第一話:埋蔵金鑑定士(三)金と骨
第一話 埋蔵金鑑定士の第3回です。
過去を知ると知らないとでは現実の見え方も変わってきます。
目を開けると、白い天井があった。
数秒間、真壁は自分がどこにいるのか分からなかった。
湿った山の匂いが、まだ鼻の奥に残っている。草鞋の感触も、土を踏む足裏の痛みも消えていない。
だが、身体は柔らかいポッドの上に横たわっていた。
現実だ。
「帰還確認。意識レベル正常」
看護師の声が聞こえた。
真壁はゆっくりと息を吸った。
空気は清潔で、乾いていた。消毒液の匂いがする。さっきまでいた山の空気とは、まるで違う。
ポッドの蓋が開く。
白石玲奈が、ガラス越しではなく、すぐ横に立っていた。
「予定より早い帰還ですね」
「必要な情報は得た」
真壁の声は少しかすれていた。
看護師が水を差し出す。
真壁はそれを受け取り、一口で半分飲んだ。
白石は端末に目を落とした。
「滞在時間、四時間四十二分。肉体負荷は軽度。心拍に一時的な上昇があります」
「山を歩いた」
「ログ上では、村人との接触が複数回確認されています」
真壁は水を飲み干した。
「最小限だ」
「あなたの最小限は、当施設の基準より広いようです」
「問題は起こしていない」
「重大違反は検知されていません」
白石はそう言った。
それは、問題がなかったという意味ではない。
真壁は身体を起こした。
「座標を記録する」
「口述で?」
「ああ」
白石が記録モードを起動する。
真壁は目を閉じた。
頭の中に、あの洞穴が浮かんだ。
二股の杉。
尾根の傾き。
沢の音。
洞穴の入口。
奥へ七歩。
右壁のくぼみ。
土を被せた箱。
金の鈍い光。
彼は現代の地形図に置き換えながら、数値を告げた。
白石はそれを入力していく。
「かなり具体的ですね」
「見たからな」
「対象物は確認できましたか」
「金塊。古銭。証文らしきもの。帳簿もあるかもしれない」
白石の指が一瞬止まった。
「帳簿?」
「おそらくな」
「内容は」
真壁は答えなかった。
白石が顔を上げる。
「真壁さん」
「商業利用の範囲に必要な情報じゃない」
「犯罪関連史料の可能性がある場合、届け出義務があります」
「四百年前の話だ」
「それでも、歴史資料です」
真壁はポッドから足を下ろした。
床は温かい。施設の温度管理は完璧だった。
「発掘されれば分かる」
「ダイブ中に、他に何を見ましたか」
真壁の脳裏に、少女の手首が浮かんだ。
赤い飾り紐。
彼はそれを押し込めた。
「金を隠すところを見た。それだけだ」
白石は数秒、真壁を見ていた。
「分かりました」
その言葉にも、分かったという響きはなかった。
*
発掘許可は、思ったより早く下りた。
佐伯の土地であり、事前調査の名目も整っている。文化財の可能性があるため、自治体の担当者と考古学の専門家も立ち会うことになった。佐伯はそれを嫌がったが、真壁が説得した。
「公的な記録に残した方が、価値は上がります」
金が出た場合の話だ。
その一言で、佐伯は黙った。
発掘当日、山は晴れていた。
現代の山は、やはり過去とは違っていた。
あの二股の杉はない。尾根道も崩れ、沢の流れも少し変わっている。けれど、地形の骨格は残っていた。
人間の記憶より、山の形の方が長持ちする。
「この奥ですか」
ヘルメットをかぶった佐伯が、落ち着かない様子で尋ねた。
「ええ」
真壁は測量機器の画面を確認した。
クロノスAで得た情報は、そのまま座標になるわけではない。
過去と現在の地形差を補正し、土砂崩れや植生の変化を考慮しなければならない。
そこに経験が必要だった。
だから、真壁の仕事はなくならない。
クロノスAがどれほど正確でも、過去を現実に接続するには人間の判断が要る。
「ここから南側に回してください。正面から入ると崩れます」
作業員が頷き、重機がゆっくり動き出した。
土が削られていく。
根が引き抜かれ、岩が露出する。
数百年分の時間が、機械の音とともに剥がされていく。
佐伯は何度も腕時計を見た。
真壁は黙っていた。
午前十時を過ぎた頃、作業員の一人が声を上げた。
「何かあります」
全員の動きが止まった。
真壁はヘルメットを直し、穴の縁に近づいた。
土の中から、木片が見えていた。
腐食しているが、自然木ではない。箱の一部だ。
佐伯が息を呑む。
慎重に周囲の土を払う。
箱はほとんど崩れていたが、中のものは残っていた。
布の残骸。
黒ずんだ金属。
そして、鈍い黄色。
「金だ」
誰かが呟いた。
その瞬間、現場の空気が変わった。
佐伯は声を出さなかった。
