第一話 完結:埋蔵金鑑定士(四)名もなき村の人々へ
第一話はこれで完結です。
真壁の行動は無意味なのか、それとも人間らしさなのか。
あなたならどう考えるのか、そこにも興味があります。
どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
発掘から三日後、真壁は再びクロノスAの認定施設を訪れた。
受付の女性は、彼の顔を見ると少し驚いた。
無理もない。通常、商業利用者が同じ案件で短期間に再接続することは少ない。追加調査ならあり得る。だが、真壁が提出した申請書には、追加発掘に関する項目がほとんどなかった。
利用目的欄には、短くこう書いた。
歴史状況の再確認。
曖昧な言葉だった。
自分でもそう思った。
面談室に通されると、白石玲奈がすでに待っていた。
「真壁さん」
彼女は端末から顔を上げた。
表情はいつも通りだったが、目だけが少し違った。
「今回の申請、内容が不十分です」
「必要な項目は埋めた」
「形式上は」
「なら問題ない」
「問題はあります」
白石は端末を机に置いた。
「同一ログへの再接続。開始時点は前回ダイブの後半、武士団による村襲撃の推定前。滞在予定は六時間。商業利用目的としては不自然です」
真壁は椅子に座った。
「不自然な仕事もある」
「追加発掘に必要な座標確認ですか」
「違う」
「未発見資料の探索ですか」
「違う」
「では何ですか」
真壁は少し黙った。
面談室は前回と同じだった。
白い壁。低い空調音。ガラス越しに見える廊下。
清潔で、静かで、人が死ぬ気配のない部屋。
「村人を逃がす」
白石は、すぐには反応しなかった。
「現実には影響しません」
「知っている」
「発掘現場の遺骨も消えません」
「知っている」
「歴史的事実も変わりません」
「知っている」
「では、何のために」
真壁は目を伏せた。
三日前から、何度も同じ問いを自分に向けていた。
答えはうまく言葉にならなかった。
現実のためではない。
歴史のためでもない。
金のためなど、もちろんない。
「俺が、そこにいたからだ」
白石の視線がわずかに動いた。
「一度目に?」
「ああ」
「見たんですね」
真壁は答えなかった。
答える必要もなかった。
白石は端末を操作し、前回ログの概要を表示した。
真壁の一人称視点そのものは残っていない。
だが、彼が村人と接触したこと、洞穴付近にいたこと、現実の発掘成果との照合から、何を見たかはある程度推定できる。
「救助行動は規約違反ではありません。ただし、時代内での戦闘、暴力行為、放火などに発展した場合、強制ログアウトの対象になる可能性があります」
「分かっている」
「武士団との接触は危険です。あなたは訓練を受けた戦闘員ではありません」
「分かっている」
「過去内で死亡した場合、通常はログアウト処理されますが、肉体への負荷は大きくなります」
「分かっている」
「本当に?」
真壁は少し笑った。
「今日はよく聞くな」
「今回は、あなたが分かっていないように見えます」
「そうかもしれない」
白石は黙った。
真壁がそう認めるとは思っていなかったのだろう。
「真壁さん。あなたがこれから行うことは、現実世界において何の実益もありません」
「あるさ」
「どんな?」
「眠れるようになるかもしれない」
白石は表情を変えなかった。
だが、端末を操作する手が少し遅れた。
「ログ保存設定はどうしますか」
「通常でいい」
「救助行動のログを残すのですか」
「残して困ることはない」
「商業価値はありません」
「金にならないものが全部無価値なら、人間はずいぶん安い」
白石は真壁を見た。
しばらくして、彼女は申請を承認した。
「接続を許可します」
真壁は立ち上がった。
「ありがとう」
「礼を言われることではありません。私は規約に従っているだけです」
「それでもだ」
白石は少しだけ目を伏せた。
「真壁さん」
「何だ」
