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ハイスペ佐藤くん、この恋だけはポンコツです〜五月雨式に失礼いたします〜  作者: もふおのしっぽ
第一章

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第87話:【再起】凛★巧 結婚おめでとう記念

 ――暗転したリビングで、僕は自問自答を繰り返していた。



 なんだこれは


 僕は今、一体何をしている?



 脳内のキャッシュメモリをどれだけ遡っても、現状との整合性が取れない。



 つい数時間前まで、僕は自分のマンションで凛と想いを通じ合わせ、最高に「いいムード」で抱きしめていたはずだ。



 あの時、僕たちの幸福指数は間違いなく過去最高値を更新していた。



 それがどうだ。



 なぜ今、僕の口座には地方競馬の配当金という名目で、六千万円が爆速で着金し、義弟(仮)から「お義兄さん、スイッチ2!」と買収工作を受けているんだ。



「おめでとう、凛。……はい、これ、六千万の味がするイチゴだぞ」


「お父さん、それ巧くんの……!」

 


 暗闇の中、網膜に焼き付いているのは、バラバラに解体されたあと無理やり接着された「事故現場」のようなデコレーションケーキ。



 そして、人生で最も魂を込めて(?)放ったプロポーズを「競馬で決めるな」という極めて真っ当なロジックで棄却された、僕の無惨な敗北の記憶。



 数千万の資産形成には成功したが、肝心の「婚約」というメイン・プロジェクトが完全にスタックしている。



(……バグだ。完全に、僕の人生設計がバグを起こしている。そもそも、なぜあんなタイミングでプロポーズしたんだ……。ノリだ。完全に、高知競馬の熱に浮かされたノリだった……!)



 僕は、虚空を見つめたまま、機械的にフォークを動かした。

 


「……甘い。糖分が、脳に染みる……」


「巧くん、大丈夫ですか? 顔が、さっきから魂抜けてますよ?」



 凛が心配そうに覗き込んでくる。

 その顔が、さっき僕をフッた時と同じ顔なのが、また僕の神経を逆なでする。 

  


「……凛さん。僕は今、人生で初めて『不労所得』が嬉しいと思えない。得たものより失ったダメージが強すぎる」



しばらくの間は、この6000万円の数字を見るだけで、激しい後悔に苛まれるだろう。



「あはは、ごめんなさいって!…… OKに決まってるじゃないですか!でももう一度ちゃんとしてくださいね!巧ちゃまが好きそうな、なんかこだわりの演出で」


「!!」



 その瞬間、僕の脳内が限界突破した。


 OK。


 今、彼女は確かに「OK」と言った。



 最悪のタイミング、最悪のロケーション、そして最悪の勝負事。その全てを、彼女から無邪気に繰り出された一言が塗り替えていく。



「……凛さん。OKって……、どれに対してのOKか理解して言ってるのか」


「もう! 巧くん、顔が怖いですよ!もう言いませんよ!」


(……こだわりの、演出……!)



 その言葉は、僕という人間に火をつけるのに十分すぎる燃料だった。



 僕の得意分野だ。

 市場調査、競合比較、そして最高のリソースを投入した「完璧なプレゼンテーション(プロポーズ)」。



(高知競馬の泥にまみれた『一発逆転』ではない。……次は、僕が用意できる最高の『バリュエーション』を提示してやる……!)



 口座にある六千万が、突如としてただの「軍資金(プロポーズ費用と結納金)」へとその性質を変えた。



「……分かった。凛さん。覚悟しておいてほしい。君の予想を上回る『プロポーズ』を、僕がロジカルに構築してみせる」


「ふふ、楽しみにしてますね、巧ちゃま」



 凛が家族にバレないように、テーブルの下で指を絡めながら、僕の手をぎゅっと繋ぐ。



 さっきまでの「敗北感」はどこへやら。



 彼女の体温が伝わった瞬間、僕の脳内ではプロポーズの「再構成案」が、超高速でシミュレーションを始めた。


(……こだわりの、演出。そうだ、僕には軍資金がある。ならば、これだ!)



 突如、脳内のスプレッドシートに「高知競馬・個人協賛レース」の文字が踊る。



 レース名:『凛★巧 結婚おめでとう記念』。



 予算は潤沢だ。

 高知の夜空に鳴り響くファンファーレ。誘導馬の後ろからタキシード姿の僕が現れ、電光掲示板には二人の軌跡がテロップで流れる。


(……完璧だ。これこそが、六千万というリソースを最大限に活用した、ドラマチックかつ独創的な――)


「…………違う。待て。巧、落ち着け」


「ん??どうしました?」


 僕はフォークを握ったまま、必死に自分を制した。


 危ないところだった。

 危うく「高知競馬の呪い」に思考を完全ジャックされ、凛さんを二度と開かないシェルターに引きこもらせるところだった。


 今の案を実施すれば、成約どころか社会的抹殺を食らう。


(……競馬は忘れろ。土と砂と万馬券は、一度脳内から消去するんだ!)



