第92話:【開幕】忘年会の混沌と焦燥
忘年会当日。
会場となったシティホテルの宴会フロアは、開始十分前だというのに、すでに末期的な空気に包まれていた。
「……先輩。……あれ、直視していいんでしょうか」
凛が僕の背後に隠れ、震える指で金屏風の前を指差す。
そこには、ホテルの豪華なシャンデリアの下で、あまりにも場違いな赤い布を纏った「セクシーサンタ高橋」と「マッスル・トナカイ島田」が、受付として鎮座していた。
「……見るな、佐倉さん。視覚情報を遮断してください。網膜が汚染される。」
ホテルの格式がエラーを起こしている。
凛の視界を遮るように立ち、受付へと進んだ。
高橋は、高級感溢れる大理石のカウンターで、死んだ魚の目をして「席順くじ」の箱を差し出す。
「……よぉ、佐藤。……引けよ。……あみだの神様が選んだ、俺の『晴れ姿』……しっかり目に焼き付けとけよ……」
「………要件定義に『美観の維持』が無い時点で、このプロジェクトは破綻してた。……近くで見ると、ダメだこれ、強すぎる……っ、ふふ……ホテルの絨毯が泣いている…………あはは。……ちょっ、ツボに入った。くくくっ、あっはは」
笑いすぎて出た涙を指で拭い、くじを引き抜いた。
(……さて。ここからが本番だ。僕の全リソースは定時解散という名の最短ルートで自宅へエスケープすることに割り当てられている)
その時、背後から凛が身を乗り出した。
「島田さん! 似合ってます! せっかくだからポージングしてください!」
「ええ……。……いや、うーん。一回だけだよ」
マッスル・トナカイ島田は、ホテルの格式高い照明を反射させながら、顔を真っ赤にしてポージングに応じた。
大理石のカウンター前で、サイドチェストが炸裂する。
「うわぁ、すごーい! 筋肉が『オーバーロード』してますよ先輩!」
(……凛。語彙の使い方が間違っているが、今の島田さんの筋密度は確かに物理的な限界値を超えつつあるな)
高橋サンタが死んだ魚の目でその光景を見つめる中、凛がクジを引いた。
「あ、99番」
(((……端と端のテーブルじゃないか!!!)))
自分の5番のクジを見る。
会場の広大な絨毯の上で、1番から100番まで、円卓は無情にも分散されている。
僕の5番と、凛の99番。
((もはや物理的な通信が不可能なほどの絶望的な距離だ!))
「わあ、私、一番あっちの端のテーブルです! 先輩、遠いですねぇ……」
凛が能天気に手を振る。
その背後で、高橋サンタがひきつった笑みを浮かべていた。
「……はは。ざまぁみろ佐藤」
(……黙れ、セクシー公害。……これでは、凛を酔っ払い連中からガードできないどころか、僕の『定時離脱計画』そのものが崩壊する……!)
会場の円卓に着いたものの、僕の視界の端で、凛のテーブルには、ウェルカムドリンクですでに営業所の「アルコール過剰摂取気味」なメンバーが着席しようとしているのが見える。
「……あっ」
遠くの席で、凛が慣れない手つきでシャンパングラスを受け取っている。
僕は立ち上がったものの、即座にその足を止めた。
(……いや、待て。ここで強引に席をスワップ(交換)はルールを破るという、最もの愚行だ)
拳を握りしめ、渋々として再び自分の席へ腰を下ろした。
「……げっ」
(……げっ?)