「金だけを見るんじゃなかったんですか」
真壁は答えに詰まった。
前回、ポッドの蓋が閉じる直前、自分はそう言った。
金を見に行くだけだ、と。
その通りにした。
金だけを見ようとした。
だから、骨が残った。
「見えたものを、見なかったことにはできない」
真壁はそう言って、面談室を出た。
*
二度目のダイブは、前回よりも身体が重かった。
ポッドに横たわると、看護師が眉をひそめた。
「睡眠不足ですか」
「少し」
「心拍が高めです。中止も可能ですが」
「やる」
看護師は白石を見た。
白石は数秒だけ真壁のモニターを確認し、頷いた。
「短時間接続に切り替えます。危険値に達した場合、強制帰還させます」
「好きにしてくれ」
「こちらは好き嫌いで動いていません」
真壁は目を閉じた。
ポッドの蓋が閉じる。
暗闇。
低い振動。
遠くの地熱発電所。
巨大データセンターの演算音。
世界が、もう一度組み上がっていく。
同じ山。
同じ夕暮れ。
同じ村。
ただし、今回の目的は違う。
金ではない。
人だ。
白石の声が聞こえた。
「クロノスA、再接続開始」
意識が落ちた。
*
目を開けると、山は赤く染まっていた。
前回ログアウトした少し前の時点だった。
夕暮れ。
村の家々から細い煙が上がっている。
沢の音が近い。
真壁は木の陰に立っていた。
前回の記憶が、そのまま身体に重なる。
あのとき、自分はここから村を見下ろしていた。
警告できると思った。
だが、しなかった。
真壁は懐を探った。
銭が数枚。
小さな布袋。
それだけだ。
武器はない。
スマートフォンもない。
地図もない。
現代の知識だけがある。
彼は深く息を吸った。
まず村人を動かす必要がある。
ただの旅人が「夜明け前にお侍さまが村を襲う」と言っても、信じる者はいない。
証拠が必要だった。
武士たちは洞穴に金を隠した後、村を襲う。
彼らしか知らない情報を使えば、信じさせることができるかもしれない。
ただし、時間はない。
真壁は村へ向かって走り出した。
草鞋が足に食い込む。
息がすぐに上がった。
現実の自分の身体が、戦国の山に適応していないことを痛感する。
過去で優位に立つには、現実の肉体がいる。
白石が言った通りだった。
未来を知っていても、足が遅ければ死ぬ。
*
村の入口で、鍬を持った男と出くわした。
前回、老婆の家から出てきた男だ。
男は真壁を見るなり身構えた。
「またお前か」
「聞け。今夜、山にいるお侍たちが村を襲う」
男の顔が険しくなる。
「何を言う」
「洞穴に金を隠した。二股の杉の先、鬼の口だ。箱は三つ。証文も一緒に埋めている」
男の表情が変わった。
「なぜ、それを」
「見た」
「お前、あの人らの仲間か」
「違う」
男は鍬を握り直した。
「なら、なぜ知っている」
真壁は答えられなかった。
未来から来た。
金の場所を探しに来た。
お前たちが殺されると知って、一度見捨てた。
どれも言えるはずがない。
「そんなことはどうでもいい。夜明け前に火をかけると言っていた。知った者は残すなと」
男の顔から血の気が引いた。
その反応で、真壁は悟った。
村人たちも薄々分かっていたのだ。
山に入った武士たちが、ただ通り過ぎるだけではないことを。
しかし、分かっていても動けなかった。
どこへ逃げる。
何を持つ。
年寄りは。
子供は。
逃げた先でどう生きる。
考えることが多すぎると、人は動けなくなる。
「村長はいるか」
「名主なら」
「呼べ」
「お前に命じられる筋合いはない」
「ならここで全員死ぬ」
真壁の声は、自分でも驚くほど冷たかった。
男は一瞬、殴りかかりそうな顔をした。
だが、すぐに奥の家へ向かって走った。
真壁は息を整えた。
時間がない。
沢の方を見る。
少女がいた。
木の椀を抱え、こちらを見ている。
前回と同じ少女。
赤い飾り紐。
骨の手首に残っていたもの。
真壁は一瞬、声を失った。
少女は恐る恐る近づいた。
「おじさん」
