02. 勇者帰還の宴の裏で
村に敷かれている古ぼけたレンガ道を辿り、向かった先は芝生に覆われた村の中心広場。
その場所では火が焚かれ、人々が酒を飲み交わし、豪勢な料理を広げ、ライアンとその仲間たちの来訪を盛大に祝っていた。
村の長老は帰ってきたライアンのことが可愛くて仕方ないのかひたすら彼に酒を注いでいたし、肉屋のラルドさんや花屋のサリーさん、村の子供たちは、ヒューゴさんとレティシアさんの周りに群がってしきりに魔王討伐の旅の話をせがんでいるようだった。
村人たちが一斉に集まっていて、尚且つ今は顔を合わせたくないライアンのいる場所に赴くのがなんとなく億劫になりながらも、彼にチェリーパイを届けることを頼まれたからには仕方ないと顔を見せることにする。
「あ! アリメル姉ちゃん! なあなあライアン兄ちゃん、アリメル姉ちゃんが来たぞ!」
「ちょっ、ばか!」
ラルドさんのところの子供が私を指さす。
そんなに大きく名前を呼ばなくても! と心の中で悲鳴を上げた時、人々の輪の中心にいるライアンとばちりと視線が合ってしまい。
即座にこの場に来たことを後悔する。
「あ、アリメル⋯⋯!」
しかもライアンがここぞとばかりに立ち上がるものだから、私はさっさと長老に「これ、うちの母からです。皆さんでどうぞって」と大皿のチェリーパイを押し付け、その場を立ち去ろうとする。
けれど即座に腕を掴まれてしまった。
あーあ、こうなると思った。
思わずため息をついて振り返る。
「なに、世界を救った勇者サマ」
「そ、そんな呼び方しないでくれ⋯⋯俺は君にライアンって呼ばれたいんだ」
なにそれ。頼むからそんな濡れた子犬みたいな目で見ないで欲しい。
あなた何歳よ。
「あのさ、今からちょっと二人で話せないか。俺も宴を抜け出すから」
「は? 主役が逃げ出すことを許してくれるの、みんなは」
彼の言葉に訝しんでそう返したとき、外野から「ぜーんぜん、許す許す!」「決着つけてやれ、ライアン!」とうるさい野次が飛んできたので口を噤む。
ちょっとなに、ここにいる全員ライアンの味方ってわけ。
「ちょっと、このレティシアは許しませんわよ! ライアン、彼女と二人きりになるだなんて⋯⋯そんなの、そんなの破廉恥にも程があるわ!」
「おいレティシア、落ち着けよ。我らがリーダーが愛しの女と二人きりになるくらい何の問題もないだろ」
「ヒューゴは黙らっしゃい!」
「ハイ」
あ、嘘。
肉を頬張りながら真っ赤な顔で腕を振り回しているあのレティシアさんという方は、私の味方らしい。
□
「それで。⋯⋯何の用よ」
思わず腕を組んでそう尋ねてしまう。ライアンは少しばかり後頭部に手をやり、「参ったな⋯⋯」と本当に参ってそうな顔でそうぼやいた。
星々が輝く美しい夜。かつて幼い私とライアンがよく遊んでいた大樹の下で、私たちは再び向かい合っている。
「アリメル。⋯⋯君に謝りたかった」
ぽつりと落とされた言葉に、そっぽを向く。
ライアンが今どんな顔をしているのか、表情を伺わなくても分かる。
「10年。10年も、待たせてしまった。魔王を倒すまでに8年かかり、」
「⋯⋯」
「魔王討伐に協力してくれたラステリア国の復興に1年と半年を要し、」
「⋯⋯」
「更には体調を崩したヒューゴに付き添って1ヶ月、」
「⋯⋯?」
「魔王の災厄で失われてしまったかつての妻の遺品を探して欲しいというお爺さんの依頼を受けて4ヶ月、」
「ちょっと、ちょっと待って」
「とうとうこの地方に着いたと思ったら道が塞がれていて、大量に立ち塞がる大岩を撤去するのに1ヶ月かかり⋯⋯」
