10. 一人きりのピクニック
『勇者ライアン───魔王を倒し、世界を救いなさい』
人を助けることが好きだった。
人の笑顔を見ることが好きだった。
『ライアン。私、待ってるね』
大好きなアリメル。
君を守れるなら、これ以上の幸せって、きっと無かったよ。
今でも鮮明に思い出される。
雨の降る寒い夜、ヒューゴと毛布を分け合ったこと。
村を魔物の手から救い、涙ながらに感謝されたこと。
レティシアがぶさくさ言われながらも優しい手付きで手当てしてくれたこと。
ロミリア国の王に門前払いされたが、国を救ったことで最後には和解し、俺という存在を認めてもらったこと。
一時は腕を失い、生死を彷徨ったことも。
『ねえライアン、もう、もうやめましょう』
王立聖女団が1週間かけて魔物にぶっ飛ばされた俺の腕を治してくれ、俺が再び目を開けたとき。
レティシアは目元をひどく腫らして泣きながら俺にそう言った。
もうやめようと。英雄になんかならなくていいじゃないかと。何度も何度も俺にそう言った、乞うていた。
けれど俺は苦笑して首を振った。
ごめんなレティシア。そう彼女に謝りながら。
『俺、きっと次は上手くやるよ』
あの時のレティシアの絶望したような表情を忘れられない。
英雄にならなくてはならなかった。
名声なんてどうでも良かったけど。だってあの大切な村には、陽の差す美しい村には、アリメルがいたから。
彼女のことを想うとどんな事でも頑張れた。
彼女の強さがいつだって俺を奮い立たせたし、彼女の拗ねたような可愛らしい顔がいつだって俺に安らぎをくれた。
どんなに苦しかったって、どんなに痛くたって、アリメルのことを考えたら踏ん張れるんだ。
こんな事言ったって君は信じないだろうな、アリメル。
いつもの可愛い声で「ええ、そんなの嘘よ」って唇を尖らせてさ。
でもそれでいい。それでいいんだよ。
君が何も知らず、ただあのエメラルドのように透き通った緑の村で、笑って幸せでいてくれたなら⋯⋯。
『───いや貴方と結婚なんてしないから! この薄情者!!』
───⋯⋯⋯。⋯⋯⋯。
はは。いや⋯⋯そう、そりゃあそうだよな。
だって俺は君を10年もの間放ったらかしにした。
君が俺に愛想を尽かすのも当然だ。10年、10年もの長い時が過ぎた。
もう君はあの頃の幼いアリメルなんかじゃない。美しく成長して、どんな男も引く手数多の、素敵な女性だ⋯⋯。
俺なんかよりも、君の唯一に相応しい男を見つけたんだろう?
その相手がまさかあのロディだなんて。ちょっと、かなり、いや嘘だ物凄く嫉妬したけれど。なんなら今もまだ腸が煮えくり返ってるけど。
もっと君に相応しい相手がいたんじゃないか?
それこそ俺よりも剣の腕前が強くて、俺よりも腕っ節が良くて⋯⋯⋯そんな奴を見つけるべきだったんじゃないか?