「家に戻れ」
「何かあるの?」
「戻れ。母親は」
「いない」
「父親は」
少女は首を横に振った。
真壁は言葉に詰まった。
「誰と暮らしている」
「あそこのおばば」
前回、水を汲んでいた老婆の家を指さす。
「なら、すぐ一緒に来い。山を下りる」
「どこへ」
「生きていられるところへ」
少女はその意味を理解できない顔をした。
それでいい。
子供は、死ぬ理由など理解しなくていい。
*
名主の家には、すぐに人が集まった。
十数人。
老人、女、子供、数人の男。
村全体でも、それほど多くはない。
真壁は囲まれた。
疑いと恐怖が、彼に向けられている。
当然だった。
見知らぬ男が突然現れ、村が襲われると告げているのだ。
名主は六十近い男だった。
痩せているが、目だけは鋭い。
「お前は何者だ」
「旅の者だ」
「旅の者が、なぜ山の上のことを知っている」
「見たからだ」
「なぜ見に行った」
真壁は少し黙った。
「金があると聞いた」
その場の空気が変わった。
何人かが怒りの目を向ける。
「お前も金目当てか」
「そうだ」
真壁は否定しなかった。
否定すれば、嘘になる。
彼は金目当てで来た。
一度目は、確かにそうだった。
「だが、金より先に知った。あの武士たちは、村を残す気がない」
「証は」
名主が言った。
真壁は即座に答えた。
「鬼の口に箱を隠した。箱は三つ。ひとつは金。ひとつは証文。もうひとつには帳簿のようなものが入っていた。武士は六人。うち二人が箱を担ぎ、一人が巻物を持っていた。馬は少なくとも二頭」
名主の目が細くなる。
村人たちがざわめいた。
真壁は続ける。
「若い武士が、女子供もかと聞いた。年長の男は、知った者を残すなと言った」
老婆が口元を押さえた。
少女が真壁を見ていた。
名主はゆっくりと腰を上げた。
「逃げろと言うのか」
「今すぐ」
「どこへ」
「沢沿いに下る道はだめだ。武士が使う。東の尾根を越えろ。崩れた祠の裏に獣道がある」
「そんな道は、子供しか通らん」
「だからいい。馬は入れない」
村の男が言った。
「年寄りはどうする」
その問いで、場が止まった。
真壁は村人たちの顔を見た。
老人。
足の悪い女。
小さな子供。
背負える荷物。
持っていけない米。
捨てるしかない家。
逃げるとは、選ぶことだ。
全員を同じ速さで救うことはできない。
真壁は喉の奥に苦いものを感じた。
三日前、彼はこれを恐れて帰った。
助け始めれば、誰をどう助けるのか決めなければならない。
その責任から逃げた。
だが、もう逃げない。
「動ける者が、動けない者を背負う。荷物は持つな。米も金も捨てろ。水だけ持て」
「食わずにどうする」
「生きてから考えろ」
名主が真壁を見た。
「なぜ、そこまでする」
真壁は答えなかった。
少女が小さく言った。
「おじさん、遠いところから来たんだよ」
村人たちの視線が少女に集まる。
「遠いところから、知らせに来たんだよ」
真壁は少女を見た。
その言葉は、何の説明にもなっていない。
だが、名主は少しだけ表情を変えた。
「……半刻で支度しろ」
男の一人が反発した。
「本気ですか。こんなよそ者の言うことを」
名主は振り返った。
「では、お前はここに残るか」
男は黙った。
名主は低い声で言った。
「生き延びて笑われるなら、それでよい。死んで正しかったと言われても、聞く耳は残らん」
その一言で、村が動き出した。
*
支度は混乱した。
老人が家財を持とうとする。
女が米俵を諦めきれない。
子供が泣く。
男たちは鍬や鎌を持とうとした。
真壁は一つずつ止めた。
「重いものは置け」
「でも」
「置け。命より重いものはない」
自分で言いながら、胸が痛んだ。
金のためにここへ来た男が、命より重いものはないと言っている。
滑稽だった。
だが、今はそれでいい。
沢の方から、馬のいななきが聞こえた。
真壁は顔を上げた。
早い。
武士たちは夜明け前ではなく、日が落ちる前に動き始めたのか。
