。
「炉の背に黒石を積む。横に道具棚を置けば、凍りにくい」
ザグが岩肌を叩く。
「ここは削れる」
「広げられるか」
「広げる」
バルガンが拳を鳴らした。
「俺が砕く!」
「砕くな。整えろ」
「整えて砕く!」
「砕くから離れろ」
作業が始まった。
まず、炉の土台を作る。
黒石を並べ、隙間に砕いた石粉を詰める。
その上に黒鉄の枠を置き、骨管の接続口を作る。
吸気口は正面に開けすぎない。
排煙口は高く伸ばし、風が逆流しにくいように角度をつける。
炉の背面には小型の結界柱を立てる。
これは第十三話で使った結界装置の応用だ。
防衛用ではない。
保温用。
ヴェスパーは結界柱の位置を調整しながら言った。
「村の結界装置をそのまま持ってくるわけにはいかない。範囲が広すぎる」
「では、用途変更ですね!」
「ああ。防衛じゃない。保温用だ」
石切り場全体を覆う必要はない。
そんなことをすれば、薄くなる。
熱が逃げる。
守りたい場所が守れない。
「全部囲うな。欲張ると全部冷える」
ヴェスパーは地面に線を引く。
「まずは作業員が立つ場所、道具を置く場所、石を積む場所だけだ」
「南作業炉、道具置き場、石材仮置き場、そり積み場、作業員の暖所ですね!」
「そうだ」
「敵は防げません!」
「防がなくていい。これは敵用じゃない。寒さ用だ」
アガレスは大きく頷き、記録した。
簡易保温結界。
効果は小さい。
吹雪を少し弱める。
冷気の流入を抑える。
炉の熱を逃がしにくくする。
石材の再凍結を遅らせる。
作業員の消耗を減らす。
それだけ。
だが、ここではそれで十分だった。
次に排管を見直す。
村から石切り場へ伸びていた骨管は、ところどころ曲がり、継ぎ目も甘かった。
地面に直接置かれた部分は氷で冷え、熱を奪われている。
ヴェスパーは管の上に手をかざし、顔をしかめた。
「逃げてるな」
アガレスが首を傾げる。
「熱がですか?」
「そうだ。途中で食われてる」
「氷に?」
「氷に。風に。継ぎ目に。曲がりにもだ」
ヴェスパーは骨管を指でなぞる。
「送りっぱなしにするな。戻せる熱は戻す」
「熱循環ですね!」
「そうだ。炉も人手も熱も、無限じゃない」
やることは多かった。
村の炉から石切り場へ熱を送る送り管。
石切り場で冷えた熱を戻す戻り管。
継ぎ目を黒石と黒鉄で補強する。
曲がりを減らす。
排管の下に石台を置く。
溶け水が溜まらないように排水溝を掘る。
途中に小さな熱溜まりを作る。
帰還柱や目印と並行させる。
モルクがそり道の幅を見ながら言った。
「管と道は、近い方がいいです。目印にもなります」
「そりがぶつからない距離は?」
「これくらい」
「なら、ここを南道にする前提で並べる」
ラゴが風を読む。
「この窪みは風が弱い。管の熱も残りやすい」
「なら熱溜まりはそこだ」
グレルが鼻を動かす。
「この先、魔物の匂いが薄いです。今のところは」
「今のところ、か」
「はい」
「なら、作業中の護衛は残す」
狩猟番が数名、周囲に散った。
フルカスはいない。
村側の防衛と補修を見ている。
ヴェスパーがすべてに出るわけにはいかない。
そういう段階に、少しずつ入っていた。
骨管がつながる。
黒石の台に乗せられた送り管が、村から石切り場へ向かって伸びる。
戻り管が、それに沿って村へ戻る。
ハボリムが南作業炉の前に立つ。
「火を入れるかのう」
「入れろ。ただし、ゆっくりだ」
「ゆっくり燃える火も、よいのう」
「急にまともなことを言ったな」
ハボリムの指先に、赤い火が灯る。
村の炉から届いた熱が、骨管を通って南作業炉の黒石へ入った。
黒石が鈍く赤みを帯びる。
黒鉄の枠がきしむ。
炉の内側で、低い唸り声のような音がした。
ごう、と。
強くはない。
だが、確かに火が入った。
南作業炉が、石切り場の岩陰で息をし始めた。
アガレスが両手を上げる。
「王様! 南作業炉、起動しました!」
「起動って言うと変な機械みたいだな」
「炉も仕組みですので!」
「それはそうだ」
炉の周囲に、じわりと熱が広がった。
作業員たちが手をかざす。
「温かい」
「ここで手が戻る」
「村まで戻らなくていいのか」
メルツが道具を炉の近くへ置く。
「刃が凍りにくいな。これなら研ぎ直しもここでできる」
