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ハイスペ佐藤くん、この恋だけはポンコツです〜五月雨式に失礼いたします〜  作者: もふおのしっぽ
第一章

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85/118

第85話:【決着】20時50分の万馬券とプロポーズ

 バリィィッ……!!



 静寂を切り裂いたのは、お父様の手の中でついに限界を迎えた競馬新聞の悲鳴だった。



 真っ二つに裂けた紙面を放り出し、お父様がギラついた眼光で僕を射抜く。



「……佐藤くん。タイは美味いか」


「は、はい。大変、身が締まっていて……」


「そうか。」



 お父様がおもむろにスマートフォンを取り出し、画面を僕に突きつけた。



そこには、赤と青のライトが激しく点滅する地方競馬のライブ画面が映し出されている。



「今から高知競馬のナイトレース……最終、一発逆転ファイナルレースが始まる」


「えっ……お、お父さん?」


 凛が困惑の声を上げるが、お父様は止まらない。その目は、もはや愛娘を奪われんとする父親のそれではなく、一勝負に命を懸ける「勝負師」のそれだった。


「佐藤くん。勝負勘を試させてもらおうか」

(……ま、また直感で決めるか!?)


「このレース……馬券を当ててみせろ。もし、これが的中したら――」


 お父様がゴクリと喉を鳴らし、研ぎ澄まされたお母様の包丁よりも鋭い言葉を放った。



「――凛を、お前に嫁にやる。外れたら、今すぐこの鳴凪から叩き出す。……いいな?」



「お父さん!! な、なにその滅茶苦茶な条件!!」



 凛が立ち上がって抗議するが、お父様は聞く耳を持たない。



 横では弟の蓮くんが「……お父さん、それじゃあ佐藤が当てたら僕らの負けじゃないか」と、どっちの味方か分からない不満を漏らしている。



(……高知競馬。よりによって、最も予測不能と言われる『ファイナルレース』か……!)



 出走馬は直近の成績が芳しくない馬ばかりが集められ、どの馬が勝ってもおかしくない、まさに混沌カオスの象徴。



 だが眼鏡をクイと押し上げ、お父様の差し出したスマートフォンを真っ直ぐに見つめた。



「……分かりました。その勝負、謹んでお受けします」


「巧くん!?」 


「凛さん、大丈夫だ。僕の勝負勘を、信じてほしい」


 高知の夜を駆ける競走馬たちのデータに、全神経を集中させた。


 画面に並ぶのは、直近の成績が「10着、12着、9着……」といった、一見すれば救いようのない数字の羅列。

(この『一発逆転ファイナルレース』は、番組編成上の意図として「最近全く勝てていない馬」だけを強制的に集めた、日本一難解なパズルだ。)



 眼鏡のブリッジを押し上げる。


 凛は「お父さん、そんなの無茶苦茶だよ!」と怒っているが、僕は逆に、このカオスの中に潜む「不変のロジック」を探し始めていた。


「お父様。このレース、単なる運ゲー(ギャンブル)ではありませんね?」


「……ほう? 何が見える」


「近走の着順はゴミのようです。……が、よく見てください。この8番の馬、前走の『時計』だけは、この泥んこの不良馬場トラックコンディションにおいて、唯一平均を上回っている。しかも、今回の鞍上は高知のリーディングジョッキー……」


 スマートフォンの画面を指で弾き、膨大な過去ログを脳内のスプレッドシートに展開する。


「このレースの隠れた変数は『モチベーション』ではありません。……『誰が一番、砂の深さに耐えられるか』という物理的な耐久指数の勝負だ」


「巧くん……?た、巧くんの好きな血統とかそういロジックはどこいったんですか?!」


「凛さん、そんなロジックは……このレースでは一切通用しない!」


 凛が不安そうに僕を見つめる。僕は彼女の視線を受け止め、不敵に口角を上げた。


「……お父様。この『一発逆転』……僕がベットするのは、8番を軸にした三連単。これ一点です」

(そして決め手はあの周回展示パドックの姿だ。凛のようなアホ毛のアンテナ……。勝ち確定だ!)