前回の自分が洞穴を離れた後、計画を早めた可能性がある。
自分の接触が影響したのか。
それとも、もともとそうだったのか。
考えている暇はなかった。
「出るぞ」
名主が叫んだ。
村人たちは列になり、東の尾根へ向かった。
真壁は最後尾についた。
少女が老婆の手を引いている。
「おじさん」
少女が振り返った。
「前を見て走れ」
「おじさんも来る?」
「ああ」
嘘だった。
全員が尾根へ入るまで、誰かが追っ手を引きつけなければならない。
村の入口に、火が見えた。
松明だ。
武士たちが来た。
「誰だ!」
怒声が響く。
真壁は村の道の真ん中に立った。
六人。
洞穴で見た通りだ。
二人は馬から降り、三人が刀を抜いている。
年長の武士が真壁を見つけた。
「貴様、昼の」
真壁は何も答えなかった。
武士の視線が、村の奥へ向く。
「逃げたか」
真壁は足元の石を拾い、近くの納屋に投げつけた。
乾いた音が響く。
武士たちの視線が戻った。
「貴様が知らせたな」
真壁は後ずさった。
「金の場所を知っている」
その一言で、武士たちの顔色が変わった。
「何?」
「鬼の口だろう。箱は三つ。証文もある」
年長の武士の目に殺意が宿った。
「捕らえろ」
真壁は走った。
村人たちとは反対方向へ。
足がもつれる。
草鞋が滑る。
心臓が破れそうになる。
後ろから足音が追ってくる。
武士の怒声。
馬の音。
真壁は山道へ入った。
地形は頭に入っている。
前回、金のために覚えた道だ。
今は、人を逃がすために使う。
崩れやすい斜面。
倒木。
ぬかるんだ沢沿い。
武士が馬で入りにくい場所。
真壁はそこへ向かって走った。
息が続かない。
太ももが焼けるように痛い。
現実で、もっと鍛えておくべきだった。
この世界に来る者が未来を知るだけで全能になれるなど、嘘だ。
未来を知っていても、身体は今の自分以上にはならない。
背後で男が叫んだ。
「止まれ!」
止まるわけがない。
真壁は斜面を駆け下りた。
足が滑り、転がるように下へ落ちる。
肩を岩に打ちつけた。
痛みで息が止まる。
それでも立ち上がる。
追ってきた武士の一人が、同じ斜面で足を滑らせた。
怒声が悲鳴に変わる。
真壁はそれを確認する余裕もなく、さらに奥へ進んだ。
沢の音が大きくなる。
この先に細い崖がある。
前回、遠目に見ていた。
崩れやすいが、人ひとりなら渡れる。馬は無理だ。
そこまで行けば時間を稼げる。
だが、足が限界だった。
背後から、別の武士が迫る。
真壁は振り返り、咄嗟に土を掴んで投げた。
相手の顔にかかる。
武士が怯んだ。
その隙に走る。
崖の手前で、真壁は足を止めた。
向こう側に、村人たちの列が見えた。
東の尾根へ入っている。
名主が老人を背負い、少女が老婆の手を引いている。
間に合った。
その瞬間、少女がこちらを見た。
遠すぎて声は届かない。
だが、彼女が何か叫んでいるのは分かった。
おじさんも来て。
そう言っている気がした。
真壁は笑おうとした。
うまく笑えなかった。
「行け」
声はかすれていた。
「行け!」
今度は届いたのか、名主が少女の肩を押した。
少女は何度も振り返りながら、尾根の向こうへ消えていく。
真壁はその背中を見送った。
よかった。
そう思った瞬間、左脇に熱い痛みが走った。
視線を落とすと、着物が赤く染まっていた。
背後から斬られたのだと、少し遅れて理解した。
膝が崩れる。
武士が真壁の肩を掴み、地面に押し倒した。
「どこへ逃がした」
真壁は答えなかった。
「言え」
刀の切っ先が喉元に当たる。
怖くないわけではなかった。
身体は震えている。
痛みで呼吸が浅い。
だが、不思議と後悔はなかった。
現実の歴史は変わらない。
骨は消えない。
この救出は、どの記録にも残らない。
それでも、あの尾根を子供たちは走った。
真壁は血の味を感じながら、かすかに笑った。
「遅れてきただけだ」
「何?」
