11. 君を悲しませるものなんて
「あっ、アリメル姉ちゃん! 大変だよ、勇者ライアンが!」
勇者ライアンがなんだっていうのだ。
もう全く、あいつに何かあったら私を呼びに来るのやめて欲しい。別に私には何も関係ないってば。
「もうアンリ、やめて。今レティシアさんのつまらない話を聞いてるところだったんだから邪魔しないで」
「おい。つまらないって言ったわよね?」
「⋯⋯? そ、それどころじゃないんだよアリメル姉ちゃん! "あの人"が⋯⋯あの金髪男と浮気女が、また村に来たんだ! 奴らを父さんが追い払おうとして、それで⋯⋯勇者ライアンが⋯⋯」
切羽詰まった様子で走ってきたアンリがまくし立てた言葉を聞き流そうとして、私はぴたりと固まった。
ロディとあの女が、また来たっていうの。全く、何度私を冷やかしにくれば気が済むの。
唇を噛み、はたと気付く。まってアンリ、今あなた「勇者ライアンが」って言った?
「ま⋯⋯まずいわ」
「そうだよ、本当にまずいんだよ! アリメル姉ちゃん早く来て!」
「ちょっとまって、あなたたち、一体なに⋯⋯そのロディって男、アリメルあなたの夫じゃない。浮気女⋯⋯ってなに、どういうこと?」
がたりとその場から立ち上がった私を不思議そうに見上げるレティシアさんがひと言。
ちょっと今は申し訳ないけど貴方に構ってられないのよ。大変だわ。ライアンに嘘をついた弊害がここに来て回ってきた!
ライアンは私が未だロディと夫婦関係にあると思っているけれど、それは大きな間違い。
実際にロディという男は別の女と浮気をし、私と夫婦関係を解消している。
そんな彼があの浮気女を連れてこの村に現れたのなら、未だ私がロディを愛していると思い込んでいるライアンからして見れば⋯⋯⋯。
た、大変なことになった。
私はすぐさまアンリの背中を追いかけ、「ちょっと!?」と素っ頓狂な声をあげるレティシアさんを置いてその場を走り去った。
□
見つけた。村の柵の前で人だかり。
なんとか走って近寄ると、徐々にその人の輪の中心───ライアンとロディ、そしてロディの現妻のアンナ──が見えた。
相変わらずアンナの方はぴったりとロディの腕にしがみついている。くっつき虫か何かかしら。
いやいやそれどころじゃない、とにかく大変。
何も知らないライアンは未だ、ロディが私と結婚してると思ってる。
そしてそんなロディのそばには、明らかにロディと関係がある見たことの無い女。
ライアンは、ロディが浮気をしていると思うに違いない。
いや実際、ロディは浮気をしたんだけど、それはもう過去の話。
今は楽しくかつての憎きアンナと暮らしているみたいだし、もう私には関係ない。
とにかくライアンに早く説明をしなきゃ! と騒ぎが起きている渦中に飛び込んだ、その瞬間。
───ドゴォン!
「え」
思わずその場にいた全員が呆気にとられた。
私の視界には、空中に体をぶっ飛ばすロディ───頬にライアンの渾身の拳を叩き込まれた、ロディだった。
ひどい爆音が辺りに響き渡る。
とてもじゃないけれど人を殴った後に出せる音じゃない。
ロディの腕に引っ付いていたアンナさんも衝撃で「きゃああ!」とすっ転んでしまう。
な、何が起きたの⋯⋯⋯。私はぽかんと口を開けて恐る恐るライアンに視線を向けた。
「ら、らいあん」
「⋯⋯は、はは」
ライアンの表情は影に隠れて見えない。
微かに漏れた笑い声だけが、いやに静かだった。
「俺は⋯⋯こんな奴⋯⋯こんな奴に、アリメルを任せてもいいだなんて⋯⋯」
────本当に俺は、馬鹿ライアンだ。
自嘲染みた低い声。怒ってる。ライアンが、怒ってる。
瞳には怒りの炎を燃え上がらせ、恐ろしい獣のように殺気立って、地面に立っている。
ライアンは己を落ち着かせるかのように、ハー、と息を吐いた。
「う、ぐあ⋯⋯な、なんなんだライアン、こんな事して、ぁ、許されると、」
脳天を揺らされたのか上手く呂律の回っていない舌で言葉を途切れ途切れに紡ぐロディ。
地面に手足を投げ出し、頬を真っ赤に腫れ上がらせて、ぴくぴくと体を震わせている。
ど、⋯⋯どうしよう。本当に痛そうだ、骨も折れているんじゃないかしら。
私の焦りも他所に、ライアンは無表情で、倒れているロディのそばに歩みを進める。
「く、来るな!」とロディが切羽詰まった声で叫んだ。
そんな彼を見下ろし、腰を屈めて、ぐっと顔を寄せてライアンは、
「お前に彼女を任せた俺が馬鹿だったよ、ロディ。可哀想なアリメル⋯⋯こんな奴を愛したせいで、あの子は⋯⋯」
ライアンは背後に立ち尽くしている私のことが見えていないのだろう。
あまりに歯を食いしばって、ロディの顔面に向かってまた拳を振り上げるものだから。
私はたまらず叫んだ。
「ライアン! やめて!」
はっと顔を上げ、驚愕に目を見開いてこちらに振り返るライアン。
「アリメル?」と私の名を呼び、即座にしまった、という顔をする。
もう。馬鹿ライアン。
「ライアン⋯⋯そんなことしなくていい。私⋯⋯私ね、貴方に隠してた。もうロディとは離婚してるの。だから⋯⋯こんなことしなくていいのよ、もう、何もしないで⋯⋯」
私の絞り出した声は震えてたかもしれない。
ねえライアン。私ね、私だってきっとロディと同じだった。
ロディを利用したの。ライアンがいない寂しさを、きっと他の人の温もりで埋めたかった。だから早々にロディと結婚した。
だからね、私、浮気されたとしても仕方ないと思ってるの。だって私の方が最初にロディを利用したんだもの。
「ライアン⋯⋯⋯その、ずっと黙ってて、ごめんなさ」
「─────よ、良かった」
⋯⋯⋯え?
さっきから何も言わずにいたライアンがようやく声を出したと思ったら、胸の内から思わずこぼれてしまったような、そんな何気ない調子で彼は言葉を紡いだ。
驚いて目を瞬く。良かっ⋯⋯た? 何が?
怪訝な表情になる私に、ライアンは我に返って、慌てたように「ご、ごめん、違うんだ」と目の前で手を振った。
そして、心から安心したみたいに息をついて、
「ロディが女を連れているのを見て、君が⋯⋯傷付いてしまったんじゃないかと思って。なんだ⋯⋯本当に良かった、ああ、もうなんだよ、でも本当に良かった⋯⋯」
そう繰り返しながらライアンは悪戯っぽく笑った。
────君が泣いてしまわなくて、本当に良かった。
「⋯⋯なにそれ⋯⋯」
まず、自分が騙されてたことに怒りなさいよ。
本当にお人好しでどうしようもない幼馴染。
私がロディと夫婦関係を解消していたことにホッとするんじゃなくて、まずそっち?
呆れて笑いが込み上げてくる。なにそれ。
「もう泣かないわよ。子供じゃないんだから」
□
「お、おいライアン⋯⋯アリメル⋯⋯そこで伸びてる浮気男は一体どうするんだ⋯⋯」
「⋯⋯このクソ男、埋めたらいいんじゃないか?」
「馬鹿ライアン! ちょっと本当にどうにかして!」