「なっ……三連単の一点買いだと!?」


 お父様の顔が驚愕に染まる。背後でお母様が「あらあら、佐藤さん、素敵ね」と、研いだばかりの包丁を置いて拍手している。


(……僕の勝負勘は、恋の重圧がかかった時ほど、その真価を発揮するんだ。たぶん)


 リビングの時計の針は、まもなく20時50分を指そうとしていた。



「佐藤くん。……もうすぐだ」


 お父様が、血走った目でスマートフォンの画面を凝視する。高知競馬、第12レース。泣いても笑ってもこれが最後、本日一番の難解レース。


「……発走ファンファーレです。お父様」


 冷静に告げた。三連単、8番軸の一点買い……投資額、5万円。


 そして、運命のゲートが開いた――。


「……8番、抜けた……いや、まだだ……」

「差し返されるな……耐えろ……耐えろ……!」


 画面の向こう側で、泥まみれの8番が後続を突き放した。


「行け、そのまま行け、凛!!!」

「その馬、私じゃないですぅ!!!」



 8番が先頭のまま悠々とゴール板を駆け抜けた。



 それはまるで地方の泥沼から、僕の心をいとも簡単にかっさらっていった凛の様に―――



「……的中だ」



 静まり返ったリビングに、僕の低い声が響く。三連単一点買い。オッズは――万馬券。


 お父様のスマートフォンが、震える手から畳の上に滑り落ちた。



「しゃあッ……!!」



 立ち上がり、これまでの人生で一度もしたことがないような、熱い、泥臭いガッツポーズを繰り出した。



「な、……なっ……。あんな、近走ボロボロだった8番が、何でこんな……っ!!」


「お父様。高知の不良馬場における内枠の有利性と、減量騎手の起用による斤量差ハンデを計算すれば、この展開は必然ロジカルでした」


 エリートの仮面が剥がれ、勝負師の顔がのぞく。

お父様は真っ白に燃え尽きたように、床に両手をついて項垂れた。



「……凛さん。この8番が先頭でゴールする確率は、僕たちが今日このリビングでタイを食べる確率よりも高かった。……必然ですよ」


「も、もう何言ってるか分かりませんよぅ!!!」


「……こんな……あんな馬券、プロでも当たらん……っ。だが……約束は、約束だ。……佐藤くん。凛を、よろしく頼む」


「お父さん……っ!」


 凛が感動に目を潤ませ、僕の元へ駆け寄ろうとする。勝利の昂揚感と、お父様からの「公認」。脳内のアドレナリンが限界値を突破し、僕はそのままの勢いで、彼女の両肩を掴んだ。


「凛さん!!」


「は、はいっ!」


「……結婚しよう!!」


 さっきの告白を飛び越し、一気にゴールテープを切る一世一代のプロポーズ。



お母様が「あら、早い!」と微笑み、蓮くんが「ちょ、佐藤!」と絶叫する。



 だが、僕の熱い視線を受けた凛は――。


 スッ、と一歩、後ろに下がった。


「…………やだ」


「………………え?」


 時が止まった。僕の上げたガッツポーズの手が、虚空でピクリと止まる。


「や、やだ!? 今、『やだ』って言った!? なんで!?」


「なんでって……っ! 競馬の結果で結婚が決まるなんて、そんなの嫌です! 私は、私のタイミングで、もっとちゃんとした時に言われたいんですぅぅ!!」



 凛は顔を真っ赤にして、僕の胸をポカポカと叩き、そのまま二階の自分の部屋へと駆け上がっていった。


「…………」


 静まり返るリビング。

 勝ち誇っていたはずの僕は、的中画面が表示されたスマホを手に、石像のように固まった。


「……あーあ。佐藤さん、詰めが甘かったわね」


 お母様が楽しそうにケーキを切り分け、蓮は「……ハハッ、ざまぁ見ろ佐藤。フラれたな」と、ようやく少しだけ元気を取り戻した。


「……ちなみに佐藤くん。その馬券、いくら賭けてたんだ?」


 床に伏したまま、お父様が消え入りそうな声で尋ねる。


「……5万です。三連単の一点買いで」


 答えた瞬間、お父様が跳ね起きて僕のスマホをひったくった。


画面に表示された最終オッズと払戻金額を確認した一家の動きが、ピタリと止まる。


「……オッズが、1,200倍……。ろ、ろ、……」


 お父様の顔が、見たこともない土色に変色していく。


「ろ、六千万……!!!!」


「「「ええええええええ!!!!」」」


 リビングに、凛の拒絶をも上回る絶叫が響き渡った。


「佐藤くん……、一瞬で六千万稼いだのか!? 俺の、俺の退職金の三倍だぞコンチクショー!!」


 ハイスペック佐藤巧。


 高知の深淵は読み解けても、乙女心のポートフォリオだけは、相変わらず完全な赤字ポンコツのままだった。

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