ザグが切りかけの石を炉の近くへ運び、しばらく置いてから岩割りの楔を打った。
かん、と音がした。
そして、石が素直に割れた。
ザグの目が少しだけ開く。
「石が切れる」
「そりゃ石切り場だからな」
「前より、石が聞く」
「石が言うことを聞くみたいに言うな」
「聞く」
「そうかよ」
そのとき、アガレスが南作業炉の向こう側を指差した。
「王様、見てください!」
排管の周囲だった。
送り管と戻り管を通した場所だけ、氷がじわじわ溶け始めている。
骨管の下の氷が薄くなり、黒い地面が細く顔を出していた。
溶けた水は、脇に掘った排水溝へ流れていく。
そりが何度も通る。
雪と氷が踏み固められる。
村から石切り場まで、細い黒い線ができていた。
「王様、道ができています!」
「作ったというより、溶けたな」
モルクがしゃがみ込み、地面を確かめる。
「そりが通れます。滑りすぎません。沈みません」
ラゴも頷く。
「ここは風が弱い。氷も戻りにくい」
ヴェスパーは、村へ続く細い黒い線を見た。
炉から伸びた熱。
管の周囲だけ溶けた氷。
何度もそりが通り、踏み固められた道。
火が通ったことで、道ができた。
「なら、ここを南道にする」
アガレスが記録板に大きく書いた。
南道。
村と石切り場をつなぐ、最初の黒い道。
それは道と呼ぶにはまだ細く、頼りなかった。
吹雪が来れば埋もれる。
管が止まれば凍る。
そりが通らなければ、また氷に呑まれる。
だが、確かにそこにある。
ヴェスパーは、南作業炉を振り返った。
黒石の炉。
簡易保温結界。
道具置き場。
石材仮置き場。
そり積み場。
排水溝。
送り管と戻り管。
作業員の暖所。
村とつながる南道。
ここはもう、ただの石切り場ではない。
「王様!」
アガレスが胸を張った。
「石切り場が、南作業区になりました!」
「勝手に区にするな」
「でも、今までは寒い石のある場所でした!」
「言い方はひどいが間違ってない」
メルツが笑う。
「南作業区。悪くねえな」
「お前まで乗るな」
ザグが石を撫でながら言う。
「南作業区」
「気に入ったのか」
「石が切れる場所」
「結局そこなんだな」
ヴェスパーはため息を吐いた。
「まあ、分かりやすいからいいか」
南作業区。
そう呼ばれることになった。
だが、ヴェスパーはそこで終わらせるつもりはなかった。
石切り場が安定した。
作業炉がある。
保温結界がある。
村へ戻る道がある。
そりも通れる。
なら、ここは終点ではない。
「ここを終点にするな」
ヴェスパーが言うと、アガレスが首を傾げた。
「終点ではないのですか?」
「拠点だ。ここからさらに南を調べる」
ザグが南の黒い岩稜を見る。
「南は岩が多い」
「なら、余計に見ろ。石切り場がここにあるなら、奥にも何かあるかもしれない」
グレルが低く言う。
「魔物の匂いも混じっています」
ラゴも南を見る。
「風が重い。地面の匂いが違う」
「無理はするな。目的は発見だ。戦闘じゃない」
ヴェスパーは南下探索隊を決めた。
グレルは、魔物や敵の匂いを見る。
ラゴは、風、地面、氷の状態を見る。
ザグは、石質や鉱脈跡、採掘跡を見る。
モルクは、そり道と搬送可能なルートを見る。
狩猟番数名が護衛につく。
必要なら、バルガンが重いものを運ぶ。
ただし、バルガンには釘を刺した。
「暴走するな」
「俺は暴走などしない!」
「その返事がもう危ない」
「敵が出たら?」
「逃げろ」
「逃げるのか!」
「目的は発見だ。戦闘じゃないと言っただろ」
「なら、敵を発見したら殴るのでは?」
「戻って報告しろ」
バルガンはしばらく考え込んだ。
「報告してから殴るのか?」
「殴るな」
アガレスがにこにこと言う。
「王様、委任ですね!」
「言い方が急に偉いな」
「王様が毎回先頭に出ていては、村が止まりますので!」
「それはそうだ」
ヴェスパーは南の岩稜を見た。
行きたい気持ちはある。
自分の目で見たい。
何があるのか確かめたい。
この第九圏の構造を、少しでも知りたい。
だが、村では防壁の補修が進んでいる。
結界装置の調整もある。
排管の戻りも見なければならない。
南作業区も、動き始めたばかりだ。
王が毎回先頭に出れば、後ろが止まる。
それは、もうできない。
「俺が毎回出たら、村が止まる。お前らが見てこい」