武士が顔を近づける。
そのとき、視界の端に警告が浮かんだ。
《肉体負荷上昇》
《致命傷判定》
《強制帰還処理準備》
武士の顔がぼやける。
耳鳴りがする。
遠くで、少女の声が聞こえた気がした。
「ありがとう」
実際に聞こえたのか、記憶が作ったのかは分からない。
真壁は言おうとした。
遅くなってすまない。
だが、言葉は声にならなかった。
世界が暗くなる。
山の匂いが遠ざかる。
最後に見えたのは、夜明け前の空ではなく、赤い夕暮れだった。
あの村が燃える前の、まだ静かな空だった。
そして真壁は、現実へ引き戻された。
*
真壁は叫びながら目を覚ました。
自分の声だと気づくまで、数秒かかった。
喉が焼けるように痛い。
胸が上下し、心臓が暴れている。
白い天井。
消毒液の匂い。
規則正しい電子音。
現実だった。
「帰還確認。意識レベル上昇。心拍、高値」
看護師の声が近くで響いた。
真壁は身体を起こそうとしたが、肩を押さえられた。
「動かないでください」
「村は」
その言葉が、最初に出た。
看護師は一瞬、意味が分からない顔をした。
「真壁さん、ここは施設です。帰還しています」
「村はどうなった」
もう一度言った。
自分でも馬鹿げた質問だと分かっていた。
現実の村ではない。
歴史に残らない分岐だ。
答えなど、ここにいる人間が知っているはずもない。
それでも聞かずにいられなかった。
白石玲奈が近づいてきた。
「一部の村人が、東の尾根へ移動したログは確認されています」
真壁は白石を見た。
「逃げたのか」
「あなた以外の他者観測ログと環境ログからは、少なくとも十数名が村を離れたことが確認されています」
「少女は」
白石は端末に視線を落とした。
「赤い紐をつけた子供なら、老婆と一緒に尾根へ入っています」
真壁は目を閉じた。
身体から力が抜けた。
救えた。
少なくとも、あの世界では。
その事実は現実の何も変えない。
発掘現場の骨は消えない。
四百年前の事件も消えない。
真壁が一度見捨てたことも消えない。
それでも、彼は息を吐いた。
長く、深く。
「重傷判定でした」
白石が言った。
「痛みは」
「ある」
「実際の肉体損傷はありません。ただし神経負荷が大きい。しばらく休養が必要です」
「死んだのか」
「過去内では致命傷判定です。強制帰還が間に合いました」
「そうか」
真壁は天井を見た。
斬られた感触が、まだ脇腹に残っている。
身体には傷がない。
だが、痛みの記憶は本物だった。
「記録は」
「保存されています」
「削除するな」
白石は少しだけ眉を動かした。
「削除申請の予定はありませんか」
「ない」
「商業価値はありません」
真壁はかすかに笑った。
「君は前にもそう言ったな」
「言いました」
「価値はある」
「どんな価値ですか」
真壁はすぐには答えなかった。
ポッドの横に置かれた水を受け取り、一口飲む。
水は無味だった。
沢の水とは違う。
「あれは、俺が人間に戻った記録だ」
白石は何も言わなかった。
電子音だけが続いた。
*
一週間後、発掘現場には報道陣が来ていた。
山中で発見された戦国期の埋蔵金。
その横から見つかった複数の人骨。
さらに、朽ちた紙片から読み取られた裏切りの証文と、人身売買を示す記録。
事件は、地方ニュースから全国ニュースへ広がった。
テレビでは、専門家が真面目な顔で語っていた。
「これは単なる埋蔵金伝説ではなく、戦国末期の地域支配、敗走過程、そして村落に対する暴力を示す非常に重要な発見です」
佐伯は取材に応じ、土地所有者として誇らしげに語っていた。
「先祖代々の土地からこのような歴史的発見があったことを、重く受け止めています」
真壁はその映像を、事務所の小さなテレビで見ていた。
重く受け止めている顔ではなかった。
少なくとも、真壁にはそう見えた。
電話は鳴り続けていた。
新規の依頼だった。
「うちの山にも伝説があります」
「古い屋敷の蔵を調べたい」
