09. 貴方たちのことを教えて
「本当にすまない⋯⋯アリメル」
ライアンが申し訳なさそうに深々と私に頭を下げ、「別に貴方に謝られても⋯⋯」と私は少々ライアンのことが気の毒になりながらそうぼやいた。
レティシアさんがその場を去った後、ライアンは「今、いいか」と私を連れ出した。
人気のない川の近くまで来たとき、その場で振り向いて彼は冒頭の台詞を口にしたのだ。
「⋯⋯レティシアさんの気持ちには気付いてるわけ?」
つっけんどんにそう言い放つと、ライアンは予想通り「ああ」と素直に頷いて、少しばかり困ったような表情を浮かべた。
「レティシアが俺なんかを想ってくれているのは知ってる⋯⋯ずっと、俺を心配してくれていることも。
けれど、俺は彼女の気持ちに応えるつもりはないし、応えられない。俺にはこの一生をかけて愛したいと思う人が⋯⋯既にいるから」
───そんな風に私を見て切なそうに言わないでよ。そう思った。
馬鹿みたい。報われないと分かっていて、私を愛したままのライアン。
どうしてそんなに私に執着するの。幼い頃のアリメルを私に夢見ているの。
ねえライアン。ほかの幸せを掴む権利が、あなたにはある筈よ。
「なんで」
「うん?」
ライアンが微笑む。
変わらない、その表情。ライアンが私にだけするその甘くとろけたような顔。
「なんで、まだ私のことが好きなの?」
ライアンの表情が途端に驚愕に歪む。
一瞬口を閉じてから、「アリメル」とまるで私を咎めるように言った。
「どうして君をまだ好きか、だって? そんな馬鹿げた質問があるかな」
「馬鹿げてなんかないわよ。単純な疑問、どうして、10年も経ったのに」
───わたしはあの頃のかわいいアリメルとは違うのに。
そう言いかけた途端、耳に飛び込んできたライアンの強い言葉に思わず口を噤んだ。
「10年だって? 君は今だって俺の大好きなアリメルだ」
ライアンのサファイアのような瞳が、真っ直ぐに私を向いていた。目を離せない。
頬が熱くなるのを感じた。内側からじんわりと火が灯ったみたいに、肌の奥がほのかに疼く。
静かに夜風が吹いている。
「アリメル。この村に帰ってきてから⋯⋯ずっとだ。ずっと、何度も何度も君と話せる度に、嬉しくてたまらない。ずっと君を見ていたいって思う。
そりゃあ、あの頃と違う君もいる。けどそんな新しい君の一面を知る度に、俺はずっと幸せになれるんだ。あの日、世界を救えて、君を守れて良かったと⋯⋯心から思える。
この気持ちだけは疑わないで欲しい。他でもない君にだけは、疑われたくないんだ」
もういい。もういいわよ、分かったから。
この男、ライアンというどうしようもない男は、本当に私のことが好きなのだ。あの頃のアリメルじゃない、今ここにいる私のことが。
それに気が付いてしまったとき、どうすることも出来ずに呆然と立ち尽くしてしまった。
ねえライアン。貴方は10年私を想い続けてくれたけど。
私は、そんな風に、貴方を一途に想うことは出来なかった。
「⋯⋯ごめん、人妻の君にこんな風に言うのはだめだよな。⋯⋯アリメル⋯⋯?」
彼が気遣わし気に私の名を呼ぶ。
その声も、表情も。あの頃と何一つ変わっていない。
「⋯⋯いいえ。なんでもないわ」
私は息をつき、空気を変えるように「ねえライアン」と再度口を開いた。
「レティシアさんと話したいことがあるの」
□
ざくり。草を踏みしめた音で、彼女は私が来たと分かったみたいだった。
人気のない、村の中にある小さな森。
ここは木々が空を覆っているので、月明かりが差し込まず、日中もずっと暗いままだ。
先程までの甲高い怒声を張り上げ、感情のままに言葉を叩きつける彼女はどこにもいない。
意気消沈した様子で、どこか虚ろな目で私を見つめていた。