だが、口元が震えていた。笑いを堪えているのか、興奮しているのか分からない。
金塊は、土の中でも金だった。
汚れていても、傷ついていても、光の質が違う。
人間が何百年も追いかけてきた色だ。
古銭も出た。
朽ちた箱の底から、束になった紙片らしきものも見つかった。
保存状態は悪いが、文字が残っている可能性はある。
自治体の担当者が慌ただしく電話をかけ始めた。
研究者は目を輝かせ、作業員に指示を飛ばす。
佐伯が真壁の肩を叩いた。
「先生、本物です。これは本物だ」
「そうですね」
「いや、すごい。あなたに頼んで正解だった。まさか本当に出るとは」
真壁は金を見ていた。
嬉しくないわけではない。
むしろ、身体の奥が熱くなるほどの達成感があった。
座標は正しかった。
過去の観測を、現実の成果に変えた。
この仕事をしていて、これ以上の成功はない。
成功のはずだった。
「奥にも空間があります」
作業員が言った。
真壁は顔を上げた。
掘削された洞穴の奥、右側の土が不自然に沈んでいる。
箱を埋めた場所のさらに奥だ。
「広げますか」
作業責任者が尋ねた。
自治体の担当者が頷いた。
「慎重にお願いします。文化財の可能性があります」
佐伯は少し不満そうだった。
「金はもう出たんです。奥は関係ありますか」
「関連遺物かもしれません」
真壁は何も言わなかった。
胸の奥で、何かが小さく鳴った。
作業員が手作業で土を払っていく。
硬いものに当たる音がした。
石ではない。
白い。
最初、真壁はそれが何か分からなかった。
いや、分からなかったのではない。
分かりたくなかった。
「骨です」
研究者の声が低くなった。
現場が静まり返る。
掘り出されたのは、人骨だった。
一体ではない。複数ある。折り重なるように、洞穴の奥に押し込められていた。
佐伯が顔をしかめた。
「なんで、こんなところに」
誰も答えなかった。
土が払われる。
大人の骨。
折れた肋骨。
小さな頭蓋骨。
子供だった。
真壁はその場に立ったまま、動けなくなった。
研究者が膝をつき、細い刷毛で土を除く。
子供の骨の右手首あたりに、黒ずんだ繊維のようなものが絡んでいた。
「布か、紐ですね」
その言葉が、遠くから聞こえた。
真壁の視界が狭くなった。
土に汚れた細い手首。
赤く褪せた飾り紐。
沢の水を汲む少女。
「また遠いところへ帰るの」と聞いた声。
山の匂いが戻ってきた。
濡れた土。
夕暮れの煙。
洞穴の冷たい風。
武士の低い声。
――夜明け前に始末する。
真壁は一歩下がった。
「先生?」
佐伯が声をかける。
真壁は返事をしなかった。
骨の横に、金があった。
金は光っていた。
骨は光らなかった。
それだけの違いが、どうしようもなく残酷に思えた。
「大発見ですよ、先生」
佐伯の声が震えている。
「金だけじゃない。歴史的な事件の証拠かもしれない。これは価値がある」
価値。
その言葉が、真壁の耳に引っかかった。
価値はあった。
金にも、証文にも、帳簿にも。
そして骨にも、歴史資料としての価値があるのだろう。
だが、あの少女は価値として死んだのではない。
真壁は目を閉じた。
自分は過去を見に行ったのではない。
あの夜、そこにいた。
知っていた。
知っていて、帰ってきた。
「真壁さん、大丈夫ですか」
自治体の担当者が近づいてきた。
「少し、外します」
真壁はそう言って、洞穴を出た。
外の空気は冷たかった。
現代の山の空気だ。排気ガスも、重機の油の匂いも混じっている。
それでも、彼には戦国の山と同じ匂いに感じられた。
真壁は沢の方へ歩いた。
現代の沢は、コンクリートで一部を固められていた。
水量も少ない。
少女が椀を沈めた場所は、もう分からない。
彼はしゃがみ、水に手を触れた。
冷たかった。
ポケットの中でスマートフォンが震えた。
佐伯からだろう。
報道対応か、追加契約か、発掘権の話か。
真壁は出なかった。
水面に、自分の顔が映っていた。
四十二歳。
現代の顔。
金を見つけた男の顔。
彼はその顔を見ながら、白石の言葉を思い出した。
――過去には、人もいます。
真壁は濡れた手で顔を覆った。
誰にも見られていなかった。
沢の音だけがしていた。
しばらくして、彼は立ち上がった。
山の上では、人々が骨と金を掘り出している。
過去は現実を変えない。
だが、現実は過去を掘り返す。
そのとき初めて、真壁は理解した。
自分が掘り当てたのは、金ではなかった。
掘り当てたのは、彼らを見捨てた夜だった。
次回で第一話は完結です。




