08. これは私の物語
「勇者の帰還に乾杯!」
ぱちぱちと広場の真ん中にくべられた炎がきらめいている。
重ねられる木製のジョッキの音があちこちで鳴り響くのを聞きながら、私はお母さんと料理を運んだり勇者パーティの皆さんにお酒を注いであげたりして、あくせくと働いていた。
今夜は勇者帰還を記念した正式な宴……らしい。
この前ライアンが村に帰ってきたその日に行った宴は、準備も禄にできないまま開催された簡易的なものだったので、どうせならもっと盛大にライアンを労ってやりたい、という思いから今回の宴の開催を決めたそうだけれど。
まあ大人たちがライアンの帰りを口実に飲み明かしたいだけだと思う。
あっちにいるライアンも、老人たちの相手をしつつも、たくさん彼らにかわいがられて楽しそうだ。
お酒は飲んでいないみたいだけど。
こういう時くらい飲めばいいのに、となんとなく思いつつ、新しいお母さんのパイをヒューゴさんの元に運んできた時だった。
「……チッ」
すぐそばで舌打ちが聞こえて驚いた。
「おいおいレティシア」と誰かが舌打ちの主を諫めている。
……なるほど。レティシアさんだ。彼女はすぐそばにチェリーパイを置きに来た私を完全に睨みつけている。
その鋭い視線に怯むことなく彼女を見返す。
するとレティシアさんはハッと息を飲み、奥歯をかみしめた様子が分かった。
「だから、レティシア……はあ、ごめんなアリメルさん。こいつのことは気にしないでくれ。酒を飲んで少し気が立ってるんだ」
彼女の横に座っていたヒューゴさんが申し訳なさそうに謝ってくる。
それに軽く会釈し、ため息をついてその場を通り過ぎようとした。
「……っ、なによ!!」
ガシャン! とテーブルの上をひっくり返すような音。
あまりに驚いて振り返って、ぽかんと口を思わず開ける。
美しい桃色の瞳に涙をいっぱいに溜めたレティシアさんが、テーブルに手をついて、私にひどく敵意のこもった眼差しを向けていたからだ。
辺りは騒然とし、人の声が止む。
誰かが「アリメル……? 魔法使い様になにを」と呟いているのがいやに耳に届いた。
「なんで、あなたなの……? あんなに頑張ったライアンを軽んじる、あなたなの? わたしの方が……わたしこそが、ライアンを理解してあげられる……なのに……」
————レティシアさん。
人々の視線が集まっている。私が話し始めるのを、今か今かと待っている。
ねえレティシアさん。確かにあなたはずっとライアンのそばにいた。
私がライアンを忘れていた間、ずっとそばで彼を支えていたんでしょう。
きっとあなただったのよ。おとぎ話の中のヒロインは。
あなたこそ、魔王討伐に旅立った勇者を何年も待つことができる幼馴染。
あなたがライアンの幼馴染になればきっとすべてが丸く収まった。あなたが帰ってきたライアンと結婚すれば、彼を幸せにできた。認めるわ。
でもね。これはおとぎ話でなければ、彼の幼馴染はあなたでもない。
それを覆すことは出来ないのよ。
「悪いけれどね、レティシアさん。私、どんな物よりも私を優先してくれるひとと結婚したいの」
彼女に向かって高らかに言い放つ。
辺りを夜風が駆け抜けていく。
レティシアさんは私の言葉を受け、あんぐりと口を開けた。
「ライアンと結婚したければどうぞご自由に。むしろ貴方こそ彼の花嫁にぴったりだと思うわ、ええ。貴方の方が彼を理解してあげられるんでしょ?」
まあ実際、レティシアさんの方がライアンのこの10年をずっと理解しているとは思うけど。
別に彼女の言うことは何一つ間違っていないのだ。
「ちょっ、ちょいアリメル、魔法使いさまにそんな口を⋯⋯!」
大いに慌てた村の人がそばまでやって来て私を諌めにかかるが、私は毅然とした態度を貫き続けた。
魔法で焼き殺されるかしら? 上等よ⋯⋯いや上等ではないわね、それだけは勘弁だわ。
流石の私でも太刀打ちできないもの。
レティシアさんは怒りで頬を上気させ、「この⋯⋯!」と私を殺しでもしたいかのように恨みがましい視線を向けてくる。
うーん、そんなにライアンのことが好きなのね。
なんだか一周まわって彼女のことが好きになってきたかも⋯⋯それは言い過ぎか。
「あなたなんか!」
彼女が立ち上がり、こちらへ一歩踏み出す。
思わず息を飲んだ。ちょっと、嘘でしょ。まさか魔法をぶっぱなすつもり?
ヒューゴさんの「レティシア!」と叫ぶ声が聞こえる。
彼女はそんなヒューゴさんの静止を無視して、更にこちらへ一歩踏み出し─────
「───レティシア、何をしているんだよ」
途端、酷く冷えきった声が響いた。
最初その声がライアンのものだと気が付かなかった。
レティシアさんはハッとし、動きを止める。
「ら、ライアン⋯⋯これは」
「アリメルに何をしようとした?」
ざく、ざくと草を強く踏みしめる音と共にライアンが現れる。
驚いた。眼を鋭く光らせ、唇を引き結び、表情に露骨な苛立ちを滲ませるライアンがそこにいた。
こんな恐ろしい顔をしたライアンは見たことがない。
私が一瞬怯むのに比べ、レティシアさんは可哀想な程にガチガチと歯で音を立てて「ライアン、」と蚊の鳴くような声で呟いた。
「ちが、ちがうのわたしは」
「⋯⋯」
ちらりと何故かこちらに視線をやるライアン。
私は途方にくれて首を傾げると、彼は一瞬ホッとしたように息をつき、再びあの冷たい顔でそばにいるレティシアさんを見下ろした。
「俺、言ったよな。俺のことは気にするなって。レティシア、お前が⋯⋯俺のことを来にかけてくれているのは知ってる。
それでも、お前がアリメルを傷付けていいことにはならない。彼女は俺が世界でいちばん守りたかったひとなんだ。
それを知っているお前が彼女を傷付けようとするのなら、俺は絶対にお前を許せなくなる」
力強い口調で話すライアンの横顔から目を離せなかった。
世界で、いちばん守りたかった、ひと⋯⋯? 私が?
だってライアン、あなたは。私よりも世界を選んだのでしょう。
ふいに、俯いているレティシアさんを見る。
彼女はわなわなと身体を震わせ、目元にいっぱいの涙を湛えていた。
「あ、レティシア、」というライアンの声を背に、レティシアさんは向こうへと走り去っていく。
辺りには呆気にとられた私、村人たちと、ため息を着くライアンだけが取り残された。