「隣、失礼しま~す!」
(……立花さんだ。あからさまに『げっ、よりによって佐藤の隣かよ』という顔をしている)
立花さんは、僕と椅子一個分以上のディスタンス(物理的距離)を保ちながら、不機嫌そうにドカッと座った。盛り盛りのネイルが、ホテルの白いテーブルクロスの上で攻撃的な光を放っている
あくまで完璧な「ビジネスライク」の仮面を被り、隣の席の立花さんに向き直った。
「立花さん。……今年は親睦会や事務作業など、種々のタスクを率先して取り纏めていただき、感謝しています。特に、先日の受電営業における能動的なアクションは、非常に高いパフォーマンスでした。……あ、その件で発生したインセンティブについては、年度末の評価プロトコルに反映されるよう調整中ですので」
感情を一切排した、滑らかな事務報告。
その直後、僕は自分の言葉を飲み込んだ。
立花さんが、獲物を狙うハッカーのような冷徹な瞳で、僕の顔を「じー」と見つめていたからだ。
「……な、なんでしょう? 何かついてますか?」
「いえ。……ずっっと気になってて」
「……何がですか?」
「あの、凛……あ」
立花さんが何か言おうとした瞬間、ホテルの照明がパッと暗転した。
宴会場の喧騒が、ピタリと止む。
ステージ上の金屏風が左右に割れ、気の早いクリスマスソングと共に地獄の使者が現れた。
――スポットライトを浴びたのは、鞭を持った「セクシーサンタ高橋」と、筋肉のカットを強調しながらオラつく「マッスル・トナカイ島田」。
島田の首には首輪。
そこから伸びたリードを手綱のように高橋が持っている。
「「メ、メリー・クリスマス……(小声)」」
会場の空気は、一瞬にしてフリーズした。
(((や、やるなら、ふり切れろよ!中途半端にするからだ……)))
誰もが「見てはいけないもの」を見たような表情で、シャンパングラスを握りしめたまま硬直している。
「う……嘘でしょ? あの、あみだくじ……あれを私たちにさせようしてたの……!?」
隣の席の立花さんが、言葉を失って絶句した。
「やばい……、親会社の連中どうかしてる」
「あの……一緒にしないでください」
高橋の『地獄の司会プログラム』は続く。
ステージ中央、高橋サンタが震える足でマイクを握り、鞭を振り回す。
その背後で、トナカイ島田が、顔を真っ赤にしてポージングを繰り返している。
「……みなさぁん、お疲れ様です……! 今夜の司会を担当する、サンタの高橋と、トナカイの島田です……」
高橋の声が、会場の静寂に響く。
(((……ダメだ。……この空気は、すべり倒してる。僕まで居たたまれない)))
手に持ったオレンジジュースのグラスをギュッと握りしめた。
高橋サンタを直視できず、その地獄絵図を見て呆然としている99番テーブルの凛に固定した。
すると凛が立ち上がった。
(ど、どうしたんだ……?)
小刻みに震えている。
そして会場の静寂を切り裂いたのは、誰の制止も間に合わない、凛の濁りのない爆笑だった。
「ぎゃはーーーー!!!めちゃめちゃウケる!!」
その声は、ホテルの高い天井に反響し、フリーズしていた全社員の意識を強制再起動させた。
(((……えっ、ウケてるのか、これを!?)))
会場の空気が一変する。
凛が腹を抱えて笑っているのを見て、困惑していた営業所のおじさんたちが「なんだ、笑っていいのか!」とばかりに、一気にドッとした笑いに包まれた。
「……凛、やっぱり強すぎる」
隣で立花さんが、戦慄したように呟いた。
「凛のポジティブ・シンキング……。あれは最強だわ」
(……凛。……君のそういう所、鳴凪のみんなが好きなんだろうな)
呆然としながら、オレンジジュースのグラスを口に運んだ。
ステージ上では、凛の笑い声に救われた高橋サンタが、目に見えて自信を取り戻している。
「……お、おおう! 喜んでもらえて何よりでっす! じゃ、じゃあ……乾杯の挨拶を我らが、広瀬支社長にお願いしまーす!ふぅぅぅう!!!」
高橋が絶叫し、会場のボルテージが(妙な方向に)加速していく。
遠くのテーブルで、凛が周囲のおじさんたちとハイタッチを交わしているのが見える。
(…………凛のテンションが『フルスロットル』に入ってしまった)
……あんなに楽しそうに笑って。
次第に周囲の酔っ払いたちが彼女に群がりだしたのをみて、 僕はグラスを置いた。
オレンジジュースの糖分が、焦燥感で熱くなった脳に染み渡る。
(今日は良くも悪くも無礼講なんだ……)
広瀬支店長がマイクを握り、会場に「乾杯!」の声が響き渡った。