「⋯⋯あなたにとったらいい気味でしょう。ライアンに守ってもらえるんだものね」
その言葉に一瞬カチンと来たけれど、レティシアさんの声には覇気がなく、私は怒りを収めた。
嫌味なんかじゃない。きっと心からそう言っているのだ。
「わたしは⋯⋯わたしは、あなたに危害を加えようだなんて⋯⋯そんなこと、する筈もないのに」
⋯⋯なるほど。彼女は別に私を攻撃しようとしたわけではなかったのか。
けれどあの形相じゃ、私含め、周りに勘違いされてもおかしくない。
彼女の言葉の節々に、ライアンに信じて貰えなかった悲しみのようなものを感じた。
「レティシアさん」
彼女は首だけをこちらに向ける。
思わず息を吸い込んだ。
「私はライアンと結婚するつもりはない⋯⋯それだけは、理解して欲しい」
レティシアさんはもう何も言わなかった。
ただ項垂れて、光のない瞳で私をじっと見つめている。
⋯⋯思えば、彼女も彼女なりに、ライアンの幸せを願っているのだろうと感じた。
レティシアさんは私に「ライアンとの結婚を諦めて」などと迫ったことがない。
「どうしてライアンと結婚しないのか」と、そればかり私に尋ねていたのだ。
自分がライアンのことを好きでも、選んでもらえなくても、ライアンが想い人と結ばれて幸せになれるのならそれで良かった。
レティシアさんは、まあその気性の荒さが多少難ありであるものの、蓋を開けてみればなんともいじらしい女の子だった。
「レティシアさん。ライアンがこれまでどんな旅をしてきたのか⋯⋯貴方が、どんな風に彼を支えていたのか、教えて」
知りたいと思った。ライアンと貴方のことを。
彼女が顔を上げてピンクルビーのような瞳を見開く。
わなわなと口元を震わせ、なんで、と小さく呟いたのが分かった。
なんで、ね。だって私、何にも知らないことに気がついたの。
「ライアンてば、私に何も教えてくれないから」
ライアンは話そうとしない。
自分がこの村を出て、どういう旅路を辿って、魔王を倒したのか。
どんな思いで戦っていたのか。どんな苦労をしたのか。
何一つ語ろうとしないから。きっと私のために。
本当に馬鹿ライアン、それを話して私から同情を誘って、結婚を迫ろうとはしないんだもの。
「だから、貴方が教えて欲しい」
レティシアさんは「あ、」とか細く声を掠れさせる。
おろおろと視線を彷徨わせている。どうして良いか分からないみたいだ。
当然か。いきなり旅のことを教えて欲しいって頼まれたって。それに彼女の気持ちを考えたら、とてもじゃないけれど私に教えたくなどないだろう。
息を吐いて「今の言葉は気にしないで」と言いかけた時だった。
「いいわ」
自分の耳を疑った。今、彼女はまさか。
レティシアさんは目元をぐいっと自身の腕で拭うと、さっきまでの悲壮感溢れる雰囲気を和らげて、高飛車な彼女らしい勝ち誇ったような笑みをほんの少しだけ浮かべた。
「教えてあげるわ。ライアンがどんな苦労をして魔王を倒したのか。何も知らないあなたにね。
じゃないと不公平だもの、こんなのどかな村でのうのうと生きてきたあなたと違って、ライアンは本当に頑張ってきたのよ」
どうやら少しだけいつもの調子を取り戻したようだった。うーん、相変わらず言うことがいちいち癇に障るのよね。
さっきのしょぼくれたレティシアさんのままで良かったかも。
「どうしたの? やけに元気になったじゃない、レティシアさん。まだ泣いていてもいいのよ」
「う、うるさいわね! 大体あなた、こんな平和ボケした村にいる娘にしてはどうにも負けん気が強すぎるのよ! 普通、勇者の幼馴染だなんて可憐で優しい少女だと相場が決まってるわ!」
「は!? 悪かったわね可憐じゃなくて! 大体貴方に言われたくないんですけど!?」