まあ良いよ、俺の醜い嫉妬なんか気付かなくていい。
君はロディを選んだ。それなら、祝福するだけだ。
今はまだ立ち直れそうにないけれど。
□
「その時よ! ライアンは魔物の不意をつき、背後から───剣で貫いたのよ! その時のライアンの勇姿ったらもう⋯⋯」
「あの⋯⋯レティシアさん、その話悪いけれど昨日も聞いたわ。退屈になってきた、はい次の話は?」
「むきーッ! ちょっとあなた、ちゃんと真面目に聞きなさいよ! そっちがライアンの旅の話を聞きたいって言ってきたんでしょうが!」
俺は目をぱちぱちと瞬かせた。
レティシアとアリメルが、並んで丸太に座って世間話に花を咲かせている⋯⋯ように見える。
分からない、諍い合っているだけかもしれない。
村の子供たちの勇者ごっこに付き合った帰り、なにやら風に乗ってアリメルの声が聞こえ、俺は一瞬で反応した。
アリメル! ⋯⋯い、いや、特に用もないのに話しかけるわけにはいかないだろう。彼女は人妻なんだし。うん。
⋯⋯⋯少しくらい遠くで見守るだけならいいか、と俺は方向転換し、声の聞こえてきた方へと歩みを進める。
声が大きくなってきた。どうやらアリメルは人と話をしているようだ。
一体誰と話して、と広場に足を踏み入れて絶句した───そして、冒頭に戻る。
「じゃ、じゃあライアンが砂漠の国を猛烈な異常気象から救った話を⋯⋯⋯」
「分かった。5分で簡潔に話して」
「あ、あなた! わたしの話が聞きたいのか聞きたくないのかどっちなのよ!?」
アリメルがくすくす笑い、レティシアが拗ねたように頬を膨らませる。
その光景がどうにも奇妙に思えて、俺はぽかんと木陰から様子を伺っていた。
レティシアがアリメルに危害を加えることを危惧したんじゃない。
実際、あの宴の夜も、彼女はアリメルを攻撃しようとしたわけではないと分かっている。
ただあの日は俺も大切なアリメルを侮辱されたことで頭に血が上っていて、つい「やめろ」と言ってしまったのだ。
俺がその場を通り過ぎることを選べなかったのは⋯⋯アリメルがあまりにも、楽しそうにしていたから。
つい大切な仲間であるレティシアに「ずるい」といった抱くべきではない感情を抱いてしまう。
俺では彼女のあのきらめくような表情は引き出せない。それが分かっていたから、余計に。
「ふふっ。レティシア、さあ話してみせなさいよ」
⋯⋯⋯。
俺は黙ってその場を後にした。俺なんかが盗み見ていいものではないと思った。
きっとこれこそが、俺が守りたかった彼女の幸せな時間だろうから。
□
「帰ってくれ。どの面下げてこの村に来たんだお前たちは」
「やだなあドルクスさん。商談ついでにちょっと寄っただけだよ。"俺のアリメル"は今何してるかな〜って」
なにやら村の入り口の方が騒がしい。
俺が再び戻ってきたとき、村をぐるりと囲う柵を開ける扉の辺りで、数人ほど人が集まっていることに気が付いた。
ひどく顔を顰めて、強張った口調で「帰れ」と繰り返す男性は⋯⋯ドルクスさんだ。
アリメルの家の向かいに住んでいる、アンリを息子に持つお父さん。
温厚な彼が珍しく怒気のこもる声を張り上げている。
何事かと近寄れば、ドルクスさんが⋯⋯相手にしている男女の姿が見えた。
どちらもこの村で見たことの無い顔だ。隣村の連中だろうか。
男の方は目にうるさい金髪で、勝気な笑みを浮かべている。女の方は男にぴったりと寄り添い、熱のこもる眼差しを男に向けていた。
「ねえロディ、あの可哀想なアリメルちゃんはどこにいるの〜? あの子の顔みて帰ろーって思ったのにい」
一目で彼らが恋人同士か、あるいは夫婦だと分かった。
「ドルクスさん。何があったんですか」
「あ⋯⋯あ、ああ、ライアン⋯⋯」
⋯⋯うん? 何故かドルクスさんが「しまった」という顔で俺を見上げた。
その表情に疑問を抱きながらも、取り敢えず見知らぬ男女に向き直る。
「申し訳ない。君たちは一体どこの村の⋯⋯」
「はは。久しぶりだな、ライアン。体だけ大きくなりやがって」
そのねっとりとした声を聞いた瞬間、身の毛がよだつ感覚。一瞬で蘇った記憶があった。
ロディ。
間違いない、奴だ。
ずっとアリメルに付き纏い、いつも彼女を汚い目線で品定めしていて、そして結局アリメルを手中に収めた奴⋯⋯⋯10年も経っていたから声を聞くまで分からなかった。
何故、ロディがここに。いやそれよりも。それよりも確認しなければならないことがあるだろうが、馬鹿ライアン。
「⋯⋯ロディ」
体中の血液が逆流したようだ。こめかみが痛い。怒りで体が熱くてたまらない。
────隣にいる彼女は、誰だ?