バルガンが歯を見せて笑った。
「任された!」
「頼むから、任された仕事を間違えるな」
「発見!」
「そうだ」
「報告!」
「そうだ」
「殴らない!」
「一番大事だ」
南作業区が動き始めてから、数日が過ぎた。
石は安定して切り出されるようになった。
防壁の補修が進む。
救護所の床に黒石材が敷かれる。
見張り台には、補強用の柱が運ばれる。
帰還柱の台座も直されていく。
狙撃筒の台座は、メルツが文句を言いながらも作り直した。
「次撃っても、台だけは泣かねえ」
「俺の肩は?」
「知らねえ」
「そこも考えろ」
「王様の肩は、王様の管轄だ」
「管轄分けが雑だな」
そりは南道を何度も往復した。
排管の周囲の氷は、少しずつ薄くなっていく。
戻り管からは、かすかな熱が村へ返ってくる。
途中の熱溜まりでは、作業員たちが短く手を温めるようになった。
南作業炉は、低く唸り続けた。
保温結界の内側で、悪魔たちは石を切った。
以前より長く作業できる。
道具も凍りにくい。
石も割れやすい。
その間、南下探索隊は少しずつ範囲を広げた。
最初は、石切り場のすぐ南。
次に、黒い岩稜の手前。
さらに、岩と氷が複雑に重なる窪地。
無理はしない。
魔物の匂いが濃い場所では引き返す。
風が悪い日は進まない。
そりが通れない場所は、モルクが印をつける。
ザグは、岩肌を見ては短く何かを呟いていた。
そして、その日の夕方。
南から、そりが戻ってきた。
先頭はグレルだった。
低く身を伏せるように歩き、何度も背後を確かめている。
ラゴが風を読みながら続く。
モルクはそりを慎重に引いていた。
ザグは、胸に黒い欠片を抱えていた。
ヴェスパーは村の南門近くで作業を見ていた。
戻ってきた探索隊を見て、すぐに顔を上げる。
「どうした」
ザグが、ヴェスパーの前にそれを置いた。
黒い欠片だった。
だが、黒石ではない。
黒鉄とも違う。
表面には、細い筋が走っている。
黒の奥に、赤とも金ともつかない鈍い光が閉じ込められていた。
触れる前から、妙な気配がある。
冷たい。
けれど、完全には冷えきっていない。
ヴェスパーはそれを拾い上げた。
指先に、古い熱のようなものが残った。
「……なんだ、これ」
アガレスが横から覗き込み、息を呑んだ。
「これは……鉱脈の跡です」
周囲の空気が、わずかに変わった。
メルツが近づいてくる。
「黒鉄か?」
「違います」
アガレスは欠片を見つめたまま答える。
「黒鉄に似ていますが、魔力の通り方が違います。これは、地中を流れていた熱と魔力が、長い時間をかけて石に残した痕跡です」
ヴェスパーは黒い欠片を見下ろした。
「場所は」
ラゴが南を指した。
「石切り場から、さらに南。黒い岩稜の奥です」
グレルが低く言う。
「魔物の匂いもあります。けれど、古い道の匂いもしました」
「古い道?」
「誰かが、昔そこを通っていました」
ザグが頷く。
「岩が切られている」
「自然じゃないのか」
「違う。昔、掘った」
アガレスが記録板を抱え直した。
「王様。南方に、旧採掘路が存在する可能性があります」
旧採掘路。
その言葉は、ヴェスパーの頭の中で重く響いた。
石切り場。
南作業区。
排管。
南道。
その先にある、古い採掘路。
必要なものが、次々に頭へ並ぶ。
防壁。
狙撃筒。
黒鉄。
排管。
結界装置。
そり。
炉。
工具。
村の修理。
どれも足りない。
何もかも足りない。
だが、足りないもののいくつかが、南の闇に眠っているかもしれない。
「石切り場だけじゃ済まねぇな」
ヴェスパーは小さく息を吐いた。
アガレスが、どこか嬉しそうに言う。
「鉱山ですね、王様!」
「ああ」
ヴェスパーは、黒い欠片を握り直した。
「次は、鉱山か」
南の白い闇の向こうで、黒い岩稜が沈黙していた。
村と石切り場をつなぐ南道の先で、低く、古い地獄の腹が口を開けようとしている。
火は道を作った。
道は、次の現場へ続いていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
もし面白いと感じていただけたら、
ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします。