「ちょっと何よ最後にかけての失速感!! 残りの半年は魔王関係ないじゃない!!」
「ご、ごめん本当に⋯⋯実はそうなんだ⋯⋯」
項垂れるライアンとは対照的に、私はもはや呆れ果てて「えええ⋯⋯」と空気に溶けていきそうな情けない声を出すことしか出来なかった。
「本当は一分一秒でも君に会いに行きたかった。けれど⋯⋯ごめん。目の前に困っているひとがいたら、情けないことに俺は、どうしても⋯⋯」
はあ。私の大きなため息に、びくりと体を震わせたライアンは、そこで言葉を止めて私の表情を伺うように顔を覗き込んでくる。
本当に、このデカ男は、骨の髄まで勇者なのね。
「アル⋯⋯」
昔の愛称で切なげに私を呼ぶライアンの声に、胸が締め付けられるようだった。でもね、それでもねライアン。
私、もう10年も待っていたのよ。
「ライアン、私ね。1年前に結婚したの」
まあ離婚したんだけど、と付け足そうとした。
「は?」
ライアンの、低く地を這うような静かな声にぞわりと背筋が泡立った。
驚いてぱっと顔を上げたとき、ライアンの表情は固く張り詰めていて、今までに見た事ないくらい怒りの炎を瞳の中で揺らめかせていて。
ライアン? と困惑して問い掛ける私を、彼は微動だにせず見下ろしている。
「⋯⋯誰と」
「えっ⋯⋯えっと、隣村のロディ⋯⋯でももう」
途端に彼がひどく顔を歪めて、「あいつか、」と舌打ちしたのに目を瞬く。
ライアンが、こんな風に感情を剥き出しにしたところを見たことがあったっけ。
「15の時からいやに君に付き纏ってた奴⋯⋯どうして? どうしてあいつなんかと」
音を立てて私に歩み寄り、腕を掴んでくる。
それにぎょっとし、「離して」と彼の手を振り払おうとするも、「離さない」と逆に力を込められてしまう。
「いや、だから」
「答えてくれアリメル。どうしてあんな奴と⋯⋯結婚なんて、百歩譲って俺に愛想を尽かしたんだとしても、なんで⋯⋯⋯」
どうしてあんな奴と、ですって?
思わずぎゅっと拳を握ってしまう。
だって、だってあんたが。あんたの方が、最初に約束を破ったんじゃない。
「ふざけるのも大概にして!」
声を荒らげてそう吐き捨てた。ライアンが瞳を見開き、「アリメル」とひどく情けない顔をして私の名を呼ぶ。
うるさい。そんなまだ幼馴染みたいな顔して私の名を愛おしそうに呼ばないで。あなたなんか、大っ嫌いよ。
「10年よ。あなたが私を待たせた時間は。そうね、おとぎ話の中なら、旅立った勇者を待って幼馴染の女の子は何年も何年も待てるのかもしれない。
でもね、私はそんなメルヘンな世界に住むようなかわいい女の子じゃないの! 婚期を逃したら焦るし、約束なんて忘れるし、私のことを大切にしてくれる人と結婚だってしたいのよ⋯⋯!」
こんなに声を上げて、感情を荒らげて怒鳴ったのは久しぶりで、息が切れた。
私の中で10年燻っていたものが破裂して、今、言葉の刃となって幼馴染の男を傷付けている。
傷付けたっていいわ。だってわたしは、同じくらいライアンに傷付けられたんだもの。
「アリメル⋯⋯」
ライアンはもう言葉が出ないようで、おろおろ視線を彷徨わせたり、何かを言おうとして口を閉じたりした。
昔から口上じゃ私の方が強かった。
水に濡れた子犬みたいに項垂れるライアンの様子に子供時代が想起されて、思わずそっぽを向く。
あなたとの思い出なんか、ロディと結婚した時にぜんぶ捨てたんだから。
「⋯⋯ごめん、そうだよ⋯⋯な。10年君を放ったらかしにした俺に、とやかく言う資格なんてない⋯⋯分かってる、分かってるよ⋯⋯本当に、すまない」
酷く苦しそうに言葉を絞り出すライアンの姿を、見て見ぬふりをした。