 代わりに、僕が本来いるべき「エリートの戦場」からリソースを引っ張り出す。



 「都内最高級ホテルのスイートルーム」の最上階。


 夜景の光害指数を計算し、最も瞳がきれいに見えるルクスを算出する。あるいは「ヘリコプターのチャーター」による高度300メートルからの空域制圧。または「オーケストラの貸し切り」による、カノン進行を用いる……。


 過剰すぎるオプションが次々とスロットのように回り続けていた。


「……おい佐藤、いつまでイチャついてんだ。早くケーキ食えよ。六千万分、味わって食えよ」


 蓮の無粋なツッコミすら、今の僕には心地よいBGMだ。

 

 ハイスペック佐藤巧。


 一世一代の「やり直し」に向けて、僕の人生最大のプレゼンが、今まさに始まろうとしていた。



 が……結局、僕はその夜、佐倉家に泊まることになった。



「佐藤くん、もう一杯! ほら、これは六千万の的中記念だ。断るのはロジカルじゃないぞ!」


「……お父様。それは……先ほどから五回は聞きました」



 お父様に勧められるがまま、地元の強い酒を煽る。



 普段ならアルコール分解速度と翌朝のパフォーマンスを天秤にかけるところだが、今の僕にそんな余裕はない。



(……もう、いい。考えるのは、やめた)



 僕は、自分の中の「エリート佐藤巧」というOSをシャットダウンした。

 


 そして口座には、身に覚えのない六千万(実際はあるが)。



 隣には、僕のプロポーズを断った直後にやっぱり「OK」と言い放つ、幸せそうにケーキを頬張る最愛のポンコツ。



「巧くん、飲みすぎですよ? 顔が、プログラム終了したパソコンみたいになってます」



「……あぁ。……今、強制終了タスクキルしたんだ。凛さん」



 僕は、焦点の合わない目で彼女を見つめる。

 


 こだわりの演出?

 最高のプロポーズ?

 そんなものは、明日、シラフの僕が考えればいい。


 今の僕はただ、これからずっと隣に彼女がいるという、計算式では導き出せない幸福感に身を任せることにした。


 シャワーを借り、義理の弟(仮)の丈の足りないパジャマに着替えた。


「佐藤さん、お布団敷いたわよ。凛の隣の部屋だからね」


「あ、ありがとうございます……」


 お母様の意味深な微笑み。

 僕はフラフラと立ち上がり、用意された布団へと向かう。


 壁一枚を隔てた隣には、凛さんがいる。


 僕は、鳴凪の潮風が窓を叩く音を聞きながら、泥のように深い眠りへと落ちようとしていた。



(……6000万。……結婚。……凛。)


 思考の断片が、深い眠りの底へと沈んでいく。


 意識が暗転しかけた、その時だった。


『コンコン』


 静寂を裂く、控えめなノック。


 襖が、数センチだけ音もなく滑った。


「……っ、あ、巧くん」


 隙間から覗く、月光を背負ったシルエット。


 凛だ。

 家族を起こさないよう、吐息のような声で彼女が囁く。


「……寝てますかね?」


「……う、ん? ……あー。もう、寝落ちしそうだった」


 僕は上体を起こそうとして、重い頭を振った。


 凛は足音を殺して這い寄ると、僕の布団の端にちょこんと膝をつく。


 暗がりの中でも、彼女の瞳が熱を帯びて潤んでいるのがわかった。


「……どうしたの?」


「いいえ。……巧くんの顔、最後にちゃんと見とかないと、起きたら今日の出来事が全部『夢』だったことになりそうで」


 凛はふふ、と悪戯っぽく笑い、僕の頬に冷たい指先を添えた。

 その触れ方は、これまでの「先輩と後輩」でも「同僚」でもない、確かな「愛する人」だ。


「……大好きですよ。巧くん」


「……僕もだ。……死ぬほど、好きだ」


 僕は彼女の細い手首を掴み、そのまま引き寄せるようにして、降ってきた唇を受け入れた。


 柔らかい熱。

 

 ……けれど。


「…………ぷっ。……ふふふ」


 唇が離れた瞬間、凛が肩を震わせて吹き出した。


「……なに?」


「……あはは! ごめんなさい、でも……すっごい、お酒くさいです。巧くん」


 凛は鼻を摘みながら、それでも愛おしそうに僕の胸元に顔を埋めた。


「……あぁ、ごめん。お父様に、断るのはロジカルじゃないって言われて、つい……」


「照れてる巧くん、最高にかわいいです」


「……凛も飲んでた?」


「少しだけ飲みました」


 その少しだけが凛を大胆にしていた。


 酒の匂いと彼女の体温が混ざり合うこのカオスな空間こそが、僕にとっての『ベストプラクティス』だった。


 少し大胆になった、二度目のキスを交わした。



 僕の理性を心地よく溶かしていく。


(……あぁ、これだ)

 

 「……スマートな巧くんもかっこいいですけど。私、たまに見せてくれるその『ポンコツ』なところが、世界で一番好きなんです」


「…………完敗です。」



 僕は、自分の胸の奥が熱い何かで満たされるのを感じた。


 凛は僕の首に腕を回し、もう一度だけ、短く、でも深いキスを落とした。


「……じゃあ、おやすみなさい。……旦那さま(予定)」


 彼女はそう囁くと、音もなく布団から離れ、襖の向こうへと消えていった。


 一人残された暗闇の中。


 僕は、自分の心臓がうるさいほど脈打っているのを聞きながら、静かに目を閉じた。


 

 隣の部屋の最愛の婚約者(仮)。

 明日、目が覚めたら。


 まずはこの「軍資金」の使い道と、彼女を一生笑わせ続けるための「長期事業計画書」の作成に取り掛かろう。


 鳴凪の夜は、どこまでも深く、そして優しく更けていった。

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