「先祖が隠した金について相談したい」
「クロノスAで確認できますか」
金の匂いは、金を呼ぶ。
真壁は電話に出なかった。
机の上には、発掘報告書の草稿が置かれていた。
自治体と研究者が作成しているものとは別に、真壁が個人的にまとめたものだ。
そこには、金の座標だけでなく、村の位置、沢の流れ、逃走路の推定、洞穴の構造、村人たちが襲撃された経緯が書かれていた。
もちろん、二度目のダイブで救出したことは、学術報告にはならない。
現実の歴史ではないからだ。
それでも、真壁は記録した。
存在しない村のための報告書。
助かったことにならない人々のための記録。
意味がない。
そう思いながら、彼は書き続けた。
*
慰霊碑を建てる話をしたとき、佐伯は露骨に嫌な顔をした。
「先生、そこまでする必要がありますか」
発掘現場近くの仮設事務所で、佐伯はそう言った。
外では調査員が作業を続けている。
金はすでに安全な場所へ移され、人骨は専門機関で鑑定されることになっていた。
「必要があると思います」
「遺骨は行政が扱うでしょう。供養なら地元の寺に頼めばいい」
「それとは別です」
「別?」
「この山に、村があったことを残したい」
佐伯は困ったように笑った。
「でも、村名も分からないんですよね」
「ええ」
「なら、何と刻むんですか」
真壁は用意していた紙を出した。
佐伯はそれを見て、眉を寄せた。
名もなき村の人々へ
「少し、大げさでは?」
「そうでしょうか」
「いや、悪いとは言いませんよ。ただ、こういうのは慎重にしないと。土地の価値にも影響しますし、変な噂が立っても困る」
真壁は佐伯を見た。
「費用はこちらで持ちます」
佐伯は黙った。
「建立場所も、開発予定区域から外れた場所で構いません。山道の入口に、小さなものでいい」
「先生がそこまでされる理由は」
「金が出たからです」
佐伯は目を細めた。
「それは、どういう意味です?」
「金が出なければ、誰もこの人たちに気づかなかった」
佐伯はしばらく考え、やがて肩をすくめた。
「費用を持っていただけるなら、私は構いません。ただ、あまり暗い話にしないでください。地域振興にもつなげたいので」
真壁は返事をしなかった。
暗い話。
そうだろう。
人はいつも、死者の話を暗い話として片づけたがる。
金の話は明るい話として扱うのに。
*
慰霊碑は、半年後に建った。
大きなものではない。
山道の入口近く、沢の音が聞こえる場所に、灰色の小さな石が置かれただけだった。
表には、あの文字が刻まれている。
名もなき村の人々へ
裏には、発掘年と、調査協力者の名が小さく刻まれていた。
真壁の名前は入れなかった。
建立の日、佐伯も自治体の担当者も来た。
地元の僧侶が読経し、研究者が短い説明をした。
真壁は少し離れた場所に立っていた。
式が終わり、人がまばらになると、白石玲奈がやってきた。
「珍しい場所で会いますね」
真壁は振り返った。
「施設の外で見ると、君も人間に見えるな」
「普段は何に見えているんですか」
「規約」
白石はほんの少しだけ口元を動かした。
笑ったのかもしれない。
「個人的な参列ですか」
「半分は業務です」
「ログ管理部門が慰霊碑まで確認するのか」
「今回の案件は注目されています。クロノスA由来の商業発掘として、いくつかの倫理審査に回っています」
「俺は処分されるのか」
「現時点では、その予定はありません。二度目のダイブも規約上は違反なしです」
「そうか」
「ただ、議論にはなるでしょう」
「何が」
「現実に影響しない救助行動を、クロノスAはどう扱うべきか」
真壁は慰霊碑を見た。
「好きに議論すればいい」
「関心がないんですか」
「ある。ただ、結論は出ない」
白石は隣に立った。
二人の前で、沢の水が流れている。
現代の沢だ。
コンクリートで一部を固められ、昔の流れとは違っている。
「二度目のログを見ました」
白石が言った。
「一人称視点は見えないはずだ」
「ええ。あなたが何を見たかは分かりません。ただ、村人たちが走る姿は残っています。老婆の手を引く子供も」
真壁は黙った。
「その子は、尾根を越えました」
「その後は?」
「あなたがログアウトした後の範囲は、十分に観測されていません。追跡できるログは断片的です」
「つまり、分からない」
「はい」
真壁は小さく頷いた。
それでよかった。
完全な結末など、必要ないのかもしれない。
少なくとも、燃える村の中で終わったわけではない。
彼女は走っていた。
それだけで、今は十分だった。
「真壁さん」
「何だ」
「なぜ、そこまでしたんですか」
「前にも聞いただろう」
「前とは違う答えがあるかと思って」
真壁はしばらく黙った。
風が杉の枝を揺らした。
その音は、過去の山で聞いた音と似ていた。
「最初のダイブで、俺はあの子に聞かれた」
「何を」
「また遠いところへ帰るのか、と」
白石は何も言わなかった。
「俺は帰った。あの子を置いて」
真壁は慰霊碑を見た。
「だから、もう一度行った。帰るためじゃない。今度は、置いてこないために」
白石は静かに聞いていた。
「それで、救われましたか」
真壁は答えを探した。
現実の少女は救われていない。
発掘された骨は、あの飾り紐をつけたままだった。
歴史は変わらない。
過去を変えた気になることは、危険な自己満足かもしれない。
だが、あの尾根を走った少女もまた、真壁には偽物に思えなかった。
「分からない」
正直に答えた。
「でも、見捨てたままよりはましだ」
白石は小さく頷いた。
「クロノスAの利用者で、そう言う人は少ないです」
「大抵は何と言う」
「もっと早く知っていれば、もっと儲かったと」
真壁は苦笑した。
「俺も最初はそうだった」
「今は違いますか」
真壁はすぐには答えなかった。
今も金は欲しい。
仕事も続けるだろう。
聖人になったわけではない。
人間は、そんなに簡単には変わらない。
だが、金だけを見ることは、もうできない。
「次に潜るときは」
真壁は言った。
「少しは走れるようにしておく」
白石は彼の横顔を見た。
「肉体トレーニングの予約も、施設で取れます」
「商売上手だな」
「日本はクロノスA大国ですから」
その言い方が妙に淡々としていて、真壁は少し笑った。
*
数日後、真壁は事務所の壁に一枚の地図を貼った。
発掘現場周辺の地形図だった。
役所から入手した現代の地図に、彼は自分で一本の線を書き加えた。
村から東の尾根へ抜ける道。
現代の地図には、その道は存在しない。
登山道でもなければ、林道でもない。
四百年前の村人たちが、夜の山を逃げたはずの道だ。
いや、正確には違う。
現実の歴史では、彼らは逃げていない。
少なくとも、その証拠はない。
洞穴の骨が、それを示している。
だから、この線は現実には存在しない。
だが、真壁は消さなかった。
机の上には、新しい依頼書が積まれている。
埋蔵金。
失われた茶器。
沈んだ船の積荷。
昔の屋敷に隠された証文。
どれも金になる。
真壁はその一枚を手に取り、しばらく眺めた。
そして、脇に置いた。
まず、走らなければならない。
翌朝、彼は久しぶりに運動靴を履いた。
近所の公園を一周走っただけで、息が上がった。
情けないほど足が重い。
それでも、彼は立ち止まらなかった。
走りながら、あの山道を思い出す。
夕暮れ。
沢の音。
赤い飾り紐。
尾根を越えていく小さな背中。
現実は変わらない。
歴史も変わらない。
それでも……。
真壁は走り続けた。
どの地図にも載っていない道を、もう一度たどるために。
『クロノスA』第一話完結です。
クロノスAのサイドストーリーは、一話毎にクロノスAというシステムのルールや仕様を取り上げています。
各話全体でシステムの解像度を上げていくという、中々気長な話なので、どうぞ最後までお付き合い頂けますよう宜しくお願いいたします。




